大野城は蟹江城の支城で、小牧・長久手の戦いの時の城主は後の常陸国・牛久藩の初代城主山口重政公です。城址には立派な城址碑が立ち、案内板が設置されています。重政公は母を人質に取られながらも羽柴方に与せず敵を撃破したと案内板にはありますが。オカンはどうなったんだろう?
その後、大久保忠隣の養女と嫡男が勝手に縁組した咎で改易になりますが、大阪夏の陣での一族の奮戦により再び牛久・1万5千石に復帰したとのことです。この戦いで次男(長男?)・重信は木村重成に討ち取られ、弟の重克も戦死したとありますが、重成の子孫は牛久藩に召し抱えられたとされる伝説があるそうです(小川氏に改姓)。
池田輝政の件も有りますが、身内を討ち取った相手を疎かにしないことが供養につながるのかもしれません。
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