大阪城の出丸ということで、ここで投稿させていただきます。大阪明星学園付近にあったとされているようです。大坂明星学園グランドの横に真田丸顕彰碑がありました。道を挟んだ心眼寺にも石碑と真田信繁の墓があります。
真田の抜穴跡が近くの三光神社にあるのですが、失念していました。昔に一度行ったことがあり知っていたはずですが、帰って来てから思い出しました。痛恨の極みです。
鶴橋駅から徒歩15分くらいです。
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2023/09/14 22:26
真田丸 (2023/09/14 訪問)
大阪城の出丸ということで、ここで投稿させていただきます。大阪明星学園付近にあったとされているようです。大坂明星学園グランドの横に真田丸顕彰碑がありました。道を挟んだ心眼寺にも石碑と真田信繁の墓があります。
真田の抜穴跡が近くの三光神社にあるのですが、失念していました。昔に一度行ったことがあり知っていたはずですが、帰って来てから思い出しました。痛恨の極みです。
鶴橋駅から徒歩15分くらいです。
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2023/09/14 22:19
七松八幡神社 (2023/09/14 訪問)
七松八幡神社付近が城址です。「七松城落城 なくなられた武士及び家族 故六百二十余人之碑」が境内にありました。
JR立花駅から徒歩約10分で行くことができます。
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2023/09/14 22:14
2023/09/14 22:06
天保山公園 (2023/09/14 訪問)
幕末に幕府によって築造された台場ですが遺構はないと思われます。昔、海遊館に来たことはありましたが、天保山は初めてでした。
大阪メトロ中央線大阪港駅より徒歩約5分です。駅でお客さんは多く降りますが、皆さんは海遊館に向かっているようでした。天保山方面へ歩いていたのは自分ひとりでした。
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2023/09/14 22:00
2023/09/14 21:55
ホテル (2023/09/14 訪問)
奈良時代に行基が創建した寺ですが、戦国時代は石山本願寺の支城となっていたようです。なんば駅から近いのですが、遺構もなくホテルを建設中なので行くのを躊躇していました。近くまで来たので行って来ました。ホテルの1階に御寺の本堂があるという作りでしょうか。
なんば駅から徒歩5分くらいで行けます。
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2023/09/14 12:43
そうだったのか。モヤモヤも残る。 (2023/08/28 訪問)
9/1投稿の続きです。正面登山口から、屏風岩の上の台地に至りました。
船上山は、大山から流れ出た溶岩からなる、溶岩台地です。際はそそりたっていますが、台地上は、平坦で広かったです。後醍醐天皇の御座所跡(推定)へ向かいました。鎌倉時代、この台地には、山岳仏教が栄え、寺、僧坊が立ち並んでいたとのことで、土塁跡も見られます。推定御座所には、高い土塁が。
一地方豪族の名和氏が、船上山城のような大きな城を持っていたのが、不思議でしたが、山岳仏教の寺を借用したとわかり、納得。
幕府軍との戦いの有り様は、どうだったのでしょう。一ノ木戸まで攻め込まれたともありますが、今、一ノ木戸と言われている石垣、石段は、平坦な場所にあり、御座所まで近いです。ここまで攻められたらもうヤバイんとちゃう。また、石垣、石段は江戸時代のものと。
山上の説明板の地図(写真⑦)を見ると、船上山麓に、「船上山古戦場」と書かれています。また、東坂入り口の説明板には、「三日間の戦い」とあり、山上休憩所にあった琴浦町パンフには、「一日の戦いで」とあり、私本太平記には、「四日間の戦い」と。籠城・攻め込まれ&出撃と一筋縄でない戦いであったと思われますが、もやもやが残ります。
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2023/09/14 08:22
中堀めぐり(鳥居先門~清水門) (2023/07/22 訪問)
(続き)
惣社門の東には鳥居先門がある…はずですが、遺構はもとより説明板もありません。ただ、その名からも播磨国総社・射楯兵主神社の鳥居前にあったのは間違いなさそうなので、鳥居の写真を撮って良しとしておきます。
鳥居先門の東で中堀は北に折れ、城南線を渡ったところからまた中堀が復活します。そして中堀沿いに北に少し行くと内京口門です。中堀に架かる土橋の先は学校になっていて門内の様子は窺えませんが、枡形門だったようです。内京口門から久長門へ内堀沿いの道を走っていると、路面に何かの表示がされていることに気付きました。姫ちゃりを停めて説明書のタイルを読んでみると「東部中濠石積跡」とあり、かつての中堀の石積みの想定位置が表示されているようです。現在よりもっと堀幅が広かったんですね。久長門は真ん中を広い道路が通っていて枡形は失われていますが、道路の両脇に石垣が遺っています。
中堀は久長門からさらに北に続き、やがて西に折れて野里門に至ります。野里門は県道が通っていて枡形の石垣は見られませんが、中堀沿いの土塁はしっかりと遺っていました。中堀は野里門から西に続き、中曲輪の北西隅で南に折れて清水門で中堀一周です。清水門には枡形内門の石垣が遺り、門の名のもとになった鷺の清水と呼ばれる石組井戸も見られます。
さて、中堀は清水門までだとしても、その先は船場川を外堀と考えるのかどうかわからないので、とりあえず船場川沿いに南下して、埋門に向かいました(続く)。
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2023/09/14 08:09
中堀めぐり(市橋門~惣社門) (2023/07/22 訪問)
(続き)
中堀沿いには11箇所の門が設けられています。北勢隠門の西側には船場川に平行して中堀が設けられ、その間に築かれた堤は千姫の小径として整備されています。千姫の小径を南西にたどると市橋門に至ります。門の中を大手門前から続く広い道路(城南線)が通っていますが、道路脇に門の石垣が遺されています。市之橋で船場川を渡ったところには千姫の小径にちなんでか千姫の銅像も建てられていました。
千姫の小径をさらに南下し、中堀が途切れたところに車門があります。二重枡形で厳重に守られた門で、外門、中門、内門に加えて船場川に通じた車道門からなり、石垣が状態良く遺っています。門の内側を覗いてみると、門の石垣には合坂が設けられていました。車門の南側にも中堀は続いていますが、現在は水は張られておらず、空堀状になっています。
車門の南にある埋門は中曲輪の南西隅にあたることから、枡形の内門に続いて二重の隅櫓が設けられていたようです。埋門で中堀は東に折れて続いていましたが、国道2号線建設のため埋め立てられてしまいました。それでも国道の北側には中堀の土塁が惣社門付近まで遺っており、中堀の存在を後世に伝えるため国道二号線建設之碑が建てられています。
埋門から国道沿いに東に進むと鵰(くまたか)門があります。枡形の石垣が完存する見事な遺構であるばかりでなく、信号機が設けられて車が次々と行き交う現役の門でもあります。先が見通せない枡形なんて車道としてはどう考えても不便であり危険なはずですが、その上で遺されているというのは有難いことだなぁ、と。
鵰門の東にはかつての大手道筋にあたる中ノ門。中堀の埋め立ての際に門の石垣の大部分は取り壊され一部が遺るのみですが、国道沿いの歩道には発掘調査で確認された石垣の位置が黒い鉄平石で示されています。中ノ門から大手前通りを渡って惣社門へ。枡形の石垣が一部遺るほか、発掘調査で検出した石垣の断面構造や暗渠についての説明がされています(続く)。
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2023/09/14 07:14
世界遺産登録30周年記念 (2023/08/20 訪問)
小天守と渡櫓の特別公開に行ってきました。2022年にも公開されていたようですが、私にとっては乾小天守の中に入るのは初めてです。あけ放たれた窓から間近に見る天守や眺望は素晴らしいものでした。特別公開のチケットのデザインは世界遺産登録25周年記念の時と同じ復刻品でしたが、紙が薄手ながらもレザックになっていて、ちょっと高級感が増していました。折廻り櫓の中に入るのも初めてでした。朝田辰兵衛さんとにのまるさんがやりとりされていたるの門も門扉の礎石も含めてしっかりチェックしておきました。デジタル一眼レフを買って初めて訪れた2003年にも通り抜けていますが、その頃は今のようにこの先は進んではいけない的な表示はありませんでした。
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2023/09/14 05:11
2023/09/14 05:06
呟き (2023/07/16 訪問)
二戸駅下車、二戸市観光協会より自転車をレンタル、約12分。 発掘品や展示を埋蔵文化センターで見学し、二の丸より登城。本丸の石垣や空堀、整備状況に感心しつつ散策しました。
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2023/09/14 00:24
佐々流築城術の傑作。ブラボー!(野太い声で) (2021/11/19 訪問)
松根城は佐々成政の築いた山城の中でも、かなりの傑作と言って良い城だと思います。
小原道が大手まで続いていて、そこから先は枡形のような虎口(喰い違い虎口)が
本丸に向かって幾つも続き、途中に馬出しも備えているようです。大軍の侵入を頑なに拒む
佐々流築城術は健在で、城域の左右に深い堀が南北にめぐり、堀切や竪堀も郭ごとに
配されているようです。一乗寺城や和田山城、源氏ケ峰城も素晴らしかったですが、
松根城はさらに輪をかけて素晴らしいですね。あえて言うならブラボー!です。(野太い声で)
古くは寿永2年(1183)木曽義仲がここに布陣したと伝わります。倶利伽羅峠古戦場はここから
北に6km弱の距離になります。15世紀後半~16世紀中ごろまでは一揆方の城とされ、
天正12年には佐々成政が松根城・朝日山城を手中に収めており、前田利家との戦いでは両城が
緒戦の舞台になったが利家重臣・村井長頼に落とされたとのことです。
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2023/09/13 22:54
本丸は二段構造で土塁を残す。松岡寺とセットで訪問するべき。 (2021/11/21 訪問)
波佐谷城は前身である松岡寺とセットで訪問したほうが良いでしょう。松岡寺跡も城の
郭として機能していたようで一部、土塁を残しているようです。
まずは北東の出丸から松岡寺に向かいます。遺構を確認した後は道標に従い本丸を目指します。
本丸は二段の構造になっていて、上段の郭の周囲にはわずかですが土塁が残ります。
松岡寺は蓮如の三子蓮綱兼祐の創建とされ、「三山の大坊主」の一つとされますが享禄4年(1531)
の錯乱で焼失。そのあと宇津呂丹波が城郭として築いたとあります。丹波は一揆方の武将の一人ですが
天正8年(1580)柴田勝家によって城は落とされ、丹波とその子、藤六の首は織田信長の下に運ばれました。
その後、波佐谷城には信長家臣、村上勝頼の一族の村上勝左衛門が入ったとされています。
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2023/09/13 22:25
2023/09/13 21:45
2023/09/13 19:50
蟹江城 (2023/07/22 訪問)
【蟹江城】
<駐車場他>産業文化会館駐車場数十台分あり。
<交通手段>車
<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾ラスト17城目。蟹江城の築城年は定かではなく主に3つの説があるようで、
①蟹江城址碑文に「永享年間(1429~ 1440年)に北条時任が城塞を築いたのがはじまりとされる。」とあります。
②既に織田信長に仕えていた滝川一益が長島一向一揆で長島城に籠城していた旧知の武将、服部友定を騙して信長から長島を守るために本願寺に金を出させて築城し築城後に滝川一益が城主として入り騙し取ったとする。
③長島の戦い後に滝川一益が信長から恩賞として領地をもらい築城した。
この3つがあるようです。いずれにせよ戦国時代には滝川一益の城となり、一益は柴田勝家に味方して秀吉に敗れるのでその後織田信雄家臣の佐久間信栄の城となります。小牧長久手の戦いでは返り咲きを試みる秀吉方の滝川一益の調略で城を奪われ、家康・信雄軍が反撃総攻撃を仕掛けて(蟹江合戦)いる途中で小牧長久手合戦は和睦します。城は1586年の天正大地震で壊滅してそのまま廃城となったようです。
現在城跡碑と城跡碑のある近くに本丸井戸跡、産業文化会館から隣接して民族歴史資料館に蟹江合戦の資料があります。城跡碑は城跡碑公園になっていて駐輪場もあり立派なちょこ城です。
この城にて今回の旅終了、1日17城巡りは自己最多記録でしたが城跡碑ばかりで、どこがどの城だったか混同してしまう感じでした。小牧長久手の合戦に関係する城跡が多く、小牧長久手の合戦は尾張国北東の犬山城から最後の蟹江・大野城まで尾張国の国境全面にわたって展開されていた事が分かって勉強になりました。走行距離416㎞無事走破。
<満足度>◆◇◇
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2023/09/13 19:09
開館時間前の入館,ありがとうございました! (2023/07/08 訪問)
杵築城の開館時間は,午前10時。15分ほど前からうろついていたら,開けていただけました。大変にありがとうございました!
どこから来たのか聞かれ,「越後です」と返答してもすぐに理解されていたようで,逆に驚きました。以前,若桜では「越後ってどこ?」という状況になっていましたので。
登城途中に駐車場があり,そこから眺める模擬天守も一興の趣がありました。
「杵築」はもともと「木付」。城址碑も「木付」表記です。これに関しては,正徳2(1712)年,能見松平氏3代藩主重休(しげやす)の時,6代将軍徳川家宣からの朱印状において「木付」の文字が「杵築」になっていたので,幕府に伺いをたてて以降,「杵築」と表記することになったそうです。
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2023/09/13 08:24
内堀めぐり (2023/07/22 訪問)
(続き)
この日のもうひとつのお目当ては姫路城の堀めぐりです。姫路城の堀は江戸城と同様にらせん状にめぐらされていて、内曲輪の八頭門の脇を起点に反時計回りに内堀、中堀、外堀と約3周、野里掘留町までの総延長は約10kmに及びます。昨秋、家族と訪れた際に野里門付近の中堀と土塁が思いのほか明瞭に遺っているのを見て、次に来る時はきっと…と思い定めており、当初はお城EXPOにあわせての予定でしたが、堀めぐりに利用するつもりの姫ちゃりが9月から10月末までシステム更新のため利用できなくなることもあって、予定を繰り上げて発掘調査現地説明会にあわせて実行しました。
えきそば大手前店の前で姫ちゃりをレンタルして、まずは内堀沿いに設けられた6箇所の門のひとつ、八頭門へ。内曲輪の北東隅には酒井氏の歴代城主を祀った姫路神社が鎮座しており、入口脇に八頭門の石垣と土塁が遺っています。そして八頭門の北側から始まった内堀は、姫山樹林に沿って西から南西に弧を描いて南勢隠門へと続きます。南勢隠門は石垣で通路を屈曲させた門で、入口の「見通しが悪いため通行にご注意下さい」の看板がその効果のほどを物語っています。南勢隠門の先は内堀に沿って好古園の白壁が続き、内堀の向こうには西の丸や三の丸の石垣が聳えています。このあたりから堀幅は広くなり、桜門付近では最大幅は50m近くなるんだとか。かつての桜門は奥の桐一門と桐二門とあわせて二重枡形を構成する大手門でしたが、現在は桜門橋の東詰に門跡の石垣がわずかに遺るのみです。
内堀のほとんどは現存していますが、三の丸東側の御作事所出丸東側の内堀は埋め立てられて動物園の一部になっており、あわせて出丸に設けられていた絵図ノ門も消滅しています。地図と照らし合わせると動物園の通用門あたりが門跡のようにも思いますが…。内堀は動物園の間を抜けて北に続き、姫路城の搦手にあたる喜斎門に至ります。喜斎門の石垣は内側に合坂を備え、状態良く遺っています。喜斎門から内堀を北に進むと姫路神社北東隅の石垣に鬼門除けの隅落としが施されています。ここで起点から一周になりますが、内堀は勢隠曲輪の北側をもう少し西に続いて、北勢隠門で中堀に接続します(続く)。
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2023/09/13 07:47
犬甘城(城びと未登録)より。 (2023/06/28 訪問)
いつどこでだったかは覚えていないのですが、松本城を見渡せる展望台のある「城山(じょうやま)公園」のあることを知り、いつかきっと……とチャンスをうかがっていました。
当日は梅雨真っ只中で微妙なお天気でしたが、新宿駅7:00発のあずさ1号で松本へ向かいました。
松本駅から城山公園までは路線バスも出ています。また、ちょっとだけ近くなるお隣のJR北松本駅にも興味をそそられましたが、松本駅から2km強ということなので歩くことにしました。
城山公園の所在地は松本市蟻ケ崎。「蟻」の字の印象が強めですが、途中にあった町名由来碑を読むと「盆地を見渡す突端の村」という意味があったそうで、期待が高まります。
小笠原長時公菩提寺、正麟寺に寄って城山公園入口へ。ここまでは緩い上り坂でしたがここから少し急坂になります。
やがて見えてきた「城山公園案内図」。
そこに描かれていたのは6つの曲輪。
……ちょっと待った!!ここは城なのか!?
“松本城を見下ろしたい”という一途な思いだけでやってきて、「城山公園」という名称に何も思わなかったという愚かさよ……。
ということで、意図せずながら城山公園=犬甘城(いぬかいじょう)に到着しました。
そうとわかれば松本城のことはちょっと置いておいて、犬甘城散策スタートです。
中央広場を横切ると「標高665.7m」の碑。長野県に来たんだなぁという感じがします。スタート地点の松本駅が標高約590mだそうなので自力で登った感はありませんが、スカイツリー・岩殿山・千早城の『武蔵(634m)三兄弟』(たった今命名)より高いところにいます。
三の郭に犬甘城山の説明板がありました。
北側には大きな空堀が下っているのが見えます。
句碑や文学碑、城山公園開放の碑などを読みながら一郭→二郭→四郭と進みます。整備された空堀や起伏が在りし日の城の姿を映し出してくれています。木の葉陰から松本城天守がちらちら見えますが展望台はまだこの先です。
五郭の城山稲荷神社まできました。
松本藩四代藩主の松平直政公が松江に移封になったときに分祀、守護神となったとあります。現在の松江神社と繋がることからこの城山稲荷神社は出世稲荷と言われているとのこと。
4月に行ったばかりの松江城。三の丸跡ににあった松平直政公像や御書院跡の松江神社が思い出されます。遡ればここに行き着くのかと感慨深いものがありました。
六郭の展望台に到着です。
もちろん上ります。
見えました、松本城!
そこそこ距離があるので丸見えということはありませんが、先の、“盆地を見渡す突端の村,蟻ケ崎”を実感します。松本盆地を囲む山々には松本城天守が建築される以前に多くの山城が築かれていたそうで犬甘城もそのひとつ。いつまでも眺めていられる、何度でも来たくなる景観でした。
また、松本城と反対側、奈良井川方面もゆったりとした風の流れを感じるすてきな眺めでした。
夏の照りつける日差しのあとにドバーッと雨が降ったりと晴雨兼用傘が大活躍の中でしたが、一つ願いが叶い、また、サプライズ訪城もありで、とても楽しい時間が過ごせました。
では、松本城へ向かいます!
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