遺構は高済寺境内西に土塁・堀が僅かに残る。北と東は崖状の段差を要害としている。説明板の概要は、南北朝時代に高坂氏の居館として造られた。高済寺から南にある子育て支援センター周辺の発掘調査では、高坂氏の活躍した時代(14世紀前半)のかわらけ・輸入陶磁器が出土しており、館の中心地は南にあった可能性がある。
伊勢宗瑞が明応3年(1494)、北条氏康が永禄5年(1562)にそれぞれ在陣。発掘調査では土塁・堀の改修が見られ、戦国期に整備されたと推定される・・・等々。土塁北上には加賀爪氏累代の墓があり、江戸時代初めに加賀爪氏が陣営を設けるが、天和元年(1681)に改易と説明がある。
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