ふくおかじょう

福岡城

岡山県瀬戸内市


旧国名 : 備前

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①妙興寺
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征29日目:福岡城 (2026/06/08 訪問)

今日の天気は曇のち15:00頃から雨の予報です。
砥石城から車で20分くらいで、福岡駐車場(34.703892、134.090067)に着き、妙興寺に向かい宇喜多興家と黒田高政の墓を確認しました。

築城年代は定かではないようですが、鎌倉時代末期に頓宮四郎左衛門が築城したとされます。
1336年(建武3年)足利尊氏が九州へ退いて兵を募り再び京へ攻め上った際に、南朝系の頓宮四郎は足利氏によってこの地を追われました。その後は、足利方の佐々木氏、続いて赤松氏の所領となりました。
1350年(観応元年・正平5年)足利直冬が少弐氏と結んで一色氏を駆逐し勢力を拡大すると、足利尊氏自ら直冬討伐の兵を率いて西進し、福岡城にて四十日余りを過ごしています。
1441年(嘉吉元年)嘉吉の乱により赤松氏が没落すると山名教之が備前守護となり、守護代として小鴨大和守が福岡城に入ります。
応仁の乱で再興した赤松政則が文明元年(1469年)福岡城を奪還しました。
1483年(文明15年)赤松氏の被官で金川城主の松田元成がかねてより横領していたことから、赤松正則は浦上則国に元成の討伐を命じました。
松田元成は秘かに通じていた山名氏に援軍を要請し、浦上則国が籠もる福岡城を攻め五十日余りの籠城の末、攻め落としました(福岡合戦)。
勢いにのる松田元成は浦上氏の居城三石城をも攻略せんと攻め寄せたが敗れ、自刃して果てました。
その後も浦上氏が守っていましたが、大永年間(1521年〜1528年)の大洪水により廃城となりました。

妙興寺に宇喜多興家公、黒田高政公の墓があります。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=富田茶臼山城に向かいました。

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カズサン

福岡城跡はゴルフ場の中 (2023/10/07 訪問)

 備前福岡城は関ケ原後黒田長政が筑前52万石を拝領し先祖の出身地をあやかり博多の町と武士の町を福岡と名付けた備前福岡の市に当たる城跡です。現在は吉井川の河川敷に長船カントリークラブがゴルフ場として運営してそのど真ん中に城跡が遺っています。

 駐車場:福岡城跡の西河川敷内駐車利用
 参考資料:城郭放浪記さん、グーグルマップに依る。

 備中備前未踏の城廻5城目の乙子城をスズメバチで早々に撤退し、吉井川沿いを約11~12km程走り、6城目の備前福岡城跡へ、先ずは長船カントリークラブのフロントを訪ね福岡城跡への探訪と入場をお願いする、探訪日は土曜日でゴルフ場はプレーヤーで一杯、進入ルートを教わると、ゴルフ場北の端に在るサッカー場方向から河川敷に降りて吉川沿いの砂利道を走行して城跡地へ、プレーヤーとゴルフボールに注意して行動してくださいとのこと。県道464号線から河川敷に降りる道が逆ターンしてますので切り返しで進入と成ります。
 ゴルフ場西側で吉井川近くの独立した丘が城跡と成り頂上は岩盤、上に稲荷神社が鎮座してる、若干の堀が周囲に存在してる、南側の鳥居傍に福岡城跡の鳥居、またその近くに渋染一揆結集の地の石碑と案内板も有ります。
 
 ゴルファーに注意しての探訪、ありがとうございました、奇麗に遺跡が守られています。

 次は7城目の茶臼山城へ向かいます。
 
 

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小城小次郎

大洪水に街ごと呑まれたお城 (2020/11/21 訪問)

一遍上人絵伝にも登場する福岡市(いち)があった場所で「福岡千軒」とも呼ばれた大都会だったが大洪水による吉井川の流路変更でお城もろとも川の底に消えた。調査されれば草戸千軒に匹敵するすごい街並みが出てくるのだろう。

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中川藤兵衛尉

福岡城 (2019/08/14 訪問)

九州の「福岡」の由来となった地。この城は備前守護・赤松氏が陣城として籠ったり備前守護代が政庁として用いたりと、なかなか有用だったそうです。川の氾濫で使えなくなりましたが……

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 頓宮四郎左衛門
築城年 鎌倉時代後期
主な改修者 小鴨大和守、赤松政則
主な城主 頓宮四郎左衛門、赤松氏、小鴨大和守、浦上氏
遺構 曲輪
再建造物 石碑、説明板
住所 岡山県瀬戸内市長船町福岡
問い合わせ先 瀬戸内市総務部秘書広報課
問い合わせ先電話番号 0869-24-7095