あかすじょう

赤須城

長野県駒ヶ根市


旧国名 : 信濃

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添郭周辺の堀切
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しんしんちゃん

道路を歩きながら郭や堀切を確認。 (2023/11/12 訪問)

赤須城は天竜川の支流の宮沢川の北側の丘陵の先端部に築かれていて、城址の中央を道路が通過し、道路の両脇や周辺に遺構が残っています。南北朝時代に北朝方だった船山城の片桐(切)氏の分流片桐孫三郎為幸がこの地に城を築き赤須氏を称したのが始まりとされています。主郭の西に二の郭が続きますが、両郭とも見事に道路で分断されています。二の郭の西側には土塁がよく残りますが、郭自体は藪に覆われています。東端には外城があって形がそのまま残りますが、土塁などはなく藪におおわれています。各郭の間は堀切で区切られ、二の丸の西側一帯にも添郭や茶の城、室屋などの郭が配されていたようです。

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todo94

県内の城めぐり2022 (2022/02/27 訪問)

このままでは2月の攻城数が0になってしまうと云うことで、急遽、県内の城めぐりを企図。昨年10月の殿島城の南の赤須城からリスタートです。駐車場とトイレが完備。道路で分断されている各曲輪にはさほど整備の手が入っていませんが、空堀はなかなか見応えがありました。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り3日目:赤須城 (2021/06/29 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り3日目の7城目は赤須城です。
殿島城から転戦。城址公園駐車場(35.725319、137.958682)に駐車しました。近くに城標識(35.725192、137.958787)があります。

赤須城は船山城主・片桐(片切)為清の子である片桐孫三郎為幸によって、南北朝時代の暦応年間(1338~42年)の頃に築かれたとされています。
為幸は赤須氏を称し、以降代々の居城となりました。
戦国時代、赤須氏は宗家の片桐氏とともに武田信玄に従っていましたが、1582年(天正10年)に織田信長の信濃侵攻の際に攻められ落城すると、赤須氏は滅亡しました。

土塁や空堀などの遺構を確認することができます。
攻城時間は15分くらいでした。

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くっしー

ちょうど城の真ん中を道が横断 (2021/07/03 訪問)

くねくねと曲がりくねる坂道を走っていたら、突如「赤須城跡」という標柱が現れてびっくりしました。

どこに車をとめようかと思っていると、さらに標柱と説明看板。さらに100mほど行くとトイレと駐車場を見つけることができました。

城跡はこの市道が横断していますが、空堀をいくつか確認することができました。お城は舌状台地に築かれていおり、地形を活かした守りになっています。

本郭や外郭は木が茂っていて全体像を見るのは困難ですね。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
築城主 赤須氏
築城年 室町時代前期
主な城主 赤須氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(赤須城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 長野県駒ヶ根市下平512-1
問い合わせ先 駒ヶ根市社会教育課
問い合わせ先電話番号 0265-83-2111