田圃の中にポツンと本丸跡踏込躊躇!
(2023/11/27 訪問)
明石藩舞子台場を小雨に降られて駆け足探訪後、山陽電鉄舞子公園駅から明石駅の西一つ目の山陽電鉄西新町駅下車し船上城を初登城。
最寄駅:山陽電鉄西新町駅、徒歩約600m程。
参考資料:古城盛衰記さん、グーグルマップ、城びと投稿記事、船上西公園の船上城跡解説板。
山陽電鉄西新町駅から徒歩で約600m程、駅より南下し県道718号線を西へ明石警察署の1本西の通りを南下し、船上西公園へ至る、公園に船上城跡解説絵図が在る、現在と往時の対比で解説されている。西を覗くと水路が堀の如く流れてる、城びと投稿者の写真で見る、松が聳えてる本丸跡が見えるが進入する道が見つからない、周囲の住宅街を公道沿いに廻り、見通しの良い所、進入路は?と廻ると西に2ヶ所あり、見通しのみの所、人一人通れるコンクリ壁に挟まれた畦道、畦道から進入できそうなのですが、山城廻りの長靴安全靴で無く町歩き用の靴で、畦道、続く微高地の人踏道もハッキリせず進入を諦めました。
「あ」さん直近の投稿写真は早苗の頃で田圃に水が入りさも水堀の様です、当日は田圃は耕されて土がむき出し、微高地は島のようで本丸跡で字古城の地番字だそうです。
西の道を北へ、県道718号線に出て東へ、本丸への進入路、撮影地を探査するが適当なところは無く、西の北の畦道が唯一の進入路かも?
西新町駅より明石駅に移動し、船上城移築長屋門が明石城外堀西に織田家長屋門として現存し探訪撮影する。
歴史は絵図入り船上城跡解説板によると、三木城の別所氏一族の林ノ城が始まりで、天正13年(1585年)秀吉の国替えで高山右近が6万石で入封し整備拡大し船上城を築く、天正15年(1587年)秀吉のバテレン追放令で領地没収のうえ明石船上城を追放され、明石船上城は秀吉の直轄領へ、関ケ原の戦い後、播磨は池田輝政領に明石船上城は一族の池田由之の治める所と成り、元和元年の一国一城令により、城構えから櫓や堀などの無い屋敷構えに改造され、元和3年(1617年)信濃国松本の小笠原忠政が入封し、秀忠より明石に新城の築城を命ぜられ元和6年(1620年)明石新城の完成により船上城は廃城と成った。
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