すざじょう

須田城

長野県須坂市

別名 : 須田古城
旧国名 : 信濃

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甚右衛門

高梨氏館から転戦 (2024/05/18 訪問)

臥龍公園の中にある古城跡。須坂動物園側から登場したが、遺構もさることながら、途中のあずまや付近からの北信五岳は絶景です。反対側には歴代須坂藩主の霊廟もあります。大体30〜40分程度で攻略。

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臥竜公園 (2023/10/12 訪問)

 臥竜公園として整備されています。須坂市動物園側から登城しました。道は整備されていて概ね歩きやすかった。曲輪跡や竪堀等を見ることができます。竪堀は1本はわかりますが、他は浅くなったり、草木でわかりにくくなっています。

 須坂駅より臥竜公園へバスもありますが、歩いても登城口まで20~25分くらいです。行きは緩い坂をだらだらと上り、帰りは下りとなります。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)5日目:須田城 (2023/04/22 訪問)

苅田城(大城)(城びと未登録 長野県小布施町)から転戦。臥竜公園駐車場入口(36.640664、138.314608)から進入して駐車後、テニスコート北側の登り口(36.642278、138.314778)に向かいました。

須田城は井上氏の一族である須田氏の居城です。
戦国時代には、須田氏は須田郷須田氏と、日滝大岩郷須田氏にわかれ、武田信玄が北信濃へと勢力を伸ばすと須田郷須田氏はこれに従い、一方の大岩郷須田氏は上杉謙信に従っています。
その後、武田氏滅亡後に起きた「天正壬午の乱」で上杉景勝が北信四郡を手に入れると、須田満親が海津城の城将となり、真田昌幸が上杉方に転じた際には交渉役をつとめています。
その後、1598年(慶長3年)に上杉氏の会津への国替えの命が下ると、これに抵抗し須田氏は海津城で自害して果てました。残された者は上杉氏と伴に会津へ移り、須田城は廃城となりました。

現在、城址は「臥龍公園」として整備されており、土塁や竪堀などの遺構がわずかに残っています。
主郭に向かう途中に堀直虎廟堂がありました。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=尼厳城に向かいました。

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カルビン

眼下に動物園が (2016/11/05 訪問)

お城としては目立った遺構もありません(無くなったのかも)

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 須田氏
築城年 室町時代
主な城主 須田氏
廃城年 慶長3年(1598)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、竪堀
指定文化財 市史跡
住所 長野県須坂市小山臥竜山946-3