長門市駅から徒歩10分ちょっとで、法蓮寺入口(34.370392、131.183712)に着き、法蓮寺の墓地の奥から山へ入りました。
築城年代は定かではないようですが、室町時代中期に鷲頭弘忠によって築かれたと云われています。
鷲頭氏は大内氏の庶流で「大内氏庶流鷲頭氏系図」によれば、大内氏十六代盛房の三男盛保が周防国鷲頭庄の地頭となって鷲頭氏を名乗ったことに始まるそうです。
深川城を居城とした鷲頭氏は鷲頭氏三代鷲頭長弘の子盛継より別れた家系で、盛継の孫鷲頭弘忠は長門国守護代を務めていました。
1441年(嘉吉元年)大内氏の第12代当主大内持世が死亡し、大内教弘が跡を継ぎました。
それまでは大内氏と鷲頭氏との仲は良好でしたが、弘忠と教弘は不仲だったと考えられ、1446年(文安3年)4月15日に守護代の任を解かれました。
この間に弘忠と父である鷲頭弘為は本拠である深川城の周辺に支城を築き、教弘の攻撃に備えました。
1448年(文安5年)鷲頭弘忠は大内教弘の大軍に攻められ、深川城は落城、弘忠は一族郎党自刃して果てています。
これに先だって深川城の出城として深川湾に面した丘陵にこの亀山城が築かれました。
その後、亀山城には日置氏が入城しましたが、その後の処遇は不明のようです。
亀山城は長門市役所の東側にある丘陵に築かれていました。
小高い丘陵は亀の形に似ていることから名付けられ、西が首で東が尻だそうです。
立派な堀切が竹林に残っていますが、主郭や西側下段の郭(三郭方面)は竹林の中にあり進むこともできず、よくわかりませんでした。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=前大津宰判勘場跡に徒歩で向かいました。
+ 続きを読む









