長見山城から車で10分ちょっとで、ゴミステーション横(34.606989、132.731281)に着き路駐しました。
そこから、登城口(34.605561、132.729625)に向かいました。
築城年代は定かではないようですが、1350年(観応元年・正平5年)以前に毛利親衡によって築かれたと云われています。
1352年(観応3年・正平7年)観応の擾乱において親衡・匡時父子は南朝に属したため北朝方の安芸守護武田氏信に攻められますが、約半年籠城し南朝方の直冬の援軍がくるまで「坂城」に籠っています。
その後、親衡の次男匡時が坂氏を名乗り、この地に土着しました。
1522年(大永2年)毛利氏が大内氏から尼子氏に属した後も、坂広時は大内方に留まることを主張したため、尼子経久から坂氏の攻撃を迫られた毛利元就は、やむなく日下津城を攻め広時を自刃させました。
坂広秀は1523年(大永3年)毛利元就が宗家を相続するにあたっては郡山入城を要請する書状に連署した重臣の一人でした。
翌1524年(大永4年)元就の異母弟相合元綱を担いで宗家を乗っ取ろうとする計画が失敗し謀殺されました。広秀の後は坂氏庶流の志道広良の子元貞が坂氏を継ぎました。
1541年(天文10年)大内家臣の杉氏が「坂要害」に入城しています。これらがこの日下津城にあたると言われています。
登城口から登ると墓地があり、その奥に獣除けの柵が設置されているので、外して入ることができます。
城跡には鋭い斜面を持った曲輪や、堀切、土塁、井戸跡などが残っています。
攻城時間は55分くらいでした。次の攻城先=七郎城に向かいました。
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