かながわじょう

金川城

岡山県岡山市

別名 : 玉松城、臥龍山城
旧国名 : 備前

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登城口
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赤い城

白石城 岡山県岡山市 (2024/11/04 訪問)

城びと未登録、備前と美作の国境にある城です。
金川城から国道53号線を北上、484号線に入ってすぐのところに登城口があります。
車1台なら駐車可能です。
獣避けの柵を越えると整備された登城路があります。

登っていくと登城路に沿って長い竪堀が見られます。
さらに少し登ると連郭式の主郭部に到着、鉄塔が建っています。
主郭には小さな祠と説明板もありました。
主郭までは登城口から10分くらいかな。

下山の途中、笹薮を分けて下に連なる曲輪部を散策しました。
縄張図によると堀切があるようですが浅くなっていてよく分からず。
また、主郭背後には畝状竪堀群もありますがこちらもよく分かりませんでした。

赤松氏配下の田淵氏光の居城でしたが宇喜多氏に攻められ落城。
その後は松田氏、宇喜多氏の支配を経て関ヶ原合戦で宇喜多氏の滅亡とともに廃城となりました。

もう少しじっくりと散策してもよかったかな。

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赤い城

巨大な井戸にはびっくり❢ (2024/11/04 訪問)

開館前の御津町郷土歴史資料館に車を停め、道路を挟んだ登城口から登っていきました。
妙覚寺に案内図が置いてあったのでこれを手にしてまずは道林寺丸へ。
曲輪が段になって連なり、石垣も残ります。

さらに登ると本丸方面と北の丸方面への分岐点へ。
堀切が見たいのでまずは北の丸へ。
北の丸の先には久しぶりに見る深い堀切。
さらにもう1条、さらにその先には浅い堀切が2条といい感じで並んでいました。
しばらく堀切に見入った後は引き返し本丸へ向かいます。

北の丸から白水の井戸を経て本丸下の堀切、さらに天守の井戸へ。
この井戸大きく深い!見どころです。
これまで見たことの無い規模でした✨
内側にはしっかりと石垣が積まれています。

井戸を見下ろしながら本丸へ。
本丸には建物礎石の配列が残っています。
訪問ノートがあったので今度はニッポン城めぐりのHNとともに「赤い城」の名もサインしておきました。

下山は二の丸方面へ。
二の丸の手前には杉の木の井戸があります。
出丸を経て千鳥坂から御津支所側の登城口に出てきました。

備前最大の山城、松田氏歴代の居城でしたが宇喜多直家により落城。
江戸時代初期には岡山城の支城として機能しました。
急峻ですが登城路は整備され、歩きやすいお勧めの山城です。

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ぴーかる

最大級の井戸跡 (2024/04/13 訪問)

【金川城】
<駐車場他>御津町郷土歴史資料館
<交通手段>車

<見所>随所石組井戸・堀切・土塁・石垣跡
<感想>日帰り今シーズン山城攻めラスト旅3城目。上記資料館で頂いた資料によると1339年に松田元喬が金川城を築いた説があります。この頃の備前松田氏の本拠は富山城で1480年に松田元成が金川城に本拠を移して改修または築城したとする説があります。1568年に松田元賢の時、妻の父である宇喜多直家に攻められ落城し松田氏は滅びます。その後宇喜多直家の弟宇喜多春家が入城し関ヶ原後小早川秀秋の時廃城となりました。
 登城は2ルートあり、妙覚寺からとからと岡山市役所御津支所前からがあります。いづれの登城口にも縄張り図のある案内図が置いてあります。私は妙覚寺から登って御津支所へ下山しました。妙覚寺から登城するとまず道林寺丸・道林寺址の連段の曲輪があります。城主の松田氏は日蓮宗に信仰が厚かったそうで、城内に道林寺の道場を造ったそうです。石垣も一部残っています。道林寺丸を過ぎると本丸跡へ行けますが通過して北の北の丸・大堀切・白水の井戸跡に行きました。白水の井戸は扇状谷の下部斜面にあり、石組です。谷全体が井戸曲輪のようになっています。その北にある北の丸は広く2段構造で大石の磐座もあります。北の丸の北側に4重堀切があり、1重目が巨大、2重目が中くらい、3・4重目が超ちびの堀切になっています。見応えあります。
 主要部主郭は北に堀切があり、南東側斜面に降りていくような縄張りになっています。北端に天守櫓台と思われる段があり巨石がゴロゴロ落ちています。櫓台の東側曲輪壁面の巨大井戸があり「天守の井戸」と名付けられています。直径8mあり、石組であったであろうと思われる壁面に残り数個だけ残っています。この井戸も圧巻の見応えです。主郭南端には土塁の残る枡形虎口跡があり、細曲輪を通過して二の丸跡に入ります。二の丸跡には杉の木井戸という斜面にではなく曲輪内部に周囲を掘り下げて石垣で囲んだ井戸があります。二の丸跡から下山して途中に出丸跡の削平地があり麓に着きました。
 廃城となった際にどうも破却されているようで、主郭の櫓台や主要部の石垣跡は僅かに残るだけですが、散策と石垣跡を探索する楽しさ、井戸跡に見応えを感じる城跡も珍しい。いい城跡でした。

<満足度>◆◆◆

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小城小次郎

七夕の日に (2021/05/02 訪問)

永禄11年の七夕の日、浦上氏と勢力を二分する力を持っていた金川城の松田元賢とその父元輝は舅の宇喜多直家によって葬り去られたという。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 松田盛朝
築城年 承久年間(1219〜1222)
主な城主 松田氏、宇喜多氏、小早川氏、池田氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、石垣、堀切、井戸
指定文化財 市史跡(金川城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岡山県岡山市北区御津金川
問い合わせ先 岡山市教育委員会事務局文化財課
問い合わせ先電話番号 086-803-1611