在地土豪から六角氏の有力被官へと大きく成長した永原氏のお城だが永原氏は織田信長の勧告に応じず近江を去ったため信長近江入り前(つまり織豊系城郭誕生以前)の石垣造りの城としてこの城の価値はとんでもなく高い。
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2023/12/24 17:42
織豊以前の石垣の城なのだ (2023/04/16 訪問)
在地土豪から六角氏の有力被官へと大きく成長した永原氏のお城だが永原氏は織田信長の勧告に応じず近江を去ったため信長近江入り前(つまり織豊系城郭誕生以前)の石垣造りの城としてこの城の価値はとんでもなく高い。
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2023/12/24 17:30
道後公園 (2023/12/05 訪問)
松山に出張があり、少し時間がとれたので立ち寄りました。
駐車場に着いた途端に雨が。
駆け足での登城になってしまいました。
搦手から入り土塁に沿って歩きました。
資料館はまた今度ゆっくり。
途中土塁の断面も展示されています。
土塁には裾石が施された部分もあります。
内堀には遮蔽土塁も施されます。
主郭部からは松山城を望むことも出来ました。
時間もなかったのでこの辺で退却しました。
ちょっと濡れたけど満足、さっ、仕事仕事。
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2023/12/24 17:23
長いものに巻かれると、静かな時間。 (2023/10/30 訪問)
「小幡陣屋」を検索すると、『織田 信長の次男 信雄の庭園』など、信長さんの七光的です。
織田 信雄さんを検索すれば、『迷走する愚将』など、お父さんが信長さんのわりに~のダメダメ評価。
でも、『名勝 楽山園』を見学すれば 信雄さんのポイントは上がるはずです。
入城料は300円だったと思います。お城関係のパンフレットやチケットを入れる箱の中から見つけられませんでした(;´д`)
復元された中門をくぐれば枡形虎口。もう、「小幡陣屋」を忘れて庭園へ向かってました。
広い庭園に池があり、鯉が集まってきます。エサも無いのに鯉と遊び、疲れたので梅の茶屋へ。
畳が敷いてある茶屋で、上がって良いとの事です。もう、ゴロンとしたくなる感じです。
弓道場が見えて、タイムスリップしたような錯覚。
遠くの山々が綺麗で、春の緑や冬の雪も素敵な眺めになることでしょう。
庭園を終えて「小幡陣屋」へ。
井戸跡や、建物はありませんが、何の間だったかのパネルがあり識別してあり解りやすかったです。
それから、土塁の向こうに長屋が復元されてました。
中は展示物があります。こちらに鯉のエサも売ってます。
信雄さんを検索し、よく最後まで読むと戦国の世を器用に渡り歩いた、とか織田家の血筋を絶やさず繋いだ等、誉めてます。
不器用だけど、一生懸命な信雄さんと、しておきます。
「小幡陣屋」には、織田 信長さんのカラーマンホールがありました。
『信雄さんのだったら写真に写したのに』と、無視しました。
今更ながら信長さんマンホールの写真、写しておけば良かったと後悔する「小幡陣屋」攻めでした。
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2023/12/24 17:16
奥平氏5代の居城 (2022/10/09 訪問)
古宮城から数分で到着。二の丸直下にある駐車場に駐車し登城開始。
二の丸を通って本丸へはものの数分。本丸には石碑や案内板があり、きれいに整備されていました。
本丸西側の土橋跡から西曲輪を通って一旦城外へ出るとそこは道の駅の駐車場。折り返して本丸下の堀跡を東へ進み、虎口跡、大手跡を通って駐車場へ戻る。
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2023/12/24 17:09
2023/12/24 16:48
北館は公園になっている。 (2021/05/08 訪問)
一戸城は国道4号線沿いの馬渕川の東の台地上に築かれていました。北館・八幡館・神明館・常念館の4つの郭で構成されています。最北の北館は公園になっているので気軽に訪問できますが、他の郭はビニールハウスなどになっているようです。
近くからこっそりのぞきましたが写真は有りません。一戸城は一戸南部氏の城で建長年間(1249~1256)に築かれているようですが一戸氏が身内同士の諍いで滅亡してからは九戸氏と南部氏の間で争奪戦が有り南部氏の配下になったそうです。
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2023/12/24 16:33
整備された先住民族蝦夷の遺跡 (2021/05/06 訪問)
高屋敷館は国道7号に面する舌状の台地上に築かれていました。10~12世紀ごろにかけて人が住み中央の環濠集落とは異なる時代に築かれています。蝦夷などと呼ばれた先住民のものと見られ、青森県八戸市では10世紀中ごろ以降に中央からやってきた国司や城司との軋轢があったようで、この地方における情勢の変化があったようです。
高屋敷館は国の史跡に登録され整備が進んでいます。周囲を堀と柵塀で囲み土塁も復元されているようです。
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2023/12/24 16:33
遺構がほぼ完全な状態で残る城 (2022/10/09 訪問)
湯谷温泉から作手歴史民俗資料館へ。古宮城模型を見学し続日本100名城スタンプポン。
資料館から数分で城址に到着。城址の一角にある白鳥神社横の駐車スペースに車を駐車し登城開始。
祭事中のところを邪魔しないよう神社の右手から城内へ入る。主郭の虎口では神社の御神木である大木が目に留まる。曲輪、土塁、堀切など、遺構を1時間ほどかけて見て回る。中には牢屋と考えられる曲輪がありました。
城址は公園的な整備がされていないが、戦国時代の城郭がほぼ完全な状態で残されていて極めて貴重とのこと。城内は個人所有地という注意を促す看板もあり、迷惑にならないよう登城する必要あり。
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2023/12/24 13:28
2023/12/24 12:40
2023/12/24 12:01
大間岬と言えば、やはりマグロ ウニもおいしい。 (2021/05/07 訪問)
本州最北端の地、大間岬は知る人ぞ知るマグロの産地です。弁天島にゴメ(カゴメ)が舞い日本最北端の地の石碑があります。早朝に訪れたのですがどうしてもマグロが食べたくて仏ヶ浦で時間をつぶしてきました。
コロナの時期だったので店内で召し上がるわけにはいかず青空の下のテーブルでいただきます。ゴメが狙ってるから気をつけなとアドバイスをいただきます。どうやらここのゴメは海鮮を狙う油断ならない奴のようです。ここはウニもおいしいので海鮮丼をチョイス。マグロもいっぱい入っています。ご飯の大小をもらい即席で海鮮丼の大小を造ります。並べ方もセンスです、今見てもよだれが出てきます。
本当に大間のマグロは美味しかったんですよ。これが本当のマグロか‥と感動したのを覚えています。おかげで大間以外のどこでマグロを食べてもおいしくなくて逆に困ってしまいました。もう一日くらいゆっくりしてマグロやウニをたらふく食べたかったですが旅の城カラスはいつまでも同じ場所にはいられないのですよ。
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2023/12/24 11:43
歩いて回るとけっこうな広さがある。 (2021/05/07 訪問)
七戸城は七戸町に接する台地上にあります。広大な城域を持ち、歴史は古く当初は蝦夷館であったようです。鎌倉時代、工藤右近将監がこの地に入ったとされ建武の新政後は伊達氏→結城氏→南部氏と領主がかわっていったようです。工藤氏のころから城郭として整備がされていた可能性があり南部氏によって本格的な城郭になり南北朝の時代には八戸城と共に南朝方の重要な拠点だったようです。
主要な部分は本城と呼ばれ公園になっていて江戸時代は陣屋が置かれたようです。北に復元された東門があり、本城の西に北館、南西に西館が配され本城と北館との間には水堀が残っています。北の貝の口は広大な田畑になっているようで南の宝泉館の周辺も畑地になっているようです。
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2023/12/24 11:04
仏ヶ浦 青森県下北郡佐井村 (2021/05/07 訪問)
国の名勝で天然記念物の仏ヶ浦は青森県下北半島の西岸にあります。何でこんなとこわざわざ来たかというと、早朝に大間の岬に寄ったら急にマグロが食べたくなったけど店がまだやってないので時間をつぶす必要があったわけですね。
以前ブラタモリでタモさんたちが大間岬に寄った時には時間に都合かマグロを食べずに恐山のほうへ行ってしまいましたが、大間と言えばやっぱりマグロですよ。マグロの話ばかりですが仏ヶ浦の投稿です。1500万年前に海底火山から噴出した火山灰が押し固められ(緑色凝灰岩)それが風雨で削られてこんな形になっちゃったらしいです。五百羅漢や蓮華岩などしゃれた名前が付いていて海上からだとより、全容がわかるそうです。最近は熊もでるらしいです、亀の死骸を見ましたがなにか流れ着いたりするんですかね。
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2023/12/24 10:41
本丸・二の丸に主の名が残っている。 (2021/05/07 訪問)
伝法寺館は舌状の丘陵上に築かれていて国道4号線が北郭に差し掛かっています。北館と南館の二つの郭で構成され、南の郭の方が本丸と見られ間に堀切が配されています。かつて南部氏に仕えた日の宮氏によって築かれたようで、同じ南部氏に仕える津村越後が本丸に入った際に二の丸に移り、それぞれの郭に「日の宮館」「津村館」の呼称が残っているようです。
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2023/12/24 10:35
2023/12/24 10:27
2023/12/24 10:19
2023/12/24 10:13
山家城 (2023/11/23 訪問)
【山家城】
<駐車場他>徳雲寺駐車場を利用しました。
<交通手段>車
<見所>主郭石垣・堀切
<感想>2泊3日松本・佐久・吾妻の山城攻めの旅初日4城目。現地説明板によると「築城時期は不明だが城主は中世山家郷を支配した山家氏と伝えられる。山家氏は神為頼(諏訪氏)の子孫で1331年に徳雲寺を創建しており、山家郷の地頭を相伝していたとされる。1480年に府中の小笠原長朝に攻められ滅びたか敗走した。1505年頃小笠原氏の同流である折野昌治が播州から入城し、1550年武田信玄の攻撃によって林大城が落ちた際に自落した」とあります。小笠原氏時代は本城を守る支城としての役割を担っていたと思われます。西側の主郭に石垣が残る方が新しく、東側の連続大堀切を数条はさんで秋葉神社になっている中入城が古い時代の主郭部分だそうです。
先達の方々を参考に徳雲寺からの登山ルートを選択しました。徳雲寺本堂左手の墓地を登って行くと山道に入ります。右に折れ、貯水槽の横を進むと獣柵のゲートがありますので開けて入ります。入ってすぐ神社があります。背後の尾根をまあまあひたすら登ります。途中から踏み跡の道が無いのでストック要です。やがて堀切を2条渡り西の尾根曲輪に入ります。2段構造の広い曲輪です。また堀切を渡り登ると主郭の西側の帯曲輪に着きます。
主郭は南側の曲輪壁にも石垣が一部残存していますが、東面の全面石垣が最大の見所です。主郭はやや小さく北東側は大堀切があるため土塁で盛り上がっています。主郭西面の曲輪壁には石垣は無かったようで高い切岸になっていました。主郭北東側から旧主郭の秋葉神社まで3条くらいスケールのある大堀切があり圧巻です。大堀切はそれぞれ竪堀として急斜面下まで伸びていて落ちたらヤバイ。
旧主郭の秋葉神社ある曲輪の方が新主郭より広く、主郭に幅広の帯曲輪で取り巻いています。旧主郭の東背後は小さめの連続堀切がありその先に広い副郭があります。
3城目の林大城が見終わったのが14:30で予定では桐原城とこの山家城が残っていました。時間的に2城攻めは無理、宿泊が佐久市まで移動しなければならず小笠原氏城跡群はあと1択、ヒロケンさんの投稿で「山家城は小笠原氏城郭群の中でも群を抜いて見事なものだと感じました。」という記述に惹かれて山家城を選択し良かったです。大満足の城跡でした。桐原城は次の機会の楽しみに置いてこの日は終了しました。
<満足度>◆◆◆
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2023/12/24 09:50
竹の子児童遊園 (2023/12/23 訪問)
宮前保育園の南側の小さな山が跡地です。竹の子児童遊園入口の階段を上がって行きましたが、フェンスがあり城跡と思われる場所には入ることができません。
公園内を少し歩いただけでひっつき虫がズボンに大量に付着していました。なんという植物かわかりませんが、取り除くのに無駄な時間と労力を要してしまいました。
高知駅バスターミナルよりバスにより上町五丁目バス停下車。徒歩5分くらいで竹の子児童遊園に行くことができます。
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2023/12/24 09:46
本山土居屋敷など (2023/12/22 訪問)
戦国時代には本山氏の屋敷があった跡で、山内氏の時代には山内刑部、但馬親子、続いて野中玄蕃、兼山親子4代の屋敷となりました。その後は山内氏の参勤交代時の藩主の宿泊所となり本山御殿とよばれていたようです。野中兼山は今回の旅で初めてしりました。用水工事や湾岸整備等にて業績のある方ですが、弾劾により失脚しています。機会があればもう少し勉強したい人物です。
本山町内には野中兼山関連の上の坊や山内刑部の墓があります。
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