よねみつじょう

米光城

山口県周南市

別名 : 又太郎城山
旧国名 : 周防

投稿する
①伝福寺
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征19日目:米光城 (2026/05/29 訪問)

藤掛山城から車で30分くらいで、新南陽米光簡易郵便局駐車場(34.138730、131.729552)に着きました。
そこから、伝福寺境内(34.139515、131.728113)に向かい、さらに河内神社入口(34.139174、131.729300)まで徒歩2~3分です。

築城年代は定かではないようですが、城主は杉次郎左門行並で1555年(天文24年)の厳島の戦いで討死したようです。
その後、防長へ侵攻した毛利氏は杉元相に陶の旧領3,000貫を与えて上徳地に、内藤隆春に下徳地に置いて守らせたようです。

登山道はなく、河内神社の東側から葛籠折れの道を登れば曲輪に辿り着くとの情報ですが、山に登る道は見つかりませんでした。
伝福寺境内にたおれた標柱があるとのことでしたが、これも見つかりませんでした。
結局、米光城を示すものは何も見つかりませんでした。山口県のお城は自分には、なかなか手ごわい。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=須々万沼城に向かいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

毛利氏が陶の残党を抑えるために築いたらしい (2024/01/02 訪問)

新春一ノ槍-4 米光城の投稿です。
米光城は川内神社の北の標高200m(比高90m)ほどの小山の山頂部に築かれています。神社からの比高は70m位で特に登城道らしいものは有りませんが神社の右手から山に入る道が続いているようです。最高所を主郭とし東西に郭を配しており、登っていくと主郭の東の郭にたどり着きます。主郭を経て西の郭(二郭と仮定)に入ると西側に土塁と虎口らしきものが残っています。
弘治3年(1557)毛利輝元が大内氏の重臣杉次郎左衛門元相に陶の旧領徳地三千貫を与えて上徳地に置き、同じく大内氏の重臣内藤左衛門太夫隆春を下徳地に置いて守らせたとされています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 杉氏
築城年 室町時代
主な城主 杉氏
遺構 曲輪、腰曲輪、土塁、堀切、切岸
再建造物
住所 山口県周南市米光