すすまぬまじょう

須々万沼城

山口県周南市

別名 : 沼城、遠徳山城、要害山
旧国名 : 周防

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①ケアハウス周南温泉駐車場の土塁
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征19日目:須々万沼城 (2026/05/29 訪問)

米光城から車で30分くらいで、保福寺駐車場入口(34.123636、131.866151)に着きました。
そこから、保福寺山門入口(34.123519、131.865698)で説明板を確認➡山崎伊豆守興盛自刃の地碑(34.125819、131.865379)➡ケアハウス周南温泉駐車場入口(34.124667、131.865521)に向かい、土塁を確認しました。

須々万沼城は室町時代に築かれたようですが、築城者は不明です。
1555年(弘治元年)からの毛利元就による防長経略では、鞍掛合戦に続く大きな戦となりました。
大内氏の家臣・山崎興盛、江良賢宣らが籠城して、攻め寄せる毛利軍と度々戦いました。
1557年(弘治3年)城内へ毛利軍が乱入。城内に籠った一般人の老若男女1,500人(3,000人とする説もあり)も斬殺され、城将山崎興盛・隆次親子は自害、城主の江良賢宣は城を出て降伏、須々万沼城は落城しました。

現在の城跡は住宅や各種施設が建っており、遺構らしきものはケアハウス周南温泉駐車場に土塁がありました。
保福寺の正門前に説明板がありました。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=三丘嶽城に向かいました。

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しんちゃん

かつては三方を沼に囲まれた要害の城であった (2024/01/02 訪問)

須々万沼城はかつては城の三方を沼に囲まれた要害の城であったようです。現在はケアハウスの敷地内になっていて、かつての要害のイメージは有りません。ケアハウスの南西側の道を行くと、お地蔵さんが並んでいる場所があり、そこに小さな城址碑がありました。おそらくケアハウスの北東側に丸太で組んだ模擬見張台(櫓)があったと思うのですが、老朽化のせいか撤去されたようです。
須々万沼城は室町時代に築かれたとされていますが詳細は不明です。弘治年間には大内氏に属していたようで、山崎興盛、江良賢宣らが籠城して攻め手の毛利軍と戦っています。弘治3年(1557年)に毛利軍の侵入を許し、城内にいたものは悉く惨殺され、山崎興盛・隆次父子は自害し、江良賢宣は城を出て降伏したそうです。保福寺の正門の前に説明版があるようですが見落としてます。

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山崎興盛 (2024/02/22 訪問)

 毛利元就が厳島の戦いに勝利した後、周防長門へ侵攻しますが、その最大の激戦地となったと伝わる城です。当時は3方が沼で堅固な城塞であったようです。遺構はないようですが、保福寺の正面に読みやすい説明板、裏に石碑、沼城主の墓とtodo94さんも投稿されていた解読困難な説明板がありました。

 徳山駅からバスに乗り高樋口バス停で下車し登城しました。徒歩5分くらいです。途中に沼城橋という橋がありました。

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todo94

雪中行軍 (2023/01/28 訪問)

中国山地に分け入ると雪が降ってきて積雪も多くなっていきました。米光城は登城口を探すまでもなく雪が深すぎて断念しました。仕方なく沼城に転戦です。こちらも雪は積もっていましたが、山城ではないのでなんとかなりました。保福寺の前に城の説明板がありますが、城址碑の近くの真っ黒な説明板は殆ど読み取ることが出来ませんでした。毛利隆元が落とすことが出来ず元就が落とした城とのことです。

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城郭情報

分類・構造 輪郭式山城
天守構造 なし
築城主 不明
築城年 室町時代
主な城主 江良賢宣、山崎興盛、山崎隆次
廃城年 弘治3年(1557)
遺構 消滅
再建造物 石碑(沼城址)
住所 山口県周南市須々万本郷字要害