宮山城は式内社・敏太神社の背後にある丘陵上に築かれており、案内板も設置されて
います。最頂部に主郭が築かれ神社が鎮座しており、敏太神社から参道が続いており
ます。雨の日でも簡単に訪問することが出来、遺構も良く残ります。主郭の周囲を土塁
と空堀がめぐり、その外側にも堀と土塁が巡っており、内部に複数の郭を残します。
天文年間(1532~1554)に木造具政によって戸木城の支城として築かれたとされ、
天正12年、小牧長久手の戦の際、織田信雄に協力し蒲生氏郷に攻められ落城したと
現地案内板には書かれており、現在の縄張りは蒲生氏により戸木城攻めの支城として
改修を受けたものとされています。
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