【蟹江城】
<駐車場他>産業文化会館駐車場数十台分あり。
<交通手段>車
<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾ラスト17城目。蟹江城の築城年は定かではなく主に3つの説があるようで、
①蟹江城址碑文に「永享年間(1429~ 1440年)に北条時任が城塞を築いたのがはじまりとされる。」とあります。
②既に織田信長に仕えていた滝川一益が長島一向一揆で長島城に籠城していた旧知の武将、服部友定を騙して信長から長島を守るために本願寺に金を出させて築城し築城後に滝川一益が城主として入り騙し取ったとする。
③長島の戦い後に滝川一益が信長から恩賞として領地をもらい築城した。
この3つがあるようです。いずれにせよ戦国時代には滝川一益の城となり、一益は柴田勝家に味方して秀吉に敗れるのでその後織田信雄家臣の佐久間信栄の城となります。小牧長久手の戦いでは返り咲きを試みる秀吉方の滝川一益の調略で城を奪われ、家康・信雄軍が反撃総攻撃を仕掛けて(蟹江合戦)いる途中で小牧長久手合戦は和睦します。城は1586年の天正大地震で壊滅してそのまま廃城となったようです。
現在城跡碑と城跡碑のある近くに本丸井戸跡、産業文化会館から隣接して民族歴史資料館に蟹江合戦の資料があります。城跡碑は城跡碑公園になっていて駐輪場もあり立派なちょこ城です。
この城にて今回の旅終了、1日17城巡りは自己最多記録でしたが城跡碑ばかりで、どこがどの城だったか混同してしまう感じでした。小牧長久手の合戦に関係する城跡が多く、小牧長久手の合戦は尾張国北東の犬山城から最後の蟹江・大野城まで尾張国の国境全面にわたって展開されていた事が分かって勉強になりました。走行距離416㎞無事走破。
<満足度>◆◇◇
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