畠中城は奈良時代には神前氏の先祖となる渡来人の館で、平安時代には当主・神前清実が源行家を匿ったとされています。戦国時代には根来衆の城として築造され、元亀元年(1570)の野田城・福島城の戦いで織田信長に敵対し落城、天正13年(1585)の豊臣秀吉の根来攻めの際にも攻撃を受け落城したとのこと。江戸時代には本丸跡が要家の庄屋屋敷となり、要家は岸和田藩より七人大庄屋の一人として列せられたそうです。
今でも誰か住んでいるようですが、要氏の子孫の方かどうかはわかりません。長屋門(南側)の写真を取り損ねたので、別の写真で代用します。北側の壁が少し倒れかかっているようです。江戸時代から使われているのであれば維持は大変だと思います。
「壁が倒れるぞー」「へー ほうかい」 などと言ってはいけません。
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