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しんちゃん

すごい人の屋敷跡と知らずに (2016/11/20 訪問)

7年間の写真データが出てきたので掲載させていただきます。
町中にひっそりとお墓のようなものがたたずんでただけなので
ふーん、といった感じで2枚しか写真を撮っていませんでした。
しまった、もっと写真を撮っておけば良かった。
それを言ったらきりがないのですが、この多治見国長氏、ちょっとした有名人のようなのです。
後醍醐天皇の討幕計画に参加しようとして密告されて
三千の兵相手にわずか二十騎で勇敢に戦いものの見事に玉砕したらしいですね。
いやあ、そんなすごい人の屋敷跡だと知っていたら
もっとじっくり調べておけばよかった。
それを言ったらきりがないんですけどね。

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しんちゃん

圧倒的な紅葉の美 国の史跡、松平東照宮 (2016/11/20 訪問)

松平氏館は現在 国の史跡、松平東照宮になっています。
国内屈指の紅葉の名所 香嵐渓でも有名な豊田市は
秋になると各地で見事な紅葉を見ることが出来ます。
松平氏館も秋になると見事な紅葉を見ることが出来
年々人が増えてきています。
境内には徳川家康産湯の井戸もあります。
写真は少し古いですが、このような美しい紅葉をずっと
見ることが出来ればと思います。

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しんちゃん

大河ドラマでの扱いはイマイチ 現在石垣修復中 (2023/06/07 訪問)

地元 豊橋の続百名城の吉田城です。
先日の大雨であまり状況が良くありません。
自慢の本丸の高土塁に堀切も水がたまって水堀のようです。
石垣の保全が良くなくて時々崩れてくるので修復の真っ最中です。
まだしばらくは今の状態が続くようですね。
ちなみに崩れた石垣の修復が完了した箇所を見に行ったのですが
なんか前と石の形や積み方が異なっているように見えます。
ここはたしか野面積だったはずじゃ? 
雑草が生えてきて対応が追っついていないですが
この城は石垣がけっこういいんですよ。
名古屋城のおさがりの石をもらって来たりしているので
刻印のある石があったりします。
この日 一つ見つけました。
訪問時には本丸から川辺に降りていく周辺の石垣を見てみてください。


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しんちゃん

三河戸田氏 東三河西部拠点の城 (2023/06/10 訪問)

東三河の武将 戸田氏が田原城に移る前に本拠としていた城です。
立地は少し高台になっていて、その分だけ守りには適しています。
本丸は豊橋市立家政高等学校になっていますが金曜午後6時近くということもあり
人影はありません。おかげで安心して近くを散策できます。
舗装された道路を通って学校の裏手に入ります。
学校裏の土地も大きな郭のようになっていて背後には土塁らしき土の壁がそびえます。
こっそり登ってみますが先日の大雨のせいで足元が危ういです。
すぐに下に降り城跡に敬意を払いつつ家に帰りました。
ちなみにここが我が家から一番近い城人3000城です。

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しんちゃん

三河譜代牧野氏勇躍の城 マイナーなんて言わないで (2023/06/10 訪問)

三河譜代大名 牧野氏が今橋城(吉田城)に移る前に本拠としていた城です。
完全な平城で現在は畑地化されて遺構はそれほど残ってはいないのですが
高さ3mほどの土塁が一部残されていて、かつての雰囲気を味わうことが出来ます。
宅地化、畑地化が進んで、平城がどんどん飲み込まれていく中
こうして一部だけでも遺構を残していただけることは有り難いことだと思っております。
牧野氏は今橋城に移ったあと、周辺地域の派遣をかけて戸田氏と争うことになりますが
後に両氏とも徳川譜代大名として全国に散らばっていくことになります。
戸田氏も牧野氏もNHKではほとんど取り上げられることのない地味な大名ですが
この両氏の入封した城(藩)って結構多いんですよ。

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しんちゃん

深溝松平氏の城。近くには あじさい寺の本光寺と深溝松平家廟所(国の史跡) (2023/06/10 訪問)

深溝城は室町時代前半 深溝地域を支配していた三河大庭氏によって築かれました。(現地案内板による)
後に松平一族の五井松平家松平大炒助が入城を許され深溝松平家を名乗ります。
松平氏は後に各地に封じられた後、島原6万5000石に転封になりますが、お墓はこの地に残していきました。
すぐ近くに あじさい寺で有名な本光寺があり、廟所もそこになるのですが
東廟所の損壊が年々ひどくなっていっています。

深溝城は現在工場の敷地内で一部土塁が残っているようです。

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しんちゃん

乳母の身代わり伝説のある蒲郡の出世城 (2023/06/10 訪問)

久々に形原城跡に行ってきました。
形原城の歴史は平安時代末期 新羅三郎義光(甲斐武田氏の祖)の孫清光の弟
下司次郎師光(もろみつ)によって築かれたとされています。(現地案内板による)
その後、形原松平氏の城となり6代 家信の時代に徳川家康に従って上総国五井5000石から
下総佐倉4万石にまで出世しています。
蒲郡の出世城ともいえる城なので、ご縁がありますようにとお賽銭(5円)を投入させていただきました。
鳥居の裏には家信の乳母 お妙の塚もあります。
幼いころ素行の良くなかった主君の身代わりとなって刺客の手にかかったそうです。
家信の頑張りの影にはこの乳母の存在が大きかったのではないでしょうか。

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赤い城

荒川が天然の堀 (2023/06/05 訪問)

この日の目的は花園城でしたがその前に登城。
久しぶりでした。
東武の鉢形駅から歩いて20分くらい。
月曜日だったので歴史館は休館でした。
ちょっと駆け足での登城となりましたが諏訪神社から復元四脚門を見学、お馴染みの馬出と空堀をへて二の丸、本丸へ。
やはり100名城なのでちゃんと整備されていますね。
逆に堀底へ降りにくい。
史跡の保存と観光の両立は難しいですね。
本丸の北側には荒川が流れ、天然の堀になっています。
このあたりの荒川は結構な急流なので攻めるのも難しそう。
それでも秀吉の小田原攻めで開城、恐るべしです。

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しんちゃん

三河譜代 牧野氏による今橋城の支城 (2023/06/10 訪問)

このたび牛久保城は10年ぶりの訪問になります。
現地案内板によると 享禄2年(1529年)一色城主 牧野成勝が今橋城主 牧野信成の
命を受けて築城したとあります。
今橋城というと、今の吉田城のことですね。
町中の高台に造成されていて完全に市街地化していますが、一部土塁が残されているようです。
かつては北側に二重の堀がめぐらされていて、周囲に家臣屋敷 寺などもあったようですので
それなりの防御力を備えていたと思われます。
古い画像データが喪失してしまいましたが、近くの長命寺には山本勘介の遺髪塚(墓所)
一色城跡には あの今川義元の胴塚もあります。
是非 合わせて訪問していただきたいですね。

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ひろ

金沢城 (2023/06/11 訪問)

雨の金沢城

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ryu

久留米城探訪 (2023/06/07 訪問)

JR久留米駅から歩いて約1km(15分)。篠山神社に参拝後、城内の各櫓跡を探訪、有馬記念館を見学して、本丸外周の石垣を見る。高石垣は見ごたえがある。
JR久留米駅まで戻り、駅前にある『来福軒』(久留米ラーメン)に入る。

久留米市役所最上階の展望ロビーからは久留米城址を遠望できる。

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カズサン

一曲輪(本丸)古城址 (2023/05/31 訪問)

 13年振りの逆井城3度目の登城、逆井城一巡編、模擬復元二層櫓編の続きで古城跡逆井氏時代の城跡?と言われてる一曲輪・本丸の探訪を投稿します、一曲輪・本丸は西二曲輪の木造模擬復元二層櫓、井楼矢倉、復元主殿などに比べて目立たないかも知れませんが土の城の構造を十分に楽しませてくれる、遺構がたくさん残っております。
 
 一曲輪の南に馬出、馬出にも堀か囲んでいます、一曲輪は土塁が西、南、東に在り、北は往時は飯沼に張り出し、現在は埋めてられて西連仁川に向いて土塁は有りません、北東角に横矢掛かりの張出が有り防備を固めています、一曲輪の周囲は内堀が囲み、北は飯沼が堀代わり、内堀の南底には鐘堀池が有り、逆井氏の奥方が北条氏との戦いで敗れて釣鐘を被ってこの池に飛びこみ自殺したと伝聞あり。
 北東横矢掛りの南に復元櫓門と復元橋が架かって、中世、戦国期の城の雰囲気を醸しています、一曲輪は西二曲輪、東二曲輪の様に芝生広場は無く鬱蒼とした姿ですがよく整備清掃がなされていました、当日は馬出内部の草取り清掃をされて居ました。
 気持ちよく城探訪観察が出来るのも地元保存会の方々のおかげです、ありがとうございます。

 続きを、逆井城点描編と後ほど投稿させて頂きます。
 
 

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東京 城巡りサークル 長篠城、設楽原  (2023/06/10 訪問)

長篠城、設楽原

サークルメンバ男女
 6人ワンボックスで行きました
 
城、戦場にある史実ドラマをみんなで
共有しながら歩きました。
現地ボランティア様から
共有感謝申し上げます。

一泊2日で
1日目
 関ケ原、小谷城、長浜城、
2日目
 小谷城再度、国友、大垣城、岩村城、長篠城
 
・奥平氏 
・鳥居強右衛門
・おつやの方、秋山虎繁
を感じながら訪問

大河ドラマ
どうする家康
今日のドラマ楽しみにしてます。

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小城小次郎

落ちない城・・ (2023/01/08 訪問)

「落ちない城」として有名になったが実際に落ちてないのかは横に置き(汗)、赤松円心が新田の大軍を引き付けたことに始まり、その後も赤松氏の重要拠点であり続けたという点で難攻不落の名城であったことに疑いはなかろう。

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シェル

難攻不落の真田の名城 (2023/06/01 訪問)

松代からバスで屋代へ向かい、屋代駅からしなの鉄道に乗車し、上田駅で下車。
上田駅のお城口からお城口天神通りを通って、二の丸通りの坂を登り、上田市観光会館でスタンプを押印して、二の丸橋から登城!!
二の丸橋→二の丸→東虎口→本丸→西櫓→本丸水堀→尼ヶ淵の順に見学。
特に尼ヶ淵からの自然の崖と石垣、そして櫓の迫力は見事でした!!

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水の都 城下町散策 (2023/06/10 訪問)

 江戸時代は美濃国最大の城下町であったと伝わっています。美濃路の宿場町であり、揖斐川水運の湊町として栄えました。美濃路は東海道と中山道のバイパスで朝鮮通信使、琉球王使、お茶壺道中なども通行しました。市内には本陣跡や脇本陣跡、船町港跡、住吉燈台等がありました。大垣藩戸田家菩提寺である円通寺の山門は、雷火のため数回焼失していますが天保年間(1830-44)に再建されたものです。また松尾芭蕉が奥の細道の旅を終えたのが当地とのことで、奥の細道むすびの地として街には句碑が水門川沿いの「四季の路」に設置され「ミニ奥の細道」として整備されています。
 大垣市は水まんじゅう発祥の地とも言われています。金蝶園総本家 大垣駅前本店さんにイートインスペースがあり水まんじゅうをいただきました。お土産としても購入しました。

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ぴーかる

大坂夏の陣 徳川秀忠の本陣 (2023/04/30 訪問)

【岡山砦】
<駐車場他>御勝山公園北側にコインPあり。
<交通手段>JR桃谷駅から徒歩

<感想>大詰め大阪府の城びとの旅5城目。岡山砦は大坂夏の陣で徳川秀忠が陣を置いた場所です。戦後勝利し岡山から御勝山とよばれるようになりました。古墳を利用した陣城で現在は前方後円墳の後円部分だけしか残っておらず、そこも柵がしてあり中に入ることはできません。夏の陣五月七日岡山口の戦いで、先鋒の前田勢が大野治長軍に崩され秀忠は前に前に進軍した時にここに本陣を置いたと思われます。確かに位置的に天王寺よりも大坂城に近く迫っています。秀忠の必死さが感じられました。

<満足度>◆◇◇

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三浦の晃ちゃん

鎌倉 (2023/06/10 訪問)

あまり知られてないとは、思うのですが、鎌倉市にあるお城です。北条早雲や本多正信の関係です。近くのお寺に詳しい説明がある歴史館が、あります。

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むらひろ

岩殿山城 (2023/01/07 訪問)

毎年、新年限定御城印を目当てに行きます。

私が今まで行ったことのある山城の中では1番辛い思いをして毎年登っていますが、山頂からの眺めは最高です。

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イタさん

岡部氏館跡 深谷市普済寺 (2023/06/07 訪問)

岡部氏は武蔵七党の猪俣党で、猪俣六太夫忠綱が岡部に移り岡部氏を称したとする。源頼朝の挙兵に参陣し功績のあった岡部六弥太忠澄は、忠綱の孫にあたる。

岡部氏館跡は菅原神社辺りに記されているが、南西300メートル強に普済寺があり、寺域が館跡とも言われる。普済寺は台地末端のように見え、菅原神社は台地下でかなり低地にある。参道の鳥居右には堀状の遺構があり、先で北に向かい東の堀状になり、さらに先で西に向かって北側の堀状(幅広な水路)になる。鳥居奥に菅原神社の社殿、鳥居斜め右に厳島神社が建ち、社殿の西から北にかけて堀状の遺構があるが、厳島神社が水に関係するため東の堀状を含め池跡かも知れない。内側には土塁跡らしきものも確認出来ない。館としてみれば、おおよそ西側半分以上の敷地は畑地になっている。

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