松本市里山辺(古くは束間郡山辺郷)は松本市街の東郊、美ヶ原高原の西麓に当たります。弥生〜古墳時代には現在の松本市街中心地域は湿地、沼沢地で居住に適さず、その周囲特に北東から南にかけての地域に人々が多く居住していたようです。この内の東部が里山辺地域で一帯は古代から行政の中心地となることが多く、平安時代以降この近辺に信濃国府が置かれ、また室町時代末期には薄川を挟んで信濃守護小笠原氏の拠点となる林城が造営されました。山麓にはいくつかの温泉が散在し、かつて聖武天皇が行宮の造営を計画した記録もあります。
この辺りからは信濃府中(のちの松本)の南から北東に連なる山並に、府中をぐるりと取り囲むいくつもの山城を望むことができます。
⚪︎針塚古墳
幅約2mの周溝をめぐらした円墳で直径約20m、高さは約2mで、高句麗の墓制に近い積石塚古墳。美ヶ原から流下する薄(すすき)川の右岸段丘上にあり、副葬品などから5世紀後半の築造とされています。このほかにもかつてはいくつかの古墳がありました。
奈良時代に松本地域の二人の高句麗系帰化人が、先祖より長らく住み続けて来たことから日本姓を賜るよう朝廷に願い出て、それぞれ田河、須々岐の姓が下賜されたという記録があります。その内の須々岐氏の祖先の墳墓なのではないかと私は思っています。近くには須々岐水(すすきかわ)神社もあります。積石塚は九州から関東までの範囲に見られ、特に香川県から徳島県の一部、長野県から山梨県にかけて多く、日本海側には少ないのが特徴です。
⚪︎林城(林大城・林子城)
信濃守護小笠原清宗が1459年に築城し、曾孫小笠原長棟が井川城(松本駅の南約1キロ)から同氏の本拠をここに移しました。谷を挟んで大城と小城があり、かなり規模の大きい山城で、それぞれ遺構がよく残っています。年代的には小城の方が後に築かれたようで、より山城としての完成度が高いと思います。井川城と共に国の史跡「小笠原氏城跡」に指定され、域内はよく整備されています。麓には館町が形成され地名に名残を留めています。
⚪︎水番(すいばん)城
林大城から谷を隔てた東にあり、林城の水之手を守るために築かれた支城で、竪堀、土塁、石積が残る。
⚪︎宮原城
諏訪氏系山家氏に対する小笠原氏の砦として築かれたという説があり、要害城とも呼ばれる。主郭と二つの副郭があり、傾斜に沿って四重の竪堀が残る。
⚪︎山家(やまべ)城
鎌倉時代末期に諏訪氏系山家氏によって築かれたとされる。この山家氏は1481年に小笠原長時によって滅ぼされ、その後16世紀初頭に播州姫路より小笠原氏系の折野昌治が移居、山家氏を称し小笠原貞朝に服属した。この時に現在の縄張が整備され、小笠原氏が敗れた後も武田氏によって改修、増補されたとされる。縄張はかなり広く、主郭の土塁、東側石垣や五条の連続堀がよく残る。
⚪︎霜降(しもふり)城
もともと桐原氏の支城として造営されたらしいとのこと。「下振(しもふり)」とも書き、他に上振城もあったという。規模は大きくないが縄張は整っているように見える。
⚪︎桐原城
15世紀に小笠原氏の配下であった桐原氏によって築かれたという。縄張がかなり複雑で竪堀、石積みがよく残っている。
⚪︎犬甘(いぬかい)城
松本北方の丘陵地帯から岬のように突き出した蟻ヶ崎にある。中世以降この地を支配した地頭犬甘氏の城で、南北三百メートルにわたり主郭と三つの副郭が連なる。
一帯は美ヶ原、浅間温泉、松本城下から安曇野、北アルプスをぐるりと見渡せ眺望が素晴らしい。ここに1843年松本藩主戸田光庸(みつつね)が桜や楓を植えさせ、民と共に楽しめるようにと一般に解放した。これが城山公園で、現在も桜の名所となっている。
この他、北東から北にかけて横谷入城、稲倉(しなくら)城、茶臼山城、早落城、伊深城、平瀬城等があります。
⚪︎兎川寺と旧山辺学校
針塚古墳のすぐ近くには飛鳥時代の創建と言われ小笠原氏の祈願寺であった真言宗の兎川(とせん)寺があります。明治維新の激しい廃仏毀釈によって多くが失われましたが、それもまた歴史の流れというものでしょう。
また道を挟んで明治初期の擬洋風建築、旧山辺学校校舎(県宝)があります。国宝旧開智学校の建築にも加わった棟梁佐々木喜十によるもので、意匠は旧開智学校によく似ていますが屋根は寄棟ではなく入母屋、車寄は唐破風ではなく千鳥破風、窓はガラスではなく障子と、異なる所も多くあります。華やかな開智学校に比べると少し地味な印象ですが、教育熱心な土地柄を感じます。内部は資料館として公開されています。
⚪︎信濃国府推定地域
ここと松本市街地の中間南北1kmほどの範囲に信濃国府が所在(平安初期以降)したと推定されます。地名等にその名残が見られるとされています。
この他、近くには多くの民芸品を蔵する松本民藝館、室町時代の本殿を持つ筑摩神社(重文)、大正時代の建築で現存する数少ない旧制高校校舎である旧制松本高校校舎(重文)があります。少し離れていますが東日本最古級とされる前方後方墳、弘法山古墳(国史跡)もあります。
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