住宅地を抜けて赤須城跡に着きました。空堀が確認できました。
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2025/10/23 13:35
城跡の入口付近の標柱 (2025/10/19 訪問)
住宅地を抜けて赤須城跡に着きました。空堀が確認できました。
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2024/06/26 20:40
赤須城 (2024/04/20 訪問)
【赤須城】
<駐車場他>駐車場あり<35.725319,137.958682>
<交通手段>車
<見所>堀切・石積み跡
<感想>日帰り飯田・伊那地方河岸段丘平山城の旅ラスト9城目。現地説明板によると赤須城は船山城を拠点に発展した片切氏の分流で片切孫三郎為幸がこの地に居城を構え赤須氏と称したとされます。赤須城も1582年に織田信長の進攻により滅びたようです。
城跡のど真ん中を道路が縦断していて、だいぶ遺構が改変されているのが残念です。この城も天竜川によって削られ残った河岸段丘の城で、東の突端部に主要部を置いています。西側の平坦部は畑地になっていて遺構はよく分かりません。二郭跡の土塁が明瞭に残っていてなかなかの見応え、駐車場のある曲輪と二郭を隔てる堀切が深く、ジグザグに曲がる谷道には礫石が相当な数が落ちています。礫石は窪地に溜まっているのではなく、土塁の上に密集しているので、折れ曲がりの虎口か櫓台かの遺構が崩れたものであるかもしれません。一帯はかつての想像を膨らませる雰囲気を漂わせる見応えがありました。城跡を見終え、西に見える残雪の木曽山脈が素敵でした。
これにてこの旅終了。640㎞無事走破。
<満足度>◆◆◇
<あとがき>山城シーズンを終え、伊那地方の天竜川沿いに並んでいる城びとフラッグに着目していました。城跡の中身を詳しく調べず、公園が多かったので、平城のちょこ城ばかりだと思い込み、駐車ポイントだけ10城程調べて出発しました。1城目の鈴岡城跡から「あれ?ここは河岸段丘のなかな見応えある平山城だな」と思い、巡るうちにどんどん「全部河岸段丘の凄い城跡ばっかりやん!」となりました。ちょこ城先入観で行ったので、フェイント、逆によく新鮮で大満足の1日でした。気候的にもちょうどよかった。
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2023/11/16 23:53
道路を歩きながら郭や堀切を確認。 (2023/11/12 訪問)
赤須城は天竜川の支流の宮沢川の北側の丘陵の先端部に築かれていて、城址の中央を道路が通過し、道路の両脇や周辺に遺構が残っています。南北朝時代に北朝方だった船山城の片桐(切)氏の分流片桐孫三郎為幸がこの地に城を築き赤須氏を称したのが始まりとされています。主郭の西に二の郭が続きますが、両郭とも見事に道路で分断されています。二の郭の西側には土塁がよく残りますが、郭自体は藪に覆われています。東端には外城があって形がそのまま残りますが、土塁などはなく藪におおわれています。各郭の間は堀切で区切られ、二の丸の西側一帯にも添郭や茶の城、室屋などの郭が配されていたようです。
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| 分類・構造 | 連郭式平山城 |
|---|---|
| 築城主 | 赤須氏 |
| 築城年 | 室町時代前期 |
| 主な城主 | 赤須氏 |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
| 指定文化財 | 市史跡(赤須城跡) |
| 再建造物 | 碑、説明板 |
| 住所 | 長野県駒ヶ根市下平512-1 |
| 問い合わせ先 | 駒ヶ根市社会教育課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0265-83-2111 |