藤堂高虎を追って宇和島城を訪れた後、城の南(宇和島東高校前)にある宇和島市立「伊達博物館」を訪れてきました。ここには宇和島伊達家ゆかりの品々が展示されています。ちょうど伊達秀宗に関する特別展示が行われていました。3度も人質(秀吉、三成、家康の時代)として過ごし、仙台を継げなかった苦労人としての秀宗の様子が詳しく解説されていました。
【余談】奥州の伊達家がなぜ宇和島にもあるの?
25年前の古い話で申し訳ないですが、私は奥州の伊達家がなぜ宇和島に存在するのか、当時はネットも無い時代だったので解らず、ずっと不思議に思っていました。その時、大河ドラマ「独眼竜政宗」(渡辺謙さん主演)の中で、政宗の正室の愛(めご:桜田淳子さん)の子「伊達忠宗」と側室の猫(飯坂の局:秋吉久美子さん)の子「伊達秀宗」の話がありました。正室の愛には最初なかなか男子ができず、側室の子の秀宗が跡継ぎとして大坂の豊臣秀吉の元に送られ(人質)養育されます。しかし関ケ原の翌年、愛に待望の男子が生まれます。本来は正室の子が後を継ぐべきであるので、1610年正室の子には徳川秀忠から1字をもらい忠宗と名乗らせます。しかし、先に生まれた兄の秀宗が1615年大坂の陣で活躍したため、やはり秀宗を跡継ぎにと押す声が上がり、このままでは後継問題で家中が二つに割れてしまうのを恐れた政宗が、駿府の家康(津川雅彦さん)に相談したところ、秀宗には高虎移封で空いた宇和島10万石を与える事で一件落着したようです。(そうだったのか~🤔)と思った記憶があり、政宗と宇和島に行く猫と秀宗との永遠の別れのシーンがとても印象的でした。家康は政宗に対し、関ケ原での100万石のお墨付きを反故にした事をずっと後ろめたく思っていたのでしょう。また政宗には秀忠の後見を託していたためそうしたのかもしれません。1615年大坂の陣の直後で家康が亡くなる1年前の事でした。
しかしこれはあくまでドラマでの話であり、どこまでが真実でどこが脚色された部分なのか私は伊達に詳しくないので実はよくわかりません(すいません)。博物館内の解説によると、宇和島に行った後の秀宗は、人質として苦労したあげくに仙台の伊達本家を継げなかったくやしさからか、仙台から連れてきた家臣を斬ったり貸付金を無駄使いしたりなどの乱行が目立ち、それを知った政宗は激怒し親子関係は険悪になって、このままでは伊達宇和島藩の存続すら危うくなったそうです。しかし、江戸へ参勤の折りに老中土井利勝の仲介で両者対面し、お互い腹を割って話し合い、それでわだかまりも解けたとか・・・(やっぱり親子ですね~😊)。 そして秀宗の子(宗利)が、徳川に恭順の意を示すため、宇和島城を狭間などのない層塔型で建て替え、幕末まで9代伊達宇和島藩は続いたようです。ちなみに、この伊達秀宗の正室は井伊直政の娘だったそうです。
次は、高虎の関ケ原後の居城「今治城」に続きます。
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