黒田官兵衛築城ってことで場内に貼ってある「天下をとれる気がする」ポスターがシュールです。後世、奥平氏が入ったので、特別展示で「長篠の戦い特集」やってました。NHK大河で一躍有名になった鳥居強右衛門グッズ売ってます。
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2023/07/01 20:37
特別展示で長篠の戦い (2023/07/01 訪問)
黒田官兵衛築城ってことで場内に貼ってある「天下をとれる気がする」ポスターがシュールです。後世、奥平氏が入ったので、特別展示で「長篠の戦い特集」やってました。NHK大河で一躍有名になった鳥居強右衛門グッズ売ってます。
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2023/07/01 18:16
高坂氏館 (2023/07/01 訪問)
高坂氏館とのことだが、案内板に記載の通り館というより城と言えるような防備
土塁の高さは4〜5mくらいはあったんじゃないでしょうか。
中世の館といえば普段の暮らしをするのに最低限の防備というイメージでしたが、ここの防備は一見の価値ありだと思います!!
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2023/07/01 16:26
戦国最後の英雄終焉の地 (2023/05/21 訪問)
〘真田丸跡・真田の抜け穴・安居神社・茶臼山陣城〙
大阪の城びと最後の城はここになりました。大阪城もとっておきにしていましたが既に何回も行っているので、大好きな武将最期の地をあえておいておきました。約半日をかけて巡り、今回も巡り順に投稿させていただきます。
【三光神社】
真田山の北東隅にある神社で、もし真田山に真田丸があったならば神社の北・東斜面は急勾配で切岸感はかなり残っているように感じられます。境内に真田幸村公像とその横に真田の抜け穴と呼ばれる石組穴があります。
【真田丸跡】
心眼寺の出丸跡碑と真田丸顕彰碑は真田山中央北の傾斜地に位置しています。真田山の中心平坦部分は東西南北150mづつくらいで、道路は各々坂になっています。真田丸がここにあったならば冬の陣の後、堀を埋めるのに曲輪のへりの部分から崩していって坂になったと期待したい地形ではあった。坂が無ければ東西南北300mづつくらいの大きさの曲輪かと思われる。
【安居神社】
真田信繁(以降幸村を使います)がこの神社で休んでいる時に松平忠直の家臣西尾宗次に打ち取られたともいわれる場所です。安居神社の書置きの御朱印が300円セルフであります。初穂料は賽銭箱へ。自分の中ではここが本日のメイン、感無量の大満足です。
【茶臼山陣城】
<駐車場他>天王寺茶臼山駐車場有料
<交通手段>大阪メトロ
<感想>現地説明板によると茶臼山は五世紀築造の前方後円墳とみる説と788年に和気清麻呂が上町台地を東西に横切る運河を掘ろうとして、掘った所は中断した南の河底池で出た土を盛ったのが茶臼山だとする説があります。大坂の陣では冬の陣に徳川家康が夏の陣では真田幸村が本陣を置いた場所です。現地は天王寺公園の一部になっていて、陣城だったと表面観察で分かる遺構は特に残されていません。登頂証明書が現在は一心寺存牟堂ではなく、すぐ東の三千仏堂で購入できます。旧黒田藩蔵屋敷長屋門を見て終了した。今回は個人的満足度は高いのですが、遺構が少ないので記載なしにします。
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2023/07/01 16:20
野本氏館 (2023/07/01 訪問)
館跡で現在は無量寿寺が建っている。
案内板の通り北側にはわずかながら土塁を確認。
案内板の風土記の中で描かれている山も隣に確認できました(柵に覆われていて入れなさそう…??)
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2023/07/01 10:10
陣ケ岡(岩手県紫波町) 奥州合戦の陣跡 (2023/06/11 訪問)
紫波町の三ヵ所目は文治五(1189)年の奥州合戦において頼朝軍が陣を敷いた陣ケ岡。頼朝は平泉を制圧の後に泰衡を追って北上する。吾妻鑑によれば九月四日の項に陣岡の蜂杜に陣を敷きとあり、そこで北陸道追討使の比企能員らと合流した。将兵は二十八万騎と記載されている。前日に比内郡贄柵において譜代の郎党河田次郎に討たれた泰衡の首と対面するのもこの陣中であった。
陣跡は比高16mほどのなだらかな丘陵で本陣跡とおぼしき最高所の平場には現在蜂神社が祀られている。神社参道が南と北にありその西側には空堀や土塁の遺構が有るらしいが、時節柄草木が生い茂っており確認できなかった。また北東部に「泰衡首洗いの井戸」という泉があり小さな祠が祀られているが実際は別の場所だったという。
いまは広い田んぼに囲まれた静かな丘陵に、頼朝をはじめ名高い関東武士が陣して、軍馬がひしめいていたのであろうか。
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2023/07/01 10:01
駅前に土塁ひろば (2023/06/30 訪問)
水城駅改札を出た自販機横にスタンプあります。駅前には土塁ひろばとかいう公園もありました。
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2023/07/01 04:08
2023/06/30 20:38
忍城 (2023/06/30 訪問)
忍城の魅力は三階櫓のみにあらず!
忍城の魅力はなんといっても市内あちこちにある忍城攻め時ゆかりの地を巡れること。
三階櫓(資料館が入っている)だけで満足したらもったいない!
浮城といわれた所以を想像させてくれる水城公園、石田三成が水攻めの際に気づいた石田堤、三成が本陣を置いた丸墓山古墳、映画「のぼうの城」で柴崎和泉守が守る姿が描かれた忍城長野口等々…
あちこち行くので自転車か車が必要になると思いますが…
個人的なおすすめは自転車で、「のぼうの城」の歴史と利根の自然を満喫するルートというコースが設定されているのでそれに従うのがいいと思います
やはり「のぼうの城」の影響がかなりあるし、よく活かしていると思います。
私は基本的に一回行った城に再度行くことはないですが、のぼうの城が好きなこともあって忍城は2回目でした
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2023/06/30 19:57
復元30年三重櫓二度目の登櫓 (2023/06/18 訪問)
前日は時間が終了して三重櫓に登れませんでしたので、翌日の直峰城、虫川城、雁金城初登城後、前日見切れて無かった、ものがたり館、監物堀、東城砦の有る春日山城史跡公園、春日山城大手道、上越市埋蔵文化財センターと開催中の謙信公と春日山城展を見学して、見学時間が閉まる前に高田城三重櫓を目指しました。駐車場は極楽橋に一番近い高田城址公園駐車場を利用。
三重櫓への登櫓は平成17年10月以来の2度目、平成17年は新発田城の木造復元三階櫓と辰巳櫓の見学した後に直江津に泊まり家内との初探訪見学でした。
前日に三重櫓の周辺は見学して居ましたので、即三重櫓へ登りました、入場券は進められて上越市歴史博物館とのセット券を購入、一階二階は資料館、同見学し三階の展望階へ、屋根木組み梁がまだまだ新しく木の香りもします、上棟札も掲げられております、展望階からは東の続き土塀の眺め、南の内濠、西の内濠、北の本丸土塁を眺めてる。
上越市歴史博物館へ本丸西濠沿いを北へ、初めての見学入場です、どうする家康に因みにどうする康政展、最後の藩主榊原氏の資料展が開催されていました、同様に高田城のバーチャル映像など高田城紹介の資料展示。
開場時間ギリギリに暑さと疲れに甘いものが食べたくなり1階の喫茶コーナーで抹茶ソフトを頂きました。
今回の直峰城を主体に箕冠城、虫川城、雁金城初登城、春日山城の再訪は2日、高田城3度目訪問は2日、三重櫓2度目の登櫓、埋蔵文化財センター、歴史博物館と長年の思いと新しいもを訪ねる事が出来、足腰の痛みに換えられぬ探訪でした。
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2023/06/30 18:12
北条早雲の城 (2023/06/25 訪問)
近くでゴルフの予定があったので早めに出発して登城しました。
江川邸は営業時間外でしたが駐車場は利用できました。
江川邸の土塁に沿って城へと向かいます。
登城口からまずは三の丸。
韮山高校のテニスコートになっています。
堀切があり、その下には韮山高校があります。
登城路に沿って進むと権現曲輪。
ここと二の丸の間にも堀切があります。
ここから二の丸までは上り、二の丸は土塁で囲まれています。
さらに土橋を経て本丸へ。
さらに登ります。
天気が良ければ本丸から富士山が望めるそうですがこの日は残念ながら曇り。
まぁこの後のゴルフを考えると暑くなくて良いのですが。
さらにここから天ヶ岳砦へ、と行きたいところですが現在立入禁止。
崩落の危険があるとのことです。
いずれ見学できる日が来て欲しいですね。
で、この後のゴルフですがあまり結果はよろしく無く。
久しぶりだったことを言い訳にしておきました。
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2023/06/30 15:59
武蔵松山城 (2023/06/30 訪問)
バス通り側から本曲輪まで登ってわかった史跡になるだけのものはあると。
私が今まで見てきた城の中でトップクラスに遺構が残っている。
残念だった点は、連郭式の城で本曲輪から別のルートで降りて行こうとしたらしばらく誰も通ってないんじゃないかってくらいの蜘蛛の巣があり、雨の後でぬかるんでいたので滑りそうなのが怖くて私は断念。また別の機会にじっくり見ようと思います。(バス通り側からの登りは問題ないと思います)
虫も多かったし、山城(平山城)はそろそろ一時休戦時ですかね…
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2023/06/30 11:33
復元30年三重櫓の眺め (2023/06/17 訪問)
直峰城探訪城廻りの第一日、昼過ぎに上越市に入りましたので、ICに近い箕冠城を先に攻めて、直峰城他諸城は翌日にし、春日山城へ2時間近く探訪観察したら17時ごろ、夏は陽が長いので好条件、高田城に寄りました。
駐車場は何時もの、極楽橋に一番近い高田城址公園駐車場を利用、余裕の駐車でトイレも有り便利です。
駐車場から極楽橋へ、南から西へ内濠を回り、西の通用門?から入る、三重櫓、内濠を眺めて、北東の階段から三重櫓へ既に時間終了して閉まってる。三重櫓に続く屋根付き土塀を撮影し、定礎の石に「平成5年3月」と刻んである。あぁ~復元三重櫓が建って30年経たのですね、まだまだ木調三重櫓は漆黒の輝きと、飾り金具なども黄金色の輝きは30年前の公開当時そのままの美しさ。
時間で閉まって居ましたので本丸の南西角部分と本丸枡形、極楽橋を通て駐車場へ、市民の散策、散歩が多く有効に活用されているようです、内濠の緋鯉も人の気配を感じて集まって来ます丸々と太って見事なものです、美しい景観ですね?
高田城へは平成29年10月岩櫃城フォーラムの帰りに越後に入り新潟県未踏の城を廻って寄って以来の3度目の登城です。
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2023/06/30 10:10
50【関ケ原の26人】 (20) 山内一豊 (山内一豊と浦戸城) (2023/06/09 訪問)
(20人目)は「山内一豊」です。
関ケ原当時の居城は掛川城ですが、関ケ原後に入った「浦戸城」を訪れてきました。高知駅前から桂浜行のバスに乗り30分程です。
関ケ原の恩賞で、掛川5万石から土佐24万石へ加増となった一豊は、長宗我部盛親の居城であった「浦戸城」へ入ります。しかし手狭であったため、新たに高知城を築城する事を決意し、完成するまでの3年の間ここ浦戸を居城としました。現在の浦戸城は天守跡を残すのみで、大部分は「坂本龍馬記念館」になっていました(写真①②③④⑤)。
一豊の功績は関ケ原ではなく小山での出来事でした。1600年7月24日 会津征伐(上杉景勝討伐)へ向かう途中、小山に差し掛かった所で石田三成挙兵の報が入り、家康は諸将を集め軍議を開きます。世に言う「小山評定」です。このまま会津へ進むべきか、あるいは反転して三成を討つべきか? 彼らはほとんどは豊臣恩顧の大名で、妻子が大坂に人質にとられています。よって家康は強制ではなく彼ら自身に判断をゆだねました。
この時、真っ先に声を上げたのが福島正則です「憎き三成を討つべし!」と。しかし反応はイマイチ? 皆まだ迷っています。そこで一豊が、「私は掛川城を家康様に明け渡してまでもお味方いたします。城の兵糧も全て家康様に差し出しますので、どうぞお使い下さい!」この一言が皆の心を動かし、三成討伐のため西へ向かう事に決しました。やはり皆、このまま長引く戦になれば、兵糧がもつかどうか? 兵糧がなければ兵の士気が下がる事を気にしていたのです。この後、駿府の中村、浜松の堀尾、吉田の池田らも次々と差し出す事を決意し、これで何不自由なく東海道を西上する事ができ、東軍は一枚岩になれました。
一豊は関ケ原では桃配山の家康をそばで護衛し、池田輝政と共に背後にいる毛利秀元・吉川広家を監視していました。しかし、彼らが動かなかったため、戦闘に参加する事はほとんどありませんでした。
家康は小山での一豊の一言を「最大の功名なり」と大変高く評価し、掛川5万石から土佐24万石へ大幅加増の恩賞を与えられました。
私は、浦戸城跡(坂本龍馬記念館)から眼下に見える海を眺め考えてみました(写真⑦⑧⑨)。土佐に入った一豊は、どのような思いでこの浦戸城から桂浜や太平洋の荒波を眺めていたのでしょうか? まだ土佐には長宗我部の残党が隠れており、一豊は常に命を狙われていました。 土佐で自分にはこれからどのような人生が待ち受けているのだろうか? 大大名となり期待に夢膨らませ土佐へ入国してはみたものの・・・、本当は恐怖と不安が入り交じり、夜も眠れなかったのではないでしょうか?・・・
次は(高知城)に続きます。
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2023/06/30 08:07
周辺散策と南丹お城サミット (2023/05/03 訪問)
(続き)
園部城ツアーの後、南丹お城サミットまでまだ少し時間があるので、周辺の散策をしました。
安楽寺(南丹市八木町北屋賀国府)
園部城の太鼓櫓が移築されています。2階部分に太鼓が吊り下げられ、今なお太鼓堂として現役のようです。園部城からは少々距離があるため(南東に約8.5km)、ツアーの後ではなく来る途中に朝一番で訪問しています。
小麦山(南丹市園部町小桜町)
天守代用の三重櫓が建てられていた小麦山にも登ってみました。遊歩道が整備されていて麓から5分弱で頂部に着きますが、忠魂碑や慰霊碑、門が閉ざされた花壇があるくらいで、三重櫓の痕跡は(石碑や説明板も)見られません。頂部までの道中に竪堀っぽい地形はありますが、遺構としては疑問符が付きます。ただ、藤の綺麗な時季ではあったので、頂部の藤棚の下で持参した昼食を摂りました。
ところで、ツアーでガイドさんから聞いた話では、マリオシリーズの生みの親として知られる宮本茂さんは園部のご出身で、子どもの頃に小麦山を駆け回って遊んだ記憶がマリオシリーズの根底にあるんだそうで、小麦山を散策中、スーパーマリオのテーマ曲が「テテッテッテテッテ!」と頭の中をぐるぐるしていました(笑)
徳雲寺(南丹市園部町小山東町塩田谷)
園部藩主・小出氏の菩提寺で、廟所のほか小出吉親が出石から持ってきたとされる四隅にふくろうをあしらった手水鉢など、小出氏ゆかりの品が多く伝わっています。
国際交流会館(南丹市園部町小桜町)
園部文化会館(南丹市園部町上本町南)
園部中学校(南丹市園部町横田)
これまたガイドさんから聞いた話では、三重五階の模擬天守・国際交流会館は小麦山の三重櫓をイメージしたもので、江戸期を通じての悲願だった天守(代用櫓)をようやく建てられたと思ったら、あっという間に廃城になってしまった経緯から、園部の人は天守に対する思い入れが強く、国際交流会館の他にも城郭風の建物があるとのことなので、いくつかめぐってみました。園部文化会館「アスエルそのべ」が石垣(風の壁面)の上に白壁と屋根瓦を備えているのもなかなかのものですが、もっと凄いのは園部中学校。屋上は無く全て瓦葺であるばかりか、入母屋破風には三花蕪懸魚を設け、玄関には唐破風まで! 園部中学校(城郭風建物)から園部高校(現存櫓門が正門)に進学すれば、城に囲まれた6年間になりますね。うらやましい…。
さて、あちこちめぐって園部公園に戻り、南丹お城サミット会場の国際交流会館へ。改修工事中(10月末まで)のため模擬天守の威容が拝めないのは残念ですが、水堀に見立てたプールに架かる橋を渡って入城すると、会場には小出吉親が大坂の陣で着用したと伝わる生身天満宮所蔵の鉄錆地仏二枚銅具足などが展示され、すでにミニ歴史教室が始まっていて、客席もほぼ埋まっていました。
続いての座談会では、南丹市内の園部城、埴生城、宍人城、松山城の地元の方をパネラーとして各城についてや整備の取り組みの紹介があり、松山城以外はこの日に訪れたばかりだったため、特に興味深く拝聴しましたが、質問コーナーで市長さんから、市の地域おこし助成金を活用して城を整備してもらえているのは大変ありがたいことだが、市の予算にも限りがあるため3年間しか助成することができず、継続的に整備を続けられる方策を検討していただきたい、との要望があり、山城は継続的に整備を続けないと元の木阿弥になってしまうことは各パネラーさんも重々承知のこととみえて、すでに地元の人々や子どもたちを巻き込んで、自分たちのお城という意識を持ってもらえるような活動をしておられるとのことで、どうすればお城を通じた地域おこしができるかを行政と地元の人々が連携して考え行動しているからこそ、埴生城も宍人城も素晴らしい状態で散策させてもらえていたんだなぁ、とちょっと感動してしまいました。いつもありがとうございます。
…ということで、埴生城も宍人城も園部城ツアーも周辺散策も南丹お城サミットも期待以上で、園部のお城を満喫した一日でした。ゴールデンウイークの渋滞にひるむことなく来て良かったです。
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2023/06/30 07:07
宇土半島の城 (2023/05/04 訪問)
天草から熊本市内に向かう途中で立ち寄りました。城への案内等何もなく、登城口の表示も見つけることができませんでした。グーグルマップから判断すると間違いなく城だと思われる小丘に入ってみました。石造の観音様の脇に城址碑を発見できて安堵いたしました。
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2023/06/30 01:22
亀山城③ 二の丸御殿書院 亀が山を登るから亀山 (2023/06/24 訪問)
かつての亀山城二の丸にあった御殿書院が亀山城の南東にある遍照寺に移築されています。
お話を伺ったところ移築の際にお寺にふさわしい造りにするために
天井を高く作り直してあるそうです。たしかに武家屋敷の天井は
刀や槍を振りにくいように少し低くしてありますね。
屋根の上に亀が4匹いるそうです。たしかに良く見ると登っている亀が二匹、
下っている亀が二匹いますね。何で亀なのかというと、亀山城だからだそうです。
‥なるほどー。
他にも亀山城関係の建造物というとかつての本丸跡には亀山神社が建っています。
祭神は亀山藩主石川家の祖、源義家と石川義純。
石川義純さんは、かつて笠置山に逃れた後醍醐天皇に味方して20万の幕府軍と
戦って自害したらしいです。江戸時代は城内の小さな祠にますみ神社として祀られていたのが
亀山神社の前身のようです。
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2023/06/30 00:41
亀山城② 縄張り編 (2023/06/24 訪問)
伊勢亀山城は文永2年(1265)伊勢平氏の流れをくむ関実忠によって築かれたと言います。
その後、天正18年(1590)豊臣秀吉に従った岡本良勝が入城し、天守や
各郭が今の縄張りに整備されたと伝わります。現在、多聞櫓が建っているかつての
天守台もこのころに築かれたものだと思います。
亀山神社、その北にある公園がかつての本丸。本丸の東の亀山小学校と亀山市役所が
二の丸跡。さらにその東が三の丸跡になります。
本丸の南側の亀山中学校とその南側の町並みが西の丸跡。
かつての堀跡が道路となっていたり、今でも街割りにかつての縄張りの
影響が残っているようです。
北側の菖蒲園の池も北側にかつての堀の形状を残しているようです。
なかなか広い縄張りを持つ城で亀山市歴史博物館の入り口の前には
石板門の石垣が残っています。
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2023/06/30 00:12
亀山城① 多聞櫓編 間違って解体された天守のかわり (2023/06/24 訪問)
かつて伊勢亀山藩の居城だった亀山城。
松江藩主・堀尾忠晴が幕府から丹波亀山城の天守解体の命を受け
寛永9年(1632)間違ってこちらの亀山城の天守を解体してしましました。
その後、天守のあった場所に築かれたのがこの多聞櫓とのことです。
たしかに亀山城っていっぱいありそうですね。愛知県の新城にもあるし。
現存の多聞櫓は江戸後期の再建のものらしいので比較的新しいですが、
やはり江戸時代からの建造物は迫力が違います。
一階だけなのですが、入ってすぐに大きな梁が眼前に迫ってくるので
とても迫力があります。個人的にはこの櫓、結構好きです。
櫓の石垣は元天守台らしく非常に立派な作りです。
この石垣のどこかに転用石があるらしいのですが、この時はそれを知らず
見付けられませんでした。次の楽しみに取っておきます。
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2023/06/29 23:18
伊勢六人衆の一人 春日部俊家の城 (2023/06/24 訪問)
萱生城は織田信長の長島一向一揆鎮圧に先立ち永禄11年(1568)に攻撃を受けました。
当時の城主は北勢三家衆(土豪)の勢力頭の春日部俊家で
攻め手は豊臣秀吉(このころは木下)と瀧川左近の軍勢で天正元年(1573)に城は落城します。
(現地案内板による)
たしかこの年に秀吉は羽柴性に改性しています。
なかなかの堅城のようですが、今は別の意味で守りが固いです。
誰か近くにいたら撮影の許可を取りたいところですが誰もいません。
そそくさと退散しますが、この近くの崖は雑草が生い茂っていますが、なかなか急峻です。
確かに守りは固そうですが落城までに5年はちとかかり過ぎなのではと感じました。
案内板には城内の兵糧も尽き‥とあるので力攻めから兵糧攻めに切り替えたのでしょうか?
後の三木の干殺し。鳥取の餓え殺しと言われた秀吉独自の城攻めの
はしりだったということなのでしょうか?
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2023/06/29 22:29
高千穂峰 (2014/01/06 訪問)
古いデータを整理していたら高千穂峰に登った時のデータが出てきたので
思いつきで登録してみようと思います。
高千穂峰は宮崎県と鹿児島県の県境に存在し左手に御鉢、右手に二ツ石の二つの寄生火山を
有しています。
この時は御鉢の方から攻めたのですが、ほぼ思いつきで登ったのでストックは無し
靴も本格的な登山靴ではなかったと思います。
途中に霧島神宮の古宮跡がありそのまま御鉢へ登っていきます。
細かい石が大量に積もっていて非常に登りにくい、しかも滑り出したらなかなか止まらない。
このあたりの山の特徴でもありますが9年後、大分の栂牟礼城を攻めたt時にも同様の
経験をすることになります。
なんとか御鉢に登頂しそのまま火口を回って高千穂の峰を目指します。
足元から地熱が伝わってきます。きっと火口に転げおちたらたたではすみません。
高千穂への道はなかなか急ですがロープを伝って登ります。
山頂にはニニギノミコトが建てたと伝わる天逆鉾が屹立しています。
坂本龍馬が悪さしたと伝わるあの青銅製の鉾です。
遠くを見れば桜島が煙を吐いています。桜島を見たのはこの時が人生初でした。
御鉢と桜島、二つの活火山が煙を出しているのを眺めつつ下山。
途中、登山中のマダムにズボンのおしりが破れていると指摘を受けます。
先ほど滑った時に破れたのでしょう。この時から登山時にはいろいろと注意を払うように
なりました。何かあったら遅いので。
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