はやしまじんや

早島陣屋

岡山県都窪郡

別名 : 戸川家陣屋
旧国名 : 備中

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しんちゃん

戸川家陣屋跡 (2024/01/04 訪問)

関ヶ原の合戦後にこの地を領した戸川逵安の子・正安は早島3400石を弟の安尤に分知し、安尤は元禄6年(1693)陣屋を築くことにし、宝永6年(1709)三代目の安貞の時代に完成したそうです。戸川家記念館は日曜・祝日の10時から16時までの間、見学することが出来るそうです。石橋の写真を撮り損ねましたが陣屋跡の北にある早島城址(早島公園)を合わせて訪問しました。
遺構らしい遺構は有りませんが、眺望は良く桜の名所のようです。戦国時代には竹井将監が居城していたそうで、備中高松城の攻防戦で冠山城にて加藤清正との一騎打ちで討死したとされています。

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カズサン

陣屋石橋と石垣水堀が残ってる (2023/10/07 訪問)

 早島陣屋は備中庭瀬戸川氏の分家3400石の旗本早島戸川家陣屋です、岡山県未踏の城廻り4日目で冠山城に次いで4城目に成り初登城初探訪です。

 駐車場:早島陣屋石橋南側の早島児童館・早島小学校駐車場を利用、トイレ無
 参考資料:城びと、グーグルマップ、早島戸川家陣屋跡解説板による。

 車を駐めた所が、陣屋の石橋と石垣造りの水堀で皆さん掲載の写真で認識出来ました、絵地図によると石橋の前後が陣屋の虎口枡形跡の様です、小学校は陣屋跡、石橋の北奥に「戸川家陣屋址」の石碑が有り絵図によると表門跡辺りの様です、白壁土蔵造りの戸川家記念館に寄るが開館日は日曜日と祝日のみで訪ねた日は土曜日で休館、見学出来ず、西隣に土塀で囲まれた立派な武家屋敷、重臣か戸川氏かの屋敷の様、記念館北奥に井戸跡が在るが屋敷土塀に囲まれて入れず、土塀に写真付きで案内板が在る、土塀越しに井戸の屋根が見える。 詳細は町指定史跡早島戸川家陣屋跡の解説板を写真掲載しますのでご覧ください。
 
 昔の街道は町筋と称されて、土蔵造りの町屋が建って往時の風情が残っています。
 

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ろっし

お城探訪 (2023/02/05 訪問)

江戸時代二百数十年にわたり備中早島村など三千四百石を治めた旗本戸川家

陣屋の建物はありませんが堀跡と石橋が残っています。

戸川家記念館があり所蔵品など見る事ができます。

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戸川家記念館 (2021/04/04 訪問)

日曜と祝日に開館している、戸川家記念館を見学することができました。宇喜多秀家の時代に直家の時からの家臣である戸川氏他が出奔。関ヶ原の戦いでは、東軍について備中庭瀬に所領をもらいました。その分家の早島戸川家は、児島湾の干拓とそこで栽培された綿花やい草で豊かであったとのこと。戸川家記念館には、戸川家由縁の品々の他に、古代の海岸線地図や干拓の歴史の展示がありました。他に見学者がいなかったこともあり、係の方に声をかけて説明してもらいました。綿花やい草は塩害に強いと。また、児島湾は、引き潮になるとの遠くまで人が歩いて行けるようなしっかりした地面があったので、干拓は、埋め立てたのではなく、堤を築いて、干あげたのだと。
係の方は一人なので昼の食事中は閉まっていて注意です。
近くに、明治時代の畳表問屋建物を使った、いかしの舎があり、ランチに利用しました。この辺りの出身の犬養首相の書があり、庭も良いです。

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城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 戸川安尤
築城年 宝永6年(1709)
主な城主 戸川氏
遺構 石橋、堀
指定文化財 町史跡(早島陣屋跡)
再建造物 説明板
住所 岡山県都窪郡早島町早島
問い合わせ先 早島町役場生涯学習課
問い合わせ先電話番号 086-482-1511