小山城は有力守護大名であり管領職を兼務する斯波氏の全盛期に斯波義兼によって築かれたとされています。戌山城の支城とされ城山の上ほぼ全域に築かれています。尾根は南端の最高所を主郭(たぶん)とし、北東と北西にV字状に展開し、それぞれに複数の郭を配しています。北東の郭には土塁を良く残し、北西には堀を挟んで二郭があり、その先に複数の郭と堀切が存在します。
西北端の遺構より先は土取りで消滅していますが遺構の損壊は数十年進んでいないようで、そのことは幸いです。案外城域は広いですが尾根上に遺構がすべて繋がっていて散策は比較的容易です。
城址にある案内板には朝倉孝景の謀反により戌山城、小山城は落とされ斯波義兼は自害したとあります。戦いに勝利した朝倉氏は越前守護に就いたと書かれていますが、そうだったっけかなあ?斯波氏に謀反を起こした千福中務大輔が朝倉孝景に討たれたという説もあったのですが、どっちなんだっけ。
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