滋賀県近江の未踏の城廻りで山崎山城を初登城しました。県道2号線宇曽川を西に渡り切った土手道を北進約250mを山裾に入り約100m超で山崎山城北麓専用駐車場へ到着。
駐車場:北麓の専用駐車場(35°13'33"N 136°12'18"E h=110m)12~14台可能、トイレ無。
参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。
駐車場は角パイプフェンスで囲まれ、登城口に山崎城跡案内解説板設置、登城口よりコンクリ丸太階段が九十九折で比高50mまで続いておりゆっくり登り約7分、頂上部は木々が空けて開放感があります、東虎口は石垣の残存が有り、案内板によると総石垣の造りだったのでしょうが、破城の影響で根石の2、3段が残ってる状態、頂上主郭部が北西に伸びて段付き郭の頂部に櫓台がある、虎口から堀切に落ち込んでいる。
見晴らしは良く、遠く伊吹山を望めます。
案内板によると、平成4年からの発掘調査で石垣造りの城と判明、平成10年より公園整備されて今日まで保存整備が行く届いています。
駐車場から出るときは右側からの進入車に注意が必要です、右手が分かりにくく、出車時右手進入車にヒヤッとしました。
歴史は案内板によると。
山崎山城は、戦国時代には地元の領主の山崎氏の居城であり、天正10年4月対武田戦凱旋の帰り山崎に「御茶屋」を設けて山崎源太左衛門が信長を接待したと記録が残って居ます。
この城は安土城と佐和山城の中間点で、しかも信長が整備した下街道(後の朝鮮通信使街道)を遮断する位置にあります。信長の近江支配の支城として石垣造りの城へと大改修され、信長と命運を共にしたと考えられます。とありました。
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