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カズサン

市役所屋上撮影挑戦と大河ドラマ館観覧 (2023/08/18 訪問)

 どうする家康浜松大河ドラマ館へ展示入れ替え前にプレオープン入場以来初めてグランドオープン中に観覧に出掛けました、二の丸北の駐車場は満車状態の様子で国道152号線には南からの入場車両で繋がってる、よって周辺のどうする家康大河ドラマ館提携の有料駐車場を利用、300円の駐車券がドラマ館のショップで駐車券提示し頂ける。
 周辺の駐車場利用でしたので先に浜松市役所に寄り、7月21日に浜松市役所屋上展望所よりフェンス越しの撮影で網が入った写真しか取れなかったので、コンパクトカメラ持参でフェンス網目よりトライ、しかし網の影が入りいまいち撮れない、スマホの写真機能を使って撮ると何とか撮れるが屋上の周辺コンクリ壁が入りすっきりした浜松城天守と天守御門が撮れない、後でトリミングしてみる。

 浜松出世パークの北西門より入場、大勢の人で賑わっていました、さすが夏休み効果なのでしょうか?どうする家康大河ドラマ館内は大勢の人で順々繋ぎの見学、閲覧、放映で見ていた浜松城CGの大型展示パネルもありじっくりと観察見学、シアターでは満席で立見も混んでいる10分から15分のシアターが5~6編ほど有り見ごたえ有り、あまり内部撮影出来ませんでしたが、ホォトスポットでは家康、瀬名、直政の等身大パネルが有り順番で撮影、さすが浜松は井伊直政が居る。
 ドラマ館入場で三つ折りのリフレットを頂けますが中に当選のラベルが有れば「クリアバック」が当たり頂ける、家内が当たりゲットするも、此処台風大雨お盆の物流混雑にて入荷難、後日郵送で自宅へ配送頂けるとの事。

 夏の暑い入道雲も空を覆い、入道雲と石垣・天守も夏の風物詩、暑く本丸・天守閣には登らず引き上げました。
 

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ぴーかる

竹ヶ鼻城 (2023/07/15 訪問)

【竹ヶ鼻城】
<駐車場他>羽島市歴史民俗資料館に駐車
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第1弾ラストの13城目。竹ヶ鼻城の築城は応仁年間(1467~1469年)に竹腰尚隆によって築城されました。その後土岐氏や長井氏が入城しました。信長が美濃を攻略後は織田氏の支配に移ります。小牧長久手の戦いで織田信雄の配下の不破広綱が城主の時に羽柴秀吉によって水攻めに遭い落城します。関ヶ原の戦いの時は岐阜城主織田秀信配下の杉浦重勝が城主として籠城していました。八神城主の毛利広盛が援軍として二の丸・三の丸に詰めていましたが福島正則の降伏勧告に応じてしまったために落城しました。竹ヶ鼻城はその後廃城となったようです。
 城跡に遺構は残っていないようなので先にイオさんに倣って羽柴秀吉本陣の間島太閤山跡を訪れました。ここには小山が残されています。その後に羽島市歴史民俗資料館前の城跡説明板を撮影して資料館に行きました。資料館内は竹ヶ鼻城の資料・ブラタモリで放送していた木曽三川の輪中の資料が展示されています。映画館と古い映写機が十数台展示されていて興味が無くても十分楽しめます。
 北隣にある、はしま観光交流センターには葛アイス(味5種程)が販売されており夏場の城巡りの一服にはサッパリ最高です。
 この日のプランは終了し時間が少し余りましたが10城目の大野城跡で自家用車の運転席側のサイドミラーが急に故障してしまい気分がへこんでいたのでこのまま帰路に着きました。第2弾に続く…走行は事故無く400㎞無事走破。

<満足度>◆◇◇

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ヒロケン

千人殺しの石垣 (2023/08/13 訪問)

延岡城は、五ヶ瀬川と大瀬川に囲まれた、50m程の丘陵に築かれた平山城です。五ヶ瀬川と大瀬川を外堀とし、丘陵の周りに内堀を巡らせており、本丸を中心に団下がりに二の丸・三の丸を張り出すように縄張りされています。
延岡城は、縣城・亀井城とも呼ばれ、本格的な築城は豊臣秀吉公の九州平定において軍功のあった、高橋元種公が縣城を改修し、1603年に城を完成させました。城主は、高橋氏・有馬氏・三浦市・牧野氏・内藤氏と目まぐるしく変わりましたが、内藤氏が7万石で入封し8代続き明治維新を迎えています。

現在は、城山公園となっており、「千人殺し」と呼ばれた石垣が残されています。この石垣には仕掛けがあり一つの石を外すと石垣全部が崩れ、千人を殺すことが出来るという伝説が残り、この城一番の見所となっています。(千人殺す事ができる程大きい、という比喩ではないかと思われます。高さ19m・出角の斜長22m・長さは70mもあります。)
この石垣の他に、天守台跡(天守がたてられることは無かったとの事)、井戸跡・曲輪跡・復元城門・野面石、粗割石で積まれた打ち込み接ぎの石垣などがあり、見所満載の城跡です。

12日19時に豊橋を車で出発し、翌13日9時過ぎに延岡城に到着しました((+_+))宮崎県に初上陸です(*^▽^*) 。駐車場は、城山公園南駐車場・城山公園北駐車場の2箇所あり、トイレも完備されていますが、北駐車場は13日現在、工事中で駐車することができません。
14時間かけ正直ヘロヘロでしたが、延岡城の「千人殺しの石垣」を見て、来て良かったと感じました。ですが、次回来ることがあれば、公共の交通機関を使用しよと思っています。

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しんちゃん

ヤブ地獄 (2023/08/12 訪問)

岩屋城はかつて池田輝政が淡路支配の拠点として築いた
城ですが、パッと見、うっそうとしたヤブ化した小山です。
私も最初、登り口がわからなかったので城の周囲を車で回り
東側の登れそうな所からアクセスしました。
正式な登城道は城跡ビルのすぐ近くにあります。
ステーキハウスの看板を目印にしていただけると良い。
かつては、ある程度整備された登城道があったようですが
すでにヤブと化しています。
登城道がかつての堀跡のようで、そこかしこに石積みの跡があります。
しばらくいくと右手に本丸にアクセスできる箇所があります。
小さい郭を経て主郭に登ります。主郭は酷いヤブで移動は困難ですが
がんばって先に進んでみます。主郭の背後は住宅地になっており
そこは遺構が削られコンクリートの絶壁になっているので
これ以上進んでも仕方がないと見切りを付け引き返します。
現状ヤブ地獄ですが、草刈りさえできれば、それなりに楽しめる
城跡になると思います。

登城道
34°35'20.3"N 135°01'17.4"E
34.588957, 135.021505
城山ビル・ステーキハウスの看板の近く。

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肉球

初登城 (2023/08/06 訪問)

山中城を見学したあと初めて訪れました。
クルマは皆さんの書き込みにあるように
江川邸の駐車場を利用しました。
三の丸・権現曲輪・二の丸・本丸それぞれ
土塁空堀で区切られ見学しやすい山城でした。が、
本丸から見た詰城になるであろう天ヶ岳砦は高く聳える山城で
周りを取り巻く砦を含めるとかなり巨大です。
しかし豊臣軍に攻められた時には天ヶ岳砦の更に奥に聳える高い山にも
軍勢が陣を引き落城したようです。
 

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しんちゃん

主要部への坂道はなかなかキツめ。 (2023/07/16 訪問)

古市城は東市小学校が主な城跡で南側の堀を隔てた丘陵にある
高山城も城の一部とされています。
室町時代に興福寺大乗院の坊人であった古市氏の城とされています。
主要部である小学校は周囲に対して明確な高台に築かれています。
そのグラウンドの端っこ、ちょうど坂道を登ってすぐの端っこに
フェンスで囲まれるように城址碑があります。
城跡の南側にある池は堀の雰囲気があり、その南側の
高山城には堀や郭らしきものがあります。
かつては西側の環濠集落も含め総構を形成していたと
あるので、なかなかの城域を持っていたものと思われます。

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下社城(夏の名古屋市散歩) (2023/08/17 訪問)

 柴田勝家出生の地と伝わっています。城びとには未登録の城址です。名古屋市名東区にある明徳寺が跡地ですが、遺構はありません。石碑と説明板が立っています。高台にあり眺めはいい所です。
柴田氏は以前は越後新発田にいて尾張へ来たときに同じ発音の柴田へ改めたと伝わっています。
名古屋市名東区にあり、地下鉄東山線上社駅から少し道に迷いましたが徒歩約15分で行くことができました。

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一色城(夏の名古屋市散歩) (2023/08/17 訪問)

 柴田勝家の祖父と伝わる柴田源六勝重が尾張守護斯波氏の命により築いたとされています。城びとには未登録の城址です。名古屋市名東区神蔵寺、貴船神社付近が城址です。遺構はなく石碑も説明板もありませんが、柴田勝重の墓がありました。
地下鉄東山線上社駅から徒歩約10分で行くことができます。

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稲葉地城(夏の名古屋市散歩) (2023/08/17 訪問)

 津田豊後守の城と伝わっています。城びとには未登録の城址です。神明社となっていて遺構はありませんが、石碑と説明板があります。説明板によると「「津田豊後守とは誰か」について諸説ありますが、「稲葉地 津田氏の由来 津田保雄著」及び「中村歴史の会編纂 稲葉地村」の記述によると、稲葉地津田氏の祖、織田豊後守は岩倉城主で織田敏定の庇護を受け、敏定の末息子敏元を養子嗣に迎え、居城を稲葉地に構え、津田を名乗ったとされる。敏元は信長の母の姉を室に迎えた(従って敏元は信長の伯父)。」と記載されていました。信長は幼少の頃、津田家にあずけられ近くの陵雲寺で学問をしたと伝わっています。かなり親しい関係だったようです。織田家では津田信澄のように津田姓を名乗る方がいますね。以前から不思議に思っていましたが、少し調べただけではわかりませんでした。
 名古屋市中村区にあり地下鉄東山線中村公園駅より城址とされる神明社まで徒歩約20分です。

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豊臣秀吉誕生の地など(夏の名古屋市散歩) (2023/08/17 訪問)

 豊臣秀吉誕生の地(諸説ありますが)として知られる中村公園は名古屋市中村区にあり地下鉄東山線中村日赤駅から徒歩約15分で行くことができます。豊国神社があり石碑、説明板がありました。となりの常真寺には豊臣秀吉公産湯の井戸やお手植えの柊、銅像があります。付近には秀吉の家臣で後に秀頼の補佐役も務めた小出秀政邸址と秀吉の正室高台院の甥にあたる木下長嘯子邸址の石碑と説明板がありました。
先に投稿しましたが、となりの妙行寺は加藤清正の銅像や生誕の地の石碑があります。
名古屋市中村区にあり地下鉄東山線中村日赤駅より清正公通を歩いて徒歩10分くらいです。

 歌舞伎役者の初代中村勘三郎もこの地で誕生したという説があり公園内に象と説明板があります。初代勘三郎の祖父の兄が豊臣家三中老のひとり中村一氏であると説明板にありました。

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トク

61【関ケ原の26人】(23)石田三成 (石田三成生誕の地:石田町) (2023/07/02 訪問)

(23人目)は「石田三成」です。
まず三成の生誕の地(石田町)を訪れてきました。長浜駅前にある秀吉と三成の銅像前(写真①)のバス乗場から近江長岡行のバスに乗り20分、石田で下車します(写真②)。

1560年に三成はこの石田村の土豪の子として生まれました。その屋敷跡は、現在は石田会館(資料館兼公民館)になっています(写真③④)。そこには三成の銅像もありました(写真⑤)。また三成が生まれた時の産湯に使われたという井戸もありました(写真⑥)。

すぐ近くの八幡神社の奥には石田神社があります。ここにはかつて石田家代々の墓がありましたが、関ケ原での敗北後、地元の人々はこれらの墓が徳川に見つかってはまずいと地中に埋めたそうです。そして昭和16年にその埋めたとされる墓石が発見され、昭和41年に再び地元の人々によってここに石田一族の供養塔が建てられました(写真⑦⑧)。

ここからふと見上げると、横山城のあった山が見えました。ここは秀吉の前は浅井氏の所領でもあり、姉川合戦のゆかりの地でもあったようです(写真⑨⑩)。

次は、秀吉と三成の出会いの地(大原観音寺)を訪ねます。


【余談】どうする家康では、中村七之助さんが石田三成を演じられるようです。ドラマ後半の最大のキーマン(と私が勝手に思っている)石田三成をどのように演じて下さるのか、今からとても楽しみです。あと大谷吉継は忍成修吾さんが演じられるようです。この三成と吉継の友情物語にも私は注目しています😊!
 

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加藤清正誕生地(夏の名古屋市散歩) (2023/08/17 訪問)

 名古屋市中村区中村町にある妙行寺は加藤清正の誕生地と伝わっています。石碑、説明板、加藤清正像がありました。
地下鉄東山線中村日赤駅より清正公通を歩いて約10分くらいで行くことができます。

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大秋城(夏の名古屋市散歩) (2023/08/17 訪問)

 那古野城主・今川氏豊の家臣である大秋十郎左衛門の居城です。城びとには未登録の城址です。その後、大秋氏は織田信長が弟の織田信勝(信行)と戦った「稲生の戦い」では信勝方について敗れています。その後廃城になったようです。遺構はありませんが、石碑がありました。
名古屋市中村区にあり地下鉄東山線本陣駅から徒歩10分くらいで城址である大秋神社に行くことができます。

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丹羽長秀邸(夏の名古屋市散歩) (2023/08/17 訪問)

 丹羽長秀生誕の地と伝わる丹羽長秀邸址が名古屋市西区にあります。城びとは未登録です。遺構はありませんが、石碑が立っていました。
地下鉄鶴舞線浄心駅より徒歩15分くらいで行くことができます。

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比良城(夏の名古屋市散歩) (2023/08/17 訪問)

 佐々成政が生まれた城として知られています。城びとは未登録の城址です。成政の父、佐々成宗により築かれたと伝わっています。遺構はありませんが、石碑と説明板がありました。
名古屋市西区にあり城北線比良駅より徒歩5分くらいで城址とされる光通寺へ行くことができます。

 近くには今回は行っていませんが、織田信長が大蛇を探すために飛び込んだと伝わる蛇池があります。

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POYO58

石のない城の強さがわかる (2023/08/17 訪問)

山中城に行って来ました。ほんとは富士山を見るために行ったのですがまさかの曇りで全く見えませんでした泣。
でも山中城はすごく面白かったです。

山中城は北条氏が小田原城を秀吉軍から守るため築城されました。かなり堅固な城ですが、秀吉の大軍によりわずか半日で落城してしまいました。

最初は出丸に向かいました。一の堀とすり鉢曲輪が見どころです。駐車場に着くと出丸と本丸への矢印がありますが、反対方向なので出丸をみてから本丸へ行った方が良さそうです。御馬場曲輪を歩いて過ぎると大きな堀切が見えます。少しだけ畝堀になってます。そのまま行くと土塁で囲まれた曲輪が二つあり、その二つ目がすり鉢曲輪です。低土塁で囲まれ、鉢のような底になっています。出丸には見晴台が二つあり、そこからは一の堀が見えます。これは畝堀になっておりなかなかすごいです。これを見ると秀吉の大軍を抑えるために急いで築かれたのがよくわかります。

さてつぎは西の丸へと行きます。

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カズサン

飯山城ぶらぶら散歩 (2023/06/19 訪問)

 9年振りの再登城(初登城H26年4月)、移築復元南中門へ駐車場から向かうと南中門前でTVでお馴染みのバラエティー司会の中山秀征さんと地元TVの飯山紹介番組撮影中で暫し撮影が終わるのを待って、撮影クルーと反対方向より再登城ぶらぶら散歩を開始。
 復元南中門を潜って弓道場方向へ、元南中門址の礎石、復元桜井戸、三年坂、二の丸、本丸、二の丸東側、坂口門跡、三の丸、二の丸、帯曲輪、西曲輪、飯山城址交流展示館、扇坂跡、南大手門跡、外濠跡と進み撮影クルーとぶつからない様に廻りました。
 
 西曲輪の復元整備され、南中門西の石垣上にはしだれ桜が大きく育ち葉も茂り景観には一部邪魔な姿、桜の頃はベターでしょう!、9年前にも掲示されていた「上杉謙信公 飯山築城450年『飯山城址整備』」のパネルはそのままでまだまだ鮮やかに立っていました、残り復元整備の本丸城門はまだまだの様です。本丸南西隅の二重櫓の復元もお願いしたい。
 飯山のシンボルとして!

 4編に分けて掲載写真がダブらない様に投稿させて頂きました。
 長々とご覧いただきありがとうございます。
 

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ぎりょう

有備館夏季企画展「家康と政宗展」が開催中 (2023/08/16 訪問)

6月20日から開催している企画展を見に有備館を訪問しました。KHK大河ドラマで「どうする家康」を放映中ですが天正19年(1591)8月18日、奥州再仕置で従軍していた家康がここ岩出山(当時は岩手沢)に足を運び、榊原康政とともに岩出山城の縄張・普請を行っています。修復の具体的内容の記録はありませんが9月22日には終了の通知が政宗に届いており最大34日間の工事だったようです。また「伊達家家譜書上」には「本丸は権現様(家康)、二ノ丸から曲輪は榊原式部大夫(康政)の縄張」の記載があるという。(以上は企画展リーフレットによる)また、家康は城下の実相寺を宿舎としましたが、寺には家康が使用した茶碗が二つ伝来しており、本企画展でも展示されています。
奥州仕置以前、ここは大崎氏の重臣氏家氏の居城でしたが、当時は山上の主曲輪や西側の天王寺曲輪周辺が中心だったと考えます。江戸時代を通じて一門の岩出山伊達家(政宗4男宗泰が初代)の要害屋敷となる二ノ丸なども、この時の改修工事なのでしょうか。
この日も気温32℃、城址には登らず見学後は有備館の庭園を散策しました。宮城県北も連日の猛暑ですが、ホッ、と一息つくことが出来ました。岩出山城の詳細については過去の投稿を御覧ください。
企画展は9月18日(月)まで。 旧有備館まで JR陸羽東線有備館駅 東北自動車道古川IC 鳴子方面20分 10km

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AJ

狸の本音? (2021/08/14 訪問)

駿府歩き。城址を具に見て回るのが基本ですが、たまに鳥の(鷹の?)の視点で俯瞰するのも良いですね。

子どものころから夏休みのたびに遊びにきた静岡ですが、この高さで市街地を一望するのはこの時が初めてでした。見えてきたのは、関ヶ原後も続いた微妙なパワーバランスと、家康の“終活“の一端。

北に山々、南に駿河湾、西には大井川と安倍川、そして東に天下の嶮・箱根。これほどの要害堅固な地はそう多くはないはず。家康は1605年、江戸開幕からわずか2年で将軍職を息子の秀忠に譲り、自身は駿府へ。

当時、大坂には秀吉の遺児・秀頼が健在。つまり駿府は対豊臣戦で江戸を守る最重要砦ということになるでしょうか。そして、そう考えると、関ヶ原は本当に「天下分け目」だったのかどうか、、。実際、そこから大坂戦役での決着までに10年以上を要します。

わずか2代で滅ぶことになる豊臣。今まさにそれを仕掛けんとする家康が同時に推し進めたのは、自分の死後、全く同じことが徳川に起きないよう、徹底した予防線を張るというものではなかったでしょうか。駿府の街並みには、そんな家康の危機感が見え隠れしているような気がします。

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イオ

大阪お城フェス2023 (2023/08/12 訪問)

大阪お城フェスに行ってきました。昨年は日程の都合がつきませんでしたが、今年は2日目の夜に大阪で仕事関係の所用があったので、それとあわせての訪問です。

グランフロント大阪の会場に入ると、まず全国と大阪近辺のお城マップがお出迎え。大阪近辺のお城マップはかなりマニアックな城まで載っていて、隣県に住んでいながら名前すら知らなかった城もいくつもありました。

お城マップの奥は地下に眠る豊臣大坂城の企画展示コーナー。豊臣時代大坂城天守の復元模型が目を引きます。壁面には説明パネルが掲示され、最後には発掘された豊臣期大坂城詰ノ丸石垣の実寸大の垂幕が掛かっています。写真や映像では何度も目にしてはいたものの、実寸大を下から見上げると想像以上の迫力です。建造中の豊臣期石垣公開施設の外観イメージや模型も展示されていましたが、これは公開がますます楽しみになりました。

企画展示の奥には観光PRブースが並んでいます。大阪でのイベントだけに関西が中心ですが、岐阜県や愛知県、四国に九州・沖縄と各地からの出展が見られました。日帰り圏内の城の情報やパンフレットは直ちに役立てられますし(岡山城や大垣城は近いうちに行く予定)、遠方の城の情報はいつか行きたい! という思いをかき立ててくれますね。そんな中、島原城ブースの前には人だかりができており、何だろうと見てみると、ひこにゃんが武将隊&ゆるキャラと写真を撮っていました。ゆるキャラというか……妖怪ウォッチ? と思って帰宅後に調べてみると、やはり妖怪ウォッチ作者の小西紀行さん(島原市出身)デザインによる島原守護神しまばらんだったようです。もう10年目のキャラクターなんですね。島原城を訪れる日まで覚えておきます。

物販もいろいろと心惹かれるものがありましたが、もらったパンフレットだけでもかなりの量になるので、絞りに絞って「関ケ原 -名所・古跡-」と「松阪の城50選」の2冊に留めました。中でも「松阪の城50選」は、このゴールデンウイークに松阪市内の山城めぐりをしようと下調べをしていた際に、手元に縄張図の無い城も松阪山城会発行のこの本には載っていることを知り、通販もあるようなので欲しいな、と思いつつも、一度内容も見てみたいと保留にしていたので良い機会でした。内容的にも文句なし、行くつもりだった城をいくつか見てみて即買い! でした。良い買い物をしたとホクホクしていると、1000円以上お買い上げの方にはくじ引きがあるとのことで、くじ運は乏しいため特に期待せずに引いたところ、なんと2等の蒲生氏郷フェイスタオルが当たりました。あちらの商品になります、と示された品を見てみると1100円の値札が…。いやいや、私1000円しか使ってませんけど!? と言うと、観光PRでやっていることなので~、とのこと。…わかりました。ありがとうございます。この本とフェイスタオルを手に松阪市の山城めぐりはもちろん、氏郷公の松阪城も必ずや再訪しますので!

また、観光PRブース(の大半)ではその城にちなんだクイズが出題され、各ブースをめぐって全問回答すると参加賞(各日先着100名)がプレゼントされるお城・クイズラリーが開催されていました。夏休み中のため親子連れも多く、クイズラリー形式で子どもたちが興味を持ってお城への知識を深められるというのは良い企画だなぁ、と思うのと同時に、大人が挑戦してもなかなか歯ごたえがあり、独力だけでは半分くらいしかわかりませんでした。クイズの前で頭を悩ませていると、ブースの人がヒントをくれたり、パンフレットの解答が載っている箇所を教えてくれたり、ただ漫然とブースをめぐるよりも、クイズを通じて交流やパンフレットに目を通すきっかけができるという意味でも良い企画だなぁ、とも。

ブースをひとめぐり(というか3周ほど)したあたりで撤収しようかとも思いましたが、まだ夜の予定まで時間があったので、自治体PRステージ…の前に阪大レゴ部によるブロックお城作りへ。ワークショップは終わっていましたが、展示されていたレゴ部制作の大坂城天守は大きさといい出来栄えといい、素晴らしい代物でした。一から作ろうとしたら何日かかるんだろう…。

2日目最後の自治体PRステージは和歌山城と彦根城・佐和山城。和歌山城はお城イベントの最後まで残るような客層を考慮して、天守などのありきたりな観光案内ではなく、ブラ〇モリ的に地形や石垣にこだわったマニアックな内容で、小道具や小ネタもいろいろと仕込まれていて、勝手知ったる地元の城でも楽しく拝見できました。彦根城のステージといえば、言わずもがなのひこにゃん。少し前にブースのほうでも会ってはいるものの、やっぱり可愛いですなぁ。佐和山城のPRもしてくれていたはずですが、ひこにゃんに意識が向いていてさっぱり頭に入ってきませんでした(笑)

…ということで、お城イベントを存分に堪能できましたので、来月は姫路にも行きたいな、と思っています。

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