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イタさん

私有地のため見学は制限されます (2023/12/27 訪問)

「NPO滝山城跡群・自然と文化を守る会」さんの文面には、武蔵守護代の大石氏の築城とされ、勢力拡大に伴い手狭な高月城から滝山城へ拠点を移したと伝えられている、とある。

城跡入口の反対に閉鎖したホテルと稲荷神社がある。ホテルの裏にも堀など記載があるが、確認出来ない。入口からすぐに作業小屋?があり、左右に堀跡を思わせる凹みがある。記載の縄張図を参考にすると、小屋手前には土塁跡、後ろ奥には平坦な場所が見られ、小屋後ろ辺りは虎口とある。ただ奥へは赤字で関係者以外・立入禁止とある。主郭までの道にも数カ所に私有地のため立入禁止案内が立つ。幾つかの段差などがあるらしいが、草木が多く、また立入は遠慮する。

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新ろくべえ

甲府城石垣展示室を見に行きました!! (2023/12/23 訪問)

山梨県防災新館の地下で、石垣の展示があったので、見に行きました。
甲府城石垣展示室は、この建物を建てるときの発掘調査で出た石垣(甲府城の内堀)を
移設して、見えるようにした展示室です。
胴木という地盤が緩い甲府の石垣を補強する木が、
普段石垣の下にある胴木という地盤が緩いところに作る石垣を補強する木を見れたり、
調査の経緯や甲府城に関する映像も見れて面白いので、ぜひ行ってみてください!

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イタさん

遺構の保存・整備が素晴らしい (2023/12/27 訪問)

パンフレットに、大永元年(1521)に武蔵守護代の大石定重が築城し、後に大石氏の養子となった北条氏照が拡張、改修したとされてきました。しかし近年の研究により、北条氏照は由井領を支配していた大石綱周の養子になり、浄福寺城に居住し、その後、永禄10年(1567)までに滝山城を築城して移転したと考えられています、と載る。

前は夏の時季のため草が生い茂り、空堀・馬出などの形状が分かりづらかった。前回行かなかった山の神曲輪だが、今日は行けなかった。「ナラ枯れで立ち枯れた木から枝が落ちる危険が高まり、三の丸から山の神曲輪の遊歩道・三の丸・二の丸南をしばらくの間閉鎖します。」と標示されている。実際に二の丸では伐採作業中だった。見えなかった中の丸・本丸下の腰曲輪などが、草が刈られ整備された状態で眺められるが、そちらは進入禁止。本丸に架かる橋はもう少し下だったとあり、案内の城道を見ると、中の丸の腰郭を回り込み橋脚部にでるようなる。歩いてみたいがチェーンがあり、進入禁止。二の丸の大馬出の広さ、土塁、東尾根を仕切る空堀(画像制限で載せてない)などが改めて観られた。

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新ろくべえ

犬甘城に行ってきました! (2023/12/24 訪問)

犬甘城(いぬかい)に行ってきました!
この城は、長野県松本市蟻ヶ崎の城山公園にある山城です。
《犬甘氏時代》
この城は、この辺りを領していた小笠原氏の家臣である
犬甘氏が居城としていた犬甘館の詰め城として使われた山城です。
信濃守護・小笠原氏の居城である、林城の支城で、守りの要として重要な城でした。
1548年、小笠原家当主小笠原長時が、武田軍との戦いである、塩尻峠の戦いで惨敗、
そのため、多くの家臣が離反し、長時は林城に退却したが、犬甘家当主犬甘大炊助は離反しませんでした。
しかし、1550年ついに武田によって林城を追われ、近くの支城も次々と武田に明け渡されていくなか、
犬甘大炊助は最後の最後まで戦い続けましたが、1ヶ月後ついに落城してしまいました。
その後は使われず、廃城となってしまいました。
《戸田時代》
1550年以降廃城となり使われてこなかった犬甘城ですが、
1843年、時の松本藩主である、戸田光庸(みつつら)が、領民の公園として解放しました。
《その後》
明治時代になると、領民の公園として解放されていた、犬甘城は、松本初の公園となりました。
そして、今も公園として使われています。

【城情報】
・形式       ❙山城
・築城年      ❙南北朝時代よりも前
・廃城年      ❙1550年(1843年以降公園として解放)
・築城者      ❙?
・最後の城主    ❙犬甘大炊助
・廃城理由     ❙武田氏の侵攻により落城したため 
・主な城主     ❙犬甘氏
・遺構       ❙ 土塁、空堀、曲輪
・主な建築物    ❙展望台
・説明看板、石碑  ❙説明看板のみ
・駐車場、トイレ  ❙駐車場 有(広め)
・天守       ❙中世の山城のためない
・保存状態(自身判断)❙空堀や土塁が残っており、当時の様子が分かる
・城レベル     ❙3(詳しくは新ろくべえのプロフィールへ)
・備考       ❙・5の郭?に展望台があり、松本城を始め、松本の町並みや山々がよく見える。
          ❙・駐車場があり、いきやすい。
          ❙・各地に歌人の石碑がある(松尾芭蕉も)

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カズサン

カズサンの令和5年心に残る番外10選

 令和5年心に残る10選の続きです。
 本年登城し先に10選として投稿させて頂きましたが、10選洩れの10の城跡と写真を番外として投稿させて頂きます。
 この10城も甲乙付け難く、登城日、撮影日の早い順に並べました。

 1・三瀬砦(R5/03/19)北畠氏晩期の城址群、大手虎口土塁。
 2・松阪城(R5/03/20)本丸金の間櫓台と桜。
 3・高天神城(R5/05/25)西曲輪群横堀北端部、大河ドラマに誘われて。
 4・春日山城(R5/06/17)実城曲輪群と大竪堀遠望。
 5・浜松城(R5/08/18)ついに実現した市役所屋上からの撮影、天守曲輪群。
 6・高子岡城(R5/09/18)伊達氏発祥の城、登城口鳥居より。
 7・鳥取城(R5/10/01)中の御門櫓門工事中、令和6年度の完成が待たれる。
 8・松江城(R5/10/04)国宝天守閣漆黒無骨の天守が素晴らしい。
 9・武田氏館(R5/11/12)甲斐源氏武田氏発祥の地、一度訪ねたかった城址。
 10・明石城(R5/11/27)巽三重櫓と坤三重櫓の並んだ景観が素晴らしい。

 本年登城し心に残った城址10選、番外10選合わせて20城、長々の投稿と成りましたが宜しくご拝読お願い致します。
 
 尚、本年も投稿をご覧頂きありがとうございました。皆さま益々ご健勝にて良い年をお迎えください。
 
 

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トベシュン

しまなみ海道と村上海賊ゆかりの地巡り (2023/12/20 訪問)

しまなみ海道と村上海賊ゆかりの地巡りで能島城、今治城を巡ってきました。

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トベシュン

しまなみ海道と村上海賊ゆかりの地巡り (2023/12/20 訪問)

しまなみ海道と村上海賊ゆかりの地巡りで能島城、今治城を巡ってきました。

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赤い城

讃岐では珍しい馬出が残る (2023/12/16 訪問)

国道319号線沿いに案内板が立っています。
駐車場は無いので案内板を挟んだ反対側の広くなったところに車を停めます。
案内板のところの道路は民家への道、こちらを進むのではなく案内板脇から直登します。
急坂を少し登ると削平地に。
ここが馬出のようです。
土橋が架かり両側に竪堀が落ちます。
さらに少し登ると主郭へ、主郭には帯曲輪がついていますがちょっとわかりにくい。
さらに進んでみると深い堀切が。
この堀切にも土橋が架かっています。
この先は丸山山頂に向かいますが特に何も無いようです。
コンパクトな城ですがおそらく夏は藪、この時季がおすすめですが落ち葉で滑りやすいのでお気をつけください。

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todo94

想像以上の奥行 (2023/11/24 訪問)

出石三城をクリアして豊岡市中心部に向かいます。雨が落ちてきてしまったので三開山城をスルーして鶴城へ。雨は小降りになっていたので鶴城攻略に踏み切りました。遠景は街中の小さな山城のように見えます。愛宕妙見堂あたりがピークのように感じられてしまうのですが、愛宕神社はそのずっと先でした。主郭はさらに奥。こんなに懐が深い城だとは思ってもいませんでした。ちょうど雨が上がってくれたのは幸運以外の何物でもありません。車でお越しの際は、麓の船町会館に3台ほどの駐車スペースがあります。

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しんちゃん

日光田茂沢御用邸記念公園 紀州徳川家江戸中屋敷遺構 (2019/11/01 訪問)

日光東照宮の向かいにある田茂沢御用邸は元は紀州徳川家江戸中屋敷として天保年間に赤坂に造築されたものです。明治5年に皇室に献上され赤坂離宮となり、明治6年に皇居西の丸御殿が火事に見舞われた際には仮の皇居になりました。
明治31年に田茂沢に移築され皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の静養所となりました。現在公開されている御用邸は移築時やその後に増築された部分も多いのですが、三階建ての御座所が江戸時代の物になります。徳川御三家は三階建の建造物を特別に許されていたということです。

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しんちゃん

中禅寺湖周辺 (2019/11/01 訪問)

明治維新後のまだクーラーの無い時代、日本の蒸し暑い夏はヨーロッパから来ていた大使たちにはこたえたらしく、夏でも涼しい中禅寺湖の周辺は避暑地として人気がありました。現在は英国大使館別荘とイタリア大使館別荘が有料で公開されています。英国大使館別荘はかつての英国の外交官アーネスト・サトウの個人別荘として建造され、サトウ氏に関する展示が充実しています。いずれも中禅寺湖の湖畔に建てられていてテラスから美しい景色を見ることができます。

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しんちゃん

日光 (2019/11/01 訪問)

日光にはちょくちょく出かけています。栃木、群馬と観光しているとちょうど通り道になるんですね。このあたりは観光のネタに事欠かなく東照宮やいろは坂、中禅寺湖や華厳の滝など魅力的なスポットがそろっています。自分の中では中禅寺湖に来るとウニ丼を食べるのがルーティンになっています。

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しんちゃん

南朝方の城。眺望に優れる。 (2021/03/14 訪問)

安倍城はハイキングコースが設置されていて登山者もそれなりに多く久住砦を経由して本城にたどり着きます。古くは南朝方の国人領主の城で暦応元年(1338)北朝方の今川範国の攻撃を受けています。
安倍城は最高部の主郭の周囲に尾根上に郭を配し堀切もありますが、それほど手の込んだ遺構は残っていないようです。この城が素晴らしいのは静岡市全体と、遠く富士山まで視界に収めることの出来る眺望の良さだと思います。

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にのまる

3時代の大手口 (2023/09/09 訪問)

白石城見学後、白石駅から福島まわりで行ってきました。福島駅には6路線が乗り入れていますが、阿武隈急行は初乗車です。きょろきょろしながら目的の列車をさがすのも楽しかったです。
「政宗ブルーライナー」に揺られて梁川駅に向かったのですが、『政宗ダテニクル』のラッピング列車は先月、約7年間の運行を終えたのだそう。貴重な乗車経験となりました。

車窓からリンゴ畑など素敵な景色を楽しみ、梁川駅で下車。
広瀬川を渡り、江戸末期の楼門の残る本覚寺に寄ってから梁川城へ行きました。
城へのアプローチを実感しながら最後の坂を上がると、松前藩時代(江戸後期)の大手門跡の説明板がありました。この坂道が大手道だったようです。
左手に広がる広場が本丸跡(伊達氏館跡)で、見どころである「心字の池」は少し奥まったところに復元されていました。「ここをまっすぐ→」という大きな案内板を設置してくださっていたので堂々と突っ切って、広場の真ん中で主殿や会所を思い描き、庭園にかの時代の華やぎを感じと、想像の世界に浸ってきました。
明治期に本丸に移転した梁川小学校は震災で被災し再移転したようです。空間放射線量掲示板にはっとさせられました。

隣接する浅間神社で地元の方と少しお話しさせていただいてから本丸跡を反対側から見てみようと歩いていると「上杉氏時代の大手門」にぶつかりました。階段のあたりに櫓門を載せた石垣があったのだそうです。
周辺の鉤型も当時の名残かもしれず、初めての土地の住宅地散歩も何だかとっても楽しかったです。

この先に土塁が残っているようだったのでさがしに行くとそこは「伊達氏時代の大手口」。鉤型の大きな土塁が残っています。まだ夏の盛りで近づききれなかったですが、見ごたえ充分でした。

図らずもではありますが、伊達氏・上杉氏・松前藩領時代の大手口を確認することができて、記憶に残るうれしい城旅となりました。

帰りは「やながわ希望の森公園前駅」(駅名長い!)から。(梁川駅より本数が少ないので要注意です。)
無人駅で券売機もなかったのですが車掌さんがぱっちんぱっちんの補充券で作ってくださいました。





☆☆ブルボンも新潟だったのですね!
アルフォートは“水色派”です。んまい^m^

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POYO58

天守台と外堀 (2023/11/03 訪問)

二の丸探訪後は城内東側へ進みました。城内東側からは結構見にくいですが、表門付近の石垣が綺麗に遠望できます。(写真⑦)
その後は埋め門を通って城外へ出て、外堀を一周しました。埋め門からは南に出るのですが、振り返ると天守台と高石垣が綺麗に見えます。埋め門周辺は打ち込みはぎの比較的丁寧な石垣が建っています。外堀沿いにある何やら白っぽい石垣は復元されたもののようです(写真②)
その後は東へと進んでいくと南側に土塁が築かれていました。用途はよくわかりませんが、はっきりと残っていましたよ。
東側へ進んでいくと、日本ではこの篠山城と諏訪原城でしか、見られない馬出しが見れますが、どうやら住宅地の中にあるように見えて断念しましたが、やはり見るべきでした…。しかも石垣の馬出しはここでしか見られないのに。皆さんは絶対ご覧になってください。東側の水堀も結構幅広く青々としていました。その後は駐車場まで外堀に沿って歩き、探訪を終えました。
ちなみに天守は元々築かれてないようですね。まあ確かにこんなに堅固な城ならわざわざ天守を建てる必要もなさそうです。でもこんなに大きい天守台に立つ天守があれば見てみたかったですね…
思ったより迫力満点でしたね。こんなに石垣で囲まれた平城というのはあまり見たことがなかったので。しかも現存建造物もないのになかなかの魅力でした。

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新ろくべえ

荒砥城に行ってきました。 (2023/12/25 訪問)

荒砥城は、信濃の大名である村上氏の一族山田氏によって築城された山城です。
《山田氏時代》
この城は、1524年(大永4年)。
千曲川を挟んで反対側にある村上氏の本拠・葛尾城の支城として
村上氏の一族の山田氏によって築かれた。
そこから30年近く山田氏によって統治されてきたが、
今まで上田原の戦いや砥石城の戦いで追い返していた武田軍の猛攻にあい、
真田幸綱の攻略によって砥石城が奪われると、武田に内通していた家臣に謀反を起こされ、
葛尾城から脱出。一度は奪い返すも、また攻められ葛尾城に火を掛け敗走、
この時荒砥城も焼かれてしまった。
《武田、上杉時代》
武田の領地となった荒砥城は、
武田に内通し裏切った屋代政国が城主となった。
そして、屋代政国が隠居し、屋代秀正が城主となるが、1582年武田が滅亡したため、
秀正は上杉氏につき、海津城の副将になった。しかし、信頼されず、
上杉景勝によって監視された。
そのためか、德川に内通し、上杉景勝に攻められ、荒砥城に火を放って、出奔。
その後、荒砥城は廃城となった。

【城情報】
・形式       ❙山城
・築城年      ❙1524年(大永4年)
・廃城年      ❙1584年4月
・築城者      ❙山田越中守二郎?
・最後の城主    ❙屋代秀正
・廃城理由     ❙德川に内通し、上杉によって攻められたため
・主な城主     ❙山田氏、屋代政国、屋代秀正
・遺構       ❙ 石垣、土塁、(復元)
・主な建築物    ❙門、櫓、柵、建物、
・説明看板、石碑  ❙石碑(裏面に説明)有
・駐車場、トイレ  ❙駐車場 有(狭め)
・天守       ❙中世の山城のためない
・保存状態(自身判断)❙復元だが、当時を思うことが出来る(さすがに石垣はなかったのでは?)
・城レベル     ❙3(詳しくは新ろくべえのプロフィールへ)
・備考       ❙・石垣の石が珍しい
          ❙・櫓や二の郭からは千曲市や坂城町が一望できる
          |・15分おきほどで、荒砥城の説明映像が自動で流れる。
          ❙・入城は有料のため注意

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カズサン

カズサンの令和5年心に残る10選

 今年も押し迫って参りました、登城数は近年減って来ていますが今年は134ヶ所の城郭を訪ねていました。振り返って心に残る、記憶に残る城郭、景観を10枚選び投稿させて頂きます。10枚に絞るのも難渋しましたが、長年訪ねたかった、景観が奇麗だった、復元中などを要にしての選出です。
 投稿写真の順番は甲乙つけがたく、登城、撮影日の早い順にしました。

 1・久野城(R5/03/29)新しく出来た遊水池に写る桜と久野城。
 2・宮沢遺跡(R5/09/17)以前から訪ねたかった宮沢遺跡東側の入口。
 3・多賀城(R5/09/18)外郭南門復元作業中、是非見たかった。
 4・篠山城(R5/10/01)内堀復元の確認と天守台とのツーショット。
 5・若桜鬼ヶ城(R5/10/02)以前より山頂の石垣群の探査を願って居た、本丸虎口。
 6・田和山遺跡(R5/10/04)以前より訪ねたかった弥生時代三重環濠遺跡。
 7・五龍城(R5/10/06)以前より訪ねたかった、安芸宍戸氏の山城、麓よりの景観。
 8・岡山城(R5/10/10)昨年リニューアルした岡山城天守閣。
 9・杉原砦(R5/10/21)以前より訪ねたかった藤橋城模擬天守閣。
 10・西宮砲台(R5/11/27)以前より訪ねたかった幕末期円形石造砲台。
 
 暫く登城の計画は有りませんので以前の投稿写真の再デビューです、10枚ではまだ心残りの城、写真も有りますので番外編10選を続けたいと思っています、選定整理が付きましたら投稿させて頂きます。
 

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イオ

私の兵糧丸

トクさんの投稿で夏場の兵糧丸を思い出しましたので…

温暖化の影響でか夏場は猛暑が当たり前になる中、水分補給は当然として、塩分補給用に「塩タブレット」を携帯しています。昨今は塩キャンディなどのバリエーションも増えて、あれこれと気分で選んでいます。

それと、携帯品ではありませんが、以前使っていたスマホは発熱が凄まじく、夏場はよく挙動不審になっていたので、車のエアコン吹き出し口に付けるスマホホルダーで冷却していました。本来はスマホをカーナビとして使うためのものなんでしょうけど(笑)

※ 「お城いろは」いいですね。何だ? と「とりあえずクリック」してしまいました。
 

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トク

私の兵糧丸

寒い冬の最中に夏の話題で恐縮ですが・・・

私が夏の登城時に必ず持ち歩いた物、それは「くまモンのタオル」と最寄りのコンビニで買った「氷」(ロックアイス)です。

九州の夏はとにかく暑い! 最近は6~9月は30度以上の真夏日はあたりまえ、7~8月は35度以上の猛暑日も数えきれないくらいありました。昨年はせっかく汗ダクで登城したのに、いざ写真を撮ろうとしたらスマホのカメラが起動せず、肝心の写真が撮れない😱~! なんていうトラブルを何度も経験しました。どうやら私のスマホは35度前後の炎天下に30分以上いると動作しなくなるようです(たぶんICが限界温度を越え動かなくなる)。よって今年は登城前に最寄りのコンビニで氷を買ってスマホといっしょにカバンの中に入れて冷やしながら登城しました。途中でその氷や融けた水を口に含めば熱中症も防げて一石二鳥です。コンビニの氷は融けにくく結構2時間近くもつので、そうやって克服しながら写真も撮れました。そしていよいよ疲れた時に元気をくれたのが、熊本城で買ったこの「くまモンのタオル」です! これで汗を拭きながら「トクもがんばるモン!」なんてものまねをすると最後までがんばって歩けました(でも全然似てなかったよ🤔)?・・・
 

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しんちゃん

八幡山城 静岡県静岡市駿河区八幡 (2021/03/14 訪問)

八幡山城は八幡神社の背後に立つ標高63mの八幡山に築かれています。平山城でなだらかな尾根上に郭が築かれており富士山も良く眺望できます。応永18年(1411)に駿河守護今川範政がこの地に入った時に築いた城塞の一つだそうです。
今川家の家督騒動の際に太田道灌が布陣したという伝承があり、伊勢新九郎盛時に関わる伝承もあるようです。

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