松帆台場は安政5年(1858)に江戸幕府14代家茂の命により、
徳島藩によって工事が始まり、文久元年(1861)竣工しました。
明石海峡対岸の舞子台場と黒船を挟み撃ちにするのが目的でしたが
本来の目的に使用される事はなく
文久3年(1863)7月に幕府の3本マストの軍艦朝陽丸(オランダより購入)
を誤って砲撃、柁付近を破壊しています。
砲台指令の長坂三知は切腹していますが、良く考えると
「勿体ない!」当時の幕府で航行中の艦船に砲弾を当てられる人材は
貴重だと思いますよ。そもそも攘夷だ開国だと判断がブレブレだった
幕府に責任があると思います。
うん、三知氏は悪くない!(本当か?)
かつては13門の大砲が真北に砲口を向けていたそうです。
現在は「ゆうなぎ荘」の敷地になっています。
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