みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

しんちゃん

かなりの広さを持つ、古代山城。 (2023/01/02 訪問)

鞠智城には2023年の1月2日に立ち寄ったのですが、当然営業して
いるわけもなく、シンボルの八角型鼓楼も閉じたままでした。
紙に印刷されていたスタンプを頂戴して立ち去ったので、
2014年に訪問した際の写真を加えて、掲載させていただきます。
日本の古代山城とされており国の史跡にも登録されています。
城の城壁は自然地形を含めて3.5kmとされ面積は55ヘクタールとされる
広大な城です。(1ヘクタール=1万平方メートル)
道路からすぐアクセスでき、温故創生館の北側にいくつかエリアがあって
復元建物や建造物礎石群が配置されています。
2014年に訪問した際は北側のお寺のような形状をした展望広場休憩所(長者原)
まで行ったのですが、さらにその先に郭のような段々の平地が見えました。
休憩所から尾池門、堀切門、深追門を回る遊歩道へ行くことができるようです。



+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

小泉八雲熊本旧居 (2014/01/09 訪問)

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の旧宅といえば島根県の松江市に
ある物が有名ですが、熊本市にも旧宅があります。
明治24年(1891)、大五高等中学校(現在の熊本大学)の英語教師として
熊本に赴任した際、最初の一年を過ごした住居とのことです。
昭和35年に解体の危機にさらされましたが、地元の有志により
現在の地に移築され公開されています。
中は当然和室で、小ぶりですが趣の良い庭があります。
地元有志の方々に感謝いたします。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

続百名城にはならなかった、総石垣の山上の城。 (2014/01/09 訪問)

ちょっと古い写真になります。
佐敷城は加藤清正の加藤与左衛門重次が城代を務めたとあります。
築城は天正17年(1588)ごろとあります。
山上まで車で行くことができ、北から本丸、二の丸、三の丸と続きます。
二の丸東門と追手門(大手門)が東側にあり、二の丸東門は枡形になっています。
搦手門が北側にあり二の丸に通じているようです。
本丸には東西に門があるようです。
総石垣の立派な城ですが、続百名城には入りませんでした。
正直、入って来るかと思ってはいたのですが、なかなか続百名城も
狭き門のようです。


+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

松尾古城散策 2/2(主郭背後→遠見番所)を。 (2023/05/06 訪問)

上田駅から路線バスが出ています。最寄りバス停は「横沢」ですが,本数の多い「真田」バス停から歩いてもたいした距離ではありません。
この城をチョイスした理由は標高です。パネルのある登城口付近で,822m。主郭では,1033m。その奥の遠見番所では,1440m。あくまで主郭の対比なら御坂城に軍配が上がりますが,遠見番所は御坂城とほぼ同等レベルの領域となるためです。
登城道はとにかく岩場の連続です。主郭~遠見番所間はさらに傾斜もきつくなります。中間地点に送電鉄塔が建っています。「東信新北信線15号」との名称でした。ここからの眺望が一番かと思います。
天気予報はいつ雨が降ってきてもおかしくなかったのですが,雨は降らずにムシムシしていました。下山したころには気温が急上昇。この日,上田市は全国1番の暑さとなりました。
岩場の登城疲労は,登りも下りもふくらはぎに顕著でした。何度もつりそうになったので,この後のスケジュールを取り止めました。
個人的な「砥石崩れ」です…<笑>。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

松尾古城散策 1/2(登城口→主郭部)を。 (2023/05/06 訪問)

上田駅から路線バスが出ています。最寄りバス停は「横沢」ですが,本数の多い「真田」バス停から歩いてもたいした距離ではありません。
この城をチョイスした理由は標高です。パネルのある登城口付近で,822m。主郭では,1033m。その奥の遠見番所では,1440m。あくまで主郭の対比なら御坂城に軍配が上がりますが,遠見番所は御坂城とほぼ同等レベルの領域となるためです。
登城道はとにかく岩場の連続です。主郭~遠見番所間はさらに傾斜もきつくなります。中間地点に送電鉄塔が建っています。「東信新北信線15号」との名称でした。ここからの眺望が一番かと思います。
天気予報はいつ雨が降ってきてもおかしくなかったのですが,雨は降らずにムシムシしていました。下山したころには気温が急上昇。この日,上田市は全国1番の暑さとなりました。
岩場の登城疲労は,登りも下りもふくらはぎに顕著でした。何度もつりそうになったので,この後のスケジュールを取り止めました。
個人的な「砥石崩れ」です…<笑>。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

十年の 先にて逢おう 宇土櫓  「かるた」 (2014/01/09 訪問)

このたびは少し古い写真になります。
熊本城も天守の修復が終了して、公開が始まってると思います。
私は2023の正月の九州遠征では熊本城はスルーいたしました。
阿蘇山を見にいったり忙しかったのもあるのですが
石垣や櫓が傷ついて、痛ましい姿になった熊本城を見たいとは
思わなかったのです。
宇土櫓も立ち入り禁止になり12月から周囲を覆われ
10年におよぶ解体工事にかかるらしいです。
10年も長いですね‥。さらに全体の修復はさらにその先になるらしいので
だいぶイイ年になってしまいます。
わたしは2013年に城の魅力にハマり、2014年には熊本城を訪問しています。
石垣や宇土櫓、復元櫓など圧倒的なスケールと魅力を持った城で
私の中では姫路城と双璧を成す城でした。
2時間半ほどかけてじっくり場内を見て回ったのは、おそらく生涯の宝に
なると思います。

宇土櫓 ああ宇土櫓 宇土櫓。(ボツネタ)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

辰市城 (2023/06/17 訪問)

【辰市城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>日帰り奈良ちょこ城150㎞の旅5城目。辰市城は1571年に松永久秀攻略のために筒井順慶が家臣の井戸良弘に命じて築城しました。8月には辰市城の戦いが始まり、松永久秀・久通父子と三好義継連合軍が攻め寄せます。当初松永軍が優勢でしたが、筒井軍各城から後詰めが次々に到着してついに松永軍は崩れます。この戦いで筒井順慶は筒井城を奪還します。廃城年は不明になっていますが1580年信長の破城令によって廃城となったのかもしれません。
 現地には遺構も説明板も石碑もないとのことで、さらに駐車できそうな場所もなさそうでしたがとりあえず車で現地にいってみました。やっぱり、ストリートビューで確認した通り停車すら出来なかったので車から1枚撮影したのみとなりました。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

赤い城

47都道府県の最後は。 (2023/07/09 訪問)

城びと登録後はまだ行っていないところも多いですが相方と結婚後、秋田だけ未訪でした。
竿燈や大曲の花火にも行きたかったですが関東を離れる前にとりあえずコンプリートしようと遠征しました。
がラストスパートこれが結構遠い。
東北地方の広さを実感しました。
初日は男鹿周辺、脇本城に登城しました。
梅雨空で天候はいまいちでしたが駐車場から登って行きます。
菅原神社を経て案内所でスタンプとパンフをゲットし、まずは生鼻崎へ。
いくつかの曲輪が区切られていて北側には土塁が続きます。
晴れていたら日本海の眺望が素敵かと。
この日は霞んでました。内館と呼ばれる主郭部に戻ります。
ここには大土塁や4箇所の井戸、空堀も見ることができます。
下草は伸びてましたが見学路は草刈りされていて歩きやすかったです。
が、この日はスニーカー登城。
足下に違和感が、なんと靴底部分がパッくりと、初日なのに南樽市場試練。
引きずりながら馬乗り場も見学し、本明寺に降りました。
広大な城域で晴れていたらもっと楽しめたかな、とも思いましたが充分満喫できました。
この後なまはげ館を見学、秋田名物のババヘラアイスをおいしく頂きました。
それにしても売り子の方、85歳だとか。
話好きのイカしたおばあちゃんでした。

イオさん、メッセージありがとうございます。
高槻も迷ったのですが高松に決めました。
四国でも関西でも良いのでご一緒できる日を楽しみにしています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

転用石垣石めぐり (2023/05/21 訪問)

(続き)

前回に城下はひとめぐりしていますが、見落としや遠方で行けずにいたところもあるので、市内にある(転用)石垣石をめぐってみました。

しろあと歴史館(高槻市城内町)
入口脇に二の丸跡での発掘調査で発見された高山期の石垣石が展示されています。前回、歴史館前の思案石(外堀沿いの石垣石)は確認しているんですが……むしろどうして見落としたんだろう?

高槻城公園(高槻市城内町)
北西口を出たところにも高槻城の石垣石が移設されています。こちらは見落としではありませんが、前回は道路工事の器材が置かれていてよく見られなかったので再訪です。

上宮天満宮(高槻市天神町)
参道の石垣に高槻城の石垣石が転用されている…らしいんですが、現地には案内等は何もなく、矢穴などのわかりやすい痕跡も見当たらず、結局どれがそうなのかはよくわかりませんでした。

JR京都線(高槻市川西町)
清水池公園の北側からJRの線路の下をくぐるレンガアーチ橋には高槻城の石垣石が転用されており、矢穴のある石垣石も多く見られます(高槻まちかど遺産番号H29-3)。また、芥川に架かる橋脚にも高槻城の石垣石が転用されているそうですが……よくわかりませんでした。

…で、ひと通り行けたかな、と思いつつ帰宅して城びとを覗いてみると、ちょうど赤い城さんの高槻城の投稿があり、槻の木高校内の石垣石を見落としていたことに気付きました。すぐ目の前まで行っていたのに……やれやれ。


# 赤い城さん
高槻でなく高松に決まったんですね。私は四国はほぼ未踏の地なので、四国の城の投稿も楽しみにしております。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

シャンシャン

木造復元天守 (2023/07/06 訪問)

宇和島城とセットで訪問。
木造復元天守なので、中はほとんど現存天守と変わらない雰囲気。
吹き抜けがあり広々した空間で、心柱が天守を支えている構造がよく分かる。
少し離れたところにある2つの現存櫓も見所。
周辺を歩くと、東京ラブストーリーの撮影があったという昔ながらの街並みも残っており、タイムスリップしたような感覚を味わえる。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

シャンシャン

現存12天守5城目!! (2023/07/06 訪問)

少し険しい山道を登っていくと天守が現れる。
天守はそんなに高さはないけど、破風が立派で凛々しい姿。
石同士の隙間がピッタリした切込接の石垣も見事。
木造天守は、木の匂いや歩いたときの木の軋みなどが感じられてやっぱりいい!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

黒渕河川自然公園 (2023/05/05 訪問)

レンタカーを借り受けてまず向かったのが黒渕城。黒渕河川自然公園としてきれいに整備されていて眺望もなかなかのものです。山城跡展望広場が主郭に当たるようですが、説明板によると削平の度合いが荒く、堀切も観察されず、顕著な遺構は山頂周囲斜面の削り落しのみで、黒渕の集落に関連した砦跡の感が濃いとのことです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

中生と近世の郭が階層的に重なる。ミルフィーユのようなおいしい城。 (2023/01/08 訪問)

高山城は伊東氏四十八城の一つで、江戸時代には高鍋藩の藩庁になっています。
現在は舞鶴公園となっており、
麓には三の丸、その南の資料館が二の丸跡、その上に本丸と奥御殿が築かれ
現在、舞鶴神社となっている三の丸跡は近代的な石積みの上に築かれています。
面白いのは本丸の上にかつての詰めの城が階層的に重なっていて
詰めの丸跡の上に、かつて三重櫓のあった郭があり、野面積の高石垣の上に築かれています。
さらに高台に太鼓櫓跡があって東手にも郭が築かれ
一部に土塁も残ります。
近世の平山城の上に中世の平山城が築かれたようなミルフィーユ的な
構造になっており、まるで郭の天守閣のようです。
一度の訪問で近世の城と中世の城を両方味わえたようで、ちょっと
得したような気分になりました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

久松山山頂から。 (2023/04/23 訪問)

鳥取城本丸から二の丸、三の丸を経て向かいました。

歩きはじめて数分で写真①の東坂の上城門に到着。出立のゲートのような感じでちょっとドキドキします。
崩れたものと思しき石が散在する道を少し進むと②の建物。かつて運行されていたロープウェイの駅舎(山頂駅)跡だそうです。ちょっとした休憩ならできそうです。

そのまま進むと初めての分岐。右が本ルートですが、左の「十神砦」(外神砦)が気になったのでちょっと寄り道してみました。突端まで行くと巨岩がどんっ!これだけでも寄り道した甲斐があったなという感じでした(写真③)。

コースに戻って先へ進みます。写真④のような安心して歩ける道(中国自然歩道)が続きます。
しかし、念のため起動したままにしていたGooglemapさんは、
「そっちに行かないで!戻って樗谿(おうちだに)公園の道から登りなさい!!」
としつこく何度も何度も忠告してきます。どうやらこのルートはGoogleさんの守備範囲ではないようです。
ーここまで来てそんなめんどくさいことできません。ごめんなさい、無視します。

十神砦から10分ほど進んだところに⑤の道標がありました。
分岐ごとに道標があるのはたいへんありがたいです。
道標をよく見ると、⇔(矢印)があります。これは『山陰海岸ジオパークトレイル』のコース案内で、ジオパークトレイルの[コース4・鳥取駅~久松山~摩尼寺]に久松山(鳥取城山頂)から太閤ケ平の手前「本陣山」の分岐までが含まれているようです。
 ※『山陰海岸ジオパークトレイル』
 ※[コース4・鳥取駅~久松山~摩尼寺]
を検索すると、⚠️分岐注意!も載っているコース地図をダウンロードすることもでき、安心です。
また、オープンストリートマップも心強い味方です。

そこから約3分で⑥の[太閤ケ平 5.0km]の道標。
あさんが腰が抜けそうになったと書いておられたところです。私は膝から崩れ落ちそうになりました。
―太閤さん、そんな遠くに陣張りますか!?
これは何かの間違いでしょうということで進んでいくと5分ほどで[太閤ケ平 1.0km]と書かれた⑦の道標に出ました。ホッ。

続いて⑧の分岐です。ここに[本陣山]の文字があり、いよいよ近づいてきたぞっという感じがしてきました。右の坂を登ります。
⑨の倒木の横を通りました。この倒木、ずり落ちないように必死で両手で踏んばっているように見えます。「お前もがんばれよー!」と励まされているみたいです。

倒木から約3分で⑩の道標。
[太閤ケ平0.6km][展望所 50m]とあります。
展望所、寄らずにはいられません。
写真⑩です。
ずっと山の中だったので、ひらけた空や海や町の景色がとても新鮮でした。
この展望所<35.5142446,134.2547727>は、Googlemapの航空写真をびよーんとすると四阿の屋根が写っています。
50m引き返してルートに戻りましたが、引き返さなくても通り抜けて合流できるようでした。

ラスト600m!

<つづく>

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

堀切もすごいが、山の斜面はものすごく滑る。防御力最強かも。 (2023/01/09 訪問)

栂牟礼城は佐伯氏の山城で、かつて主家の大友義鑑が謀反の疑いで
臼杵長景に命じ、2万の軍勢で囲み攻めるも落城させることはできなかった
と伝わります。
小田山城から続く道があって、幾重にもめぐらされた堀を渡って
二郭から北上し主郭にたどり着きます。
主郭北端から東に道が続き、その先も二重堀切などで防御してあります。
二郭南端からやや東寄りに南に通じる道があって、そこも堀切で防御してあります。
比較的小規模な城ですが三方の尾根筋を多重堀切でしっかりと防御してありますが
それだけではありません。
帰る際に元来た道を通り過ぎ、南側への通路に入ったのに気づき
ショートカットして元来た道へ移動しようとしたのですが
足元がひどく滑って止まりません。
登山用の靴とストックがまったく役に立たないので木の枝を伝って
猿のように引き返します。

大分にもいくつか活火山がありますが西に阿蘇山があります。
かつて高千穂峰に登った際に御鉢の斜面が滑るので閉口しましたが
この山も同じように火山灰や噴石で山の表層が形成されているのかもしれません。
たしかに、これでは山の側面から攻めるのは不可能です。
難攻不落の堅城の正体を身を以て知るはめになりました。
九州の山城は登山道のある城を選んで登りたいものです。


+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

不器用で頑固な生き方もある (2023/01/09 訪問)

福城の主と伝わる江見帯刀は、江見本家が赤松から尼子、更には浦上ー後藤へとその主を変えていく中で福城を離れて浪人し、後に宇喜多氏に仕えたのだという。ちょっと頑固で不器用そうな帯刀の生き様は、とてもひとごととは思えない。

+ 続きを読む

しんちゃん

400年の歴史って徳川時代より長い。大友氏すごい。 (2023/01/09 訪問)

大友館は府内と呼ばれた都市の中心に位置し、400年の歴史を持つ名門大友氏の領国支配の
拠点として、14世紀後半に10代当主 大友親世によって整備されました。(現地案内板)

かつてはこの地に広大な館があって、大友氏が権勢をふるったわけですが
いまは広大な更地になっています。いや‥悪い意味ではないです。
立派な庭園もありますし。不勉強なせいで、トクさんの言われる
萬寿寺には訪問していませんが、次の機会にはぜひ訪れてみたいと
思っております。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

駐車場 入って左手 廊下橋 (2023/01/09 訪問)

府内城は福原氏と竹中重利により今の形となり、かつては四重の天守が築かれましたが
現在、残っている建造物は西丸の宗門櫓と本丸の人質櫓のみで、廊下橋や
その他の櫓は復元されたものだということです。
この日は2度目の訪問で、二冊目のスタンプ帳(予備)にスタンプを押すために
立ち寄っただけで廊下橋などは確認しませんでした。
掲載した写真は2014年1月の一回目の訪問の際のものです。
9年たつと、いろいろと忘れてしまうものですね。うっすらと覚えてはいるのですが。
グーグルマップの地球儀モードで俯瞰で見ると良くわかります。
なかなか便利ですね。これ。


+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

元旦から縄張り地形図忘れ、さらにスマホは圏外。でも石垣遺構は最高。 (2023/01/01 訪問)

勝尾城は標高501.3mの城山山頂に位置する筑紫氏の居城です。
筑紫城は天正14年(1586)島津氏に攻められ落城し城主の筑紫広門は
筑後の大善寺に一時的に幽閉されるのですが、後に挙兵して奪還しています。
居館跡から比高350mはあり、なかなかきつい山城なのですが頑張って登っていくと
大手曲輪にたどり着きます。石積みが残り、かつては櫓が建っていたそうです。
いきなり見せ場ですが、さらに北上すると主郭にたどり着き
主郭にも石垣が見られます。
南側には物見岩があり、さらにその先にも石垣遺構が残ります。
北西にも曲輪が続いています。
本丸から東側に向かうと、堀切を経て二の丸にたどり着きます。
そこから東南の方向に曲輪が続き、東側の側面には石垣が残ります。
そこから帰路につくのですが舗装された道路から分け入るようにして
元来た道へ帰っていきます。
その時、たまたま縄張りと地形図を忘れてきてしまって、スマホを頼りに
登ってきたのですがいきなり圏外になってしまって
あやうく車道沿いにとんでもない方向へ行くところでした。
元旦からピンチでしたが、これも城バカらしいな、と一人自嘲しました。



+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

超昇寺城 (2023/06/17 訪問)

【超昇寺城】
<駐車場他>佐紀神社参拝者駐車場を利用
<交通手段>車

<感想>日帰り奈良ちょこ城150㎞の旅4城目。超昇寺城の築城年は定かではないが室町時代に一乗院方の国人であった超昇寺氏に築城されます。戦国時代には筒井順慶と松永久秀とで城を奪い合いますが筒井順慶の時、1580年織田信長の大和一国破城の時に廃城となったようです。
 上記駐車場に駐車し、佐紀神社(西畑)に参拝⇒イオさんの投稿に習い隆光大僧正墓石に参りまして、城跡の大竹藪は北側から進入できるとのことでしたので、とりあえず城跡北側に回って北西隅の堀跡から進入しました。堀底から青竹を掴みつつ土塁を登って曲輪に入り込みましたが足の踏み場があまりなくて動き回れない。結局北西の曲輪?一つ進入して終了しました。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ463