本納城は蓮福寺周辺に築かれていて、背後の丘陵が本城で
四方に尾根が伸びており、その先も城域に含まれます。
北東の尾根の直下が断崖状になっており、近づくのは危険、
蓮福寺を含め、広い城域を持っているようです。
東の尾根上にも城域が伸びていて、墓地の先にも遺構は残り
本納小学校の先まで続いているようですが、小学校の背後は
断崖絶壁になっているようなので、散策する範囲を定めておく
必要は有りそうです。
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2023/09/07 23:15
断崖状の箇所もあり、全容は難しい。 (2023/05/06 訪問)
本納城は蓮福寺周辺に築かれていて、背後の丘陵が本城で
四方に尾根が伸びており、その先も城域に含まれます。
北東の尾根の直下が断崖状になっており、近づくのは危険、
蓮福寺を含め、広い城域を持っているようです。
東の尾根上にも城域が伸びていて、墓地の先にも遺構は残り
本納小学校の先まで続いているようですが、小学校の背後は
断崖絶壁になっているようなので、散策する範囲を定めておく
必要は有りそうです。
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2021/02/02 07:29
房総日帰り攻城Ⅱ⑥:本納城 (2020/01/23 訪問)
大関城から転戦。車で25分くらいでした。
蓮福寺墓前の空スペース(35.483457,140.3004)に駐車して攻城しました。
本納城は室町時代後期、1529年(享禄2年)に構築されたと伝えられており、黒熊大膳亮景吉の居城として知られています。。
永禄の頃、房州里見の支城である本納城は長南武田の進攻に備え、佐矢止砦、壇上砦を強化していたようです。
1564年(永禄7年)の国府台合戦ののち、房州里見氏の傘下を離反した土気城主・酒井胤治の軍勢に急襲され1569年(永禄12年)3月28日落城、城主景吉は切腹したと記録されています。
その後、土気酒井氏方から城代として、板倉右衛門他2名がきて統治したが、1590年(天正18年)小田原落城後徳川幕下の旗本知行地となり廃城となりました。
黒熊大膳亮の菩提を弔うために建てられたといわれる蓮福寺は居館跡だといわれており、そのすぐ裏手の山が城址です。
墓の真ん中の道を進んで主郭、2郭、3郭、4郭の尾根は確認したが、本納小学校裏手にある尾根への道を見つけられずに撤退。
蓮福寺から主郭まではよく整備されており、主郭虎口手前にある袋狭間と呼ばれる堀底道は見事です。
攻城時間は30分くらいでした。
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2019/11/13 22:13
2019/05/27 21:18
文句書いてる割には千葉県のお城行きまくりw (2016/01/16 訪問)
思えばブツブツ文句書いている割には、足しげく千葉県の史跡を訪問しておりますなぁw
この日は土気駅にて土気・大椎・立山の3城を見学する前に最初に本納駅に行きまして、
情報では本納城は蓮福寺内にあるものの、お城の場所が解り辛いとの事だったので、捜索覚悟での訪問だったのですが。。。
入ってすぐにお城の解説版があり、更にお城への距離が書かれた方向指示があり・・・
ここ数年でだいぶ変わった模様です(汗)
城域は蓮福寺の奥にある岩山になるのですが、そんなに遠くも高くも無いので、城域までの移動で疲れる事はまず無いと思います。
城碑のある主郭・登城口からすぐ見れる切通し・主郭と反対側にあった土橋等、それ程大きなお城では無いので遺構も少な目ですが、遺構の形が良さげで、訪問前の期待度を上回る場所でした。
駅から10分程で行けるというのもポイント高いです。
お城もなかなかですが、蓮福寺がこれまた素晴らしいお寺だったので、お寺・お城両方好きな方ならここだけを目当てに来る価値があると思います。
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分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 不明 |
築城年 | 享禄2年(1529) |
主な城主 | 黒熊氏、土気酒井氏 |
廃城年 | 天正18年(1590) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 市史跡 |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 千葉県茂原市本納3106 |
問い合わせ先 | 茂原市生涯学習課 |
問い合わせ先電話番号 | 0475-20-1559 |