かめやまじょう

亀山城

山口県長門市

別名 : 古城山、城山、日置城
旧国名 : 長門

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①堀切
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征4日目:亀山城 (2026/05/14 訪問)

長門市駅から徒歩10分ちょっとで、法蓮寺入口(34.370392、131.183712)に着き、法蓮寺の墓地の奥から山へ入りました。

築城年代は定かではないようですが、室町時代中期に鷲頭弘忠によって築かれたと云われています。
鷲頭氏は大内氏の庶流で「大内氏庶流鷲頭氏系図」によれば、大内氏十六代盛房の三男盛保が周防国鷲頭庄の地頭となって鷲頭氏を名乗ったことに始まるそうです。
深川城を居城とした鷲頭氏は鷲頭氏三代鷲頭長弘の子盛継より別れた家系で、盛継の孫鷲頭弘忠は長門国守護代を務めていました。
1441年(嘉吉元年)大内氏の第12代当主大内持世が死亡し、大内教弘が跡を継ぎました。
それまでは大内氏と鷲頭氏との仲は良好でしたが、弘忠と教弘は不仲だったと考えられ、1446年(文安3年)4月15日に守護代の任を解かれました。
この間に弘忠と父である鷲頭弘為は本拠である深川城の周辺に支城を築き、教弘の攻撃に備えました。
1448年(文安5年)鷲頭弘忠は大内教弘の大軍に攻められ、深川城は落城、弘忠は一族郎党自刃して果てています。
これに先だって深川城の出城として深川湾に面した丘陵にこの亀山城が築かれました。
その後、亀山城には日置氏が入城しましたが、その後の処遇は不明のようです。

亀山城は長門市役所の東側にある丘陵に築かれていました。
小高い丘陵は亀の形に似ていることから名付けられ、西が首で東が尻だそうです。
立派な堀切が竹林に残っていますが、主郭や西側下段の郭(三郭方面)は竹林の中にあり進むこともできず、よくわかりませんでした。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=前大津宰判勘場跡に徒歩で向かいました。

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にのまる

みんなちがってみんないい (2026/03/13 訪問)

実家最寄駅から山陰本線に揺られること2時間半で長門市駅下車。
長門市役所に隣接している亀山城ですが、別のお城サイトの口コミから入城は控えた方がよさそうだったので写真を1枚だけ撮らせていただき終了としました。

ここから先は乗り鉄と周辺観光です。
在来線最長を誇る山陰本線からぴろっと出ているわずか1駅、2.2kmの仙崎支線。普段であればこのくらいの距離は歩いてしまいますが、乗り潰しが目的なので乗車します。(そんな感じの方がチラホラと……。)

仙崎到着後、道の駅のセンザキッチンで熱々ラーメン🍜をいただき、金子みすゞ記念館へ向かいました。
復元された金子文英堂、遺品や遺稿が展示された本館棟でみすゞの生涯を辿り、しばしその世界に浸りました。

帰りも仙崎支線で長門市に戻り、仙崎〜美祢線(代行バス)経由〜山陽本線で幡生までの切符を買い直して、一日かけての一筆書き乗車の旅完結。
開かずの踏切ならぬ閉まらずの踏切を通る代行バス。厚狭まで乗り通しは揺れがきつかったですが、通学の高校生など地域の人たちの重要な足となっていることを実感しました。美祢線復活はなさそうで、線路や踏切が今後どうなるのかわかりませんが、沿線の趣のある駅舎は残るといいなと思いました。

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HKISD

亀山城散策 (2025/01/25 訪問)

お墓の所から登りましたがどこも行く場所がなかった。
この地区は危険区域になって禁止になってました。

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しんちゃん

大内氏に滅ぼされた鷲頭氏の築いた前城。 (2024/01/02 訪問)

新春一ノ槍・其ノ五 亀山城の投稿です。
亀山城は深川城城主、鷲頭弘忠によって築かれたとされ深川城の前城(出城)として機能していたようです。鷲頭氏は大内氏の庶流で大内氏に仕えていましたが大内教弘の時代に弘忠と不仲になり、亀山城は大内氏の水軍に備えて築かれたようです。文安5年(1448)大内氏は深川城を攻め、弘忠と一族郎党は皆殺しにされてしまったそうです。
亀山城は法蓮寺の背後の丘陵の頂部に位置し東側の墓地に回ると右手奥にうっすらと道が続いて、これを登っていくと城址にたどり着きます。まずは巨大な堀切が行く手を遮り、西の小高い箇所の上が主要部になりますが登り口がはっきりしないので強引によじ上りました。しんどいのはここだけで後は主郭周辺を散策し西の郭を確認した後引き返しました。
普段訪れる人がほぼいないようで、手入れは行き届いておらず、なかなかの竹藪状態になっています。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 鷲頭弘忠
築城年 文安3年(1446)頃
主な改修者 鷲頭弘忠
主な城主 鷲頭氏、日置氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、堀切、切岸、櫓台、井戸
再建造物 なし
住所 山口県長門市東深川