大隅正八幡宮(鹿児島神宮)は和銅元年(708)の建立で、平安時代に八幡宮が勧誘されました。大隅国の一宮とされ鎌倉時代には源頼朝の庇護の下、勢力が拡大します。多くの神官・僧侶らが在住し「四社家」「十家」あるいは「一家」「衆徒十五坊」「殿守十二家」「四十七家」「隼人十八家」など百十家もの衆徒集団がいたようです。
「四社家」はそれらを統括する立場であり、世襲で行われ、桑幡・留守・沢・最勝寺らが知られており、留守氏は貞治2年(1363)に石清水八幡宮から当地に来たとされています。留守氏館は霧島市隼人町にあり大隅正八幡宮の南東側に控えています。辻公園の西側に位置し土塁が良好に残っています。
明治維新の際にもこれらの衆徒は存続していたようで、四社家だと桑幡家は神主、留守氏は執印留守、沢家は田所、最勝寺家は別当と家職が記されています。十家には桑幡性が二件含まれ、検非違使が三件います。時間の流れが止まっているようですね。
(三ツ石友三郎編 1985「隼人郷土史」参照)
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