東大通りを渡って三の丸に向かおうとしたら目に飛び込んできた石垣修理現場。
前回訪れた時も修理中、前々回訪れた時は発掘調査中でしたが、今回は通行止めでした。完成までに40年を費やしたという石垣の名城は修理にも相当の時間や技術を要するであろうことは想像に難くなく、手を止めたらそこで終わりだという事実に、歴史を未来へ伝えていくことの現実的な重さを思いました。
櫻山神社左手の鶴ケ池に沿って入城しました。烏帽子岩は櫻山神社の石段を上がって見上げると迫力が違います。南部稲荷神社や三の丸の大きな露出石も存在感を放っていました。
東門から二の丸へ上がります。
上から見てもおもしろかったのははばき石垣です。石垣を守るための石垣ですが、それ自体にデザイン性がありスタイリッシュ。城ネコさんが上でくつろいでいらっしゃいました。
庭園を再現したような石組みがありましたが城内図では御殿が目いっぱい建てられていたようなので公園化の際に設えられたのかもしれません。
本丸には戦時中に銅像が供出されたために残された南部中尉像の台座が。何もない空間が語る歴史に思いを巡らせます。
二の丸と本丸を繋ぐ赤い渡雲橋は盛岡城のアイコンとして写真でもよく見るところです。このたびは渡ることはできましたが老朽化のため欄干にもたれかかることは禁止で、石垣に崩落の危険があるため橋の下を潜ることもできませんでした。廊下橋が復元されたらいいのにとの思いもよぎりますが、石垣の状況から見ても建造物の復元は簡単に語れることではないのだろうと思います。
本丸門からカーブする坂を下りて振り返ると威厳に満ちた石垣が。今見てもかっこいいですが土塀や櫓を備えていた当時はさらに見栄えもよく引き締まって見えただろうと思います。
多目的広場(台所屋敷)には元の場所に戻る日を待つ積み石が整然と並べられていました。本来であれば日に晒されることのない小さな裏込め石も山のように積まれ、裏方の存在の大きさや、小さな石もこれだけ集まれば大きな力となるといった見本を見せてもらったような気持ちでした。頑丈な石垣として再び役目につくのは来年の秋ごろの予定だそうです。
石垣修理といえば、櫻山神社の裏から三の丸に上がる石段のところと二の丸のはばき石垣横のあたりにピンクのリボンのついたペットボトルが提げられていました。素人考えですが、これはもしかすると孕みが進んでいる現状下で、ペットボトルが落ちてきたら石垣に何らかの異変が起きているということ。その異変をいち早く知るためのものではないでしょうか。
本丸方面に戻って淡路丸へと進みます。ここには桜の木がたくさん植えられています。木の陰になって城内でいちばん古い野面積みから天守台下石垣までを一目で見渡すことはできませんが、春に訪れれば石垣と桜が織りなす美しき日本の風景を見られるのでしょう。オフシーズンであっても足元を見れば大櫓跡、下を覗き込めば帯曲輪と楽しみを見つけることができます。知育玩具にありそうな立体パズルを嵌めこんだような補修跡のある角石もおおっ!という感じでした。
最後に帯曲輪に下ります。
ここにも大きな露出石が地面から顔をのぞかせています。矢穴の下書きっぽいのがぽつんとひとつある石も。
そしてここからが石垣ビューのクライマックス。大櫓跡の下の石垣のスケールと迫力は何度見ても感動します。遠くから見ると大櫓と天守が重なって五層に見えたというのは夢の世界。(歴史文化館のジオラマで想像できます。)
見事に修復された圧巻の石垣と、移築保存されている唯一の現存建造物、彦蔵。石樋(蛇口)、積み石が抜け落ちて見えている裏込め石、四阿下の石垣を支えるはばき石垣……。最後の最後まで楽しませてもらいました。
3度目の訪問でやっと楽しみ方がわかった盛岡城。いつかきっと4度目もアリです!
お昼ごはんはいつもどおりリュックからプロテインバーを取り出して……ではなくて、ご当地グルメの盛岡冷麺をいただきました。
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