おおのじょう

大野城

愛知県愛西市

別名 : 大野城砦、宮山城
旧国名 : 尾張

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しんちゃん

城主は牛久藩の初代藩主 (2024/03/10 訪問)

大野城は蟹江城の支城で、小牧・長久手の戦いの時の城主は後の常陸国・牛久藩の初代城主山口重政公です。城址には立派な城址碑が立ち、案内板が設置されています。重政公は母を人質に取られながらも羽柴方に与せず敵を撃破したと案内板にはありますが。オカンはどうなったんだろう?
その後、大久保忠隣の養女と嫡男が勝手に縁組した咎で改易になりますが、大阪夏の陣での一族の奮戦により再び牛久・1万5千石に復帰したとのことです。この戦いで次男(長男?)・重信は木村重成に討ち取られ、弟の重克も戦死したとありますが、重成の子孫は牛久藩に召し抱えられたとされる伝説があるそうです(小川氏に改姓)。
池田輝政の件も有りますが、身内を討ち取った相手を疎かにしないことが供養につながるのかもしれません。

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小城小次郎

山口重政、さすがに骨がある (2023/04/15 訪問)

福岡県でも福井県でもなく、愛知県でも常滑市ではなく愛西市にある大野城。石碑一本の城だが小牧長久手の戦いではここで山口重政が羽柴方の滝川勢の攻撃を凌ぎ切った。常陸牛久1万石の祖となる人物はさすがに骨がある。

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ぴーかる

大野城 (2023/07/22 訪問)

【大野城】
<駐車場他>城跡碑横に停車できます。
<交通手段>車

<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾16城目。大野城は1584年に織田信雄の家臣佐久間信栄によって蟹江城の支城の1つとして築城されます。同年の小牧長久手の戦いでは佐久間信栄の家臣山口重政が城を守り秀吉軍からの攻撃から城を守り抜きました。城の廃城年は不明ですが1586年の天正大地震で損害を受けてそのまま廃城になったようです。山口重政は主君の佐久間信栄が蟹江城を落城させてしまった為に失脚し織田信雄の直臣になったようで信雄改易後の下野国までつき従います。その後徳川秀忠に仕えて関ヶ原後に牛久1万石⇒嫡男の無届婚姻で改易⇒大坂の陣で15000石復領します。
 現在は遺構は残されておらず田んぼの真ん中にぽつんとある城跡碑、その背後に堀池があります。

<満足度>◆◇◇

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キンヤ

日光川ウォーターパーク水郷の直ぐ横にある城跡 (2020/12/13 訪問)

小牧・長久手の戦いの前哨戦である蟹江合戦の時、城主の山口重政は母を人質に取られながらも徳川方に味方し、秀吉方の敵を撃破したと云われます。

低い土地にありますので、遺構は震災や水害で失われたことが想像されますが、道路に分かり易い標識があり、立派な石碑もあり、ありがたいです。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 佐久間信栄
築城年 天正12年(1584)
主な城主 佐久間信栄、山口重政
廃城年 天正13年(1585)?
遺構 消滅
指定文化財 市史跡(大野城址)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県愛西市大字郷前(地図は石碑の場所を示す)
問い合わせ先 愛西市役所八開庁舎教育委員会社会教育課
問い合わせ先電話番号 0567-37-0231