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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)6日目:葛原城 (2022/06/10 訪問)

五社尾城からの転戦です。葛原城1.6Km道標がある付近(33.011977、130.822523)から林道に入り、入口付近の駐車スペース(33.027178、130.828258)に駐車しました。そこから主郭まで100mくらいです。

築城年代は定かではないようです。菊池十八外城の一つとされ、市野瀬氏累代の居城と伝えられています。

林道を進めば辿り着きます。そこからは案内標識に従って歩けば主郭はすぐです。
葛原城は現在、栗畑となっていて遺構はなく、説明板と石碑があるのみです。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=隈部氏館に向かいます。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)6日目:五社尾城 (2022/06/10 訪問)

鷹取城からの転戦です。標識があるカーブミラー付近(33.019180、130.852359)に路駐しました。そこから主郭まで600mくらいだと思います。

築城年代は定かではないようです。菊池十八外城の一つとされ、城主は不詳ながら大和守大蔵久家とも伝えられています。

主郭の150m?くらい手前で蔦に阻まれ先に進めず、攻城を断念しました。
途中断念しましたが攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=葛原城に向かいます。

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零汰

石積あります (2020/11/28 訪問)

整然としている石積は綺麗で芸術作品の様に思える時もあるが、破損している石積や不揃いの石積、無造作感のある石積は近世の石積に比べると出来損ない感があるが、実はこちらの方が好みだったりする。こちらは城域自体はさほど広く感じなっかたが、その割に多くの石積が点在している様に感じました。

駐車場から二の丸に達するまでには一部急な坂道を登ります。いくつかの自然石の間を抜けると石積で補強している二の丸の虎口にたどり着きます。ほぼ全周に土塁があり石塁も見受けられます。樹木の関係もありますが本丸よりもが眺望が良かったです。

本丸にも大手と搦手以外の全周に渡り土塁が施され、各所に石積が点在しています。搦手から北側に向かうと案内図の位置に横堀などの遺構を見ることが出来ます。

所要時間1時間10分:1.8km:累計高低差216m

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ヒロケン

畝堀・障子堀 (2022/06/11 訪問)

山中城は、戦国時代末期小田原に本城を置いた後北条氏が築城した山城です。標高580m・城の範囲は東西500m・南北1000mにも及び、武田氏・今川氏との国境の境で、北条方西方の最前線の要の城として重要視されました。
その後、豊臣秀吉公と不仲になり秀吉公の小田原攻めに備え、急ごしらえで堀や岱先出丸等増築しましたが、増築が未完成のまま豊臣軍の総攻撃を受けました。北条方4千・豊臣方4万10倍近い圧倒的兵力の前に半日で落城したといわれています。

現在の山中城は、国指定史跡・日本百名城として土塁に囲まれた各曲輪・堀・北条の城の象徴である畝堀・障子堀が400年前の遺構がそのまま復元されています。駐車場・トイレも完備されており、各曲輪に説明板が設けられ、散策しやすい城跡です。

4度目の訪問で、此処から見る富士が自分は一番好きなのですが、この日は生憎の曇り空で富士を拝むことが出来ませんでした(>_<)
石を使わない土だけの山城ですが、見所満載の城跡です。(*^▽^*)

5月、八木城跡を訪問した際、登城口に城山登山者アンケートがBOXに入っており、回答したところ、「まんが八木城と内藤ジョアン」の小冊子が八木城観光協会から届きました(*^▽^*)ちょっと得した気分です。ありがとうございます。

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銀閣寺の裏山 (2022/06/18 訪問)

 銀閣寺の裏山が城址で、三好長慶に追われた足利義晴、義輝親子が京都奪還の足がかかりとして築いたとされています。土塁や浅くなってはいますが、堀切を見ることができます。水の手はどこだろうと思っていましたが、下山したときに大文字送り火の看板をよく見ると「道の途中の名水は中尾城跡の本丸より流れている水です」と書かれていました。どこに流れているのかわかりませんでした。予想していたより急峻な山で、足場も少し悪いところがありますが、登山道は概ね整備されています。大山出城を散策後、中尾城に行きました。城址を過ぎれば大文字山まで行くことができ、この日も多くの方が登山を楽しんでみえました。自分は城址から大文字山には行かず下山しています。

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残っていれば (2022/06/18 訪問)

 遺構は移築門等以外はないと思っていますが、3カ所石碑を見つけました。

 新型コロナウィルスも落ち着きつつあり政府も方針を変えたこともあり京都には人が戻ってきていますね。修学旅行と思われる学生さんたちを多く見かけるようになりました。

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城とマスク

愛知のお城巡り (2020/11/02 訪問)

岐阜から愛知に移動して犬山城へ行きました、見学してから食べた木曽川で養殖された鮎の塩焼きが美味しかったです。
マスクはメキシコ滞在中ローリンさんがホテルまで来て納品してくれたマスクです。

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にのまる

9/12城目 (2022/05/20 訪問)

善照寺砦から坂を下り、扇川を目指します。住宅が立ち並ぶ舗装道路で感じる山城(砦)感。関東平野や江戸の埋め立て地ではなかなか味わえないおもしろさがありました。所有者様のご好意により見学させていただける城碑。ありがたかったです。

中島砦の見学を終えた時点で15時50分。早朝5時台に東京の自宅を出立してから休憩なしで10時間以上経過しましたが、日没までまだ2時間余りあるのでそのまま鷲津砦・丸根砦・大高城に向かいました(=゚ω゚)ノ

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にのまる

8/12城目 (2022/05/20 訪問)

丹下砦から徒歩20分くらい。長い坂を上ったところの砦公園は山頂を削平したそのままが広場になっているように見え、ほかの児童公園では感じたことのない曲輪感がありました。周辺の段や眺望によるものも大きいです。信長がここから義元本陣を睨んでいたのだと思うと感慨深く、それだけで充分満足、目的を果たせました。

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にのまる

7/12城目 (2022/05/20 訪問)

鳴海城から徒歩15分くらい。目指すは住宅地の中の1枚の説明板。見つけられるかドキドキしながら下って曲がって上って彷徨いました。きっとそのあたり全て砦跡です。説明板の場所を提供してくださっている方に感謝です。

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にのまる

6/12城目 (2022/05/20 訪問)

星崎城からひと駅2分なので電車に乗るほどでもないなと思い歩いたら意外と遠かったです。
ここからラストまでの桶狭間2城5砦は歩いて実感することが目的なので、鳴海城跡公園への最後の上り坂はきつくもありうれしくもありでした。
天神社の城碑を確認し、丹下砦へ向かいました。

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「根古屋城」 (2022/04/30 訪問)

埼玉県秩父市横瀬町にある「根古屋城」です。

「根古屋城」は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で活躍中の、畠山 重忠さんのお父様が居城してました。
その後、北条家家臣(*後北条の方)渡辺監物さんや、浅見伊賀守のお城になり、北条家滅亡と共に廃城したようです。
調べてみると根古屋絹は、浅見伊賀守が絹の生産を奨励した事が始まりなんだとか。
こちらは滅亡せず、現在も続く産業です。
根古屋絹は、秩父銘仙へと発展しました。

「根古屋城」、まず入口が民家の畑。農作業中の方に伺い、写真②から案内板に従いました。
「根古屋城」を正面に左から登り、グルっと40分位で回れるそうです。
15分~20分ほど遊歩道を登ると山頂の郭に着きます。奥は急斜面になっています。天然の要害かと思いましたが、石灰石採所があり崩されてます。
武甲山が見えます。写真⑦です。
昭和から現在に至る、たくさんの建造物の為に切り取られる武甲山。
「根古屋城」が活躍した時代は、どんな山だったのでしょう。
それでも、今も風格ある山です。

右ルートで下ります。左手に堀切が2ヵ所ありました。、、、藪の向こうでしたので、怪しいですが。
細長く平な所があり、土塁があります。奥は竹藪で、郭も竹の子達が顔を出してます。
虎口付近に、お墓がありました。
個人的に下って来た時の方が、遺構に出会えました。
登りは階段ばかり見てたので( ´∀`)

秩父のお城、全部 攻めてはいませんが、こちらの「根古屋城」、一番 印象的でした。
城びと、未登録ですが、、、。

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washin

津山城跡 (2022/06/08 訪問)

2022/06/08 初めてです。

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ぴーかる

ふとげじょう (2022/05/21 訪問)

【二曲城】
<駐車場他>墓地公園駐車場<36.358814, 136.598537>が登城口から一番近い。鳥越一向一揆歴史館でもよい。
<交通手段>車

<見所>曲輪・掘立柱建物跡・石垣
<感想>1泊2日富山城の旅1城目。富山までの高速道路途中下車し鳥越城・二曲城御城印購入と二曲城登城しました。
 二曲城は続百名城の鳥越城の大日川を挟んで南側に位置しています。同じく一向一揆の城で1580年鳥越城と共に落城します。登城口に説明板があり、登城路は整備されています。二郭・三郭は堀切を挟んで連郭、少し南に登り主郭があります。主郭の西側の谷に四郭(倉跡)があり石垣は見事です。登城口の縄張り図に四郭から五郭へ行く小道があるのだが現在は道の跡すら無い全く藪化してしまって行けなくなっています。

<満足度>◆◆◇

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赤い城

日向不動堂 (2022/06/04 訪問)

南与野駅から徒歩で7分。
日向不動尊が城跡とされています。
境内には堂碑がありますが遺構はありません。
そもそもさいたま市内に遺構のある城も僅かですが。
畠山重忠の家臣、真鳥日向守の城です。
公民館も隣接していて今は地域に根ざした場所になっているのでしょうか。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)6日目:鷹取城 (2022/06/10 訪問)

元居城からの転戦です。標識付近(33.020439、130.841569)に路駐しました。そこから150mくらいで主郭に着きます。
登り口(33.020626、130.841144)に説明板があります。

築城年代は定かではないようです。菊池十八外城の一つとされ、原田氏累代の居城と伝えられています。
征西将軍良成親王が、一時在城した染土城がこの鷹取城とされます。

案内標識があるので迷わず辿り着けます。主郭に城趾碑があります。
主郭も段郭も草が深いです。段郭からだと眺望が見渡せます。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=五社尾城に向かいます。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)6日目:元居城 (2022/06/10 訪問)

掛幕城からの転戦です。標識付近の路肩(33.002830、130.849078)に路駐しました。そこから250mくらいで主郭に着きます。

築城年代は定かではないようです。菊池十八外城の一つとされ、城主は菊池氏七代菊池隆定の五男伊倉七郎定直と伝えられています。

案内標識があり、迷わず辿り着けます。
竹藪の中に石碑と説明板が確認できました。曲輪以外、遺構らしきものは見つけられませんでした。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=鷹取城に向かいます。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)6日目:掛幕城 (2022/06/10 訪問)

市成城からの転戦です。カーブミラー横(33.021238、130.897777)に路駐しました。そこから鉄塔管理道を300mくらい登ると主郭に着きます。

築城年代は定かではないようです。菊池十八外城の一つとされ、柏氏累代の居城と伝えられています。

登り口はわかったが、中に入って迷子になりかけ途中で断念しました。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=元居城に向かいます。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)6日目:市成城 (2022/06/10 訪問)

黄金塚城からの転戦です。閉鎖中の菊池渓谷中央駐車場(33.008159、130.940498)に路駐し、南東角の入口付近(33.007924、130.940601)に向かいました。

築城年代は定かではないようです。菊池十八外城の一つとされ、城主は置かれず毎年交代で城番が置かれたそうです。

市成城は菊池渓谷の県道45号線の近くの山にあったと云われています。
登山口は菊池渓谷中央駐車場にあり、県道南側の駐車場から菊池渓谷へ向かう遊歩道の入口に案内標識と説明板、石碑があります。
ここから城跡へ向かう道は以前は整備されていたようですが、現在は全く未整備のようで通行止めになっていた為、入口で断念しました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=掛幕城に向かいます。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)6日目:黄金塚城 (2022/06/10 訪問)

竹迫城からの転戦です。県道201号線の岩平公民館(32.990070、130.877827)を西側に曲がり、カーブミラー横(32.989895、130.876764)に路駐しました。そこから主郭まで150mくらいです。なお、岩平公民館の道路側に案内図があります。

築城年代は定かではないようです。菊池十八外城の一つとされ、城主は惣谷氏と平山氏が代々居城したようです。

台地の上は畑になっていますが、その一角の小高い土壇に石碑が建てられています。
岩下公民館道路側に案内図があります。ここまでくれば、案内標識があるので辿り着けます
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=市成城に向かいます。

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