茂原市のHPに、室町後期・享禄2年(1529年)に築城されたと伝えられ、地の利を生かした要害堅固な山城で、永禄の頃、黒熊大膳亮景吉(くろくまだいぜんのすけかげよし)という武将が、拠点とし24郷を治め武威を誇っていた。本納城は房州里見の支城でのため、長南武田の進攻に備え、佐矢止砦、壇上砦を強化していた模様である。
永禄7年(1564年)国府台合戦ののち、房州里見の傘下を離反した土気城主、酒井胤治に急襲され永禄12年(1569年)3月28日落城、城主は切腹。その後、土気酒井氏方の城代として、板倉右衛門・他2名が統治したが、天正18年・小田原落城後廃城となった、とある。
蓮福寺山門を潜り、参拝者駐車場の先に本納城址300mの標識があり、先にも要所に設置されている。本堂右から墓地内へ。東の尾根に遺構があるようだが、墓地内は遠慮する。墓地を過ぎれば急登になり、切通を通り本堂裏手の高みに出る。途中竪堀に見えた凹みがあったが勘違いかも知れない。主郭は広く平坦で、大きな加納城址の石碑が建っている。北尾根は平坦で整備されているが、これと言った遺構は分からない。
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