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にのまる

② 北出丸大手門~椿坂~太鼓門を通って城内へ。 (2023/06/30 訪問)

太鼓門の鏡石にある矢穴を見ると、初めて来た時のことを思い出します。
「お城=天守」と思っていただけではなく「天守閣=天守最上階」とも思っていた頃のことで(お仲間もきっといらっしゃる……かしら!?)、石垣の矢穴も誰かがいたずらで彫ったのではないかと思っていました。“何なの!?いちばん目立つところにこんなの彫って!!”っていう感じで^^;
無知なエピソードを白状すればきりがないのですが、「趣味はお城めぐりです。」と言えるようになったきっかけをくれた会津若松城。
雨に打たれながらしみじみと歩き、4月にリニューアルされたばかりの天守内を見学。再建天守シリーズ城カードをゲットして、南走長屋(会津戦争・白虎隊)、武器庫、鉄砲狭間、干飯櫓(デジタルアート)を見学し、土塁の上を歩いて月見櫓へ。荒城の月碑まで行って、大広間越しに美しい天守を存分に堪能しました。

<つづく>

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にのまる

① 戊辰戦役西軍墓地・甲賀町口門跡 (2023/06/30 訪問)

学生時代に合宿や旅行で訪れたのを含めて6回目の会津若松です。
12年前、花巻の次に“みちのくひとり旅~♪”を決行したのも会津若松で(思い出の地めぐりをしました)、その時に100名城スタンプの存在を知りました。
実際にスタンプラリーを始めたのはそのあとの名古屋城からだったので、当時は、“スタンプを押しにまた行かなくては……”と思ったものですが、最近は見逃していたところを中心に100名城の行き直しに勤しんでいるので、再訪が楽しみになっています。

当日は大雨の予報でしたが日程をずらす余裕はないので、7:12東京発のやまびこ123号で郡山へ。磐越西線に乗り換えて10:30に会津若松に到着しました。やっぱり大雨☔です。

最初に向かったのは【戊辰戦役西軍墓地】です。
大町の東明寺墓地にあります。入口に「西軍墳墓」の大きな碑。
新しくされたばかりと思しき墓誌には「戊辰戦役に従軍し此の會津の地に散華した西軍十余藩150柱の精霊が眠る」とあります。
施錠はされていませんでしたが門扉の閂を開けて墓地内へ入っていいのかわからず、また雨で足元が悪かったため外から覗かせていただくにとどめました。「薩藩戦死者墓」「長藩戦死十五人墓」「大垣戦死二十人墓」「敬弔 薩摩 越前 長州 備州 土佐 大垣 肥州 館林 岡山」と刻まれた墓標や小さな墓石が並んでいました。実際に最前線で戦ったのは「軍」でも「藩」でもなく「人」だったということ、そしてその人と人同士は決して恨みあってはいなかったのだということに思いを致しました。

続いて、若松城に向かう途中にある【甲賀町口門跡】へ行きました。郭内・郭外の境界であり、大手門として厳重な構えであったと記されています。遺構は石垣のほんの一部ですが、重要な門だったということが伝わってくる威厳があり、近くの路地にあった外堀跡の清水通りの解説と合わせてイメージを膨らませることができました。

ここから旧會津藩家老内藤邸跡、西郷頼母邸跡、会津戊辰戦争終結の地などのある北出丸大通りを通ってお城へと向かいました。

<つづく>

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しんちゃん

金沢城 おまけ④ 地味に良いところ (2021/11/20 訪問)

金沢城の二の丸西側には、かつての第六師団司令部庁舎があるのですが、その周辺の
石垣には多くの刻印が残されています。城内全部で200を超える種類の刻印があるのですが
ここの石垣の刻印は特に多く、まるで刻印の見本市です。
数奇屋敷石垣(すきやしき)はかつての藩主の側室の住まいの周辺の石垣で、石の表面を
長方形に仕上げた「切石積み」で築かれています。右側が寛文期、左側が文化5年に改修された
ものとされています。
極楽橋は本丸と二の丸の間の空堀にかかる橋です。
本丸は城内でもっとも手つかずで残っているエリアで、一部は森になっています。
天守台の跡らしきものはありますが、ある意味聖域のような扱いになっている気がします。

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直球勝負に感謝

天守 (2003/09/13 訪問)

天守の中は博物館のような展示物でした。

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しんちゃん

金沢城 おまけ③ 玉泉院丸庭園 鼠多聞 三十間長屋 (2021/11/20 訪問)

玉泉院丸は2代藩主利長の正室、玉泉院がこの地に屋敷を構えたことから、そう呼ばれるように
なったそうです。3代前田利常が庭園の造築をし、5代綱紀、13代斉泰が改修をしたと
される記録が残っています。池の中に大小3つの島が浮かび、その間を石橋で行き来することが
できます。いわゆる池泉回遊式庭園というやつらしいですね。
鼠多聞は令和2年7月に復元されたもので、金谷出丸からの出入口として機能していたとの
ことです。屋根は瓦葺き、腰壁には海鼠(なまこ)壁が用いられていますが、海鼠壁の目地が
黒漆喰で仕上げられているそうです。それで外観が黒いのですね。
三十間長屋の写真は2013年12月に撮影したものです。

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しんちゃん

金沢城 おまけ② 五十間長屋・菱櫓 色紙短冊積石垣 (2021/11/20 訪問)

金沢城の新たなシンボル・五十間長屋は平成13年に菱櫓・橋爪門・橋爪門続櫓とともに
再建され、金沢城址公園から金沢城公園に改称されました。内部は来訪者が訪問しやすいよう
配慮がなされており、バリアフリー化も完備しております。それゆえに、完全な木造復元
とはいえず、若干の違和感も伴うものではありますが、城郭建造物の復元の一つのかたちであり
自治体の判断を尊重したいと思います。再建建築物以外にも重要文化財に指定されている数多くの
建築物が残っており、三十間長屋には再建された建物にはない重厚な存在感があります。
玉泉院丸庭園は明治には廃されていましたが、平成20年から5年をかけて調査がなされ、
平成27年3月に復元が完了しました。色紙短冊積石垣はTVでも紹介され、金沢城の新しい
名所として注目が集まっています。

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赤い城

高石垣は復旧作業中。 (2023/09/09 訪問)

前の会社でお世話になった香川と岡山在住飲み方と丸亀で飲み会。
早めにでかけて丸亀城をリアしました。
やはり市のシンボル、高石垣の上の小ぶりな天守を市内から望むことができます。
丸亀駅からは徒歩で10分くらい。
まずは大手一の門、二の門から見返り坂へ。
これが結構な急勾配。
車社会でヘタれた体に堪えます。
しかし三の丸北側の高石垣、扇の勾配で力ヲもらい、さらに登ります。
二の丸を経ず腰曲輪へ。
天守を見上げながらもやっぱり石垣に圧倒されます。
現存天守は小ぶりですが遠くに瀬戸大橋も望め、眺望は抜群でした。
100名城スタンプは天守内に設置、入城料は200円でした。
一旦降りて堀に沿って歩き、南側の修復中の石垣を見上げます。
まだ時間はかかりそうですね。
石垣復旧PR館にも立ち寄り今度は搦手から登ってみました。
こちらの石垣も素敵!、芸術的な感じでした。
搦手の下には野面積みの石垣もあります。これも見どころ。
そうこうしている間に飲み会の時間が近づいたので退却。
次回はじっくり見学してレポートしますね。
飲み会では骨付き鶏もオーダー、やっぱり美味しかったです!

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じゅんじん

神社 (2023/09/08 訪問)

神社になっています。裏の公園に城址碑があります。曳山が有名なのでしょうか。

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じゅんじん

秋田城 (2023/09/08 訪問)

古代水洗トイレありました。

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じゅんじん

市役所 (2023/09/08 訪問)

公園になっており堀土塁が残っていました。三の丸には秋田犬博物館がありました。

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じゅんじん

国道で分断 (2023/09/08 訪問)

駐車場完備。石谷戸家住宅も移築されており中にお城の説明ががります。堀土塁も復元されておりよきお城でした。

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POYO58

二の丸

二の丸も遺構はたくさんありました。障子堀はどうやら二の丸にもあり、小規模ではありましたが結構いい状態で残ってました。すごかったのは物見台の存在ですね。ちょうど西の丸へ向かう兵を見ることができ、本丸ねの連絡がとても早いです。また物見台の土塁が虎口を形作っているので堅固です。世界最強の城13位の山中城の存在を深く理解できました。

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じゅんじん

現存12天守&三重櫓達成 (2023/09/08 訪問)

やっと現存12天守めぐりを達成できました。ついでに三重櫓も達成です。
天守に三重櫓3基、櫓門5基現存とはかなり豪華です。見ごたえたっぷりでなお城です。
途中で一眼レフが壊れました・・・

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ぴーかる

太閤秀吉の湯 (2023/08/12 訪問)

【湯山館】
<駐車場他>専用駐車場はなし。池之坊有料駐車場に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>石垣・岩風呂跡
<感想>太閤秀吉の湯として知られた湯殿館は阪神・淡路大震災の際に、極楽寺の庫裏が損壊してしまった時に発見されました。現在は入館料200円の資料館になっていて、関西のTVの旅番組では有馬温泉の旅を紹介するときにはよく太閤の湯殿館の資料館は結構一緒に紹介されていますよ。外湯の金の湯または銀の湯に入館すると湯殿館は無料で入館できるので、朝9時前に行って先に太閤橋・秀吉やおねの銅像⇒銀の湯に行きました。関西在住なので勿論有馬温泉には行ったことがありましたが、金の湯の泉質があまり好きではないので有馬には25年以上ぶりの来訪です。銀の湯の方は無臭無色透明なので好み。
 資料館は館前に庭園跡、館内に岩風呂跡とその向い側に蒸し風呂の建屋跡、発掘品等が展示されています。資料館の山側の法面に現存石垣が残っています。資料館には誰もいませんでしたが、温泉街の方は混雑を避けるために真夏に行ったにもかかわらず外国人観光客もいて結構な人出でした。

<満足度>◆◆◇

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chiroru

緑のなかで (2023/09/15 訪問)

山の豆腐さんで100名城のスタンプ押印→金剛山登山→裏参道石段→四の丸址→三の丸址→二の丸址(千早神社)。

急激に登りがきつく感じだいぶ足にくるな(´;ω;`)ウッ…と思いながら、看板の先の石段もかなりしんどい。日ごろの運動不足の痛感。

とても簡素な城址なのですが、物理的にも心理的にもやっとという嬉しさ、

緑のなかでいろいろ思いを馳せる。これがいいなあと自己満足。

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しんちゃん

金沢城おまけ1 石川門・鶴丸倉庫 (2021/11/20 訪問)

金沢城はみだしの1です。この日は石川門と鶴丸倉庫が公開されていました。
共に重要文化財で、石川門は宝暦9年の大火で焼失しましたが、11代治脩の時代に
再建され、その後も修理を重ねて今の形になったそうです。
鶴丸倉庫は東の丸付段に建てられていて、城郭内に存在する土蔵としては国内でも
最大級のものだそうです。天守や櫓にはよく入りますが、こういった大きな
土蔵に入る機会はあまりないので貴重な経験です。

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しんちゃん

天守は無いが見所は非常に多い。 (2021/11/20 訪問)

金沢城は加賀一向一揆のこの地方の拠点「尾山御坊」の上に築かれています。織田方にとって
最も厄介な相手であった寺院の上に築かれている点では大阪城と同じです。
私は大阪城の石垣の規模と迫力は日本一だと考えていますが、この金沢城と熊本城も石垣の
技巧的な意味合いでは日本有数だと思います。熊本城は無骨さ、金沢城は優美さが特徴でしょう。
石垣の優美さを物語る点では玉泉院丸庭園の色紙短冊積石垣は、その最たるものではないでしょうか。
天守はなくとも十分に見ごたえがあるのですが、御三階櫓は見てみたいですね。予算以外にも
いろいろと問題があり難しいところですが、いずれ見てみたいものです。
兼六園と合わせて、ひとしきり見てまわると半日以上かかります。じっくり見て回ると一日近く
かかるのではないでしょうか。いろいろ城を見て回りたいところですが、一度入ってしまったら
あきらめて心ゆくまで堪能するしか無いですね。加賀百万石の名に恥じぬ日本でも有数の
名城だと思います。

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しんちゃん

想像以上に広く、手が込んでいる。 (2021/11/20 訪問)

舟岡山城は丘陵地一帯に築かれた平山城(山城)で主要部は南側から南東側にまとまり
北側一帯には広大な外郭が広がり、折れ曲がった進入路がついています。
南東側に続いている道が大手のようで、なかなか立派な石垣が出迎えてくれます。
東側の郭は南北二郭に分かれ、土塁を設け、その間を石垣で補強された立派な土橋で
渡ります。その先に白山比咩神社創祀の地の石碑があります。向かってその西側の郭が
主郭のようで、周囲を石垣で補強された土塁で囲みます。主郭の北側にも折れ曲がった虎口を
持つ郭(四郭)があるようで、主郭の西側にもいくつか郭が続きます。(二~三郭らしい)
入って見ると想像以上に手の込んだ造りになっていて(しかも広い)驚かされます。
舟岡山城は源平の争乱の時代には林六郎光明の居城であったとされ、戦国期には一向一揆の
城として機能していたようです。天正8年(1580)佐久間盛政が謀って守将の若林長門を殺し
城を奪ったとされています。別の資料では柴田勝家が長門と、その子二人を謀殺したと
あるそうなので、信憑性には乏しいのですが、一向一揆の城が織田方に奪われ、改修されたと
解釈してよいのだと思います。この時期には織田方の山城の築城技術(現地改修)もかなり
向上して来ているようです。

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刑部

本日は花火大会 (2023/08/11 訪問)

1月前から鵜飼の予約が取れないと思ったら
今日は長良川花火大会でした、ここに来て初めてわかった〔怖〕まぁこれは置いときまして岐阜城は久々で発掘調査後は初めてだったので興味深々。
天守からの眺望は言うことなし!
ここから鷺山城跡と遠望。凄い山城ですね!麓からもずっと観てました気温37度の中。城の後は城下町散策食べ歩き川原町で昼食、やはり鮎料理・・・美味かったです! 日本酒も最高!

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にのまる

北国街道 柳町 (2023/06/28 訪問)

松本から篠ノ井線としなの鉄道を使い、1時間半ほどで到着しました。

いつもどおり上田高校(上田藩主屋敷門跡)→二の丸堀跡→二の丸橋→本丸と進んだあとは深入り (?) せずに観光会館 2 階でマンホールカードをいただき、城下町「北国街道 柳町」へ行ってみました。

天正11年の上田城築城とともに形成されたと考えられる城下町の面影を今に伝える小路で、大きな柳の木がシンボルのこじんまりとした、のんびり過ごしたくなる通りでした。

最後に上田駅前で真田幸村公像の写真を撮って新幹線で帰路につきました。上田では信繁ではなくて一貫して幸村なんですね。

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