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小城小次郎

土佐佐竹氏もさすがは佐竹氏だ (2022/01/27 訪問)

土佐佐竹氏の本拠地だが、そもそもこんなところに佐竹氏がいたことがびっくりだ。長宗我部氏と結んで相応の勢力を持つ名門佐竹氏のお城とあって、城内には土塀の基礎と思しき石積みや礎石建物やらが点在し格式の高さを窺わせる。

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にのまる

⑦北門~ラスト (2022/06/07 訪問)

 屏風折れの石垣からおよそ10分で北門に到着しました。
 北門は東門同様小ぶりな掘立柱城門で、3ブロックに仕切られた緩い段差の通路床面と城壁が復元されていました。現地解説板によると城外側床面と城壁上部は新たに補完した石が多く使われているようです。流出してしまった門石はそうと気づかれずにこの山の中腹や麓に転がったり埋まったりしているんだろうな……。
 門の前面には下りスロープが設置され、岩屋方面へのハイキングコースとなっていました。きれいに配された敷石は新たに補完されたもののようです。
 当初の予定では北門の先の分岐から礎石建物群に行き、また戻って城壁一周踏破のつもりでしたが、タクシードライバーさんとの約束の時間を考え、礎石建物群へ行くのはやめにしました。ビジターセンターまでラスト1.2km(内600mは城壁外)。ほぼ直進&下りで、無事、約束の3分前に戻れました。
 城の中心部に行けなかったり、ビジターセンターで復習できなかったりなどありますが、約2.8kmの城壁跡を一周できましたし、素晴らしいお宝にたくさん出会えたので、1st鬼ノ城、大満足です。いちいち立ち止まって感動したり想像の世界に入り込んだりしなければ最後に慌てることもなかったかと思いますがこればかりはどうしようもないので。

 一筆書きでまわれないのでルートに悩みますが、次回は城壁一周+城内見学コース全部まわりたいです。多分5kmくらいです。4時間みていれば大丈夫かな?

 <おわり>

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カズサン

平成20年修復復元下の橋大手櫓門探訪 (2009/03/06 訪問)

 定年退職の2ヶ月前、福岡出張の折夕刻前の空き時間に、曇り空で薄暗い状態でしたが、前年の平成20年11月に下の橋大手櫓門が平成12年に不審火で一部損焼しましたが、損焼した部材も活用して本来の二階櫓御門として修復復元されていましたので、探訪見学し本丸大天守台、南の丸多聞櫓を曲輪側、外側下側より探訪散策しました。
 一部損焼した平造りの大手門である渦見門の目視は過去にして居ませんが写真で確認するだけ、本来の渡櫓御門に復元され、損焼の部材も使われているとの事で大変ありがたい復元整備に成りました。
 今後の福岡城の復元整備を期待したい処です。
 
 夜は福岡の同僚仲間と退職の夕食会楽しいひと時でした。
 
 

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ミズエ

はじめまして伺いました (2022/06/20 訪問)

世界遺産検定を取得して初めての世界遺産
名古屋城の観光ガイドボランティアのデビューをこれからするので名古屋城との違いや城の魅力を見つけようと行きました考えられた作りや天守閣からの眺めと存在感が素晴らしいと思いました。

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Yosihiko

松江城(国宝) (2022/07/13 訪問)

攻城🏯14城、攻城址5

う~ん。ここまで来て、これでは辛い。
もっと、勉強して来るべきだったなぁ。

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イオ

舟寄館(福井県坂井市丸岡町舟寄) (2022/06/05 訪問)

舟寄館(城びと未登録・黒坂備中守館とも)は、築城時期は不明ながら朝倉氏家臣の黒坂備中守景久が加賀一向一揆に対するため築いた城館で、黒坂氏は朝倉氏滅亡後は織田信長に従いましたが、越前一向一揆で長崎城の七里頼周に攻められて落城。黒坂氏も滅亡しました。

舟寄館は周囲に土塁と水堀をめぐらせた城館で、現在では工場敷地になっていて遺構は消滅していますが、正門東側の敷地内に黒坂備中守景久居館趾の石碑と黒坂氏に関するものと思われる五輪塔が建てられています。受付で許可をもらえば敷地内で石碑や五輪塔を見学できるようですが、外からでも一応見えるので、敷地内には入りませんでした。なお、舟寄交差点あたりに説明板がある(あった)はずなんですが、撤去されたのか見つけることができませんでした。
 

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にのまる

⑥屏風折れの石垣 (2022/06/07 訪問)

 第5水門、土手状遺構からほんの1分ほどのところに突如現れたアート作品のような石群。屏風折れの石垣(第2展望)です。
 列石や敷石のほかは後世の建物に関係するものも多いようですが、それは即ちこの場所が重要な意味をもっていたことの証なのだろうと感じました。
 この高さから威圧感を見せつける高石垣。中世においては経山城の押さえだった記録もあるそうですし、長い年月の間には自然災害などの影響も少なからず受けているはずですが、築城の経緯も由来も文献史料として残されていない城が時を止めずにそこに在り続けていることに何か受け止めるべきメッセージがあるのではないかと、どっぷりと空想の世界に浸ってしまいました。
 昭和12年に建てられた「岡山縣十五景地」の碑がありました。鬼の神話のお城として畏れられそして親しまれていた時代を思います。

 ここでピロピロロ~ン♪と首から提げていたケータイのアラームが鳴りました。念のためお迎えの時間の30分前にセットしていたのですが、まだやっと折り返し点を過ぎたところ……。
 ですが、パンフレットにある城壁沿いの見学ポイントは残すところ650メートル先の北門のみ。猛ダッシュで巻き返せばきっと大丈夫。目標タイムは10分!
 ところがこれが岩だらけで結構な登り。しかも3泊4日分の荷物が詰まったリュックを背負っています。そのうえ温羅舊跡碑や長土塁など立ち止まって見たくなるところが次々と。
 山城あるあるの詰め合わせのような状況でしたが、ゴールインすれば絶対に、間違いなく、かけがえのない思い出になることを知っているので、岩場で転ばないようにすることだけ気をつけてGO💨

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おっちゃん

土岐高山城跡の森案内図 (2020/12/02 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

亀城公園案内図、土浦城周辺案内 (2017/03/10 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

田辺城城郭復元図 (2016/08/11 訪問)

現地案内板より抜粋。

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前ちゃん

雨の高田城 (2022/07/12 訪問)

どしゃ降りの中、歴史博物館と三層櫓を見に高田城址公園へ

写真は前日に撮ったもの。青々と生い茂る木々がジャマで内堀越しの三重櫓が撮れない

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ひろ

増山城 (2022/07/12 訪問)

増山城跡

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イオ

長崎城(福井県坂井市丸岡町長崎) (2022/06/05 訪問)

長崎城(城びと未登録)は、長崎道場と呼ばれた称念寺が城郭化したもので、詳細は不明ながら南北朝期には南朝方の拠点となっていました。室町期には斯波氏・甲斐氏を追い落とした朝倉氏の城となり、朝倉氏滅亡後の越前一向一揆では七里頼周が陣所としました。

称念寺の駐車場に車を駐めて登城開始。長崎城は称念寺の周囲に土塁と水堀をめぐらせた平城で、現在では明瞭な遺構は見られませんが、南辺から南東隅にかけて土塁らしき藪が続いています。その外周の道路は水堀跡でしょうか。

称念寺には新田義貞の墓所があります。称念寺の住職と義貞は古くからの交友があったことから、燈明寺畷から遺骸を運び込んで手厚く葬ったのだとか。長崎城が南朝方の拠点となっていたのもその交友関係ゆえのことなのかもしれませんね。

また、称念寺は美濃を追われた明智光秀が浪人時代を過ごした地とされ、門前に寺子屋を開くも日々の生活に困窮する中、称念寺の住職が朝倉氏家臣を招いての連歌の会を設定し、光秀の妻・熙子が自慢の黒髪を売ってひそかに用立てた資金で連歌の会は大成功、光秀の朝倉氏への仕官が叶う…という黒髪伝説が伝わり、黒髪伝説にちなんだ松尾芭蕉の句碑が新旧ふたつ建てられています(説明板も)。時期的に、玉(後の細川ガラシャ)の生誕地とも云われています。
 

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ホリタカ

駅から徒歩30分 (2022/07/10 訪問)

原駅で循環バスに乗るつもりだったのですが、1時間に1本もないようです。レンタサイクルも見当たらないので歩くことに。片道徒歩30分でした。土塁がハッキリわかります。

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おっちゃん

田丸の町並み (2017/01/28 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

田中城案内図 (2016/02/20 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

宍澤御陣屋 堀之内絵図 (2016/11/06 訪問)

現地案内板より抜粋。

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赤い城

遺構は少ないが真田人気は健在 (2022/06/22 訪問)

沼田城址公園として整備されています。
入口の沼田観光案内所に続100名城スタンプが置いてあります。
すぐ隣が本丸跡で公園になっています。
数少ない遺構の真田期の石垣は西櫓のところにあります。
その先の捨曲輪からの見晴らしは良く、当時は小川城や名胡桃城などを見渡すことができます。
本丸は一部発掘調査中で今後が期待できるかもです。
本丸の堀も調査中。
真田人気と続100名城選出でちょっと本気になっているのかもしれませんね。

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ぴーかる

獄門原 (2022/05/22 訪問)

【松倉城跡獄門原】富山県魚津市鹿熊
<駐車場他>松倉城址入城の門広場
<交通手段>車

<見所>石垣跡
<感想>松倉城跡四郭から北の先に平ノ峰という狼煙台があり、その下段に獄門原という松倉城の処刑場があります。入城の門広場前の郷義弘顕彰碑の傍の道から山に入れ5分程度で行けます。近づくにつれて道の両脇に石が転がってきます。剥げた説明板の場所に石垣跡があり、道の下方に削平地があり小川が流れています。獄門原から先に進むと堀切を登って平ノ峰に到るであろう道がありますがここまでにしました。

<満足度>◆◇◇

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小城小次郎

腰砕けのお馬さん (2022/01/27 訪問)

いい空気を感じるのは風水的な立地の良さか曲輪同士を見通せる独特の山容か、はたまた地元小学生による看板の手作り感か。厩に繋がれた紙のお馬さんがだんだん腰砕けになっているのも微笑ましい。

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