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赤い城

群馬県庁がそびえ立つ (2022/06/26 訪問)

本丸には群馬県庁が建ち、駐車場は2時間まで無料。
前橋駅から徒歩の場合25分くらいです。
利根川の河岸段丘上に築城されました。
遺構は県庁周辺に土塁が残るくらいです。
戦国時代には厩橋城と呼ばれていて、北条氏、上杉氏、武田氏によって争奪戦が繰り広げられました。
江戸時代になり酒井氏によって前橋城に改称されました。
天守があったとされる場所には虎姫観音が建っています。
時間がなくて上りませんでしたが群馬県庁の最上階は32階で前橋市内や上毛の山並みを望むことができます。

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どうする家康 (2022/07/17 訪問)

 久しぶりに岡崎城へ行ってきました。名鉄東岡崎駅より徒歩10分くらいで行くことができます。先の投稿にありましたように現在天守閣はリニューアル改装中で入場できません。2022年6月16日~2023年1月の予定だそうです。自分としては堀や石垣にこの城の魅力を感じているので問題はありません。本丸周囲にある深い空堀が好きです。石垣も多く残っていて見どころの多い城址と思います。

 2023年はNHK大河ドラマが「どうする家康」ということで、家康ゆかりのこの城は来年は混むかもしれないと思い行ってきました。

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チェブ

未完成と平和な世。 (2022/05/05 訪問)

先日投稿した「亀山城」の後、100名城スタンプ目的で「吉田城」に向かいました。
こちらのスタンプ、城内の鉄櫓か市役所の13階で押せるとの事。鉄櫓はタイムアウトですが、市役所は8時30分まで大丈夫なので、夕焼けの「吉田城」を目指しました。

1500年頃、牧野氏が築いたそうです。
今川 義元さんが桶狭間で討たれると徳川 家康さんが侵攻、酒井 忠次さんを入城させ「吉田城」と改めました。
家康さんが、関東に移ると池田 輝政さんが「吉田城」に入り大改修しました。が、未完成のまま姫路へ。
その後、たくさんの移封があり、その分 城主が代わりました。
池田 輝政さんの「吉田城」は未完成のまま明治の世まで続きました。
酒井 忠次さんと池田 輝政さんの時代は、激しい戦いが多く、お城の改修も命懸けだったのだと思います。

なぜか ナビは、豊川と朝倉川の合流地点にある緑地帯に案内しました。
朝倉川の橋を渡ります。すると緑の中に石垣が覗いてます。石垣を見ながら川沿いを歩くと鉄櫓の姿が。
池田 輝政さんに見せてあげたい重厚な造りです。
豊川は、朝倉川とは違って大きな川で、天然の要害です。
川向こうから「吉田城」を見たら、カッコいいんだろうなぁ。と、石垣&櫓ばかり見ていたら「吉田城」のある『豊橋公園』には空堀もありました。とても深く、守る意志がうかがえます。
そこに犬のお散歩の方や ランナー、学生さん、と地元に密着系の「吉田城」です。
スタンプを押しに市役所の13階に向かいました。
豊橋市の歴史のパネル展示やレストランもありました。
安心・安全に繋がれてきた「吉田城」は、戦った先人のおかげで 今も、カッコいいままです。

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ダイエティシャン

籠城のお供に (2022/07/17 訪問)

籠城のお供に

コロナ軍、まむし、熱中症の進軍の為、しばらくは、籠城になりそう

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ぴーかる

北山城 (2022/05/22 訪問)

【金山谷城】
<駐車場他>城跡前に駐車スペース4台分程度あり。
<交通手段>車

<見所>曲輪
<感想>1泊2日富山城の旅12城目。初投稿いただきます。金山谷城は築城主・築城者とも不明だが松倉城の北に位置することから現地標記は北山城となっています。おそらく松倉城の椎名氏の支城としての持城であったと思われます。
 城跡は南北に逆L字状に尾根を削平し連郭しています。連郭は切岸を高くとって、その下段に帯曲輪・小曲輪で囲っています。最北が広い曲輪で主郭部だったと思われます。最南に堀切があります。現地縄張り図では竪堀で取り巻いているようですが現在は薄まってしまってほとんど遺構は分かりませんでした。升方城、松倉城とここも眺望が良く、富山湾と平野部が良く見渡せます。当時は激戦地の魚津城をはじめとする平城の戦況がよく分かったと思います。
 現地が手作りのアスレティック遊具があり朽ちてしまって侘しかったですが曲輪は整備されているので巡り易いです。また野生カモシカに初遭遇し感動しました。
 これにてこの旅終了。松倉城の支城には私が本投稿時には城びと未投稿の坪野城跡というのがあります。14:30でまだ時間はあったのですが、体力がだいぶ尽きてきていたので情報がほとんどない未開の城跡に攻め込むのは返り討ちにあうと考え帰路につきました。
843㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

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赤い城

総社神社が城跡と思いきや (2022/06/26 訪問)

総社神社に大きな説明板があり、ここが主郭跡かと思ったら東の端とのことでした
少し歩いたところが城跡ですが遺構はありません。
盛り土の場所がありますが立入禁止となっています。
周りを歩いたところクランクになった道路があり、なんとなく城跡っぽさは感じられます。
冒頭の総社神社ですが由緒のある神社で当日は神前の結婚式が挙げられていました。

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TMN97

石垣山城址 (2022/07/16 訪問)

石垣山城址

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TMN97

小田原城 (2022/07/16 訪問)

小田原城

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ヒロケン

戦国の山城 (2022/07/16 訪問)

高根城は、標高420mの九頭合の山頂に位置し、南北朝時代、後醍醐天皇の孫尹良親王を守るためにこの地の豪族、奥山定則が築いたとされています。戦国時代、この地を治めていた今川義元公が桶狭間で討たれると、三河の徳川家康公や、甲斐の武田信玄公の勢力が及ぶところとなり、武田氏と徳川氏の争奪の地となりましたが、高根城主民部少輔貞益の時、信州遠山郷の遠山土佐守に攻められ落城しています。この頃、高根城は武田方の遠江侵攻の拠点として、大改修が行われたと考えられています。

現在の高根城は市指定史跡として、発掘調査をもとに復元整備が行われ、本曲輪には、井楼櫓・主殿(管理棟)・城門などが復元され戦国時代の山城が再現されています。

城びとの「日本100名城・続日本100名城に負けない名城」を見て、3回目の訪問を決めました。車を利用し、自宅から2時間ほどで行くことが出来、駐車場・トイレも完備されています。また、駐車場からの登山道もよく整備されています。そして何よりこれほど復元されているにも関わらず、無料なんです。(*^▽^*)
戦国時代の山城が忠実に復元され、自分が訪問した際は、朝靄がかかり今にも戦国の武者が出てきそうな感じで、戦国にふれた時間を過ごすことが出来ました。

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にのまる

寄り道2城目 (2022/06/07 訪問)

 鬼ノ城を堪能後はどこへも寄らずに2年半ぶりの実家に向かうつもりでいたのですが、JR吉備線の「備中高松~」の車内アナウンスに体が勝手に反応し、途中下車してしまいました。
 舟橋・清水宗治自刃の地(碑)・ごうやぶをまわっていると閉館15分前になったので資料館へ。アットホーム感が心地よいです。
 前回訪問時は本丸へ渡ったあたりまでしか行っていなかったので、今回は首塚と胴塚へ行きました。暦は違えど6月はじめの訪問で、“その時”を思わずにはいられません。
 最後に、史跡公園となっている蛙が鼻に行きました。2.7kmの堤防の東端の跡が唯一残っている場所なのだそうです。こんな良きところがあるなんて知らなかった!
 予定外の訪問でしたが新しい出会いもありましたし「備中7城」制覇したいという夢も生まれ、やっぱりお城っていいなぁと思いました。

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ダイエティシャン

4️⃣ 天神の丸跡、天神社跡 (2022/07/11 訪問)

天神の丸跡から、更に登ると、天神社跡①~⑤

天神社跡の向かいの郭⑥~⑨天神の丸本丸か?

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ダイエティシャン

3️⃣檜皮の森林 天神の丸跡 (2022/07/06 訪問)

案内板①に従い進軍
檜皮の森林②③ 天守等の補修の木材は、ここで調達していたそうです。

道が広くなります④。石もあり⑤、木片⑥、熊か猪の仕業?熊鈴鳴らしながら、進軍。

搦手門跡から、約15分で、天神の丸跡に到着⑦~⑩

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小荷駄

長浜城跡 (2022/07/08 訪問)

仕事の途中に時間が出来たので行って来ました。模擬天守と歴史博物館や太閤井戸など豊公園を散策してから町中に出て豊国神社や大通寺の台所門、堀跡など当時はどんな感じかなと想像しながら町歩きをしてきました。全部で三時間以上はかかりました。暑すぎたのか移築門や堀跡の写真が保存出来ていなかったので少し残念でしたがいい汗をかけたかなっと思いました。

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ダイエティシャン

2️⃣ 七曲り 相畑跡 (2022/07/07 訪問)

車井戸から、七曲り①を進軍すると、右手に石垣②~⑥

相畑城戸跡⑦⑧⑨ 古戦場跡らしい。土塁のような物が残っています。番所跡や井戸も残っているそうですが、見つけることは出来ませんでした。

随所に緊急連絡先が。⑩。自分のスマホは、電波が届くようです。

案内板はありますが、道無き道もあり、山城歩きに慣れていない方は、迷う可能性あり。

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ダイエティシャン

1️⃣ 土橋、番所跡? 車井戸 登城道 (2022/07/07 訪問)

小松山城跡(猫城主 さんじゅーろー様の居所)から、大松山城跡(おおまつやまじょうあと)に向かいます。

本格的な山城の為、装備が必要。落ち葉が積もっており、晴れていても、滑り易かったです。

本丸の【猫城主 さんじゅーろー様】の許可を得て(本丸料金を支払い)、二の丸帯郭の奥の搦手から、攻めます。①~③
すぐに土橋④を渡ります。すぐに、郭っぽい⑤⑥ここが、番所跡でしょうか?
次は登り⑦

車井戸の標注と、コンクリートの建物⑧裏に廻りましたが⑨、建物の正体は不明。

更に進軍すると、右手に石垣⑩

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零汰

再訪問 (2019/07/07 訪問)

バイクは車と違ってタイヤが2本、自立の出来ない乗り物です。油断をしてしまうと倒してしまいます。何より倒した時はメンタルが崩壊して気を取り直すのに時間が掛かります。城訪問のお供の赤い2号機は重量が300kgオーバーで独りで起こすのはとても大変、今まで3回城跡で倒しています。初めて倒したのは3年前のこの城跡、気を取り直して訪問を初めたが堀切の土砂崩れで訪問不可能。踏んだり蹴ったりの城跡でその後どうにも足が向かなかった場所です。先月6/27に付近の城跡と合わせて3年ぶりの訪問。今回は無事に回る事が出来ました。

南郷城は高城・東の城・根子城・野〇城などの総称で高城が本丸となります。各々の曲輪は鹿児島特有の高い堀切で遮断され荒々しくも心地よい雰囲気を醸し出しています。写真には有りませんが切岸がほぼ垂直に近い場所もあります。石積など見る事は出来ませんが、歩き回るとあちらこちらに遺構の造形美を楽しむ事が出来ます。

所要時間1時間15分:1.6km:累計高低差121m


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赤い城

手作り感溢れる木製の碑 (2022/06/26 訪問)

上越線の線路沿い、畑になっている部分が城跡です。
遺構はありません。
畑の脇に木製の碑がひっそりと立っていました。
周囲も住宅地となっています。
近くの踏切が「剣城踏切」という名なのがせめてもの名残でしょうか。

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歴史案内活動【令和4年7月24日(日)9:00~12:00】 (2022/07/24 訪問)

こんにちは、躑躅ヶ崎歴史案内隊のEこと上田絵馬之助です。

躑躅ヶ崎館跡の歴史案内活動を行います。
7月に入って武田神社境内の緑も色濃さを増し、
夏も本格化する季節になります。
よく甲冑姿で暑くないの?と尋ねられますが、
意外と胴鎧は通気性が良くて、風が吹くと涼しく感じます。
とはいえ、日中の活動は水分と塩分は必需、暑さ対策に気をつけて活動をしています。
暑さ対策といえば境内にある宝物殿、隣接するミュージアムなどの屋内施設、
冷房が効いた中で展示品を観るのもオススメです。

日時:令和4年7月24日(日) 9:00頃~12:00頃
参加ガイド:局長・大塚與左衛門、民部少輔(弥三郎)景政、上田絵馬之助

◆武田神社境内に今日も残る数々の城郭の痕跡を、個性豊かな甲冑ガイドがわかりやすく楽しく案内します。
◆案内時間は10分~30分、ご都合に応じて調整できます。
◆ガイドは無料です。
◆バスツアーなどの自由時間にあわせた案内も可能です。
◆雨天、COVID-19感染拡大状況等により中止の場合があります。
◆案内に先立ち検温等のCOVID-19感染対策を行っていただきます。
◆また、感染防止のため甲冑ガイドと一緒に写る記念撮影はご遠慮いただいてます。
 甲冑ガイド単独の撮影は可能ですので、撮影者間の距離を保って撮影ください。
◆案内活動は武田神社様の承認のもとに行ってますが、当隊そのものは武田神社様とは無関係の有志団体なので
 活動に関する武田神社へのお問い合わせはご遠慮ください。
 問い合わせ、連絡は当隊公式ツイッター(https://twitter.com/KoufuSamurais)へお願いします。(E)

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小城小次郎

堀は四周を台形に巡っていた (2022/01/27 訪問)

同行者曰く「堀が半分しか残っていない」ことが強く印象に残ったそうだがかつては四周を巡っていた(北は川だが)。調べているうちに堀は絵図にある「ほぼ正方形」ではなく南が膨らんだ台形であったことにふと気づいた。

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チェブ

奥平氏と五平餅。 (2022/05/05 訪問)

前回 投稿した「古宮城」の次に「亀山城」攻めです。
国道301号を通ると、『道の駅 つくで手作り村』の奥に小高い山があり「亀山城」と大きな看板が手招きしてます。

1424年奥平 貞俊さんが築城しました。
奥平氏は上野国の出身です。
松平→今川→織田→今川→松平→武田→徳川と、一族を守る為に主君を渡ります。
「古宮城」は「亀山城」の奥平氏の監視の役割もあったそうで、1km位の場所で睨んでました。主君がこれだけ変われば、しょうがないのでしょうか?

実は「古宮城」攻め前に、道の駅で「古宮城」のスタンプが設置してると勘違いして寄りました。売店の方が親切に教えて下さり「古宮城」の作手歴史資料館に時間ギリギリで間に合い、スタンプを押す事ができました。
そのお礼を言おうと、道の駅に戻ると、同じ質問をしてる親子がいました。
、、、勘違い、私だけじゃないのだね。

『道の駅つくで手作り村』はバイクの方々で賑わってました。奥の「亀山城」横の駐車場は余裕で駐車できます。山城ですが公園として整備されているので歩きやすく、まさに亀山の如くです。
曲輪から国道を見下ろすと、道の駅は『五平餅』を販売してる売店が、たくさんありました。
東京の端っこに住む私は『五平餅』と言ったら群馬県だったので意外でした。群馬県のは『焼きまんじゅう』だったかな?
、、、!!
群馬県=上野国と、ざっくり考えると奥平氏が広めたんでしょうか?奥平氏は上野国出身です。
『五平餅』は長野県・岐阜県・愛知県の山間部で広まったそうです。
因みに、『五平餅』はお米を潰したもので、群馬県は『焼きまんじゅう』。小麦粉からできてます。
この辺りの小豪族の方々が、名を残す為に戦った最中に食べられたのだとしたら、と、『五平餅』で戦国の世に酔ってしまいました。

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