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徳川宗春 (2023/09/28 訪問)

 伊達氏11代持宗から14代稙宗まで伊達氏の本拠地であった城址です。ここは伊達氏に続いて蒲生氏、上杉氏の領地となっています。その後、尾張藩主徳川光友の3男松平義昌が梁川藩3万石を立藩しました。梁川藩は4代通春が尾張本家を継いだため廃藩となりました。この徳川通春は徳川宗春のことです。天領などを経て、幕末には松前藩領となり明治維新を迎えました。かなりおもしろい歴史を持った城だと思います。土塁や復元された本丸の庭園などを見ることができます。

 阿武隈急行のやながわ希望の森公園駅から徒歩5分くらいで行くことができます。梁川駅から歩いても約15分です。

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しんちゃん

国史跡 大内氏の城 (2020/01/05 訪問)

鏡山城は大内氏の安芸支配の拠点として築かれ城代が置かれたと有ります。
戦国期の大永3年(1523)尼子経久によって奪われ、大永5年(1525)に大内氏が
取り返しますが、拠点を杣城に移し鏡山城は廃城になったとされています。
大手は南側に付き、多くのダバ(段場)と竪堀や畝状竪堀群を備えます。
馬のダバの南側あたりに畝状竪堀群が付いているようなので訪れる際に、ご確認
いただければと思います。

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初芽

馬出がすごく綺麗に残っている! (2023/09/30 訪問)

滞在時間:1時間ほど

前回訪問時にできなかった篠山城の
馬出(東、南、大手)を
さんぽしてきました!

中に入って守る側の気持ちになってみたり、
外から攻める側の視点で歩いてみたり。
お城は見方によって違った魅力が見えてくるのが
面白いです。

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しんちゃん

静岡の語源だったりする。 (2021/02/28 訪問)

賤機山城は静岡浅間神社の背後に丘のように長大にそびえる賎機山の尾根上一帯に
築かれた今川氏の詰めの城です。静岡の語源にもなっているらしく静岡市民にとっては
象徴的な山でもあると言えるのではないでしょうか。ハイキングコースになっている
ようで冬場でも結構な人が登っておりました。いくつか扁平地が存在し、本丸には
城址碑があり土塁も一部残っているようです。南西側に張り出した尾根には籠鼻砦が
あり、賎機山城の城域からアクセスが可能です。途中大きな堀切で遮られ難儀しましたが
郭までたどり着くことが出来ました。今川館の詰めの城にしては、いささか洗練されて
いない気がしますが良く考えたら今川方の山城ってあまり手の込んだ造りではないんですね。
武田や北条の山城が凄すぎるので比べるとおよよになるんですね。くわばらくわばら‥

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朝田 辰兵衛

高良山神籠石散策2/2(高良山山道ルートで高良大社を) (2023/07/11 訪問)

大分県の攻城から2日が空きました。攻城当日に福岡天神まで高速バスで移動しましたが,玖珠あたりから鳥栖まではすでに災害級の豪雨となっていました。翌日,福祉関連のミッション終了後,西鉄天神大牟田線で久留米に移動を考えていましたが,雷による設備故障とのことで全線運転見合わせの悲劇。急遽,JRで久留米へ。西鉄が全線運転見合わせなんて,初めての経験でした。この時,イヤなことが頭をよぎりました。『しりとりの年,筑後川が氾濫し,久留米側は水害。そんな中,対岸側の江迎城を攻城したな…』と。
イヤな予感は的中。翌日,久留米の公共交通機関は壊滅状態になっていました。終日ホテルの部屋で,福祉関連の書類を校正(持ってきてて良かった…)。

さて当日朝,JR久大本線は動いておらず。路線バスで久留米大学前まで。片道【210円】です。徒歩約20分で,高良大社の鳥居に到着。ここにパネルが設置されており,神籠石もピックアップされてます。
車での攻城ではタイパ悪いだろうな…というルートで散策を開始。
往路は,参道を使って一旦車道に出て,神籠石が遺っている山道を登って高良大社へ。
復路は,参道ルートを車道に変えて,車道ワキの神籠石を散策。

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しんちゃん

滝山城 愛知県岡崎市宮崎町 (2021/05/29 訪問)

滝山城は愛知県岡崎市の滝山(標高380m)の山頂に築かれている城で奥平氏が
築いた城とされています。比高は240mほどで登城道があるんだか無いんだかよく
わからない城で尾根上を直登になります。麓や周辺には奥平氏ゆかりの館跡が点在し
さながら奥平の郷といったイメージです。洗練された山城といった感じでは全く無く
尾根上に扁平地が点在するといった状態ですが城跡にはしっかり城址碑があります。
下山する際に滝があったのですが周辺は岩場が多くいささか危ないです。かつて
武田方から離反して武田勢に周囲を囲まれた際に徳川方の援軍を得て逆に武田方を
追撃して田原坂で合戦(滝山合戦)に及んだそうです。

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織田晃司

ゴルフ城 (2023/09/16 訪問)

フェアウェイとウォーターハザードのコース。
主郭がグリーンとなりますが実は主郭のみラフです。

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朝田 辰兵衛

高良山神籠石散策1/2(高良山参道ルートを) (2023/07/11 訪問)

大分県の攻城から2日が空きました。攻城当日に福岡天神まで高速バスで移動しましたが,玖珠あたりから鳥栖まではすでに災害級の豪雨となっていました。翌日,福祉関連のミッション終了後,西鉄天神大牟田線で久留米に移動を考えていましたが,雷による設備故障とのことで全線運転見合わせの悲劇。急遽,JRで久留米へ。西鉄が全線運転見合わせなんて,初めての経験でした。この時,イヤなことが頭をよぎりました。『しりとりの年,筑後川が氾濫し,久留米側は水害。そんな中,対岸側の江迎城を攻城したな…』と。
イヤな予感は的中。翌日,久留米の公共交通機関は壊滅状態になっていました。終日ホテルの部屋で,福祉関連の書類を校正(持ってきてて良かった…)。

さて当日朝,JR久大本線は動いておらず。路線バスで久留米大学前まで。片道【210円】です。徒歩約20分で,高良大社の鳥居に到着。ここにパネルが設置されており,神籠石もピックアップされてます。
車での攻城ではタイパ悪いだろうな…というルートで散策を開始。
往路は,参道を使って一旦車道に出て,神籠石が遺っている山道を登って高良大社へ。
復路は,参道ルートを車道に変えて,車道ワキの神籠石を散策。

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しんちゃん

雨山合戦 (2021/05/29 訪問)

雨山城は阿知波氏の城とされ、作手の城主奥平貞勝を後ろ楯にして織田方に属し
今川方と対峙していたと宝篋印塔近くの案内板に書かれています。弘治2年(1556)8月、
今川方の野田城主菅沼織部正定村と弟の宇利城主新左衛門、山吉城主半五郎定満らが
長山より風吹峠を越えて攻め込んで来たとあります。(雨山合戦)今川方の三将は
この戦いで討死し、奥平・阿知波方の勝利となりましたが、最終的に今川方の大軍に
阿知波氏は敗れたとあります。雨山城へは主郭の後ろから回り込むように登城道が
ありましたが(21年5月時点)主郭は物見のような郭くらいしか確認できず全体は
不明のままでした。単郭の城郭というよりは砦のようなイメージです。城跡のすぐ近くに
雨山合戦場跡の石碑と、この戦いで討ち取られたという菅沼定村の宝篋印塔があります。

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しんちゃん

散策道が用意されており堀切と土塁を楽しめる。 (2022/09/03 訪問)

社山城の登城道は北側に付いていて、途中に堀切があります。そのまま簡単に
主郭である一の郭にたどり着き、城名の示すとおり八幡神社が鎮座しています。神社の
背後には土塁が残っており、一の郭の東には堀切を隔てて郭が広がり間を堀切で隔てて
二の郭と三の郭を仕分けているようです。雑草がうっそうとしていますが、散策道が
用意されており比較的遺構も残り、お手軽に山城の良さを味わうことが出来ます。

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しんちゃん

玉城  岐阜県不破郡関ケ原町玉の城山 (2023/04/08 訪問)

玉城は関ヶ原古戦場の西2kmあたりにある城山の山頂に築かれており、最近では
関ヶ原の合戦に際し西軍の大将(毛利氏か豊臣秀頼?)を迎えるため整備されたという新説も
出ているようです。城域は北東から南西側に伸びた瓢箪のような形状をしており北東部の方が
標高が高く東屋のあるあたりが主郭と見られます。山頂部全体が扁平地になっているように
思われますが縄張り図を見ると段差があるようで主郭へは南側がら北西へ時計回りに
回り込んで侵入するようになっているようです。山頂部の南西から北西までの一帯を
広い帯郭のような扁平地が囲っていて城域全体に横堀や竪堀が放射状に配されているようです。
南西部は南北に堀切が縦断しておりその周辺から北西までの一帯では目視で竪堀や堀切を
確認することが出来ます。
大正時代に名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠の敷地となり麓に哨戒所と門が残ります。
注目を集めるのがもう数年早ければ城びとにも登録されていたかもしれない山城で
関ヶ原町を訪れた際には、お時間に余裕があれば訪れてみてはいかがでしょうか。

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カズサン

2度目の多賀城ダイジェスト版 (2023/09/18 訪問)

 7年振りに多賀城探訪、今回は外郭復元南門が主目的の訪問ですが、写真を百枚近く撮りましたので7編に分けて投稿させて頂きましたが、何か訴えるものがぼやけたようで、再投稿の写真を含めて10枚に絞った気に入りの写真を投稿します。
 長々の投稿ご覧いただき感謝申し上げます。ありがとうございました。
 この後は本来の目的、宮沢遺跡探訪と城びと未踏城郭の探訪へ、宮城県福島県栃木県を訪ねます。
 

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カズサン

展示案内解説板諸々(7/7) (2023/09/18 訪問)

 2度目の多賀城訪問、政庁跡南門から1段降りた処に、政庁復元模型、多賀城の変遷、多賀城の概要が解説盤として設置されています、しばし勉強の時間と読み眺めていました、特に東北城柵の配置、変遷時期が目を引きました1300年の歴史が刻まれています。
 目に付いた案内板、解説板を投稿します。
 

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カズサン

政庁東殿跡周辺(6/7) (2023/09/18 訪問)

 7年振りの多賀城再訪、桜の時期の初登城、2度目は秋の彼岸前彼岸花が若干咲いてる時期の残暑厳しい日。
 政庁跡を北殿・後殿・正殿・正殿前石畳、南門・両翼廊跡をサラッと見学し、今回目的の外郭復元南門、工事中の両翼版築塀の現場に向かいましたので、西殿跡、東殿跡は遠目で追うだけ、南門から政庁跡へ上がって、東殿跡、正殿を南から観察撮影しましたので投稿させて頂きます。
 南門が竣工したら政庁正殿の復元が待たれますね?
 

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ぴーかる

清水山城 (2023/08/19 訪問)

【清水山城】
<駐車場他>清水山上公民館に駐車しました。
<交通手段>車

<感想>越前ちょこ城巡りの旅5城目。城びとの城郭情報では清水山城の築城は1410年に斯波義重によって築城されたとなっています。斯波義重は越前・尾張・遠江・加賀・信濃の5か国守護で室町幕府の7代目管領でもあります。1409年に斯波義重は管領を辞しているのでその後に城館として築いたようです。戦国時代には丹羽長秀の家臣太田一吉が入城します。丹羽長重が減転封後は太田一吉は秀吉に仕え美濃国1万石を与えられます。石田三成と親しかったらしくその引き立てにより、豊後国の大友家改易後は豊後臼杵城主となります。関ヶ原は西軍に与みしていたので改易となります。
 現在城びとポイントの小丘上に毘沙門神社と城跡碑があります。ここら辺が曲輪跡のようだが、すぐ横が民家になっていてあまり周囲を散策できず終了としました。

<満足度>◆◇◇
 

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にのまる

姫路城十景めぐり⑤ (2023/09/19 訪問)

【シロトピア記念公園(ふるさとの森)】
姫路市立美術館から道路一本はさんで北に隣接しています。
真っ先に向かったのがその一角にある県立歴史博物館です。
外壁の鏡面ガラスに映る天守の写真を見せてもらったことがあり、ハートを射抜かれてしまっていました。

美術館と同じく休館日でしたが外観は見ることができます。
ドキドキしながらガラス窓をさがすと、ありました!
正面の芝生の小山に石垣のような敷石が見えます。
ここがきっとビューポイントです。
ゆっくりとガラス窓の方に向かって歩くと大迫力の天守がどんどん迫ってきます。
さらに近づくと今度はだんだん小さくなっていきます。
おもしろいです!!
この位置で振り返っても樹木に隠れて実物の天守が見えないのがまた趣を増しています。
見えない天守を背にして見ているガラスに映る天守……。
すてきな演出を見させていただきました。

ここから北勢隠門・清水門の方へ向かうお濠沿いでは北側からの天守群が望めました。
以前中堀めぐりを試みた時には中ノ門から市橋門までであっさり中断してしまったので、こちら側から眺めるのは初めてです。直前に特別公開で歩いた乾小天守やロの渡櫓が目の前に。心に染みてきます。

休館日だった博物館ですが、どうしても入館したかったので翌日再訪しました。
天守模型、大天守東大柱、シアター、ガラス細工の姫路城など宝箱のような博物館でした。
あとの予定もありじっくりとは見られなかったので改めてゆっくり時間をかけて行きたいです。

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カズサン

政庁跡(5/7) (2023/09/18 訪問)

 多賀城へは7年前の4月桜が咲き乱れる時期でした、今回は秋の彼岸前、彼岸花も咲いて折り季節季節に律儀なものです、外郭復元南門を見たいと飛んできたはやる気持ちを抑えて、政庁跡の北殿、後殿、北殿から続く版築塀跡、正殿、正殿前石畳、政庁南門、両翼廊跡、続く版築塀南西方向を二度目の確認撮影、政庁南門跡に来るとはるか南下に工事中の外郭復元南門が見えてきます。
 南側の見晴らしは素晴らしい景観です、大勢の方が見えて居りました、暑い暑い彼岸前、34℃から35℃の気温でした。
 

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カズサン

城前地区復元構造物(4/7) (2023/09/18 訪問)

 七年振りの多賀城探訪で北の丘陵にある政庁跡から南下の外郭復元南門工事周辺までを降りて登って往復すると南大路の東側のっ丘陵に新しく発掘調査の成果なのか構造物が出来上がってます、西より柱が並んだ柱列塀か?続いて平面床と半柱の建物群西に連なり、中央列南端にアクリル屋根付きの建物が1棟、北に広場を控えれる、東端に上下2段で平面床と半柱の建物群が連なっている、しかし案内板は2ヶ所カバーが覆い見えない様になっている、工事中の看板は今年の12月15日までと成っており、公開は今年の12月末か、来年の南門公開と一緒の3月末なのか分かりませんが、通行止めは無く中に入って見学撮影させて頂きました。
 多賀城の復元整備が進んで1300年前が少しずつ甦って来て楽しい限りです。
 

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しんちゃん

九州の防備の要でもあった都城。 (2019/12/31 訪問)

大宰府は大野山の南の平野一帯に築かれ、中心に太宰府政庁が置かれています。
北は大野城、南は基肄城、西は水城に守られ、北を除く周囲を御笠川が流れる
天然の要衝でもある都城だったようです。九州の大陸に対する防御の要として鎌倉時代初期
あたりまでは機能していたようですが、しだいに衰退していったようです。
正殿跡には礎石が残り、東西に脇殿跡が残ります。南の大手にあたる南門跡には
周囲に築地跡が続いています。脇殿の周囲には回廊が配され脇殿と正殿を繋いで
いたようです。

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赤い城

幸運にもガイドツアーに参加 (2023/09/24 訪問)

石垣崩落の危険性があるためガイドツアー以外での入山は禁止されています。
たまたま城友さんからキャンセル待ちが出たとの連絡を頂き、一緒に参加することが出来ました。
参加料はお弁当込みで3000円、道の駅ひらふくからスタートです。
山頂を見上げ、登りたい気持ちを抑えながら麓の平福町の歴史や見どころを聞きます。
ガイドさんの地元愛を感じることができます。
いよいよ登城口、山中鹿之介が別所氏を攻めたことから鹿之介の気持ちになって鬨の声をあげて登って行きます。
尾根道を登ると石を切り出した削平地に。
さらに登って行きます。
結構な急坂ですが意外としんどくない、アドレナリンが出てたんでしょうか。
三の丸の手前に堀切があります。
久々であった堀切、城成分が補給されました。
さらに登って三の丸、天守丸を見上げます。
この日は青空、映えてます!
大手虎口から二の丸(入れません)を経て天守丸へ。
天守丸の石垣は孕んでいますが廃城感を醸し出します。
宇喜多氏の時代のものもあるそうです。
東側虎口を見下ろして天守丸へ。
この辺りは池田氏が近世城郭に改修した部分です。

天守丸でランチのお弁当。
西播磨の山波や本丸曲輪を見下ろしながら城友さんたちと食べるお弁当は格別でした。
残念ながら本丸や大坂丸、馬場跡には行くことができませんが充分満足出来ました。
下山し、平福駅近くの居館跡の石垣も見学、素敵な1日になりました。
ガイドツアーは団体さんも申し込まれているようです。
機会は少ないかもしれませんがこまめに佐用町のHPをチェックしてみてくださいね。

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