【岐部城】
<駐車場他>駐車場あり<33.665273, 131.625374>20台程度
<交通手段>車
<見所>石垣・曲輪・堀切
<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅2日目ラスト14城目。岐部城は鎌倉時代に岐部氏によって築城されたと伝えられます。岐部氏は大友氏の麾下となり大友水軍の中心的存在となります。大友義統が改易されると一族の中で義統に近侍する者もいたが、この時城は廃城となったようです。
一族の中にペトロ・カスイ岐部という者がいて1587年生まれ、キリシタン追放令により1614年にマカオに追放されるがローマやエルサレムまで行き司祭となります。1630年に帰国して禁教令のなか布教活動を続けて仙台藩に捕縛され1639年に処刑されます。城跡東麓に記念公園があります。
駐車場のそばに岐部氏の墓地があり横の登山道から登って行きます。登り初めてすぐにある高石垣と櫓台石垣は当時のものではないようなのですが、主郭跡にも石列と石垣跡が見受けられましたので、櫓台から先にある虎口跡付近の石垣は当時のもの(朽ち方や崩落具合が違うように見えた)かとも思いました。尾根上に上がると展望台と木のベンチが沢山ある曲輪跡に出ます。そこから南に登って主郭を目指します。ほぼ直線の尾根を南に登って行くと主郭手前に2重堀切があります。なかなかの見応えです。主郭部分は南北に長く、西側に並行して下段に帯曲輪があります。西側曲輪壁に石列、石垣跡が見受けられます。東側は斜面がきつく降りられませんが遠目で石が見えて石垣が崩落したような感じにも見えます。主郭南側奥にも仕切り堀切があるだろうと進みますが、最奥は舗装道が現れて網柵があって遮っていました。
下山したのが18:00頃で豊後高田にも行きたかったのですが、陽も落ちて薄暗くなっていたのでここで今回の旅を終了しました。国東半島には行ったことがなく、地形を見るからに火山で出来た半島で不毛の地かとも思っていましたが、海岸沿いは平野部、田んぼもあって印象が違っていました、すみません。岐部城から国東半島の中心部を縦断して帰りました。全走行距離1530㎞無事走破。
<満足度>◆◆◇
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