二の丸、三の丸の景観探訪を堪能して、フィルムカメラ時代に山頂の郭群、天守台に以来の数拾年振りの登城、二の丸テニスコート裏からの登城路を登って行く、途中の尾根に南北に約150m程幅30m程、総石垣で上段、下段、下段下と三段の構造に見受けられる内膳丸が有る、下段下に続いて、5~6年前に発掘出現された登り石垣が山頂の曲輪群、遠見櫓台に向かって伸びている、当日新聞等で報じられたのでまだ最近の事の様に思い出される。
登り石垣は、伊予松山城、淡路洲本城が有名で雄大に残って居ます、米子城は吉川広家時代に石垣築城されて居り、朝鮮の役に参陣して居ますので、登り石垣の効果は体験済みなのでしょう、港に向いて内膳丸西側の石垣と登り石垣と遠見櫓までのつながりが、石垣防御ラインと成ったのでしょう。また新しい発見で今後の整備保全を期待します。
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