【荒神の上砦】岡山県津山市中北上
<駐車場他>駐車場はなし。道路の<35.068659, 133.841450>の場所が広いので道路脇に停めました。
<交通手段>車
<見所>曲輪横堀・曲輪土塁・竪堀・尾根土塁
<感想>城びと未登録の荒神の上砦は毛利氏に攻略された岩屋城を奪還するために宇喜多氏方が岩屋城を包囲した陣城群の一つで、天正12年(1584年)に築かれました。陣城群は岩屋城を包囲していて、荒神の上砦と楽万の上砦の遺構が良好に残っているそうです。後者は岩屋城訪城に時間がかかってしまい行けませんでした。
登城口は<35.068245, 133.842182>で東方向に農道がありますので奥に進んで行くと砦の最北の竪堀跡から入れます。麓の登城口からの比高はそれほどなく丘城です。陣城の曲輪は大きく3つに分かれていて最北の曲輪は横堀と方形土塁で囲み、南側に小さな枡形虎口があります。中心部分の曲輪は横堀と方形土塁囲みの平虎口、最南の曲輪は山の最高所に位置して堀切からの竪堀で仕切り、横堀があります。曲輪は土塁囲みではないが一番広い曲輪で山城の普通サイズの曲輪です。3つの曲輪は尾根に沿って長大な土塁で結んでいます。
この陣跡を見て合点がいった事があり、富山県氷見市の海老瀬城が陣城かもしれないということです。越中国と美作国で地域が全然違いますが、砦の横堀、土塁、曲輪のサイズがほぼ同じで、同じようなミニチュアサイズの造りになっているからです。これまで陣城は玄蕃尾城をはじめ、虎御前山城や太閤が平のスケールの大きな陣城しか見てきていなかったので、荒神の上砦を見て海老瀬城がそうではないかと納得いきました。一見に如かず、現地に行って勉強になりました。機会があれば楽万の上砦に行ってみたい。
<満足度>◆◆◇
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