琵琶湖に近い要衝にあり、蓮如上人の影響を受けた真宗寺院群を中心とした寺内町である。
遺構はないが寺院は残されており、石碑がある。
美濃土岐氏の後継者争いに破れこの地に流れ着いた大畑氏の子息がこの地から苗字をとり金森長近となった(説明端折ります)
今も道路が入り組み付近に川もあることから雰囲気は感じられるかな。
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2023/01/08 23:15
2023/01/08 23:05
2023/01/08 23:00
2023/01/08 22:59
宇佐八幡宮 (2023/01/08 訪問)
宇佐八幡宮周辺が城址です。本殿が建っている場所が本丸と考えられています。入口に標柱と案内板があります。
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2023/01/08 22:55
2023/01/08 22:40
2023/01/08 22:23
喜岡寺 (2023/01/07 訪問)
旧高松城で高松市の名前のルーツといわれています。JR屋島駅から徒歩約10分、喜岡寺周辺が本丸であったようです。石碑が2ヶ所にあります。案内板は1ヶ所にあります。あきらかな遺構はないと思われます。
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2023/01/08 22:20
安富盛長 (2023/01/07 訪問)
JR志度駅もしくは琴電志度駅から徒歩約5分の場所に案内板があります。遺構はないと思われます。
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2023/01/08 21:22
世の中はクリスマスイブ (2022/12/24 訪問)
小雨の降るイブの日に一人寂しく京から山中越えで近江の城を探訪した。最近、体力的に問題があることから平地のみリア攻めとした。
衣川城址は1200年代山内氏の築城と伝わるが、児童公園に石碑が残っているのみで遺構はない。
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2023/01/08 21:04
巨大遺構の箕輪城 (2022/11/06 訪問)
国土地理院の色別標高図にキレイに現れる堀が気になっていた群馬県高崎市の箕輪城。
この築城場所は榛名山東南麓、西側を流れる榛名白川により独立した丘陵。
南側は椿名沼という湿地帯だった模様。
国府総社の西に位置し、南を通る東山道や鎌倉街道上道から少々距離があるが、戦乱に備えて平地部の浜川から丘の上へ移転してきたとのこと。
1500年頃に関東管領上杉氏方の長野氏が築城し、1566年の武田信玄による攻略後は武田方の内藤氏、北条氏邦、井伊直政などが城主に。
現在は丘陵部の遺構が史跡公園となり、郭馬出西虎口門と本丸西側の木橋を復元。
続いてその木橋とセットとなる本丸西虎口門を復元するんだとか。
訪問の際は搦手口から入城し、郭馬出から本丸を通って城郭北端へ。引き返して本丸西側の堀や城郭西部南部を巡り、気付けば滞在時間約4時間。
木俣からは高崎市街地が見渡せ、御前曲輪が本丸の詰で西側に木橋があったこと、本丸南虎口が馬出タイプであること、稲荷曲輪に櫓台があることなどは現地で初めて知りました。
見どころは大堀切をはじめとする郭馬出から御前曲輪にかけての巨大な土の堀。
また本丸木橋の土台を見ると、5月に訪れた武蔵松山城も木橋が掛かっていたのではないかと思ったり。
井伊時代の石垣や北条時代と推定される石垣も発掘されていますが、巨大な土の城郭が私の城巡りの135城目となりました。
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2023/01/08 19:45
名前も場所も歴史もややこしい (2022/12/18 訪問)
自分が行ったのは生実神社のある所。「おゆみ」について、マーキングが主のよそ者が理解するのはなかなか難しい。
まず興味のある所から入ってみる。小弓城は元々千葉氏家臣の原氏の居城で、甲斐武田氏家臣で鬼美濃と恐れられた原虎胤の父が城主だった。そこへ古河公方に対抗した真里谷武田氏が足利義明を立て小弓城を落とし小弓公方となる。原氏は敗走し甲斐に逃れたとのこと。
その後小弓公方は国府台合戦で戦死。原氏が城を奪還するが新たに生実城を築き小弓城は廃城となったと。へ?(@_@;)
それを南生実城、北生実城としたりしているもんだから、何がなんだか分からない💦千葉氏に公方に原氏に真里谷武田氏に里見氏に北条氏、関わる者も多過ぎて混乱いたしまする。
誰かにマンガ形式で描いてもらわないと分からないなぁ(笑)
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2023/01/08 16:58
古墳と同居する日本三大陣屋 (2022/12/18 訪問)
ここは保科正直の三男正貞が整備した広大な陣屋で知られていおり、日本三大陣屋の一つに数えられている。
周囲の古墳にあった濠を利用した曲輪の配置となっているが、正直このような形態は初めて見て驚いた!
今は飯野神社が鎮座するあたりから稲荷塚古墳あたりが二ノ丸で神社後方に前方後円墳の三条塚古墳があり、三ノ丸の多くの部分を占めている。本丸は神社手前になる。
とにかく古墳をそのまま利用する感覚が面白い。
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2023/01/08 13:38
勝見城 千葉県長生郡 (2022/12/31 訪問)
比高60mの丘陵上にあります。
歓喜寺の裏の細尾根に堀切が数ヶ所あります。
尾根は2m幅位の細さで建物を建てられるよう
な平場はほとんどありません。
千葉のこの地域にありがちな地形で、急峻な細
尾根を天然の城壁としてそれに囲われた谷戸部
に屋敷、居館を設けるという典型的城郭です。
谷戸部の平地には小屋ノ谷、沖小屋谷、七井戸
廊などの名が残ってるようです。
歓喜寺入口に城の標柱があり、駐車可能です。
主な尾根上は整備され簡単に訪城出来ますが、
南方は藪漕ぎが必要ですね。
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2023/01/08 11:12
2023/01/08 10:53
2023/01/08 10:07
2023/01/08 06:54
奈良の城めぐり⑤ (2022/12/10 訪問)
大和郡山城からの転戦です。皆さん、攻城に苦労されているとおり、道の細い住宅地で駐車場所に難渋、獣よけフェンス、廃屋、倒竹と攻城を困難にするファクターがなかなかのてんこ盛り状態でした。
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2023/01/08 02:02
小峰城跡 (2023/01/07 訪問)
平成に入ってから復元された三重櫓が白河駅のホームからもよく見える市のシンボルで、地元では「お城山」の愛称で親しまれています。
春にはたくさんの桜に囲まれます。三重櫓のそばに生えている「おとめ桜」は人柱伝説があり有名。
震災の際に崩れた石垣は現在とても美しく修復されています。
三重櫓はとてもコンパクトで数人入ると混み合いますがスマートで綺麗です。
敷地内の公園は広く芝生が植えてあり開放的。
先着300枚とのことですが冬季限定デザインの御城印がありました。
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2023/01/07 21:07
標柱だけ (2023/01/05 訪問)
見つけた標柱、柵に囲まれ中に入れず柵外から撮影。
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