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酒井忠次 (2023/07/15 訪問)

 久しぶりに豊橋市の吉田城へ行って来ました。東三河の要衝の地に建てられた豊川を天然の堀とする後堅固の城です。豊川越しに見える鉄櫓の風景は好きです。本丸北西部に再建された鉄櫓に目がいってしまいますが、石垣、空堀、土塁等がよく残っています。城址は公園となっていて概ね散策しやすいです。ただ一部の空堀に入ったときは夏場ということもあると思いますが、藪蚊の襲撃を受けました。城域の一部は石垣修復工事のため立入禁止となっています。

豊橋駅前から豊橋鉄道市内線に乗り市役所前にて下車して登城しました。

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チェブ

源氏も徳川も。 (2023/07/01 訪問)

東急大井町線の荏原駅から、踏み切りを渡った左手に法蓮寺。少し坂を上がった所に旗岡八幡神社があり、一帯が「荏原氏館」だったようです。
この日は、ザーザー降りの雨。駅近は助かります。
さすが東京都23区内、いつもの雑草や虫達の歓迎はなく、舗装された道路は歩きやすいです。
と、法蓮寺の入口に説明板。
11代将軍 徳川 家斉さんが、当時のご住職とお相撲を取りました。手加減しなかった事が気に入られたんだそうです。
家斉さんて、側室が40人位いて大奥の資金が大変だった印象。飢饉やら外国船やら大変な時に自由気ままです。
ご住職、天晴れです。
高台にある旗岡八幡神社にも説明板がありました。
こちらは、源氏が陣を敷き白旗を揚げた事から『旗の台』という地名になったそうです。
こちらの説明板に、鎌倉時代中期 荏原 義宗さんが領主をしていた、とありました。
遺構は分かりません。
こんな雨降りでもお参りしている方がいらっしゃいました。

雨のザーザーという音が、源氏と徳川の威勢の良い歓声にも聞こえるような「荏原氏館」でした。

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城とマスク

今回はマスク無し訪問 (2023/07/15 訪問)

以前から行きたかったお城でした、今回近くまで来たので寄って来ました。

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トク

54【関ケ原の26人】(21)徳川家康 (桃配山) (2022/10/30 訪問)

(21人目)「徳川家康」の続きです。
関ケ原二番目の陣(桃配山)を訪れてきました。

美濃赤坂の陣で野戦を仕掛けようとした家康ですが、島左近の不意打ちにあい、ここで戦をするは不利と判断、深夜に前日に調略され寝返っている南宮山麓の吉川広家の陣の前を悠々と行軍し夜明け前に関ケ原へ到着、桃配山に陣を敷きます。(写真①②)

ここ桃配山は(672年)壬申の乱の時、大海人皇子(後の天武天皇)が陣を敷き、もらった桃を皆に配り、それで兵の士気が上がり勝利したという縁起のいい場所だったため、ここに陣を敷いたと言われています。

私はレンタルしたチャリで関ケ原駅からここまで20分かけてこぎました。ちょうど桃配山の登り口は工事中だったのでどこに止めようか迷っていたら、下のガソリンスタンドの店員さんが「店に止めていいよ!」と気軽に声をかけて下さいました(ありがとうございます)。

そのチャリをこいでいる途中で気づいたのですが(おそらく車だとわからない)、関ケ原の地形は平坦かと思っていましたが、西から東に向かってゆるやかに傾斜していました。つまり桃配山へは下り、また関ケ原中心部へ戻る時は上りでした(三成陣がある笹尾山と決戦地はさらに上り)。という事は家康にとっては攻めにくく三成にとっては守りやすい地形。そこまで三成は考えていたのでしょうか?

私は桃配山に立ち関ケ原を眺めてみました。家康は写真②の石に座り、写真③④の景色を見ていたと思われます。はるか向こうに黒田長政の陣(岡山)が小さく見えました。その左の少し隠れている所に石田三成の陣(笹尾山)があります。長政と三成の隊があのあたりで激突し、激戦が行われました。最初は一進一退が繰り返され、膠着状態だったようです。家康はここからその報告を受けるもよく見えません(確かによく見えない🤔)。 その南側(写真左側)の宇喜多・小西・島津・大谷らと対峙している、井伊・本多・藤堂・福島と心配な小早川の軍勢はさらに見えません。池田輝政や山内一豊が背後を守るも、その吉川広家が弁当?を食べていてくれたおかげで、毛利秀元も南宮山から下りてくる気配はありません。

状況がわからずイライラするも、背後から攻められる心配はないと確信した家康は、こう叫びます!
「いざ陣を前へ!」
もっと前に出て陣頭指揮をとる事を決意したのでした。

次は(家康最後の陣跡)へ続きます。
 

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にのまる

山陰城めぐりおまけの写真<その2>

① 月山富田城
このくらいの通せんぼは何とも思わなくなった。

② 月山富田城の模型
かっこいい。

③ 米子城本丸
矢穴から続いているように見えるラインがすてき。

④ 鳥取城大手門
トゲトゲ😱

⑤ 宿泊したホテルの部屋から
見えた。

⑥ 鳥取から乗車のスーパーはくと
新大阪乗り換えより70円安い姫路までにした。

⑦ 鳥取駅で購入したお弁当
この日唯一のちゃんとしたごはん。おいしかった。

⑧ 帰りの切符
乗継割引ありがたい。

⑨ 鳥取駅で自分のお弁当だけ買っておみやげ買わなかったから乗り換えの姫路で調達。

⑩ 姫路駅ホームから。
 ここの窓だけ開いているのがうれしい。
 姫路城、夏の特別公開の時に行けたらいいな。(るの門を見に。)

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にのまる

山陰城めぐりおまけの写真<その1>

① 岡山→松江乗車の伯備線特急やくも
つやつやでかっこよかった。

② 松江駅前。
米子の鬼太郎、鳥取のコナンだけではなかった。(知ってる世代^^;)

③ 松江市内の郵便ポスト
天守同様の重厚感

④ 鳥取駅前の郵便ポスト
すごウサ3兄弟のイーくん。ナーくんとバーくんもいるらしい。

⑤ 松江→荒島乗車の山陰本線
キハ47

⑥ 車窓から大山
昔ザレ場で苦労した記憶がよみがえった。

⑦ 車窓から「お菓子の壽城」
米子城の石垣が移築されているとか!?行ってみたい!

⑧ 見開きコンプできるとうれしい。
日付はあとで入れようと思ってずーっと書いていない。

⑨ 砂丘をバックに贅沢ランチ
大体いつもこんな感じ。

⑩ 由良駅コナンくん別バージョン
もっともっとたくさんあった。

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ぴーかる

芝村陣屋 (2023/06/17 訪問)

【芝村陣屋】【箸墓古墳】
<駐車場他>ひみこの庭駐車場(無料)を利用
<交通手段>車

<感想>日帰り奈良ちょこ城150㎞の旅7城目。織田有楽斎が関ヶ原後に隠居するのに3万石のうち1万石は隠居料、四男長政に1万石(戒重藩を立藩)、五男尚長に1万石(柳本藩を立藩)を分与します。戒重藩は1745年7代藩主織田輔宜の時に立地が不便なことから芝村に移転し芝村陣屋となります。芝村藩はその後幕府領9万石以上を預かり地として任せられる事になりますが、年貢増徴収政策で農民一揆が起こり預かり地は召し上げとなります。芝村藩は明治維新まで存続しますが藩の借財はかなりあったようです。

 上記駐車場に駐車してまず箸墓古墳を周辺を散策しました。箸墓古墳は卑弥呼の墓ではないかとする学説もある前方後円墳ですが、大市古墳:第7代孝霊天皇皇女の陵墓として宮内庁管理で中に入ることはできません。周辺散策と拝所に行きました。
 次に慶田寺の山門に芝村陣屋の移築長屋門があるのでそこに行って、陣屋跡の織田小学校に行きました。南側一線と東西の一部に石垣が残されています。南西の通りは昔ながらの街並みが残ります。南の堀跡は見落としました。

<満足度>◆◇◇

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半布里コミッティ

マンガ「斎藤新五利治」関連企画展 第1弾 第2弾 開催案内!

第1弾 : 『マンガ「斎藤新五利治」ができるまで』 企画展

マンガ作者の渡辺浩行先生から、貴重なコマ割りと構図の入ったネームや
原画をお借りし、展示されます。

 期間 令和5年7月15日(土)~10月1日(日) 
 場所 富加町郷土資料館 (開館時間に準ずる)

同展示室にて 関高校 地域研究部・文芸部による研究ポスターも掲示されます。
日本考古学協会にて発表されたすばらしい研究内容となっております。


第2弾 : ギャラリートーク & マンガ作者によるサイン会

 日時 令和5年9月10日(日) 受付時間 12:30~  
                 開始時間 13:00~
 場所 富加町郷土資料館

 ※ 参加費無料、申し込み不要

学芸員と渡辺浩行先生とのギャラリートークが開催されます。
また、当日「斎藤新五利治」をお持ちいただいた方には、渡辺先生のサインを
描いていただけます。
なんと先着20名はイラスト入りサインです。当日整理券配布予定。

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イオ

今城塚古墳(大阪府高槻市郡家新町) (2023/05/21 訪問)

# 今城塚古墳(今城・城びと未登録)は、芥川山城の出城・付城として改修・機能した城のため、芥川山城で投稿します。

今城塚古墳は、古墳中期に築造された前方後円墳で、継体天皇の真の陵墓とされています。戦国期に細川氏または三好氏(松永氏)により芥川山城の出城として改修されたと伝わり、織田信長の上洛時には芥川山城攻めの付城となったとされます。城郭遺構は確認されていませんが、発掘調査により外濠からは戦国期の火縄銃の弾丸や天目茶碗が発見されているようです。現在は古墳公園として整備され、宮内庁の陵墓指定されていないため、自由に散策できる唯一の天皇陵です。

今城塚古代歴史館の駐車場に車を駐めて登城開始。案内に従って進むと、はにわバルコニーから今城塚古墳が一望できます。淀川流域最大級と云われるだけあって写真に収まりきらない巨大さです。墳丘は二重の濠で囲まれ、外濠は空堀、内濠は水堀でしたが、内濠の後円部側は埋め立てられて芝生広場になっています。二重の濠の間の内提には埴輪祭祀場が設けられており、発掘調査の成果に基づき約200点の埴輪が居並ぶ様子はなかなか壮観でした。内堤を下りて芝生広場を横断し墳丘へ。墳丘両側のくびれ部に設けられた造出は儀式の場だったようですが、城郭的に見れば横矢掛けの張出部でしょうか。墳丘を前方部から後円部までひとめぐりした後は、後円部側から内堤の上を一周します。内堤の上には内濠に沿って円筒埴輪が並べられています。聖域をあらわし古墳を守る結界なんだとか。前方部は水堀に囲まれているので、内堤から見てお城っぽい感じです。

内堤を一周した後は、駐車場に戻って今城塚古代歴史館を見学。展示は古墳についてのみで城郭に関するものはありませんが、英雄たちの選択の継体天皇の回を観て以来、来てみたいと思っていたので、阿蘇ピンク石による家型石棺など興味深く見学させてもらいました。なお、今城塚古墳から西に約1.6kmの太田茶臼山古墳(茨木市太田)が宮内庁の定める継体天皇陵になりますが、陵墓として拝所は設けられているものの、見学することはできません。
 

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todo94

【城びと未登録】肥後岩尾城(熊本県上益城郡山都町) (2023/05/05 訪問)

通潤橋を俯瞰するために上った丘に岩尾城二の丸の標柱を発見。通潤橋に向かって左が二の丸で右の布田神社が本丸に当たるようです。麓には説明板までありました。九州の名城を歩く~熊本大分編にも所収の城ですので城びと未登録というのはかなり残念です。このあと、午後1時からの観光放水まで楽しんでしまったため、愛藤寺城は断念、熊本城入城に間に合うよう、レンタカー返却の帰路につきました。なお、通潤橋の橋上観覧は500円の有料で、10時~13時は先着300名の人数制限となっています。

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米倉忠仰 (2023/07/13 訪問)

 金沢八景駅から徒歩2~3分くらいでしょうか。個人宅にある遺構だと伝わっている石段の写真を敷地外から撮らしていただき撤退しました。

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三浦義明 (2023/07/13 訪問)

大善寺より登城しました。遺構は明瞭ではありませんが雰囲気は伝わってきます。

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佐原十郎義連 (2023/07/13 訪問)

 所々、道に案内がありわかりやすくはなっていますが、石碑に気が付かず行き過ぎてしまいました。もう少し奥の方と思い込んでいました。畑作業をしてみえた親切な地元の方に聞いて戻って来て石碑と小さな説明板を見つけることができました。

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後北条氏の水軍拠点のひとつ (2023/07/13 訪問)

 京急浦賀駅より徒歩にて東叶神社を経由して登城しました。赤い城さんの投稿で堀切等もあるとの情報もありましたが、夏場であることに加えてこの日は雨が降ったりして天候が不安定なこともあり周囲の散策は行わずに撤退しました。

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ぴーかる

古市城 (2023/06/17 訪問)

【古市城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>日帰り奈良ちょこ城150㎞の旅6城目。古市城の築城は定かではありませんが、室町時代の初期にはあったようです。築城者の古市氏は興福寺の衆徒で筒井氏と衆徒の棟梁の座を争います。1497年に筒井勢によって攻められ落城します。その後2回ほど再建されますが、1543年に筒井順慶の祖父筒井順興に攻められた際に古市氏によって城は焼かれます。
 現在城跡は小学校になっています。校門前まで行きまして周囲を散策しました。台地状になっていて南側の切岸が城跡の痕跡になっているように感じました。更に南の古市高山城も少し散策しました。主に竹藪になってしまっていますが、堀切と曲輪は明瞭に残っていました。

<満足度>◆◇◇

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赤い城

お世話になった佐竹氏に。 (2023/07/10 訪問)

関東では常陸の城が最も印象的でした。
深い堀底道、高い土塁、これでもか、というくらい。
その佐竹氏が移封後に築いた久保田城へ行ってきました。
秋田駅近くのホテルに宿泊したので徒歩で行けます。
千秋公園として地元でも親しまれているようで、この日は平日早朝の登城でしたがランニングやウォーキングをされている方も多かったです。
例によってまずは外周をと思ったのですが広くて断念、とりあえず黒門から入城しました。
高い土塁に植えられた紫陽花が見頃でした。
二の丸を横切り、一旦松下門から下に降ります。
穴門跡周辺の土塁を見学し、二の丸に戻ります。
長坂から主郭へ登って行きました。
表門が復元されており、その先が主郭です。
主郭にも土塁がついていて佐竹義堯公の銅像が建っています。
ぶらり散策すると埋門、個人的にはここが一つの見どころでした。
トイレが邪魔(失礼)でしたがいい感じの土塁に萌えます。
土の城を実感できるポイントですかね。
角櫓は開館前だったので外観のみ(後でスタンプ押しに再訪しました)、北側に降りて行きました。
個人的なもう一つの推しポイントが帯曲輪です。
帯曲輪なんですがどう見ても常陸名物の堀底道、佐竹感が満載でした。
常陸で大変お世話になった佐竹氏の居城を満喫できました!
東国の締めとして相応しい秋田遠征でした。
(この後もう一つ秋田城にも行きましたが)

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イオ

城址碑のみ (2023/05/21 訪問)

西国街道・芥川宿を拠点とした芥川氏が鎌倉期に築いたとされ、室町期には芥川山城の平地の居館として機能したともされますが、詳細は不明です。

西国街道がクランク状に屈折するあたり(JTの研究所から殿町付近)が推定地とされますが、宅地化により遺構は消滅しており、殿町の民家の植込みに城址碑が立てられているくらいですので、紫町ポケットパーク沿いの道路脇に路駐して、ささっと写真を撮って即撤収しました。
 

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todo94

国史跡 (2023/05/05 訪問)

黒渕城からの転戦です。県道105号から梅林神社脇の林道を延々と進んでいきます。舗装されているとはいえ、スリップしやすい路面状況の薄暗く細い道はなかなかの心細さでした。攻城後に発売された九州の名城を歩く~熊本大分編を見て国史跡であることを知りました。主郭からきれいに見える郭へは土砂崩落でたどり着けませんでした。連続堀切群など、もう少しでも手を入れていただければ、魅力度が急上昇、地域の財産となること間違いなしと思えるのですが。この後は通潤橋に向かって観光放水を楽しませていただきました。

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にのまる

無事に行けました。 (2023/04/23 訪問)

鳥取城本丸(久松山山頂)を出立してから約1時間。
ようやく深い山を抜け出しました。
目の前には端が見えないほど大きな土塁。
遺構図を頭に入れ、足を踏み入れます。
「ヒドイことした陣城」と思うと怖くなってくるので、ここまでずっと鳴らしていた熊鈴アプリを切って、YouTubeで嵐メドレーをかけて歌いながら歩きました😘

引き締まって見える窪地状突出部、大手虎口から見渡す広々とした城内。攻撃態勢も抜かりない土塁上の櫓台。目に映る光景が隅々までかっこいい。感動するくらい生き生きとして見えて全く色褪せた風には感じませんでした。
しかし、周辺の段々も全て曲輪で2万の兵が詰めていたと想像すると、かっこいいのだけれど、何もここまで……と恐ろしくなってきます。
“末代までの誉れ”と自刃した吉川経家の言葉に偽りはないと思えども、朝田さんの「かるた」に、城にはその時代に生きた人々の悲しい歴史もたくさん詰まっているということを思いました。

下りはGoogleさんの言うことを素直に聞いてアスファルトの道を下りました。途中に展望台や休憩所もあります。鳥取駅まで歩いて1時間半くらいでした。

2泊3日の山陰城めぐりはここで終了です。
カズサンさん、赤い城さんの故郷めぐりをさせていただきました。
(元祖カープ女子的には大野さんと川口さんの故郷めぐり。福士さんは城内の西高出身!)
6城すべて楽しかったです。また行きたいです。

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しんちゃん

かなりの広さを持つ、古代山城。 (2023/01/02 訪問)

鞠智城には2023年の1月2日に立ち寄ったのですが、当然営業して
いるわけもなく、シンボルの八角型鼓楼も閉じたままでした。
紙に印刷されていたスタンプを頂戴して立ち去ったので、
2014年に訪問した際の写真を加えて、掲載させていただきます。
日本の古代山城とされており国の史跡にも登録されています。
城の城壁は自然地形を含めて3.5kmとされ面積は55ヘクタールとされる
広大な城です。(1ヘクタール=1万平方メートル)
道路からすぐアクセスでき、温故創生館の北側にいくつかエリアがあって
復元建物や建造物礎石群が配置されています。
2014年に訪問した際は北側のお寺のような形状をした展望広場休憩所(長者原)
まで行ったのですが、さらにその先に郭のような段々の平地が見えました。
休憩所から尾池門、堀切門、深追門を回る遊歩道へ行くことができるようです。



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