おやまじょう

小山城

福井県大野市


旧国名 : 越前

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登城口の説明板の縄張り図
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みんなの口コミ

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田んぼの中に浮かぶ小山 (2026/04/28 訪問)

 斯波氏の大野支配において、戌山城、亥山城、小山城の三城は、軍事政治の面で重要な拠点の城であっただけあって、土木作業量の多いしっかりした縄張りです。一辺が短いL字形をした小山の尾根全体に郭、堀切が配置されています。L字の角が最高所で主郭らしく思いますが、説明板のイラストでは、近代の土取りで消滅した長い方の辺の先の曲輪の方が大きく書かれています。どうなんでしょう。
 登城口の説明板に、斯波義廉が朝倉氏に攻められてこの城で討ち死にした旨が記載されていますが、しんちゃんさんのつぶやきのように疑義あり。斯波義廉は、室町幕府の管領になり、応仁の乱の一方の旗頭的存在(名目上だが)であったおおものです。調べた中には、「斯波氏が同じく守護を務めた尾張に没落したが、最後の地が尾張であったか、別の場所であったかはわからない」との記載もあり、足跡を追えないようですが、討ち死にはしないような気がします。「朝倉氏は最後まで残っていた大野郡の戌山城と土橋城(亥山城)の攻略を開始し、ついに井野部・中野の合戦で二宮氏を討ち取り、斯波義敏を京都に送り返して越前一国の平定が成し遂げられました(一乗谷朝倉氏遺跡博物館HP)」がきっと最新の調査結果なのでしょう。いずれにしても、越前の中で大野が最後まで朝倉氏支配に抵抗したのは間違いないようです。

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しんちゃん

斯波氏によって築かれた戌山城の支城。なかなか見ごたえがあり散策しやすい。 (2023/12/08 訪問)

小山城は有力守護大名であり管領職を兼務する斯波氏の全盛期に斯波義兼によって築かれたとされています。戌山城の支城とされ城山の上ほぼ全域に築かれています。尾根は南端の最高所を主郭(たぶん)とし、北東と北西にV字状に展開し、それぞれに複数の郭を配しています。北東の郭には土塁を良く残し、北西には堀を挟んで二郭があり、その先に複数の郭と堀切が存在します。
西北端の遺構より先は土取りで消滅していますが遺構の損壊は数十年進んでいないようで、そのことは幸いです。案外城域は広いですが尾根上に遺構がすべて繋がっていて散策は比較的容易です。
城址にある案内板には朝倉孝景の謀反により戌山城、小山城は落とされ斯波義兼は自害したとあります。戦いに勝利した朝倉氏は越前守護に就いたと書かれていますが、そうだったっけかなあ?斯波氏に謀反を起こした千福中務大輔が朝倉孝景に討たれたという説もあったのですが、どっちなんだっけ。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ10日目:小山城 (2022/07/29 訪問)

亥山城からの転戦です。木道登り口付近(35.966059、136.523947)に路駐しました。

築城時期は定かでないようですが、応仁の乱(1467年~77年)頃、斯波義敏と斯波氏家督を争った越前守護・斯波義廉により築かれ、家臣二宮将監を守将としたそうです。

木道を登り左(南)に行くと尾根に出ます。北西側に進むと二郭手前に堀切、さらに進むと二郭先に二重堀切があります。
戻って、左に登ると長径50mほどの広く楕円形の主郭があり、主郭南側に低い土塁があります。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=勝山城に向かいます。

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todo94

想定外 (2021/06/05 訪問)

日帰り福井ドライブの締めは越前小山城。さほど期待していたわけではないのですが、良い感じに遊歩道が整備されていて遺構もあり、攻城を楽しむことができました。越前守護の斯波氏の居城で朝倉孝景に攻められ落城しています。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 斯波義廉
築城年 延元元年〔南朝〕/建武3年〔北朝〕(1336)
主な城主 斯波氏
遺構 横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(小山城址)
再建造物
住所 福井県大野市猪島
問い合わせ先 大野市文化財課
問い合わせ先電話番号 0779-65-5520