大波城は比高40mほどの丘陵に築かれ、現在は公園として整備されています。遺構は見当たりません。
南北朝時代、北畠顕家に仕えた大波倶成民部丞の城のようです。顕家が戦死した後は弟・顕信が鎮守府将軍となり後醍醐天皇の孫・守永親王を奉じて国政と軍政を司るが正平7年(1352)3月に多賀国府が足利の軍勢に攻撃され15日に陥落、17日に足利軍の追撃を受け親王、顕信らは逃れて、刈田郡三沢城を経て大波城に逃れたようです。
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2025/01/31 19:23
南北朝時代 (2024/09/16 訪問)
大波城は比高40mほどの丘陵に築かれ、現在は公園として整備されています。遺構は見当たりません。
南北朝時代、北畠顕家に仕えた大波倶成民部丞の城のようです。顕家が戦死した後は弟・顕信が鎮守府将軍となり後醍醐天皇の孫・守永親王を奉じて国政と軍政を司るが正平7年(1352)3月に多賀国府が足利の軍勢に攻撃され15日に陥落、17日に足利軍の追撃を受け親王、顕信らは逃れて、刈田郡三沢城を経て大波城に逃れたようです。
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2023/10/13 17:12
南朝大忠臣大波氏の城 (2023/09/18 訪問)
宮沢遺跡と東北道沿い未踏の城探訪の2日目高子岡城を終えて国道115号線を相馬市方向へ走行し大波水戸内集落へ、国道沿いに上り下りからも良く分かる立看板、横看板が有る、集落の坂道を約200m程登ると案内看板、城名石碑が登城口に有り良く分かる、車は更に50m程進むとひまわり看板に駐車場案内あり。
駐車場:砂利舗装で余裕のある駐車場が2段で配備されてる。
参考資料:古城盛衰記さんグーグルマップに依ります。
登城口に案内看板が有り、「南北朝時代吉野朝廷に仕え北畠顕家に従えた大忠臣大波氏代々の拠る処の城」と大きく目を引きました、整備された西からの道を登り主郭へ、西奥に櫓台上の土壇が有り自然石を研磨し「大波城阯」下段には碑文が戦前の陸軍中将の揮毫に依る石碑で非常に立派です。主郭内は公園化されて居り、忠魂碑も立っていました。
近くに霊山城跡が在りますので繋がりも有ったのでしょうか?
遺構は良く分かりませんが西側の多段曲輪?畑の跡か?、東法面に多段曲輪?の畑段は夏にひまわりが咲いてる畑の様で、集落の案内看板にはひまわりに写真が大きく目を引きます。
帰りに立看板が「もうお帰りですか この城跡は春夏秋冬変色します またおいで下さい」大変目を引きました。
夕立明けの探訪でした。
大波城も近い時期に、とある煩悩の登城目録さんが登城、投稿されていますが探訪の流れなので投稿させて頂きます。
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2023/10/01 09:38
分類・構造 | 丘城 |
---|---|
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 大波氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、切岸 |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 福島県福島市大波字館 |