須々万沼城はかつては城の三方を沼に囲まれた要害の城であったようです。現在はケアハウスの敷地内になっていて、かつての要害のイメージは有りません。ケアハウスの南西側の道を行くと、お地蔵さんが並んでいる場所があり、そこに小さな城址碑がありました。おそらくケアハウスの北東側に丸太で組んだ模擬見張台(櫓)があったと思うのですが、老朽化のせいか撤去されたようです。
須々万沼城は室町時代に築かれたとされていますが詳細は不明です。弘治年間には大内氏に属していたようで、山崎興盛、江良賢宣らが籠城して攻め手の毛利軍と戦っています。弘治3年(1557年)に毛利軍の侵入を許し、城内にいたものは悉く惨殺され、山崎興盛・隆次父子は自害し、江良賢宣は城を出て降伏したそうです。保福寺の正門の前に説明版があるようですが見落としてます。
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