たがみやまじょう

田上山城

滋賀県長浜市

別名 : 田上山砦、田神山城、木之本城
旧国名 : 近江

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北郭の角馬出
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T-Shionoya

厳重な虎口を構える田上山砦 (2026/04/05 訪問)

4月初旬に玄蕃尾城に続いて訪れた滋賀県長浜市の田上山砦。

琵琶湖北東の湖北平野の北端、京都と北陸を繋ぐ北国街道東側の比高約200mの田上山山頂部に築かれた陣城。

1573年には織田軍の攻撃を受ける小谷城の浅井氏を救援するため朝倉義景が布陣。
羽柴秀吉と柴田勝家が激突した1583年の賤ヶ岳の戦いでは、羽柴軍の中心的な陣となり羽柴秀長が守備。

現在も堀や土塁が残る整備された土の城跡。

訪問時は桜が満開の南麓の神社から登山道を上り、約20分で南堀切に到着。
西下に通路を有する南郭は、その通路入口部分に隅欠を設けており、西郭は北と南の眺めが良く、横矢桝形と名のついた横矢の掛かる虎口を装備。
主郭の北側は他より大きな堀と土塁が残り、北郭の虎口にはコの字型の土塁による馬出を設置。
広く削平の甘い北外郭の北側も、西側から横矢が掛かる虎口構造を持ち、更にL字型の翳し土塁で防御。

城域滞在時間は約1時間半。
全体的に土塁の高さは低いものの、一時的な陣城としては豪華な、複雑な虎口構造を愉しめる、私の城郭巡りの232城目でした。

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つちのこ

ハイキングツアー参加 (2026/08/15 訪問)

賤ヶ岳周辺の山城は初訪問のため、今回奥びわ湖観光ボランティアガイド協会さん主催のツアーに参加し登城しました。
ガイドさんからは、各曲輪に残る虎口や堀切について、また山頂から見える柴田軍の砦、佐久間信盛の攻めてきたルート等について分かりやすく説明していただきました。
田上山城では実際に戦闘の舞台ではなかったとのことですが、400年以上経っても綺麗に残っている馬出や横矢桝形から顔を出し、横矢をかけてみる真似などして、当時の兵士の気分も味わえました。

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赤い城

賤ケ岳の戦いの羽柴軍本陣 (2026/07/12 訪問)

朽木陣屋から湖北を走り木之本へ、麓の意冨布良神社に車を置きます。
神社より登って行きますが、途中林道に車があったのでここまでは車でも行けそうです。

まず出会ったのが古墳、ここも城の一部なのでしょうか?
さらに登ると上之宮跡、南の堀切があります。
もう少し登ると南郭、さらに主郭を経て堀切にかかる土橋を渡ると馬出郭ヘ。
その先の北外郭は広く、虎口は喰違で横矢枡形となっています。

引き返し、主郭西側の犬走りを歩いて西郭ヘ。
主郭の西側を守り、北国街道を監視します。
こちらも先端部の土塁に横矢枡形があり、その先に堀切があります。

賤ケ岳の戦いで羽柴軍が本陣とした城で秀長が築きました。
秀吉は田上山城を本陣として前方に二本の防御ラインとなるように陣城群を築き柴田軍と対峙しました。
陣城なのでコンパクトな造りですが見どころの多い城でした。
綺麗に整備されていて歩きやすい、関係者の皆さんに感謝です😊

【見どころ】
 ・主郭と馬出郭の間の土橋と堀切
 ・北外郭の虎口
 ・西郭の虎口

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昌官忠

(東海&関西)遠征4日目:田上山城 (2025/05/18 訪問)

木ノ本バスターミナルから徒歩10分くらいで、意富布良神社(おほふら)鳥居前(35.507227、136.226697)に着き、意富布良神社の境内奥の碑「田上山登り口」から登りました。
下城は林道をそのまま下り、小溜池方面に出ました。

築城年代は定かではないようですが、1573年(元亀4年)浅井・朝倉氏と織田氏が争った元亀争乱で、朝倉氏の軍勢が田上山に布陣したそうです。
1583年(天正11年)賎ヶ岳合戦では羽柴秀吉方の砦として秀吉の弟羽柴秀長が布陣し、秀吉方の本陣的な役目を果たしましたが、合戦の勝利にともない利用されなくなりました。

意富布良神社境内横から登城すると、すぐに林道と合流し、林道終点から整備された登山道です。
城址は予想以上に規模が大きく、遺構は土塁や空堀のほか、虎口と竪堀など技巧的な土の城が楽しめます。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=賤ヶ岳砦へ行く為、木ノ本駅の観光案内所へ徒歩で向かいました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 羽柴秀長
築城年 天正11年(1583)
主な城主 羽柴氏
遺構 曲輪、土塁、虎口、馬出、横堀(空堀)、土橋
再建造物 説明板
住所 滋賀県長浜市木之本町木之本