いしうちじょう

石打城

奈良県奈良市

別名 : 稲垣氏城、西広城
旧国名 : 大和

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主郭
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ぴーかる

石打城 (2023/12/17 訪問)

【石打城】
<駐車場他>YAICHIさんの情報を頼りに同じ場所のソーラーパネル横<34.724044,136.062551>に4台程度停めれます。東側の幹線道路からの進入口<34.723919, 136.063553>に城跡への矢印版があります。
<交通手段>車

<見所>土塁・堀切
<感想>城びとの城郭情報によると石打城は室町時代後期に稲垣氏によって築城されたとされます。上記駐車ポイントからアスファルトの舗装道を南へ進むと添付写真の城跡入口があります。城跡碑右手の畑脇道を進むと東の郭に行きます。東の郭から主要部へは切岸を登らなければならないので東の郭を見たら一旦入口に戻ると良いでしょう。城跡碑左手に三郭が見えてますのでそこから入ります。
 東の郭は広い舌状の削平地で東端が1段高くなり更に東に腰曲輪が付いています。入口の三郭は三日月状の削平地で背後の土塁が見応えあります。三郭から登って虎口分岐があり、右手二郭は少し藪化しています。奥の主郭は高土塁囲みで甲賀・伊賀地方によくある造りとなっています。この甲賀・伊賀地方の高土塁はどこの城跡を見ても見応えありますね。主郭の背後は堀切となっていてこの堀切に空堀⇒の道標があり降りてみましたが藪化していました。主郭背後に北の郭の石標がありますがその場所は小さい尾根曲輪なので、もう50m程進んだ広い削平地が北の郭かと思われます。更に北に進むと木が伐採された広大な緩い傾斜地が広がっています。北西方向に尾根が続いているのでここら辺までが範囲かとも思いました。
 石打城のある月ヶ瀬は現在奈良県ですが当時石打城は伊賀国に属していたそうですから国境は西に流れる名張川を境にしていたかもしれません。奈良県の最も北東側にある城びとのお城、甲賀・伊賀地方特有の高土塁の主郭を持つ城跡、なかなか見応えありました。

 これにて一応奈良県の城びと城を制覇しました。一応というのは御所市の佐味城が登城出来てなく、登城の新たな情報が出るか分からないのでこれでご勘弁を。後日に百・続百名城以外の奈良県マイベストを投稿いたします。

<満足度>◆◆◇

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三重県伊賀の城の影響を受けた奈良県境の城 (2022/03/13 訪問)

三重県伊賀市に近い奈良県内の石打城は、伊賀に多い土塁に囲まれた単郭の城の影響を受けて、本郭は高い土塁に囲まれています。しかし更に、本郭の東西南の尾根に郭を置き、東西南北に100mを越える広さがあります。
城びと先達のtodo94さん、YAICHIさんがアップされてない写真を中心にアップします。

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YAICHI

安全に見れる中世城郭 (2019/12/08 訪問)

石打城は伊賀地方によく見られるような郭を高土塁で囲んだ土の城です。城主は稲垣氏といわれていますが詳細はわかっていません。ソーラーパネル前〈34.724044,136.062551〉に駐車し舗装路を南下2~3分で城址碑と登城口が現れます。こじんまりとした城址ですが遺構ははっきりしており、管理整備もしっかりされていて散策しやすい城址です。

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todo94

県境 (2013/12/15 訪問)

この城には表示があるのだが、その表示を見つけることが中々出来なかった。観光案内図で城の位置を確認して城址碑を見つけたものの登城口はその先であまり目立たない。結局、竪堀をずんずん登って行ってしまったが、この城は土塁や堀切、郭など、中々きれいに残っている。諦めず攻城を成し遂げることができて満足だ。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 稲垣氏
築城年 室町時代後期
主な城主 稲垣氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(石打城跡)
再建造物 石碑
住所 奈良県奈良市月ヶ瀬石打字西広