静原神社の脇道から登城しましたが急な坂道、整備されていないところが良かった。
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2023/12/10 12:18
無事に登城 (2023/12/10 訪問)
静原神社の脇道から登城しましたが急な坂道、整備されていないところが良かった。
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2023/12/10 12:13
海に面した山城 (2021/11/21 訪問)
長島神社の駐車場に車を駐車し登城開始。
神社右手から登城。途中からシダが生い茂る中をかき分けて進む。20分ほどで本丸へ到達。本丸は上段と下段に分かれているのが確認できました。下城は分岐点を左手に進み、戦国期の城主加藤甚五郎の墓と言われる五輪供養塔を通って紀伊長島郵便局の前へ出る。
下城後、江之浦大橋から城址全景を遠望。
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2023/12/10 12:13
2023/12/10 12:10
2023/12/10 06:55
三河最大級の山城 (2023/09/29 訪問)
山中城は、通称城山と呼ばれる標高約195mの山上一帯に築かれている、東西約400m、南北約250mで三河地方最大級の山城です。堀切・土塁・曲輪などが良好に残っています。
築城年代は不明とのことですが、築城者は三河守護仁木氏の守護代であった、西郷氏により15世紀頃に築城されたと云われています。その後、西郷氏は松平宗家と対立し松平氏に城を明け渡したとされています。今川氏、松平氏と変遷し、徳川家康公関東移封後に廃城になったとされています。
駐車場は羽栗病院と隣接している3台程停めれる駐車場があります。(登リ口の舞木口まで徒歩5分位です)トイレはありません。城に登る前に東部市民センターに立ち寄り、山中城址案内図を貰うと見逃しがなく城跡を散策できます。
今回の投稿は、10年前の6月16日の画像と織り交ぜて投稿させていただきます。
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2023/12/09 23:13
①上杉家御廟所(米沢藩主上杉家墓所) (2023/09/08 訪問)
山形城見学後、コンビニのイートインスペースで小腹を満たし、つばさで米沢に向かいました。
5年ぶり2度目の米沢城です。
はじめに、国史跡に登録されている上杉家御廟所(米沢藩主上杉家墓所)を訪ねました。
薄曇りの空の下、しんとした空気の中で出迎えてくれた冠木門の向こうに杉木立の参道がまっすぐ墓所へと続いているのが見えます。
一帯に漂う厳かな気配に誘われるままゆっくりと歩をすすめるうちに、旅の疲れや興奮で乱れていた心が落ち着き、次第に穏やかさと凛とした緊張感に包まれていきました。
「龍」と「毘」の幟の向こう、中央奥に謙信公廟所。
正面に立ち廟所を見つめていると、歴史上の人物として、残された史料の中でのみ知る「上杉謙信」が、イメージとしてではなく実像として目の前に現れたかのように感じました。
そして、土塁の内に整然と並ぶ歴代藩主の御廟。鷹山公の隣、少し奥まったところには若くして亡くなった世子、顕孝公の小さな御廟。
それぞれに導かれる石畳の参道に一代一代の重みを感じ、これが「歴史」なのだとの思いを新たにしました。
廟所の“見どころ”のひとつに建築様式の違いがあります。
流造、入母屋造、宝形造り。時代の変遷を物語る生きた史料として目の前に建ち並ぶそれらは様式美を余すことなく見せてくれていますが、華美な装飾は一切ありません。静かに佇む様は米沢転封ののちの遷座や改変を粛々と受け入れてきたかのようであり、質素な中に秘めた厳かさを感じます。
同時に、経年による老朽化や傷みを14年という歳月をかけて修復され、歴史を未来へ伝える事業を担われた方々のご尽力を思います。この場所へ導かれたのも保存事業というプロジェクトのおかげであり、感謝しかありません。
お詣りを終えて退出しようとしたとき、事務所横の上杉家墓所資料館の扉が開いているのが目にとまりました。小さな建物でしたが、中に入ると墓所の見どころや資料、出土物などの展示があり、思わぬ情報の宝箱でした。この資料館自体がかつて廟所参道の中央に設置されていたと伝わる旧拝殿を利用したものだということでした。
ここから米沢城址へ徒歩で向かいました。
<参考資料等>
・現地説明板
・国史跡米沢藩主上杉家墓所参拝のしおり
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2023/12/09 22:51
仙南屈指の伝統校角高にあった別名臥牛城
築城は永禄年間(1558-70)伊達家臣田手宗光による。伊達氏相馬氏の係争地でもあった。慶長3年(1598)政宗の叔父石川昭光が入城し、以来幕末まで御一門筆頭である石川氏が在城する。ただ元和の一国一城令のため伊達21要害のひとつとされた。
角田高校の門を入ると案内板があり、少し進んだ左手丘陵下に石碑がある。高校前の水路は堀の名残りで、高校のある丘陵地も城の雰囲気がある。
石川氏菩提寺の長泉寺には解体復元された旧表門臥牛門が、角田市郷土資料館には城門のひとつが、それぞれ移築されている。
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2023/12/09 22:49
湯原城、または勝乗館(政宗が名付けた)、御館ともいう
上杉氏との勢力争いの地で伊達政宗が攻略、戦国期は伊達家臣の横尾氏、その後は一門の石川氏が詰めた。江戸期は石川氏重臣が藩境警備や街道警護に当たったという。
七ヶ宿街道、上山や米沢への分岐点近く、湯原集落北側、標高520mの高台に連郭式の中世山城遺構がよく残っている。西側の広い区画が主郭の上館で北側の土塁は高く背後の堀は深い。副郭というべく東郭の間には堀、土塁、虎口があり、絵図によると廊下橋があった。絵図通りの上館東郭の遺構がよくわかる。居館や表門を構えた二の丸は、今は街道Hostelおたてになっている。
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2023/12/09 20:51
2023/12/09 20:10
伊勢平野と伊勢湾を一望 (2021/10/03 訪問)
浄眼寺前駐車場に車を駐車し登城開始。
案内板によれば南北二つの郭で構成され、北を椎ノ木城、南を白米城。南北朝時代には城があり、織田信長の伊勢侵攻時に落城したとか。
登城口のマップにはハイキングコースとして北郭まで40分と紹介されているが、休み休み進んで1時間ほど所要。その間、竪堀、土塁、堀切など遺構が見られました。北郭からは伊勢平野、伊勢湾を見渡すことができ、当時、攻め込んできた織田の大軍もよく見えたのでは。
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2023/12/09 20:02
浜田城 (2023/12/09 訪問)
講演会のついでに立ち寄りました。するとガイドの方が散歩中で、とても詳しくお話下さいました。有意義な時間でした。
陣所は【ニューキャッスルホテル】南御殿跡だそうです。私の部屋からは城山は見えませんでしたが、天守の方向を仰ぎ見れる部屋があるかも?
朝食は浜田名産【赤天】やカレイ、野菜たっぷりサラダ(1日必要量の1/3の野菜量)等でした。
【2025年 全国山城サミット 益田大会 】七尾城から東に車で約50分。
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2023/12/09 18:18
小川城 (2023/11/19 訪問)
【小川城】
<駐車場他>東吉野村役場駐車場を利用しました。
<交通手段>車
<見所>空堀・堀切・竪堀
<感想>城跡碑裏側の説明書きによると小川氏は南北朝時代に興り、丹生川上神社の祭祀を司り東吉野地方を支配したとあります。織豊政権支配の時に小川氏は滅んだとあります。
登城口は<34.402620, 135.968999>民家の横を通り山に入ります。山は植林整備されているので非常に登り易いです。途中消えかかっている矢印の木の板で案内に沿って登っていけば城跡に着きます。途中、中腹に窪地のある井戸跡のような所や登城路を割く竪堀が見られます。城跡の主要部は南北に大きな曲輪が3つ並んだ連郭式で最南が主郭となっています。登城路からはまず最北の3郭(仮称)の正面の横堀にたどり着きます。3郭は上下2段式になっていて鉄塔の施設がありますが余裕のある広さです。3郭~2郭~主郭は空堀で仕切っており各々竪堀として下の方まで伸びていて見応えあります。主郭は南北に長い長方形の削平地で南側に土壇があります。石積みですが主郭土壇の石積みは後世に積まれたもの、主郭虎口の石積みは側面の下の方に崩れた石積みがあるのでここは現存の石積み跡、虎口は積み直しされたもの、または現存のものではないかと考えます。理由は周辺に岩場がないので後世の人々が新たにここに石を運んだとも思えないので。虎口の鏡石の大石なんか格好良く見えます。
主郭背後の搦手側は2重堀切になっていてここも見応えあります。さらに奥に行くと、左手下方に広い削平地が上下2段あります。ここも奥に貯水塔があるので後世に造ったものかもしれませんが、横堀があるので武者溜まりの曲輪と思いたいところです。遺構が明瞭に残っており、なかなか見応えある城跡でした。
<満足度>◆◆◇
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2023/12/09 17:08
城址到達に一苦労 (2020/12/14 訪問)
迷ったあげくに城址を発見。登城口前の駐車スペースに駐車して登城開始。
案内板によれば堀内氏善が築城したとされる城。東泉寺廃寺跡地を通ってトラロープを頼りになんとか本丸へ。城内では堀切らしき跡や石垣を確認できました。日没前、急いでまわり30分ほどで下城。
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2023/12/09 16:36
結構ハードな山城 (2023/12/03 訪問)
四国八十八ヶ所の71番札所弥谷寺をお参りし、登城口から登って行きます。
遍路道でもあり、整備されている登城路です。
しばらく登っていくと段曲輪があり、ここからが城域のようです。
さらに進むと尾根道上に堀切があり、その上に曲輪が。
キルゾーンです。
この曲輪、土塁が隠し砦で広さもありました。
そのすぐ先には犬返しの剣と呼ばれる急坂。
攻め手にはかなりの難所かと。
しかも滑りやすく注意が必要ですね。
さらに進むと石積のあるエリアが見えてきます。
急斜面に石積がへばりつく感じ。
ここまで来ると本郭エリアまでもう少しですが、この日は地元の城友さんのご案内もあったので一本尾根を降りて見ました。
先端部の東側は採石場で削られているため墜落の危険性ありなので近寄らないほうが無難。
ただし明確に曲輪が残っていました。
引き返し主郭へ向かいます。
主郭の手前には巨岩が並び、土塁の役割をしていたそうです。
主郭まででもかなりの達成感を得られますがさらにその先にも見どころが。
堀切です!
石が剥き出しになった深い堀切が設置されていました。
久しぶりに素敵な堀切に出会えた感じです。
旧本丸を経てさらに進むと尾根が続きます。
北の尾根を降りるとここにも見事な段曲輪が。
さらにその先に絶景ポイント!
瀬戸内海の多島美や瀬戸大橋を望むことが出来ました。
結構な時間を天霧城で過ごし、引き返します。
が、ここからも見どころが。
先ほどの堀切から斜面沿いに犬走りが。
こちらから戻ることにしました。が、激細。
足を滑らせると滑落の危険性ありです。
しかも落ち葉で道も明確に見えず。
ゆっくりと進むことにしました。
途中、井戸もあります。なんでここなんでしょう?
今でも水が張っています。
結構長い(と感じられる)タイトな犬走りでした。
見慣れた北関東の山城と比べると土木量や芸術性はありませんが見ごたえのある素敵な山城でした。
書いた通り危険な場所もあるのでそちらへ行かれる場合は弥谷寺での安全祈願をおすすめします。
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2023/12/09 11:30
周囲は土塁と堀の巨大方形城館 (2023/11/13 訪問)
矢板城を終えて、南東へ約2~3km程に在る、御前原城を2度目の登城、シャープ栃木工場映像事業部へ出張で訪れ、仕事終わりに初探訪して30数年振りの登城でした。
駐車場:御前原城中心部に砂利駐車場、余裕の駐車(36°47'21"N 139°56'40"E)、トイレ有。
参考資料:城郭放浪記さん、古城盛衰記さん、グーグルマップに依る。
唯一の北側入口より入り、駐車場を利用、30数年ぶりで懐かしいが記憶は薄れてるが広大な居城の記憶が甦って来る、麻疹地蔵尊の堂宇、庭園跡、北入り口から東西良く観える二重土塁と間の空堀、北東、南東、南、北西エリアの内部はグランド、グランドゴルフ、など市民の運動広場に成っており、周囲には桜が植栽されて春はさぞ奇麗でしょう。
南側の枡形虎口エリアは周囲が元シャープの敷地で南から進入トライしたがゲート、フェンスが有り進入困難、西側、北側、東側の外土塁は護岸で石積、コンクリートとで護られている。グーグルマップの航空写真で見ると方形城館エリアと南に突出た枡形虎口エリアははっきり見る事が出来ます。
案内解説板によると、国道4号線バイパス工事の元案では城跡の中心を通る計画だったそうですが、地元の方々の反対運動で現在の東に通る道へ変更、バイパス計画で開けた周辺の工場団地計画でシャープさん始め多くの会社が進出してきましたが、現在の本丸、御前の内は護られて保存整備され現在に至ります。
元々の広さは東西約650m、南北約1000mと推測されるそうです、現在は東西南北約180mの主郭部と枡形虎口のみ。
よくぞ遺して頂けた、今日探訪見学する事が出来ます。大変ありがたい。
歴史は、発掘調査の結果1400年代以降と判断されている、下野北部の塩谷氏の城、小田原征伐後、関ケ原後も残るも、正保元年(1644年)泉騒動が勃発し城主塩谷惣十郎が殺害されて跡継ぎが無く断絶、廃城と成った。(解説板と古城盛衰記さんの抜粋)
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2023/12/09 10:05
安政遠足って、おやつ持って行けるの? (2023/10/30 訪問)
安中氏が、武田 信玄さんの進攻に備えて築城した「安中城」。
防ぎきれず武田家に降伏しましたが、後の長篠の戦いで安中氏は討死し、「安中城」も一旦 廃城したようです。
その後、家康さんが関東に移ると、井伊 直政さんの長男が「安中城」を再築城、安中藩を立藩しました。
小学校の入口に石碑があります。駐車場が石碑前にありますが、学校関係者の駐車場のようで、学校裏の安中市文化センターの臨時駐車場に駐車しました。
月曜日なので、小学校からは元気な声。学校と文化センターの間の道を歩くと『八重が淵の碑』があります。新島襄さんの所縁の地なので、奥様の八重さんかと思ったら違いました。
正室VS殿様に寵愛を受けてた女中。
どの時代も男女のいざこざが絶えません。
「安中城」の本丸の案内板を発見。斜向かいに『安政遠足覗き石』があります。
覗いた先が碓氷峠の熊野神社なんだそうです。
藩士の鍛練の為、30km位を早歩きです。峠までの標高差がかなりあるので、つらそう、、、。
50歳以下が参加しました。良かった セーフ。
今でも、マラソンとして受け継がれてました。皆さん殿様や忍者等、コスプレして出場するみたいです。
近くには旧安中藩武家長屋や群奉行役宅もあります。この日はお休みでした。
安中の街は、文化財になっている意外に、素敵なお宅がありました。
彦根藩を病弱な弟に継がせ、安中に来た長男の井伊 直勝さん。
今は、安政遠足で 皆さん健康的です。
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2023/12/09 08:42
とことん岡山城(夏の烏城灯源郷) (2023/08/13 訪問)
(続き)
秋の烏城灯源郷も終わったというのに、今さらながらの夏の烏城灯源郷ですが…。
本段御殿跡に並べられた和傘越しの天守は日光の下でも鮮やかでしたが、日が沈み和傘灯りが灯ると一段と華やかです。天守の礎石エリアには灯りのアート「ギャラクシーサマーフェス」が設置されていました。不明門内では岡山城忍者屋敷が開催され、忍者の解説パネルや忍具の展示、手裏剣投げコーナーなどがあったようですが、子ども連れの長い列が出来ていたので時間的に諦めて中の段へ。
中の段では不明門や月見櫓、本段西辺石垣がライトアップされています。廊下門から下の段に下りると天守がライトアップされ、小納戸櫓下の石垣に烏城灯源郷の文字が映し出されていました。ライトアップされた月見櫓の下を南に曲がると、中の段の西辺石垣に涼しげな照明に水玉模様が浮かび上がる「しずくのみち」になっています。そして暗闇に照らし出された大納戸櫓の石垣を見上げ、内下馬門の巨石のライトアップを眺めつつ目安橋から退城しました。
子どもの頃からの念願だった天守もリニューアルされた天守内の展示も大いに見応えがありましたが、宇喜多期、小早川期、池田期でそれぞれ特徴の異なる石垣が見事に遺っていて、取り壊された建物跡も発掘調査に基づいて平面表示され、烏城灯源郷でライトアップされた天守や石垣も幻想的で、期待以上に堪能させていただきました。時間があれば後楽園(夏の幻想庭園)にも行くつもりでしたが、青春18きっぷで帰宅する最終の時間も迫っているのでまたの機会に。「とことん岡山城」としても、本丸周辺だけでは全く不十分なので、次の機会には「絵図で歩く岡山城下町」を片手に城下町も散策してみたいと思っています。
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2023/12/09 02:27
2023/12/09 01:05
見どころ満載 (2020/12/14 訪問)
宿営地の里創人熊野倶楽部から車で30分ほど。城址隣接の駐車場から登城開始。
築城の名手、藤堂高虎の手によると推測される城。東郭から主郭への虎口は左へ右へ折れ曲がり、桝形が見られる。各所の石垣はまだ算木積が見られない。主郭の石垣には横矢掛かりあり。北郭、西郭、もどって南郭と見てまわり45分ほどで駐車場へ。
下城後、向かいの県道から城址を遠望し、車で10分ほどのところにある道の駅熊野・板屋九郎兵衛の里で続日本100名城スタンプポン。
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2023/12/09 00:45
鎌掛城 (2023/12/08 訪問)
正法寺(藤の寺)駐車場を利用。案内に沿って山屋敷跡経由で登城(登山)。鎖場が2か所程あり、この時期、落葉で滑りやすく、下りは要注意。
山頂(伝本丸)からの眺めが良かったです。名勝の屏風岩は、下から眺めたほうが良いかも。
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