茨城県結城市に結城城という城跡があります。鎌倉時代あたりから明治維新の頃までここは城としての役割を果たしていたそうなのですが、この城も天守閣の類いは無く、掘と屋敷が存在する程度の機能だったようです
結城城で印象深い歴史的出来事は、室町時代における結城合戦(1441年)。一言で表すならば「室町幕府将軍 vs (もう1人の将軍的存在)鎌倉公方の争い」ですね
鎌倉公方の足利持氏が幕府に反乱を起こし持氏は敗死。しかし結城氏朝が持氏の遺児2人を担ぎ出し幕府に反旗を翻す
幕府軍は結城城を包囲するものの(将軍側と結城側それぞれに全国の諸将が呼応し戦乱が全国に展開。兵力を分散せざるを得なかったので)攻略に1年もかかった。
最終的に結城城は落ち氏朝は戦死。持氏の遺児は殺され、結城側は敗れたものの、(攻略に手こずったことで)幕府の威信は失墜。さらに将軍の足利義教もこの直後に暗殺され、関東は引き続き戦乱の世…となったそう
室町時代は応仁の乱から戦の止まぬ戦国時代になった…という見方があるかと思いますが、実はそれ以前から「プチ応仁の乱」とでも呼ぶべき内乱は起きており、幕府の統治は不安定だった
当時は西が京都、東か鎌倉が日本の中心地(現在は西が大阪、東が東京かとは思いますが)。関東における睨みを効かせるために初代将軍の足利尊氏は二代将軍の義詮の弟(基氏)を鎌倉公方に任命したわけですが、それが幕府の関東支配をよく思わない勢力によって担ぎ上げられ、幕府の支配力を高めるどころか、「将軍家×鎌倉公方」の東西対決を生み、不安定な政情を招く原因に…
歴史の説明はこの辺にしておきましょう。行く前から天守閣はないだろうなと予想はしてましたが、実際に足を踏み入れたら「えっ、これだけ?」とリアルに思いました…🚵
城跡を示す石碑に案内板、トイレに鉄棒·ベンチなどの公園的設備、神社に(何故か)タイムカプセル…思ったより規模の狭い、ただの公園にしか見えなかったから⛲😅😓
「当時の城の規模はもっと大きかったが、宅地開発もあり保存状態はあまり良くない」と説明書きにありました。画像にあるこのあたりが結城城の中心的エリア。本丸に値する館があったものと思われますが、かつてここで将軍家と鎌倉公方の激しい攻防戦が繰り広げられたとは全くイメージできない、今やただの公園…
訪れてガッカリした観光スポット…の1つに入ってしまうかもしれませんね😅
戦国時代は日本人にとって人気のあるテーマのようですが、その一段階前である結城合戦や鎌倉公方(室町前期とでも呼ぶべきか)の知名度はあまり高くないのではないかと思います
結城城跡は史跡としては(期待より)小規模なただの公園ではありましたが、そのマイナーな時代を知ろうとするきっかけにはなったのかな…とも思うことにしておきましょう😏
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