にのまるさんから発動(?)された,【お城×東横イン】1枚いきます。「東横イン富士山大月駅」を,岩殿山城から俯瞰しています。
「そもそも,富士山を撮る時に,写り込んだだけじゃネエか!」と言われそうですが…<苦笑>。
「東横イン富士山大月駅」ですが,開業後は重宝しています。
にのまるさんへ…
東横インのフォトコン📷にぜひエントリーしてみてください。チェックインして,にのまるさんの撮影画像があったらとても嬉しい気分になりますので。
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2024/09/12 18:18
【お城×東横イン】まだ,開業前でしたが… (2022/01/09 訪問)
にのまるさんから発動(?)された,【お城×東横イン】1枚いきます。「東横イン富士山大月駅」を,岩殿山城から俯瞰しています。
「そもそも,富士山を撮る時に,写り込んだだけじゃネエか!」と言われそうですが…<苦笑>。
「東横イン富士山大月駅」ですが,開業後は重宝しています。
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2024/09/12 12:08
お楽しみチャレンジ3つ (2024/08/14 訪問)
2週間前に身延線各駅停車での完乗と勝山城訪問で行ったばかりですが、また甲府です。リニア見学センターに行ったあとに大月から移動しました。
【チャレンジ①:信玄公像と風林火山マンホールを一枚の写真に収める】
甲府に行ったらやってみたいと思いつついつも忘れてしまっていました。信玄公像は駅南口。風林火山マンホールは横断歩道を渡ったところにあります。
リュックを背負っての電車旅が常で、手回り品を少なくするべく数年前にデジイチを手放し、最近はコンデジすら持たなくなったのでカメラはスマホのみ。しかもシングルカメラのiPhoneSEなので機能に頼ることもできず。結果、裸眼で見たままで、かっこいいコラボ写真には程遠い写真しか撮れませんでした。でも目的は果たせたのでOK🙆♀️です。
【チャレンジ②:甲府城と東横インのベストアングルを探る】
午前中に岩殿城でも《城と東横インチャレンジ》をしたのでこの日2城目です。
真っ先に天守台に上がりました。「東横イン甲府駅前」は風林火山マンホールの少し先。遮るものもなくいい感じで収まります。銅門そばのお手洗いが視界に入りますが、このお手洗いが本丸防御の如く建つL字の隅櫓の体を成していて、瓦、壁、窓どこを見ても“たかがトイレ”と言わせない本気の作事ぶり。城のトイレのアイコンともいえる海鼠壁模様も採用しておらず景観を壊すことなく周囲に溶け込んでいるので、写り込んでも全く気になりません。
本丸に下りてみました。天守台の上からだと石垣を大きく捉えることは難しかったのですが、下からだと銅門石垣の中にちょうど収まりました。
【チャレンジ③:武田三代の銅像を一日でまわる】
それぞれ何度も行っているので同じ写真がたくさんあるのですが、振り返ってみると一日で三代すべてを撮ったことはなかったかも?ということでチャレンジです。
甲府駅北口の信虎公、南口の信玄公は余裕でいけます。勝頼像があるのは上り方面・甲斐大和駅の北口。甲斐大和は通過待ちをしたりしなかったりで停車時間も長かったり短かったり。今日はどうかな?と思いながら帰りの電車を時刻表で調べると12分の停車!12分あれば改札を出て写真を撮って余裕で戻ってこられます。(※乗り降り自由の18きっぷ利用です。)
これで難なく三代コンプリートできる(^^)と思ったのですが、折しも“南海トラフ地震臨時情報”の発表で電車は減速運転中。甲府を出てから少しずつ遅れていき、甲斐大和駅には8分遅れで到着。これにより12分の停車予定が4分になり、遅れを取り戻し定刻発車できるのは嬉しいことではあるのですが、勝頼像まで行って戻ってこられるかは微妙。ということでチャレンジは諦め、コンプリートならずでした。
また何か楽しいお城あそびを思いついたらやってみたいと思います(^O^)/
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2024/09/12 10:34
竹崎季長と蒙古襲来絵詞 (2024/09/09 訪問)
元寇防塁からの季長の話を続けさせて頂きます。
まず居城とされる熊本県宇城市松橋の「竹崎城」を訪れました。
松橋から狭い県道を4km程行き、途中の標識(写真①)の所からさらに狭い山道を1km程登った所にありました(車でも行けますが道かなり狭いです)。まったく人気のないうっそうとした山の中に、ここに城があったことを示す碑が残されていました(写真②③)。あの元寇で活躍し絵詞まで残した武将の城とは思えないような、とても荒れ果てていたのが少し悲しかったです。その本丸から見下ろすと、木々の隙間からは松橋町と八代海が見えました(写真④)。また県道の横には、季長生誕の地もありました(写真⑤⑥)。また隣の小川町の平原公園に季長の墓がありました(写真⑦⑧)。晩年はここで過ごしたようです。
鎌倉から失意の内に戻った季長ですが、この眼下(写真④)に見える松橋の地(現在の松橋町と小川町)が自分のものとなり、恩賞が無かったよりはまだましだと、心機一転し領国経営に努めます。またその傍ら幕府の命により、担当した「生の松原」に防塁を築く事にも従事します。そして完成するや否や1281年予想どおり元の大軍は再びやって来ました(弘安の役)。
元の大軍は総延長20kmにも及ぶ広大な防塁に妨げられ、なかなか上陸できません(かなり効果があったようです)。ここで季長は、唯一自分を信じてくれて恩賞をくれた安達泰盛や、泰盛から前回の活躍を聞き侍大将に取り立ててくれた少弐景資(総大将で鎮西奉行)らの恩にむくいるため、果敢にも逆に自ら夜襲を仕掛け、敵船へ飛び乗り敵首を上げるなど再度大活躍し、元軍を博多湾に釘づけにします。そうこうしているうちに台風が襲来、元軍は鷹島沖に避難するも大半が沈没、日本軍は再び勝利しました。
しかしその後に戦が終わると、鎌倉幕府の内紛で恩賞のない御家人を何とか救済しようとする泰盛と、そうされては北条家が危ないと北条を守ろうとする得宗家が対立、泰盛は暗殺され(霜月の乱)、その仇を討とうとした景資も逆に討たれてしまいました(岩門合戦)。
季長はその後、絵詞(下巻)を完成させ元寇の一部始終を記録に残す事に生涯をささげたようです。その下巻はどちらかと言うと恩賞目的ではなく、自分の活躍(自慢話)や恩のある人物を後世に残したいという意味合いの方が強かったようです。自ら築いた生の松原防塁の前で、景資が見守ってくれる中を堂々と出陣する姿や(写真⑨)、元軍の船に飛び乗り活躍する姿や、自分の言い分に耳を傾けてくれている泰盛の姿などが描かれています(写真⑩)。
元寇(弘安の役)から12年後の1293年、絵詞を完成させた季長はそれを地元の甲佐神社に奉納した後、塔福寺に出家し生涯を終えました。墓はその塔福寺のそばの現在の平原公園にあります。
それから570年後の江戸後期に、絵詞は肥後細川藩により発見されて江戸幕府に献上され、ボロボロだったのでなぜか幕府から少し手を加えられて写本され(例えば前回元寇防塁での写真⑧の三人が追加されているなど)、それが現在に残っているとされています。
でも彼のおかげで、約730年後の現代に生きている我々は、元寇の様子を知る事ができるので、私はこの「竹崎季長」に(あっぱれ!+感謝状😊)をあげたいと思います。
以上長々とおせっかいな解説で、どうもすいませんでした~!
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2024/09/11 23:42
大阪を作った男 (2024/09/07 訪問)
障害者割引あり(割引率100%) 駐車場は豊公園にあり、長浜城まで少し歩きます。 あらかじめ電話で連絡をしておけば長浜城入口まで車で来れると後から知りました。 入口にはいきなり階段がありますが車椅子のままリフトで上がれます。(インターフォンで呼ぶ) 館内にもエレベーターがあり、3階までは資料展示室になっておりエレベーターで移動が可能ですが4階5階へは階段のみ。 5階の展望台までは杖で上がり、琵琶湖を一望できました。
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2024/09/11 23:33
聞き慣れた武将でも楽しめる (2024/09/07 訪問)
【信長の館】 障害者割引あり(割引率100%) 原寸の安土城の5階6階部分を再現。 5階部分は車椅子での観覧可能ですが、6階は外側は見れても中の部分は階段でしか登れません。 とはいえ、5階だけでも安土城の迫力を十分堪能できます。 【安土城跡】 障害者割引なし 車椅子では登れません。 私は、杖で試みましたが段差にかなりのバラつきがあるため、高さがある段は足が上がらず途中で断念。 それでも穴太衆の作った石垣はやはり圧巻。見る価値大です。
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2024/09/11 23:04
「キン肉マン」と「風林火山」 (2017/12/10 訪問)
「風林火山」といえば甲斐国の戦国武将・武田信玄の旗指物として有名ですが、アラフィフ世代の方ですと「キン肉マン」の必殺技を思い出す方も多いと思います。
キン肉マンが師匠であるプリンス・カメハメから授けてもらった48の殺人技の三番目にあたる技なのですが(後に52の関節技も伝授)一撃必殺の派手な技が多い「キン肉マン」の世界において、4っつの基本技の集合体という異質な技でもあります。一つ一つは地味な技でも、カメハメによって基礎体力と根性を徹底的に鍛え上げられたキン肉マンが使用することによって強烈な破壊力を発揮し、ビジュアル的にもインパクトは抜群でありました。この技をキン肉マンの技の「一押し」にあげられる方も多いと思います。
アニメでは幾度となく使用され、かの「ウォーズマン」との戦いでもキン肉バスターでは仕留めきれず、この技をフィニッシュに使用しています。しかし原作ではアメリカ遠征編でのジェシー・メイビア戦で使用して以来、続編の完璧超人始祖編のピークアブー戦でフィニッシュホールドとして使用するまで長らく使われて来ませんでした。
これは「ゆでたまご」先生のアニメ「キン肉マン」とスタッグへの熱いリスペクトだと思います。すばらしいお心づかいだと思います。
「風」担当‥高天神城
第一次高天神城の戦いは60日の籠城戦でしたが、武田信玄ですら攻めあぐねた高天神城を最短で落城させることに成功したと思います。天神という名称も「風」を連想させます。
キン肉マンでは‥ダブルアーム&ダッシュ(大回転) 必要スキル「手足の強靭さ」
相手を羽交い絞めにした後、片腕を引っかけたままリング上で相手を振り回します。もしくは羽交い絞め(ダブルアーム)の体制のまま回転し相手をリングに叩きつけます。
「林」担当‥躑躅ヶ崎館
甲斐武田氏三代の居館であり平城としての機能も持っています。信玄公は普段は、ここで静かに暮らしながらも時々若衆相手に「おいた」をしていたものと思われます。
キン肉マンでは‥ローリングクレイドル 必要スキル「体のひねりの柔軟さ」
相手の下半身をホールドしてリング上を回転し、そのまま重力に逆らって空中に浮遊していきます。
「火」担当‥駿府城、浜松城&三方ヶ原古戦場
いずれも武田信玄によって侵攻を受けています。酒井忠次の機転によって、からくも浜松城は守られましたが、家康公は三方ヶ原で人生最大の敗北を喫しています。
キン肉マンでは‥パイルドライバー(ツームストンパイルドライバー) 必要スキル「体のバランス」
相手を逆向きに抱え上げ、胴体をガッチリホールドし脳天をキャンバスに叩き付けます。ピークアブー戦では両膝をキャンバスに接地するツームストンパイルドライバーを披露しています。ローリングクレイドルで空中浮遊してからの繋ぎ技なので破壊力は強烈です。
「山」担当‥要害山城、久能山城
要害山城は武田氏の詰の城であり、信玄公誕生の地でもあります。久能山東照宮は家康公の(最初の?)「墓所」でありますが、元は武田方の山城でもあります。
キン肉マンでは‥ロメロ・スペシャル(リバース・ロメロスペシャル) 必要スキル「パワーを一気に出し切る集中力」
相手の両足を自らの両足でホールドし、相手の両腕をつかみ、エビそりにして背骨を傷めつける技で、別名「吊り天井固め」。この技も仕掛けている途中で空中浮遊状態となり、高さ10m位まで上がったところで、相手が戦闘不能になります。
基本的に「風林火山」の技はニュートンにケンカを売っています。
カメハメ師匠の教えでは「この全てを日々、鍛錬することで其が出来上がる。全ての技は其に通ずる」とのことです。深いですね。
※「風林火山」のロメロスペシャルは初期の漫画版では相手の体が逆向きである「リバース・ロメロ・スペシャル」になっていましたが、後に通常のロメロ・スペシャルに差し替えられています。
「ロメロ・スペシャル」は単発技としてもラーメンマンが若き日のブロッケンJrを仕留めるのに使用しています。キン肉マンの世界では十分強力な基本技の一つです。
※※ここ重要 キン肉マンがカメハメ師匠から授かった「48の殺人技」は名称に殺人と付いてはいるものの、基本的に倒された相手は存命しており、キン肉マンと友人(仲間)になった超人も数多くいます。ネプチューンキングのような例外はいるものの、基本的にキン肉マンのテーマは「友情」「努力」「勝利」であり、「相互理解」も一貫して続いている重要な要素です。
正義超人の中でも「キン肉マン(スグル)」は特にそれが顕著で、悪魔将軍やアシュラマンのように変わらず対立関係にいる者にも何らかの変化が起きているようです。
そう心に「愛」が無ければスーパーヒーローでは無いのです。
※これは「城びと」の投稿サイトです。
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2024/09/11 21:37
主郭と思われる。 (2024/09/11 訪問)
標識等何も無し。国史跡とは思えない。
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2024/09/11 20:48
村岡城址公園 (2024/05/03 訪問)
暑いですね~。TVを付けたら9.11同時多発テロの番組をやってます、あれから23年もたったのね。当時も大変だったと思うけど、今よりだいぶ涼しかったような気がします。残暑ってレベルじゃない!
村岡城は現在、村岡城址公園になっています。古くは高望王の五男で坂東八平氏の祖とされる平良文(村岡良文)の居館が有ったとされ、戦国時代には玉縄城の支城であったと考えられています。城址は周囲より小高くなっており、三日月井の碑が有る以外は特に遺構は残っていないようですが、公園として整備されていることで、住宅地の中の良い遊び場になっています。
庭でコオロギが鳴いています。まだまだ暑いですが、じんわり秋になってきているんですかね。
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2024/09/11 19:15
新・登山道情報
山梨のリニア見学センターに行った際に大月駅で岩殿山を見上げ、「崩落の危険で強瀬ルートが通行禁止になる前に2度登った。その後畑倉登山口からチャレンジするも途中で怖くなって撤退。以後見上げるだけになってしまった。」と別SNSで呟いたところ、落石現場を通らない登山道が今秋にも整備完了予定であるという新聞記事を地元の方よりご紹介いただきました。温かいお返事と情報がとてもうれしかったです。
新設される登山道は丸山公園付近を通り、浅利ルートと合流するようです。
大月市観光協会のHPに岩殿山についてのお知らせページがあるのですが、現在のところ進捗状況等の情報は見あたりません。
来春、中央線快速(東京〜大月・E233系)にグリーン車両が連結されますが、10/13からお試し期間としてグリーン料金不要で乗れるそうです。ぜひこの期間に“グリーン車で岩殿城⛰️”という夢体験をしてみたいです。
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2024/09/11 19:11
2024/09/11 18:38
巌流島
前田台場の[周辺観光]②です。
1612年(慶長17年)の武蔵と小次郎の決闘の地として知られる巌流島。ドラマや小説で諸説展開され、また決闘の聖地としてプロレスや将棋の対戦、対局の場となってきました。
巌流島へは唐戸桟橋から連絡船で10分で渡ることができます。唐戸⇄巌流島・唐戸⇄門司港一日乗り放題の『トライアングルフリーパス』(¥1,000)が便利です。
※門司港⇄巌流島は休航中。
決闘があった当時の巌流島の面積は現在の1/6。
昭和48年まで有人島で現在も私有地が占める部分が大きいですが島内観光は可能です。
いちばんの見どころは武蔵・小次郎像。どの角度から見てもかっこいい😎です。
また、海峡の真ん中から眺める関門橋は格別です。
⭐︎巌流本舗さんのどら焼き「巌流焼」はしっとりふわふわでとってもおいしいです。
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2024/09/11 12:23
馬関攘夷戦の火蓋が切られた。
前田台場の[周辺観光]として「亀山砲台跡」を投稿します。
亀山砲台があったのは唐戸市場の目の前の亀山八幡宮です。
幕末に長州藩によって築かれた砲台のひとつで、この場所から外国船への砲撃が開始されたそうです。(砲台の詳細については現地説明板を添付します。)
この場所で昭和33年から風雪に耐え、海峡を行き交う船を見守り続けているのが、写真②③のボール⚾️です。
投げ込んだご本人は申し訳ないと思い続けていらっしゃるそうですが、今では当地の名物として「今日も無事に嵌ってくれている」という安心感を与えてくれています(と思います)。
当地に観光にいらっしゃる機会がありましたらぜひ神額を見上げてみてください。
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2024/09/11 10:54
元寇防塁へようこそ! (2024/09/07 訪問)
モトさん、赤い城さん、また過去に元寇防塁をお訪ね下さった城人の皆々様、御訪問いただきありがとうございます。実はここ(生の松原・姪浜・愛宕)地区一帯は、私が仕事でよくウロウロしているまあ庭みたいな場所です(笑)。なので地元ボランティアガイドになったつもりで、ここでおせっかいながらも元寇に関するエピソードを御紹介させて頂きます。
元寇防塁は、執権「北条時宗」が、1度目(1274年文永の役)の反省から、2度目(1281年弘安の役)の元の襲来に備え九州の各御家人に命じて築かせたもので、福岡市内の各所に今も点々と残っています。中でも最も状態がいいのは、復元保存されている「生の松原」(いきのまつばら)です(写真①②③)。ここは有名な「蒙古襲来絵詞」という40mもの長々と膨大な絵巻物を作った、あの熊本県宇城市松橋(まつばせ)の御家人「竹崎季長」(たけざきすえなが)が築いた防塁で、この絵詞(えことば)が残っているがゆえに、現代の我々は元寇の様子を詳しく知る事ができるのです。
では熊本の田舎の貧乏御家人であった季長が、なぜ巨額の投資(借金)をしてまでこのような膨大な絵巻物を作ったのか、皆さんは御存知でしょうか🤔?
最も有名な絵は、この季長が馬が血を流しながらも勇ましく先陣を務め斬り込んで行く姿を描いている(写真⑧)の絵です。これは学校の教科書にも載っているので誰もが見た事がある絵だと思います。これは文永の役で最も激戦とされた「鳥飼の戦い」(福岡市城南区)を描いたもので、彼がここで勝利したため、上陸した元軍は船に逃げ帰り、その後天候の不良や食料不足や疫病などがあったため元に帰って行ったと言われています。この絵の舞台とされる鳥飼の「埴安神社」(写真⑨)や「塩屋橋」(写真⑩)や「祖原公園」(写真⑥⑦)にも行ってきました。このあたりが激戦地だったようです。この(写真⑧)の絵は、松の木がある事から(写真⑨)の埴安神社での戦いの様子を描いた物だと伝わっています。つまりこの絵詞は、命がけで戦ったにもかかわらず、鎌倉幕府から何の恩賞も無かったので、業を煮やした季長は自分の活躍をアピールし、鎌倉幕府から恩賞をもらうために作ったのではないかと言われています。では本当にこれで恩賞にありつけたのでしょうか🤔?
文永の役後、彼はこの絵詞(上巻)を携え、またも借金をしてまではるばる松橋から鎌倉まで何カ月もかけて行きました。着くと服はもうボロボロで、「田舎の貧乏御家人が何を言うか!ワハハ」と活躍した武将だとは誰からも信用されず、笑い者にされ相手にもされなかったようです。しかし粘り強く通い続け、1年後にやっとの思いで恩賞奉行(安達泰盛)に目通りがかない、そこで盛泰は季長の事を唯一信じて上奏しますがかなわず、彼にはせめてと松橋の地頭職を与えました。地頭職とは今の松橋町長のようなもので、彼としては当然時宗からお褒めの言葉があり、幕府の要職にここ鎌倉で取り立ててくれるだろうと淡い夢を描いてはるばる鎌倉まで行ったのでしょうが・・・(ああ~何と惨めな季長)😩・・・日本を救ったヒーローであるにも関わらず、認められないまま松橋に戻ります。
次は居城(竹崎城)にて弘安の役からどうなったのかの話へ続きます。
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2024/09/11 10:23
総石垣造りの山城 (2024/08/12 訪問)
佐敷城は標高87.3mの花岡山に築かれた総石垣造りの山城です。規模は南北200m、東西100m程の規模で本丸、二の丸、三の丸を階段状に配置した梯郭式構造で、加藤清正公の領地となった1588年~1592年にかけて薩摩国境を守る「境目の城」として、また、熊本城の重要な支城の一つとして飛び領地に築かれ、加藤清正公の家臣、加藤重次公が城代として派遣されています。
この城は、一国一城令で加藤氏が破城していますが、加藤氏の改易後、新しく肥後藩主となった細川氏は加藤氏が行った破城が不十分として再度石垣を取り除いたと幕府に報告しており、二度破城が行われた珍しい城跡です。
1993年~2001年にかけて発掘調査が行われ、1997年から石垣が復元されています。復元された佐敷城はこじんまりとしていて、大きくないものの総石垣造りの姿は素晴らしく、大手門から二の丸東門の枡形虎口は見応えがあります。また、車で山頂付近まで行くことが出来、駐車場から徒歩5分程で搦手門まで行くことが出来ます。
皆さん方の投稿を見て、「行ってみたいお城」NO1のお城でしたが、今回初めて登城することが出来、達成感につつまれており来年、鹿児島県を訪問する際には、是非もう一度行ってみたいと考えています。
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2024/09/11 07:06
住宅地の中にひっそりと (2024/09/01 訪問)
志度駅から徒歩5分、近くに駐車場はありません。
志度寺の駐車場から徒歩で登城しました。
安富盛長が雨滝城の支城として築いた城で中津城、中洲城とも呼ばれています。
周辺は住宅地となっていて遺構はありません。
宅地の中に地蔵尊・不動尊・五輪の塔があり、説明板も設置されていました。
北側と西側に堀があったとのことですが痕跡はわかりませんでした。
志度は平賀源内の生誕地でもあります。
近くに平賀源内の記念館がありますが開館前で入れず。
駐車場を使わせていただいた志度寺を参拝することに。
志度寺は四国八十八か所の86番札所です。
お遍路さんの姿もちらほら。
このお寺には生駒親正の供養塔もあります。
讃岐のお殿様なのでしっかり拝んでおきました。
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2024/09/10 23:23
いまの姿を。 (2024/08/06 訪問)
三原から広島までの移動は新幹線に特定特急料金が適用されるため990円の課金で在来線利用よりも1時間ほど移動時間を短縮できました。
午後2時過ぎに広島駅に到着し、新幹線口2番乗り場から観光ループバス「めいぷる~ぷ」のレモンルートで広島城(護国神社前)へ。
久しぶりの訪問で、記憶をたどるというよりも初訪問のような感覚でした。
裏御門から入り本丸下段の広島大本営跡を歩きます。
やがて見えてきた五層の天守。近いうちに見られなくなるであろうこの眺め。訪問前は「今のうちに見ておかないと……」という気持ちもありましたが、いざ目の前にすると、今までお疲れさまでした、という気持ちの方が先立ちます。戦後、広島の人たちの活力となった二代目天守とこの三代目天守。当時、コンクリート天守は燃えないから安心だという声があったと聞いたことがあります。充分にその役目を果たしたのだから最後まで安全に持ちこたえてほしい、美しい姿のままであってほしいと願わずにはいられませんでした。
すぐそばに初代天守の礎石が展示されています。戦の時代は終わってもお城の歴史は連綿と続きます。形を変え、役割を変えても、いつでも行ける場所として在り続けてくれたら、と思いました。
本丸では荒々しい石垣も数多く見ることができました。人の気配もなく静まり返った空間はそこだけ時が止まったかのようで畏れさえ感じます。
二の丸と繋がる中門で折れや鏡石に心躍らせていると、赤く変色し大きくひびの入った石が目の前に迫ってきました。被爆の痕跡です。いつか戦争体験を語る人がいなくなってもこの石が語り続けてくれるだろうと思いました。
二の丸は在りし日の姿が復元されています。平櫓・多聞櫓・太鼓櫓の壮観さ、表御門の重厚さ。薀蓄抜きで眺めていたくもなる光景でした。
8月6日に広島観光を楽しんでいいのだろうかという思いをもっての訪問でしたが、他の観光地同様たくさんの外国人観光客の方々がいらして、町なかにはにぎやかな日常がありました。
早朝岡山からスタートした“山陽本線お城すごろく”は6城まわってここで終了です。
が、この日のイベントはもう一つ残っており……。
広島城天守同様、来年には乗れなくなってしまう500系新幹線の1号車最前列への乗車です。かつてはのぞみの花形だった500系も今は山陽新幹線のこだまとしてのみ運用されています。500系がくる時刻は予め調べてあったので広島駅までのんびり歩いて戻り、駅のドトールで充電させてもらいながら時間をつぶして待ち、無事目的を果たしました。地元駅到着後、いちばん最後に乗ったのは真っ黄色の115系でした。
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2024/09/10 21:14
石段に 嵌められ踏まれ 四百年~ (お城川柳) (2013/07/24 訪問)
四百年~ といえば往年のキン肉マン(アニメ版)の「牛丼ソング」を思い出す方も多いのではないでしょうか(?)。この「牛丼ソング」、アニメでは毎回のように流れてきて、実に賑やかだったのですが原作(漫画版)では単行本の2巻に「吉野屋」のバージョンで一回出てきたきりです。「吉野屋」バージョンですと、歌詞のくくりが「牛丼ひとすじ 80年~」になっています。あれから40年あまり経過しているので、今なら120年~になりますが、やはり「400年」の方がインパクトはありますね。
「安土城」の「石仏」の投稿です。安土城の石段にはいくつか石仏がはめ込まれているのですが、その中に一つ非常に踏みやすい場所にある石仏が有ります。無心に石段を登っていると踏んでしまう可能性があり、何か「踏んだな」と思った際には、そーっと足の力を抜いて欲しいです。もちろん「お賽銭」も忘れずに。
400年も石段で踏まれていると、どのような心境になるのでしょうか。普通の人なら信長への「怒り」で頭の中がいっぱいになると思いますが、「石仏」様ならきっと登城者の無作為の「おいた」はお許しくださると思います。個人的には、こちらの(よく踏まれる)「石仏」様は安土城のマスコット的な存在だと思っています。
いつまでも「そこで」安土城と登城者の安全を見守っていただけたらと思っています。
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2024/09/10 20:18
諏訪原城 ほか (2024/06/22 訪問)
「しんちゃん」に戻っていますよ(期間限定です)。紛らわしくてすみません。
諏訪原城の投稿ではカレーで話がそれましたが、食べれる「城」もあるんですよ。熊本城は「食えます」
城内の建物の壁には「かんぴょう」が塗り込められており、畳には芋茎(ずいき)を使っていたようです。さすがは清正公! ぜひ「熊本城」スープを飲んでみたい。芋茎なんてどこで売っているんでしょう。他にも食べられるお城はないでしょうか?
また話がそれた。諏訪原城と言えば「馬出」のイメージが強いですが、本丸の周囲の「内堀」二の曲輪の周囲の「外堀」も見事です。徳川方に改修を受けているのですが徳川方にもかなり「城造り」に精通している人物がいるようです。
古宮城、岩略寺城、諏訪原城などは、いわば時間稼ぎのために改修を受けているのですが、個人的には古宮城の主郭の中に土塁を設けて郭数を増やしたのは武田か徳川か気になる所です。防御力は増しますが、最後まで死力を尽くして抵抗せよ、というような「圧」を感じます。馬場美濃守ではないような気がしますね。
「もののふ」であれば戦いの中で「死ぬ」覚悟は当然持ち合わせていると思いますが、だからこそ「生」への執着も尚強いものだと思います。他人に「死」を強要されるのなど「まっぴら御免」だと思いますね。
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2024/09/10 20:06
小田井城 (2024/07/27 訪問)
【小田井城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>地下鉄舞鶴線庄内緑地駅から徒歩
<感想>青春18きっぷで濃尾平野ちょこ城巡り第5弾ラスト7城目。小田井城の築城は応永年間(1394~1428年)に織田大和守家当主の織田敏定によって築城されたとされます。敏定が清洲城に本拠地を移すと、弟とされる織田常寛が城主となり織田藤左衛門家という庶流になります。織田信長の弾正忠家が台頭してきた時の城主織田信直は織田信秀の娘婿だったので一門として重んじられていました。1584年頃の城主織田忠辰の時小牧長久手の戦いで秀吉に城を追われたようです。
現在城跡公園にある石碑は移したもので、本丸跡はJRの線路を越えたもう少し西にあるようです。本丸跡も宅地と交差点になっていて遺構はないようです。
地下鉄の庄内緑地駅から徒歩25分、庄内緑地公園の横を通り、暑い中とぼとぼと歩きたどり着きました。次はJR枇杷島駅まで徒歩22分で合計1時間も歩き(寒かったらマラソンパワーで走っても平気なのだが‥‥)ダウン。予定ラストの隣駅の下津城を残して今回は終了しました。濃尾平野コンプリートまで下津城と竜泉寺城のみとなりました。三重県のちょこ城か愛知県の東の方の城攻めと合わせて制覇したいと思います。今回の旅は地下鉄乗り放題が大いに役に立ちました。気候が良ければ1回の来訪で、もっと沢山回れそうですよ。お勧めです。
気候変動の影響でいくらちょこ城巡りとはいえ、屋外での行動は過酷すぎるので城巡り8月はお休みしてました。とは言っても9月今週末には予定を入れてますが‥。
日帰りで行けるちょこ城がだいぶ制覇してしまったので、来年の夏からどこに行こうかと模索中です。山城は攻略に時間がかかるので尽きないのにね。
<満足度>◆◇◇
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2024/09/10 13:41
鶉野飛行場 (2024/06/17 訪問)
カズサンさんの河口湖自動車博物館·飛行館、城キチしんちゃんさんの浜松広報館·エアパークの投稿に触発され、鶉野飛行場、Soraかさい鶉野ミュージアムを紹介します。
姫路海軍航空隊·川西航空機鶉野工場跡で、1200mの滑走路がほぼ当時のまま遺っている他、対空機銃座、巨大防空壕も整備、展示されています。ミュージアムには、紫電改と九七式艦上攻撃機の実物大模型や紫電改のコックピットが展示されています。また、開隊から終戦までの3年間が紹介されています。コックピットの計器は目盛や針に蛍光塗料が塗られていて、夜間に敵機に見つからないように、紫外線ライトを当てて見ていたところなども忠実に再現されています。
川西航空機姫路製作所で作られた部材を鶉野工場に運び、組み立てました。滑走路から各地に戦闘機を飛び立たせ、また、操縦士訓練も行われたと。日本の最後の切り札とされた紫電改を500機余り組み立てたとありました。海から引き揚げた本物の紫電改が展示してある、愛媛県愛南町紫電改展示館のHPを見ると、紫電改の製造機数は、約400機とあったので、全ての紫電改が、鶉野で作られたということですね。
今回、鶉野飛行場へは3回目の訪問でした。以前は、現ミュージアム建物の南側の防災倉庫が展示館でした。ボランティアの方々が、努力され、いくぶんかの紆余曲折もありつつのSora鶉野ミュージアム開館と推察します。大勢の訪問者が続くことを願います。
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