(24人目)「島津義弘」の続き⑤です。
義弘初陣の地で最初に城主となった「平松城」を訪れてきました。
JR鹿児島中央駅から日豊本線で20分「重富駅」で下車、そこから徒歩30分の所にあります。現在は重富小学校になっていました(写真①②)。
重富小学校の校門にはこんな看板がかかげられていました。義弘の心構えが今でも地元の子供たち伝わっているのかと思うと、ちょっと感動しました(笑)(写真③)。また小学校を囲むように野面積の石垣も残っており、それがここに城があった事を今に伝えています(写真⑤⑥)。
1554年18才で、背後の岩剣城の蒲生氏を滅ぼして初陣を飾った義弘にこの地が与えられ、その後その岩剣城を居城とします(写真①の背後に見える山上=写真④)。この戦いの時、日本で初めて鉄砲が使われたそうです。義弘はこの山上の急峻の地は不便なため、麓にこの平松城を築き居城を移しました。そして1564年に飯野城に移るまでの約10年間(19~28才頃)、ここを居城とし大隅を平定していったようです。
私はその岩剣城に登るつもりで来ましたが、この急峻な角度を見て(これは絶対無理!)とあっさり断念しました(笑)。そして駅へ帰ろうと歩き始めた途端、何とバス停を発見! しかも1日5本しかない・・・その内の1本が何と10分後に来る!(写真⑩)。ラッキーこれで30分歩かずに済む、義弘様からのご褒美か?(最初からよく調べればよかった😩)。
次は、加久藤城を経由して義弘が最も長く在籍し、数々の義弘伝説が生まれた飯野城を目指します。
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