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チェブ

城びと未登録のお城攻め「出羽山砦」。 (2023/10/21 訪問)

栃木県の「榎本城」で出会った近藤 綱秀さん。
東京都八王子市の居城「浄泉寺城」の後、守る為に築いた「出羽山砦」に向かいました。
「出羽山砦」は、近藤 出羽守 綱秀さんの出羽守から名付けられたんでしょうね。

「出羽山砦」は「八王子城」の近くで、車で10分弱の距離です。近くに城山川が流れていて、たどると「八王子城」の『御守殿の滝』に繋がります。
現在『出羽山公園』となり、整備された里山な感じです。周りにスーパーや、ドラッグストア等々あり住宅街ですので、砦は安全な公園になってます。
写真①②は遺構っぽい所を探しましたが、分かりずらい構図になってしまいました。少しだけ高い所になってます。
所在地は、八王子市 城山手 1丁目です。

ここまで来たので、『八王子城』へ行くと、お祭りの準備中でした。
写真④は、「八王子城」の『御守殿の滝』に手を合わせ無念を思い、下を向きながら歩いていたら見つけました。

一生懸命に戦った先人たちの無念。
「八王子城」は落武者オバケが出ると有名です。
今なら、皆さんの悔しい気持ち、分かります。
「出羽山砦」、近藤 出羽守 綱秀さんの名前は、公園として受け継がれてました。

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小城小次郎

山口重政、さすがに骨がある (2023/04/15 訪問)

福岡県でも福井県でもなく、愛知県でも常滑市ではなく愛西市にある大野城。石碑一本の城だが小牧長久手の戦いではここで山口重政が羽柴方の滝川勢の攻撃を凌ぎ切った。常陸牛久1万石の祖となる人物はさすがに骨がある。

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カズサン

麓からの眺めと道の駅の資料 (2023/10/07 訪問)

 利神城を道の駅宿場町ひらふくの麓で山頂の郭を眺める事が出来ます、そして表には利神城の大型解説板が立てられ良く目に付きます、また室内では利神城の立体模型が展示されて、陣屋町平福のイラスト付きガイドマップ、佐用町「三城」利神城、上月城、佐用城(福原城)の縄張図付き解説パンフレットがA2四折りで入手する事も出来ます。
 利神城のミニ資料館的役割を果たしています。大変ありがたい。
 
 またQRコード付きで利神城ガイドツアー参加者募集中、料金1名弁当付き3000円と掲示されていました。写真添付しますが最新の情報を確認して対応ください。
 
 50数年前から浜松・鳥取を往復して何時か利神城に登ってみたいと思いながらいまだかって麓から眺めるだけに成っております、年を経てさらに難しい事です。

 
 国道2号線から国道373号線を走ると白旗城、赤松氏館、上月城、福原佐用城、利神城を見ながらの走行で走りながら感動ものです。平福の道の駅から無料区間の鳥取道に入り約70km程1時間弱で鳥取市内に着きます、大変便利になりました。
 

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カズサン

車で登れる富田茶臼山城 (2023/10/07 訪問)

 車で登れるとの情報で今回の備中備前未踏の城廻り7城目富田茶臼山城を車で初登城、茶臼山公園として整備されています。

 駐車場:頂上の茶臼山公園駐車場
 参考資料:城郭放浪記さん、グーグルマップ、城びと

 黒田家の故郷、備前福岡城跡を終えて国道2号線沿いから林道にて登れる富田茶臼山を目指し、頂上の駐車場に駐める。
 フェンスを開閉して茶臼山公園へ、よく整備されていて芝生の広場に成っている、遺構らしきものは良く分からない、頂上からの景色は絶景です、片上湾越しに東対岸に聳える富田松山城の山容が直線で1km程で見る事が出来る、しかし茶臼山公園の樹木が茂り見通しは良くない、茶臼山から富田松山城を眺めるのが今回の目的の一つ。
 富田松山城へは私の脚力では無理があり、せめてここで眺めようと言うのが私の願いでした。まあぁOKか?

 ここで今回の備中備前未踏の城廻り終了、今回は間の中学卒業60年の合同同級会を挟んで、丹波、但馬、因幡、出雲、備後、安芸北部、備中備前南部の6日間で未踏城郭25城、再訪6城でした。
 ここからR2、R373,佐用経由鳥取道で鳥取の実家へ帰ります。
 

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AJ

忠臣蔵経済効果?

切腹最中。和菓子に縁起でもない名前と思いきや、これが「お詫びの手土産」として脚光を浴びてからもう随分経ちました。相変わらずの人気だそうで。忠臣蔵は経済効果も抜群と思われます。

江戸城松の廊下で吉良上野介に斬りつけた浅野内匠頭は平河門(不浄門)から愛宕下(現在の東京都港区新橋4丁目)にあった陸奥一関藩・田村右京大夫建顕邸へ護送。即日、切腹を命じられたそうです。この田村邸跡に建つ老舗和菓子店でお買い求めいただけます。近くには内匠頭終焉の地の石碑も。

たしか、同店は赤穂市の観光親善大使に認定されていたはず。当然といえば当然でしょうか。他にも1本ずつに“48士“の誰かが描かれた箱に入った「義士ようかん」や最中とようかんの詰め合わせ「討ち入りセット」が人気です。

さて、場所は変わって東京都中央区明石町。築地外国人居留地跡として整備されていますが、もう少し遡ると江戸鉄砲洲と呼ばれた辺り。この一角にあった赤穂藩上屋敷で1667年、浅野長矩は産声を上げます。約3万平米の広大な敷地だったそうですが、これを1701年の事件で公収され、お家は断絶となりました。

今なお討ち入りが好意的に受け止められる一方、長矩は短慮で家を傾けた御仁との評価が付きまといます。なんの暗示か、邸跡の石碑は隣の木の根に押し上げられて傾くという始末。少し気の毒。経済効果がもたらす恩恵で修復するという案があってもいいような気がしますが、、。

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くうくう

金銀山のある佐渡を江戸幕府が直轄した

天領佐渡を治めるために相川に佐渡奉行所が置かれた。奉行所は行政と司法を行う機能に加え、金銀山の管理と金銀を精製する寄勝場もあり、また奉行の住まいも併設され、この部分が御陣屋と呼ばれていた。
相川は火事の多いところで、奉行所は火事による焼失と再建を5回している。安政6年(1859年)に再建された奉行所を2000年に一部復元。今それを見学できる。

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HKISD

赤穂城跡検索 (2023/11/17 訪問)

赤穂城は守りを中心に築城したと聞いたが本当に攻めにくい城跡だと感じた。
どこも整備されていて非常に歩きやすかった。
天主台に上って山を見たら赤があった。なんだか嬉しかった。

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chiroru

豊かな自然と歴史 (2023/11/18 訪問)

和田倉休憩所で100名城のスタンプを押印して、気持ちも足も大手門の方に向かいます。
富士見櫓と桔梗門と巽櫓をセットでカメラに納め桔梗堀の石垣を眺めながら、ついに大手門で入城。
わくわくが止まりません。

同心番所→百人番所→大番所→中雀門跡までとにかく広いし大きい。中雀門跡では火災で黒ずんだ石垣の痕跡を見る。

多様な樹木や草花が配置し見るものを飽きさせない素晴らしい庭園にもなっています。

富士見櫓の近くの土塁にもわくわくしました。警備頑丈。
松の廊下跡(石碑の前の道路の幅が廊下の幅だとか)→富士見多聞→天守台へ。
隙間ないきれいな天守台の石垣、ここにも火災の痕跡あり。
天守台からは北桔橋門や北の丸も確認できました。北桔橋門は門の造りもさることながら、それを囲む石垣は目を見張るものが
ありました。
たくさん歩いたし楽しいし充実しているから、あっという間に時間が経っていました。

徳川家康ゆかりの浅草寺へも足を延ばし晩ご飯は天麩羅!

次の日に放送された「どうする家康」の紀行では旧江戸城や浅草寺が紹介されてさらに嬉しくなり思い出甦る。

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くうくう

幕末の異国船の襲来に備えた海防施設

佐渡に60ヶ所の台場が築かれたという。今では姿を留めるものはないが、ここは小規模ながら直線延長約45mその馬蹄型の土塁の形がよく残っている。大筒4挺を据えたらしい。すぐ前には日本海の荒波が見える。平成14年に県史跡に指定された。

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歴史案内活動【11月23日(木祝)10:00~12:30】 (2023/11/23 訪問)

こんにちは。躑躅ヶ崎歴史案内隊のEこと上田絵馬之助です。

暦は断りもなく11月、ハロウィンが過ぎて街はクリスマスの気配、
甲府の木々も色を染めてゆく今日このごろ。
Eは訳あってただいま沖縄暮らしなので、微妙な季節感は想像で埋めるしかないのですが
長年甲府で活動している経験則で、晩秋の武田神社を思い浮かべてます。

そんな11月、当隊による武田神社歴史案内活動を行います。

日時:11月23日(木祝)10:00頃~12:30頃
場所:武田神社(史跡武田氏館跡・山梨県甲府市)
ガイド:局長・大塚與左衛門、弥三郎景政

❖境内に眠る戦国の史跡を、個性豊かな甲冑ガイドがご案内。
❖時間、コースはご都合・興味にあわせて自由に設定可能。
❖宝物殿、ミュージアムの展示施設も案内可能。
❖ガイドは無料(展示施設の入館料等は別途負担ください)。
❖雨天中止の場合あり(Twitter(現✗:@KoufuSamurais)で告知します)。

11月の武田神社は樹々の葉の赤や黄で彩られ、七五三を祝う親子連れでにぎわいます。
また、境内ばかりでなく、神社の北側では味噌曲輪の発掘が進められ、
稲荷曲輪の周辺では伐採によって曲輪の姿がくっきりと現れ、
図面に描かれる曲輪群の姿を目の当たりにできます。
秋の一日を境内散策でお楽しみください。

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POYO58

三の丸、二の丸、本丸編 (2023/11/03 訪問)

北千畳の後は三の丸へと歩き、写真を撮りまくりました。二の丸まで行くと南千畳がめっちゃくちゃ綺麗に見えます。城自体からもマチュピチュを味わうことができます。ガイドさんの話によると、竹田城というのはご存知の通り、秀吉の家臣の赤松氏によって築かれました。家康に改易された後、廃城となったものの建物は残り、明治維新で破壊されず、昭和時代まで残ったのにも関わらず、老朽が原因で破壊されたそうです。なんとも勿体無い!とにかく戦国時代のお城なのに枡形虎口が多いことにびっくりしました。

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いんげん丸虫

椋実城 (むくのみ)(欒峰城らんぽう)岐阜県恵那市 (2023/11/04 訪問)

標高519mの山城です。
瓢箪型の主郭を中心とした5つの支尾根に堀切、
曲輪があります。細かな遺構のつくりは戦国期に
活用された城郭であると想像できます。
看板があり、その付近に路駐可能です。

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朝田 辰兵衛

どこでもドア? (2023/10/08 訪問)

この日のラスト。日没前に行けそうだったので,JR福光駅にて途中下車。栖霞園の入口は施錠されておりました。しかし,両ワキから楽々入れそう。すると,このドアはいったい何?
「どこでもドア?」
ま,いちおう分別のある大人なので,門の奥への進入は踏みとどまりましたが,興味津々です。

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ダイエティシャン

松江城 (2023/11/05 訪問)

今回は裏門から攻城
搦手に立ち寄りました。

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カズサン

福岡城跡はゴルフ場の中 (2023/10/07 訪問)

 備前福岡城は関ケ原後黒田長政が筑前52万石を拝領し先祖の出身地をあやかり博多の町と武士の町を福岡と名付けた備前福岡の市に当たる城跡です。現在は吉井川の河川敷に長船カントリークラブがゴルフ場として運営してそのど真ん中に城跡が遺っています。

 駐車場:福岡城跡の西河川敷内駐車利用
 参考資料:城郭放浪記さん、グーグルマップに依る。

 備中備前未踏の城廻5城目の乙子城をスズメバチで早々に撤退し、吉井川沿いを約11~12km程走り、6城目の備前福岡城跡へ、先ずは長船カントリークラブのフロントを訪ね福岡城跡への探訪と入場をお願いする、探訪日は土曜日でゴルフ場はプレーヤーで一杯、進入ルートを教わると、ゴルフ場北の端に在るサッカー場方向から河川敷に降りて吉川沿いの砂利道を走行して城跡地へ、プレーヤーとゴルフボールに注意して行動してくださいとのこと。県道464号線から河川敷に降りる道が逆ターンしてますので切り返しで進入と成ります。
 ゴルフ場西側で吉井川近くの独立した丘が城跡と成り頂上は岩盤、上に稲荷神社が鎮座してる、若干の堀が周囲に存在してる、南側の鳥居傍に福岡城跡の鳥居、またその近くに渋染一揆結集の地の石碑と案内板も有ります。
 
 ゴルファーに注意しての探訪、ありがとうございました、奇麗に遺跡が守られています。

 次は7城目の茶臼山城へ向かいます。
 
 

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にのまる

屏風折れ土塀礎石 (2023/09/08 訪問)

二の丸土塁北東部の肴町向櫓を過ぎ艮櫓に向かって歩いていると「屏風折れ土塀」の説明が目に入りました。
え?どこどこ??と慌てて足元をさがすと鋭角に折れ曲がった礎石が!
すごーい✨感動っ!!

屏風折れ土塀といえば2年前に見に行った西尾城(愛知県西尾市)が思い出されます。西尾城は絵図からの復元でしたが、ここにあるのは「現存遺構として全国で初めて検出された」屏風折れ土塀の礎石。
発掘調査では北門から艮櫓にかけて(北東部)検出されたそうです。ほかのところと同様、2時期の礎石が確認され、古い時期のものは内折れで、新しく構築されたものが外折れとのこと。また、江戸時代後期の秋元氏の時代の城絵図には北側~西側には土塀は描かれていないそうで、再構築しなかった理由など、興味がつきません。(※)

そしてついに二の丸土塁最後の艮櫓に到着しました。大きい上に天端石まで残存していたのだと!発掘された瓦は5.5tと肴町向櫓をさらに上まわっています。
二の丸土塁には全部で6基の櫓。(三重櫓跡は写真⑨、乾天狗櫓跡は⑩)
南門からスタートして2時間たっぷり楽しみながら1周半しました。
3回目の訪問でやっと二の丸(霞城公園)の全体像が掴め、楽しみ方がわかってきた感じです。公園散歩から城跡探索にレベルを上げられて、見える世界ががらりと変わって、行ってよかったなぁと思いました。時間をかけて可能な限り隅々まで歩く。城を理解するにはやはりこれがいちばんです。駅近の公園整備された平城なので味わい深い遺構は多くないと勝手に決めつけていた過去の自分を、見る目がなかっただけじゃないかと叱ってやりたいです。
<つづく>

(※)「史跡山形城 発掘調査現地説明会資料(山形市教育委員会 社会教育青少年課)」を参照しました。

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カズサン

スズメバチ注意‼で麓のみ撤退 (2023/10/07 訪問)

 岡山城のリニューアル天守閣の登り金色に輝く鯱、鬼瓦、丸軒瓦を写真に収め終えて、南東約12~13km程に在る、備中備前未踏の城廻5城目の乙子城を目指す、児島湾、吉井川に面した小島の様な孤立城郭、木々が色付いていました。

 駐車場:特に無し、西麓の大国主命神社鳥居前の広い三角コーナー、交通量少ない。
 参考資料:古城盛衰記さん、余湖図コレクションさん、グーグルマップ、城びとによる。

 赤い城さんの投稿でスズメバチの被害に遭われた内容は確認して居ましたので、丁度小学生高学年の児童が二人登城口に当たる鳥居の間に座って居ましたので、スズメバチの飛翔状況を聞いたら「居るみたい飛んでるようですが巣の場所はわからないとの事」対処する薬など持ち合わせ無く、麓あたりと、「宇喜田直家国とりはじまりの地」大きな自然石に刻まれた碑を確認、碑を入れて木々が色付いた乙子城を撮影。

 宇喜田直家の時代には干拓のされて居ないでしょうから、児島湾に突出た先の小島に城郭を構えて児島湾、瀬戸内海、吉井川の海運水運の睨み監視に有効な立地だったのでしょう、岡山城からR2を走行、広い広い田圃の中を走ってる様でしたが昔は湾で海だったのですね。

 他の登城口は、古城盛衰記さん情報によると南東麓の集落乙子神社側からの登城が可能なようです。

 この後は吉井川上流約11km程の福岡城に向かいます。
 
 
 

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天守無しがアツい

金沢城と兼六園 (2014/09/14 訪問)

金沢駅から20分くらい歩いた場所にまずあったのは金沢城 ここは加賀百万石・前田氏の居城だった城です。敷地はとても広く、芝生が多くて「北陸の皇居」と名付けたくなるほどでした。

ここには天守閣は無く、櫓がいくつかあるのみで、無料と有料の施設があり、無料のみ見学しました。そこは近年復元したモノと思われ、造りは新しかったです。城の城壁を造る工程、城壁の地層、戦国期における前田氏に関する説明が展示されてました

この城の道を挟んだ隣が、かの有名な兼六園でした。橋を渡り昼食を摂ったあと、入園。さすが観光名所というだけあって、遠くから来たと思われる方、外国客も少なからず見受けられました

ここは敷地が広く、福井市にある養浩館庭園の何倍もありました 中には小高い丘や屋敷などがあり、都内の庭園(六義園)を思わせる雰囲気がありました。

せっかく来た地方の名所なので、帰りのバスの時間まで時間の許す限り、この中をうろつきました 添付画像は言うまでもなく、ここ兼六園で写したものです。我ながらにキレイに、そして澄んだ景色を撮れたと思います

ここは養浩館庭園と異なり、屋敷の中には入れず、ただ歩くだけでしたが、こういう自然の中を巡るのは、何か心が癒される気がします。和風ならではの雰囲気がそうさせるのでしょうか…

休憩所に「あんころ餅」という金沢の名物を提供する店がありました。せっかくなので注文。一言で言うと、あんこに包まれた白い団子です

それを一緒に出してもらったお茶と一緒にいただき、のんびりしました… あんころ餅のあんこが甘くて、ちょっと口の中でベトベトするくらいでした。お茶を飲んで味のバランスをとりつつ、計5個の餅をゴザの敷いた椅子の上で食しました

ラストとして庭園に話を戻すと、敷地の広さ・景色の壮大さは兼六園の方が養浩館庭園より勝っていました。けれど屋敷の中に入れた・そこから池を間近で見れるそのレアさを意識すると、決して兼六園に劣ってないと思うし、むしろこっち(養浩館庭園)の方が印象に残ってしまったのですよね…。私には

そう、養浩館庭園はまさに「かなりの穴場」だった。だから「養浩館庭園と兼六園、もう一度行けるとすればどっち?」と聞かれたら、前者を選択するでしょう…。

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HKISD

龍野城散策 (2023/11/17 訪問)

どこも整備されていて非常に散策しやすかったです。
城跡も素晴らしいですが城下町の町並みが良かったです。

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天守無しがアツい

あえて復元しない (2016/06/29 訪問)

仙台駅から電車で15分程度の場所に国府多賀城駅があります。そこから少し歩くと見えてくるのが多賀城跡です。

奈良時代あたりに、ここ多賀城は国の重要拠点であり、大宰府と並ぶ日本の中心地でした。塀でぐるりと囲まれた中に本殿があり、そこで公務が行われていたという様子が案内板の想像図に描かれていました。

貴族、城の入口を警備する守衛、そして本殿の前にいる庶民。『羅生門』の世界もこんな感じなのかなと連想しました。

といってもそれはあくまで1000年以上前の様子を誰かがイメージしたもの。今ある多賀城は、柱の跡があるだけの空地。多賀城址とも言えました。

瑞鳳殿、つまり江戸期に建立された建物は関連資料が多いのか復元されることが多いと思います。

しかし多賀城のような奈良時代、1000年以上前のものは資料が少ないのか、復元されず跡地を公開し、想像図を案内板に掲載することが多いようです。下手に復元すると実際あったであろう建物とかなり異なってしまい、その史跡の価値を下げてしまう恐れがあるからかもしれません…。

今回の多賀城を見て、「ここって大宰府に似ているな」と思えました。あそこも柱の跡があるだけの城跡。1000年以上も前の史跡なので。

柱の跡があるだけの空地なので、そんなに面白くありませんでした…。本殿跡まで見てから駅方向に引き返し、駅前で「あやめ祭り」がおこなわれていて、数多くのあやめが植えられていたのでそれも見物して過ごしました

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