愛知県知多郡美浜町野間に源頼朝の父である源義朝の終焉の地があります。
1159年(平治元年)12月27日、平治の乱で平清盛に敗れた源義朝は東国へ向かう途中に尾張国野間に立ち寄ります。長田忠致、景致父子を頼りますが、裏切られ入浴中に殺されました。
頼朝の時代となり長田父子は鎌倉に参上して謝罪します。頼朝は身命を惜しまず抜群の軍功をあげるならば、罪を許した上、美濃・尾張を宛て行うと告げ、長田父子はその後数度の合戦に大いなる軍功をあげました。天下を平定した頼朝は、義朝の墓前において、約束の通り「美濃・尾張(身の終わり)」を賜うとして、長田父子を磔にしたと伝わります。
そんな義朝ゆかりの地を散策してきました。
時代は違いますが、近くには羽柴秀吉に敗れた織田信孝が自害した安養院(今回は行っていません)があります。墓は源義朝の墓の側にありました。
夏の海水浴シーズン以外は、あまり観光客は来ないところだとおもいますが、歴史的には興味深い場所です。
それぞれの地は名鉄野間駅より徒歩15分以内で行けます。
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