しろのだいじょう

城ノ台城

千葉県船橋市

別名 : 城之台城、小栗原城
旧国名 : 下総

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じゅんじん

多門寺 (2023/11/04 訪問)

お寺になっています。

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チェブ

小栗と船橋でこんがらがる。 (2023/10/14 訪問)

歩いても、汗だくにならなくなった秋の休日。
千葉県船橋市の「城ノ台城」でこんがらがって来ました。

JR総武線『下総中山駅』から「城ノ台城」跡となる『多聞寺』まで15~20分くらい歩きました。
山門をパチリ。
『多聞寺』の裏手が高くなっていて、木々が伸びてます。こちらに「城ノ台城」の何かが有るのではと、『多聞寺』右手の坂を上がりました。
写真②、船橋のマンホールと道路の滑り止めのシマシマ。結構な坂でした。
坂の上はお墓になっていて、入れなさそうです。
次の目的城に転戦する為、京成電鉄『東中山駅』に向かいました。
駅のすぐ近くに公園があり、何やら説明板が、、、。
写真③です。『東中山台遺跡群』の説明板でしたが、この辺りに「小栗原城」があり、城主の館もあったとあります。
「城ノ台城」の別名が「小栗原城」です。

こっから、ちょっと ややこしい話。
「城ノ台城」の城主は小栗 判官 満重さん。つまり「小栗原城」の城主は小栗 判官 満重さん。
船橋市の郷土資料室によると、小栗 判官 満重さんは伝説上の人物との事。
千葉氏家臣の小栗氏という情報もありました。

小栗 満重さんを調べたら、茨城県筑西市の「小栗城」で自刃で亡くなってます。伝説の人物ではないようです。
それに「小栗原城」「小栗城」、原の字がないだけ。惜しい。
どちらも、小栗 満重さんが活躍したのでしょう。ただ、船橋市説の方が劣勢です。
なんだか、両城でゴッチャになってしまったのかな?

私は船橋市に始めて電車で来ました。
この日、船橋・京成船橋・新船橋・西船橋の駅を使いました。さらに、西船と京成西船。(降り間違えた駅も含みます。)
調べてみたら、船橋とつく駅名は7ヵ所あるようです。これを乗りこなせる船橋市民の方々、尊敬します。

いつか船橋市が 自信を持って『小栗 満重』の居城ですと、PRしてもらいたい「城ノ台城」攻めでした。

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朝田 辰兵衛

帰路の途中下車で。 (2022/09/25 訪問)

台風一過の晴天で,途中下車散策の選択ができました。JR下総中山駅から国道14号線に出て,約500mで多門寺。裏の墓地エリアが気になったので,墓参のフリをして奥まで足を運びました。墓地の奥には古道らしき抜け道が…。後世に作られたのかどうかは不明ですが,うっすらと堀切跡が見えなくもないな…と。
そして,振り返れば,JR総武線の往来が良く眺望できます。

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昌官忠

ちょっとそこまで2城巡り②:城ノ台城 (2021/04/09 訪問)

ちょっとそこまで2城巡り2城目は城ノ台城です。
西船橋駅より徒歩16~17分くらいで多聞寺門前(35.713807、139.949053)に着きました。

城ノ台城は天文年間(1532~1555年)に、北条氏康が里見氏への備えとして築かれたようです。
しかし、当城に関する文献資料等はなく、発掘調査でも城館の存在を裏付ける遺物は発見されなかったそうです。
ただ現地には土塁、虎口、櫓台状の地形などが見られるため、「城ノ台城」の存在については今も結論が出されていないそうです。 

多聞寺北の高台が城跡のようですが、遺構はないようです。
攻城時間は15分くらいでした。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 小栗氏?
遺構 消滅
住所 千葉県船橋市本中山1