【千種城】
<駐車場他>駐車場あり。<35.033284,136.486738>狭い橋渡ります。
<交通手段>車
<見所>堀切・虎口・居館跡?
<感想>日帰り少し涼しくなったので伊勢湾ぐるり平山城行けるかな旅1城目。(だんだん旅のタイトル付けも絞り出す感じになってきた(自笑))
現地説明板によると千種城は後醍醐天皇の近臣千種忠顕の四男顕経が南北朝時代に築城したとされます。城下の下に千草街道が通っていて街道の要所にありました。戦国期には三重郡24郷を領して威勢がありましたが、信長そして秀吉の軍勢に攻められ、最後の城主顕理は大坂夏の陣で戦死して廃城となりました。
城跡は西の鈴鹿山脈から伸びる突起状の丘陵地にあり、現地説明板によると西側に本丸、東側に出丸の二つの曲輪で構成され、その間に空堀で仕切られているとあります。城跡碑のある公園化された曲輪が主郭跡とすると登城口前の南北に走る道路が空堀跡となり、その東の民家が出丸となります。城跡碑の曲輪が出丸とすると、その西にある遺構の大堀切が仕切り空堀で老人ホーム城山苑辺りが主郭となる。
城跡碑のある曲輪は東に土橋のある空堀があり3方に高い土塁を備えています。曲輪の西南奥から西の大堀切に行けます。西の大堀切の南側に隅角部の石積み(後世のものか)があり大堀切の西側の曲輪壁にも石積みが見られます。城山苑周辺には切通し虎口のような遺構、曲輪壁の鋭角の段差、矢穴のある石が落ちていました。規模的にも城山苑一帯が主郭跡かなあと私には感じました。
<満足度>◆◆◇
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