御館は住宅地の一角に公園として整備され、かつての面影は残っていません。関東管領上杉憲正が北条氏康に敗れ長尾景虎を頼ってきた際に景虎(上杉謙信)が憲正のために造営したとされています。公園が主郭の中心地で周囲を堀で囲まれ、北と東西に4つの郭を配していたようです。天正6年3月13日に上杉謙信が亡くなると上杉景勝と上杉景虎の間でお家騒動が起こり、御館も戦火に見舞われ放火され落城したとされています。
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2023/12/05 17:11
御館の乱の舞台となる。 (2021/05/01 訪問)
御館は住宅地の一角に公園として整備され、かつての面影は残っていません。関東管領上杉憲正が北条氏康に敗れ長尾景虎を頼ってきた際に景虎(上杉謙信)が憲正のために造営したとされています。公園が主郭の中心地で周囲を堀で囲まれ、北と東西に4つの郭を配していたようです。天正6年3月13日に上杉謙信が亡くなると上杉景勝と上杉景虎の間でお家騒動が起こり、御館も戦火に見舞われ放火され落城したとされています。
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2023/12/05 13:28
発掘調査現場から富士山が見えます!
皆さん発掘調査現場から富士山が見えるのはご存知でしょうか?
晴れた日には、発掘調査現場見学ゾーン【南側】から富士山を望むことができます!
ちなみにこちらの写真は、発掘調査現場見学ゾーン内【南側】のこちらのスポットから撮影しました。
同じ南側でも富士山が見える位置と見えない位置があるので、ベストポジションを探してみてください。
徳川家康が晩年を過ごした駿府城と富士山の壮大なコラボレーションは見応えがあります!
ぜひ皆さんも富士山と発掘調査現場を撮影してみてください。
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2023/12/05 11:45
二の丸入城散策 (2023/11/12 訪問)
水戸城は2年前の同月同日に二の丸復元角櫓公開されて復元角櫓に登った日以来の登城です。武田氏館と水戸城周辺未踏の城廻りの途中、近くまで来たので寄らなくては、銀杏の紅葉も見ごろかなと誘われました。
先に3編投稿しましたのがまだ投稿掲載したい写真も有り、二の丸大手門から本丸薬医門までの散策途中に撮った写真を投稿致します。
日曜日で生徒さんはお休み、観光客だけ、白土塀通りは静かで往時の通りかなと錯覚する様な雰囲気でした。
また角櫓通路入口辺りに水戸城三階櫓の解説板が有り、昭和20年8月までは現存で、8月の米軍空襲で焼失したのは残念です。
復元三階櫓は何時の事でしょうか?内部5階で外観3階建だったそうです。
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2023/12/05 11:08
通路がモルタル整備された角櫓 (2023/11/12 訪問)
何と!二の丸角櫓への通路がモルタル舗装で奇麗に整備、歩きやすく、車いすの方に便利になって居ました、2年前の同月同日の探訪は砂利道で歩きにくかったのですが2年で素晴らしい改良、モルタル舗装の茶の色と、プラ竹矢来の薄緑、白壁の二の丸復元角櫓、両翼の多門櫓の漆喰白壁、土塀の白壁、黒の土塀副柱が奇麗にマッチして素晴らしい景観です。
竣工公開されて2年振りの再探訪、改善が進んでる事がうれしいですね!角櫓に登って見学観察させて頂きました。
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2023/12/05 07:58
とことん岡山城(下の段南部) (2023/08/13 訪問)
(続き)
大手筋にあたる目安橋を渡って本丸へ。橋のたもとに目安箱が置かれていたことによる名で、往時は木橋だったようです。目安橋を渡ると内下馬門があり、枡形の石垣には見事な巨石が用いられています。さすがは蛸石をはじめとする大坂城の巨石の多くを手配した池田氏の城だけのことはありますね。
内下馬門を抜けると眼前に大納戸櫓の高石垣が聳えています。大納戸櫓は天守に次ぐ大きさの三重櫓だったようですが、櫓台だけでもなかなかの迫力です。大納戸櫓から続く中の段の南辺石垣を眺めつつ東に進むと、中の段に続く石段への入口脇に供腰掛が再現されています。供腰掛は登城する藩士の供の者が待機するための建物で、休憩所として開放され、建物内に岡山城の絵図や説明パネルが展示されています。供腰掛の北側、本段南西下の石垣は宇喜多期のもので、岩盤の上に隅部が設けられていました。
本段南辺の高石垣を見上げながら東へ。下の段の南東部には発掘調査により判明した建物跡が平面表示されていて、供腰掛の絵図とあわせてしばし往時の姿を脳裏に思い描きました。そして宍粟櫓、旗櫓、鎗櫓とたどり、旭川河畔に下りて弓櫓の石垣を確認。建物は遺っていなくても見どころはいろいろとあってどんどん楽しくなってきました(続く)。
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2023/12/05 07:03
倒木で駐車場までは車で行けません (2023/11/23 訪問)
健康公園側から攻めましたが、なだらかな坂で丘城のようなイメージでした。太い木の枝が散乱していて車で進むことはあきらめ、徒歩にて攻城しました。せっかく駐車場が完備されているのにもったいないことです。駐車場には説明板が建っていて眼下に国道9号と集落を望むことができます。こちら側はかなり急峻で遠望も要害堅固な山城のように見えます。駐車場から折り返すといよいよ城の中枢部へ。さほどの期待はしていなかったのですが、結構な遺構が残っていて紅葉とともに楽しめました。「温泉」と書いて「ゆの」と読むのは、世界遺産構成資産の「温泉津(ゆのつ)」で承知していましたが、町名は「しんおんせん」でした。
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2023/12/05 00:01
切込み接ぎの石垣が目に留まる (2020/12/13 訪問)
丹鶴城公園の小さな駐車場に駐車し、二の丸側の登城口から冠木門を通って登城開始。
松の丸から熊野川に面した水ノ手曲輪へ。船着場や炭納屋があったそうで、水運を活用していた城であることがわかる。もどって鐘ノ丸、本丸へ。一部崩壊している天守台を含め城内のほとんどは切込み接ぎの石垣で構成されていて、整然とした雰囲気が感じられる。80分ほどで退城。
新宮市立歴史民俗資料館で続日本100名城スタンプポン。資料館には新宮城の発掘調査資料が展示されていました。
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2023/12/04 23:47
また出てきちゃった。 (2023/12/03 訪問)
坂本城の本丸石垣は琵琶湖が渇水の時に姿を見せるそうです。2年前、27年ぶりに姿を現したと記事になったと思いますが、ここの所、毎年姿を現しているような気がします。気候変動の影響もあるようですが日本は大丈夫なのでしょうか?
でもせっかくなので見に来ました。朝からの曇天もいいかんじに晴れてきています。この日は久々に虹も見れました。(しかも特大)石垣は‥ありました。本丸はある企業の敷地になるのですが石垣見学コースが設置されているようです。
しかし、このままだと琵琶湖の水が本当に制限されてしまいそうです。巷では映画「翔んで埼玉」の呪いではないかと言われていますが近畿の皆さんの貴重な水がめがこのままでは困りますね。世の中が良い方向に向かっていくことを願います。
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2023/12/04 23:28
城址にかかる大きな虹。ちょっとラッキー (2023/12/03 訪問)
坂本城は織田信長の命で元亀2年(1571)明智光秀によって築かれた水城で、かつては壮麗な天守を構えていたそうです。本丸周辺は企業の敷地内になるので現在城址公園がある場所は本丸より南の琵琶湖を埋め立てた場所に造られていて明智光秀の像や歌碑などが建っています。二の丸跡にも城址碑がたっていて近くの聖衆来迎寺には坂本城の表門が移築されているとされ、織田信長の武将・森可成の墓もあります。駐車場はそれなりの広さですが、訪れる人が後を絶たず交通整理の人までいるようです。
周囲を散策していたら本丸周辺から琵琶湖にかけて見事な虹がかかっていました。これだけ形のはっきりした虹は久しぶりなので、なんか得した気になりました。
この日、坂本城を訪れた目的は他にもあります。次に続きます。
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2023/12/04 23:03
福田寺に城址碑が建つ。 (2023/12/03 訪問)
北比良城は福田寺のあたりが城址とされ城址碑が立っています。田中氏の城らしいのですが天正10年田中左衛門尉定光の時に織田信長に叛いて落城したとされています。遺構は全くと言い程残っていませんが、少し小高い台地上に築かれているので戦国期は琵琶湖がよく望めたのではないでしょうか。
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2023/12/04 22:49
2023/12/04 22:25
島津義弘ゆかりのシラス台地を利用した南九州型城郭
永暦元年(1160年)日下部重貞が築城。日下部氏、北原氏のあと、永禄7年(1564)島津氏が入城。島津義弘の居城として有名。30~56歳まで在城し数々の合戦に出陣。なかでもこの近くの木崎原合戦で大勝し武名を揚げた。
川内川北岸の河岸段丘上に築かれた。射場が駐車場になっており本丸物見曲輪など公園化されている。物見からは飯野の町が見下ろせる。しかし二の丸三の丸など薮で一部しか見学できない。
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2023/12/04 22:22
シラスを刻む山城と山と川に抱かれた麓
在地豪族の入来院氏の居城。築城年代は不明ながら、入来文書には「清色殿」の記載があり永和年間(1375-79)頃を推定している。シラス丘陵を利用した山城で、断崖のように切り立った堀切には驚かされる。16の曲輪があり、本丸・西之城・松尾城・中之城・求聞持城・物見之段などがわかっているが、実際に立ち入れるのは本丸・中之城くらいで、あとは薮に埋もれている。麓である城下には重伝建にも選ばれた武家屋敷が点在する。屋敷の石垣など風情がある。
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2023/12/04 22:04
なんとなく気になる謎の土盛り。 (2023/12/03 訪問)
山内義重が文暦元年(1234)の粟津の合戦で功を立て、衣川を領して城を築いたのが始まりとされています。城の遺構は残っていないようですが城址碑と謎の土盛りが残っています。案内板はフェンスの所にあるようですが見落としました。土盛りと衣川城の関係は不明です。
駐車する場所も無いし、じっくり見るほどでもないので路駐でそそくさと公園周辺と謎の土盛りを見渡して退散しました。
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2023/12/04 21:39
讃岐東照宮と四国村ミウゼアム (2023/11/16 訪問)
城ではないけど結構よかったので投稿します。
屋嶋城の麓にあります。
讃岐東照宮の屋島神社にお参りしたあと散策しました。
入場料は1600円でこの辺りとしてはちょっと高め。
各種割引はあるようです。
四国の古民家などを移築し展示してあります。
入園し、まずはかずら橋。
本物では無いもののスリリング!
渡って少し進むと小豆島農村歌舞伎舞台、さらに進むと丸亀藩御用蔵のインフォメーションセンターがあります。
そこから登っていくと石畳広場があり、砂糖しめ小屋などが展示されていました。
その先のギャラリーは安藤忠雄氏の建築です。
詳しくはないですが惹かれるものはあります。
外の水景庭園を見たあとは大久野島灯台ヘ。
大久野島は今はうさぎの島になっていますが戦時中は毒ガスの島で日本軍の拠点にもなっていました。
降りていき、染が滝などを見学しながら戻って行きます。
入場前にはわら家で釜あげもいただきました。
観光スポットなので少し高めですが美味しかったです。
他にも神戸からの移築、異人館カフェもあります。
高松城や屋嶋城を攻めた際には立ち寄って欲しいスポットです。
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2023/12/04 19:13
根羽城ケ峯 (根羽男城) 長野県根羽村 (2023/11/25 訪問)
標高865mの山城です。愛宕山の山頂にあります。
それほどマイナーな城郭ではないと思うのですが、城跡を
示す看板は無いですね。
宗源寺の裏手から登りました。わかりにくいですが尾根筋を
目指して登って行きます。
20分位心臓バクバクさせて登ると城郭の雰囲気になり、切岸
がみえてきます。この瞬間が堪らないですよね。
山頂の主郭から3方向の尾根に遺構があります。
特に北尾根には3つの堀切がしっかりとあり、カッコいいです。
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2023/12/04 15:46
晩秋の岡城 (2023/12/04 訪問)
そろそろ紅葉が見頃を迎えただろうと岡城に登城してきましたが、すでに散っていました(ガ~ン😱先週が見頃だったらしい)。
しかし天気もよく、月曜の午前中ということもあり誰もいなかったので、瀧廉太郎の荒城の月を口ずさみながら九重連山の眺めを一人占めできたのは爽快でした。
そして御三階櫓跡に立ち、20才の若き志賀親次(ちかよし)は目の前の片ケ瀬に陣を張っていた島津義弘軍15,000をどんな思いでここから見ていたのだろうか? また今度は麓の滑瀬橋に立ち、島津義弘はなかなか落ちぬ岡城をどんな思いでここから見上げたのだろうか? とまた思いをはせてきました。
(写真①)登城口
(写真②)階段にある「かまぼこ石」
(写真③)大手門
(写真④)中川秀成が築いた高石垣
(写真⑤)瀧廉太郎の銅像と九重連山
(写真⑥)月見櫓跡
(瀧廉太郎はここから見た月を思い出し作曲した)
(写真⑦)本丸から滑瀬(ぬめりせ)を見下ろす
(高い! 足が震える! 転落注意!)
(写真⑧)御三階櫓跡
(志賀親次はここから島津の大軍を見ていた)
(写真⑨)滑瀬橋より岡城を見上げる
(島津義弘はこの川を渡れず敗北する)
(写真⑩)おまけ写真
(朝焼けの久住高原から阿蘇山を眺める)
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2023/12/04 14:53
能島城探訪 (2023/11/23 訪問)
村上海賊のお城である能島城を訪問しました。お城のある能島へのアクセスは、船による上陸ツアー参加となります。ツアーは祝土日の開催なので、その日に合わせての訪問です。
宮窪漁港から乗船して約10分で能島上陸です。三の丸、二の丸、本丸の散策と瀬戸内海と島々の景色、45分程度の上陸でしたが満足できた経験でした。ガイドさんの説明も分かりやすかったと思います。
上陸ツアーには同時に潮流クルージングがあり、能島付近の潮流の様子も分かります。ここを通過する船はこの潮流をよく知らないといけないでしょうね。
宮窪漁港近くの村上海賊ミュージアムがありますので、村上海賊の歴史等にふれることができます。
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2023/12/04 11:42
西上州の要、広大な城域 (2023/11/29 訪問)
長野業尚が1500年頃に築城し、4代にわたり長野氏の本拠となる。武田氏に落とされ、その後、武田氏・織田氏・北条氏・徳川氏と変わる。最後は井伊直政が12万石で入り、現在の縄張になる。8年後の1598年(慶長3)に高崎城へ移り箕輪城は廃城となる。
幾つもの散策コースがある。東にある搦手口の駐車場に駐車。東の外堀は埋められ、僅かな段差が残る。反時計回りに進むと、稲荷曲輪東の堀が見え出し、先で新曲輪、稲荷曲輪の虎口、奥に丸馬出がある。御前曲輪・本丸の西の堀底を行くと、本丸西虎口に架かる木橋が頭上に見え出す。先で三の丸に上がり戻れば、蔵屋敷の一角で木橋は工事中で通行止め。三の丸には一番残りが良い定番石垣がある。三の丸から二の丸へ、まず郭馬出を通り木俣と呼ばれる曲輪へ。多くの道が集まるために付いた名前らしい。郭馬出から二の丸へ、小馬出を通り本丸に。周囲は土塁が巡り広い。北側には堀を隔てて御前曲輪がある。大手虎韜門口駐車場から鍛冶曲輪などを見学する。
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2023/12/04 10:42
城門それぞれ (2023/11/12 訪問)
三の丸の銀杏、欅の紅葉を楽しんで、三の丸跡図書館、県庁の間を通り弘道館へ結構なお客さん、弘道館駐車場も満車状態、周囲を眺めて復元された大手門、二の丸土塀、二の丸白土塀通り、日曜日で学校はお休み静かな佇まい、何時もながらうっとりする通りです、二の丸展示館によって資料収集、情報収集、人が多い、角櫓探訪、本丸の薬医門まで散策し、帰り三の丸駐車場周りでの帰路、復元土塁、復元北柵御門を初めて探訪しました。
その間、諸々の城門写真を撮りましたので、復元城門、現存城門、城門の様な校門と門に絞って投稿させて頂きます。
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