たがみやまじょう

田上山城

滋賀県長浜市

別名 : 田上山砦、田神山城、木之本城
旧国名 : 近江

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登城口
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赤い城

賤ケ岳の戦いの羽柴軍本陣 (2026/07/12 訪問)

朽木陣屋から湖北を走り木之本へ、麓の意冨布良神社に車を置きます。
神社より登って行きますが、途中林道に車があったのでここまでは車でも行けそうです。

まず出会ったのが古墳、ここも城の一部なのでしょうか?
さらに登ると上之宮跡、南の堀切があります。
もう少し登ると南郭、さらに主郭を経て堀切にかかる土橋を渡ると馬出郭ヘ。
その先の北外郭は広く、虎口は喰違で横矢枡形となっています。

引き返し、主郭西側の犬走りを歩いて西郭ヘ。
主郭の西側を守り、北国街道を監視します。
こちらも先端部の土塁に横矢枡形があり、その先に堀切があります。

賤ケ岳の戦いで羽柴軍が本陣とした城で秀長が築きました。
秀吉は田上山城を本陣として前方に二本の防御ラインとなるように陣城群を築き柴田軍と対峙しました。
陣城なのでコンパクトな造りですが見どころの多い城でした。
綺麗に整備されていて歩きやすい、関係者の皆さんに感謝です😊

【見どころ】
 ・主郭と馬出郭の間の土橋と堀切
 ・北外郭の虎口
 ・西郭の虎口

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昌官忠

(東海&関西)遠征4日目:田上山城 (2025/05/18 訪問)

木ノ本バスターミナルから徒歩10分くらいで、意富布良神社(おほふら)鳥居前(35.507227、136.226697)に着き、意富布良神社の境内奥の碑「田上山登り口」から登りました。
下城は林道をそのまま下り、小溜池方面に出ました。

築城年代は定かではないようですが、1573年(元亀4年)浅井・朝倉氏と織田氏が争った元亀争乱で、朝倉氏の軍勢が田上山に布陣したそうです。
1583年(天正11年)賎ヶ岳合戦では羽柴秀吉方の砦として秀吉の弟羽柴秀長が布陣し、秀吉方の本陣的な役目を果たしましたが、合戦の勝利にともない利用されなくなりました。

意富布良神社境内横から登城すると、すぐに林道と合流し、林道終点から整備された登山道です。
城址は予想以上に規模が大きく、遺構は土塁や空堀のほか、虎口と竪堀など技巧的な土の城が楽しめます。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=賤ヶ岳砦へ行く為、木ノ本駅の観光案内所へ徒歩で向かいました。

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ヒロケン

陣城と言うなかれ (2025/05/01 訪問)

田上山城は、山頂の主郭を中心にY字型の尾根上に西側、南東側、北側の郭で構成されています。主郭は不等辺四角形で四方を土塁で囲まれており、虎口は北側と西側に配しています。北側の虎口には北郭に通ずる土橋が掛かり北郭の先には、角馬出が配されています。その角馬出の先には北外曲輪があり、その北外曲輪の最北端にはL字型の土塁があり虎口を設けています。
本郭の西虎口の先には西郭があり、主郭の西を防御する郭で北国街道を眼下に見渡せ、西郭の最西端の土塁には横矢枡形が設けれています。主郭の南には南曲輪があり四方を土塁で囲んで横矢折れも確認できます。

田上山城は賤ケ岳の合戦の折、羽柴秀長公が城を築き1万5千の兵を率い布陣した陣城と言われていますが、規模も大きく構造も立派でまさしく城と言っても過言ではないと思います。(私見)

意富布良(おほふら)神社駐車場に車を止め、神社境内の脇から田上山に登る道があり登城しました。登城路・城内は良く整備され、草木生い茂る5月とはいえ、難なく散策できました。
この城の見所は、秀長公が陣を敷いた城とはいえ、合戦をした記録もなく、すぐに陣を払っている為、遺構が良好に残り土塁、土橋、郭、堀切がはっきり分かる所だと思います。

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ぴーかる

田上山砦 (2024/12/01 訪問)

【田上山砦】
<駐車場他>城跡南600m手前の登城口まで車で行けます。3台分程のスペースがありますが、途中道が悪くバンパー下を擦る恐れがある箇所があります。麓付近の小溜池<35.508464, 136.228090>付近に駐車して徒歩で登っても無難かと。
<交通手段>車

<見所>堀切・虎口・土塁
<感想>日帰り湖北陣城攻め旅2城目。現地説明板によると「信長公記」には1573年に朝倉義景が田上山に布陣したとあります。賤ヶ岳の戦いにおいては羽柴秀長の陣城で実質的には秀吉方の本陣であったようです。
 上記登城口から古墳のような盛土や意冨良神社上宮跡を通過して城跡にたどり着きます。砦跡は主郭を中心に南北と主郭から西側に長く曲輪が伸びています。主郭から南側は南郭、南堀切があります。南郭は土塁囲みの曲輪で副郭であったようです。主郭から北側は堀切土橋、北曲輪、北曲輪の北側に馬出し、広い尾根曲輪の先に北外郭があります。北外郭の北虎口は小さいながら枡形が2つ繋ぎになった珍しい形状の虎口でした。北外郭の更に北側に谷を利用した堀切になっていました。主郭の西側は尾根を下がりつつ竪土塁があり真ん中辺りに堀切があります。西郭は匚状に土塁があり郭の西側に堀切、さらに西側にも堀切があります。
 縄張り的に北郭の北側が広大な削平地になっていて武者溜まりであったように感じました。北からの攻撃を沢山の兵で押さえる北側を意識した造りになっていると感じました。陣城の小さいながら凸凹の遺構が明瞭に残る見応えある城跡でした。

<満足度>◆◆◆

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 羽柴秀長
築城年 天正11年(1583)
主な城主 羽柴氏
遺構 曲輪、土塁、虎口、馬出、横堀(空堀)、土橋
再建造物 説明板
住所 滋賀県長浜市木之本町木之本