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チェブ

渋谷、、、。 (2024/01/03 訪問)

住宅街の細い道、少しカーブしている場所に「長森城」はありました。
遺構はありません。切通観音が少し高い所にお祀りされてました。この辺りがお城跡のようです。

路駐しましたが、1台が通れる位の道でした。
「切通陣屋」の説明板があります。1つの石碑には、土岐氏が居城してた「長森城」と刻まれてあります。
もう1つの石碑には、南北朝やら足利 尊氏やらと達筆な文字で刻まれてました。
達筆過ぎて読めません。

「長森城」は1185年に、渋谷 金王丸さんが築城しました。ほー渋谷?
東京都渋谷区に「渋谷城」があり、金王八幡宮がお城跡と言われてます。
その名の通り、金王丸さんをお祀りしています。
私も一応、東京都民なのでご縁を感じます。東京の端っこですけど。

金王丸さん、どんな功績で こちらに たどり着いたのかが気になる「長森城」攻めでした。

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とばつびしゃもん

城番組で紹介された城 (2023/10/09 訪問)

朝から雨が降ったりやんだり。雨の天城トンネルを歩いた後城址へ向かい、長浜ヨットハーバーの駐車場に車を駐車し登城開始。
登城道途中でパンフを入手。遺構の見処では二次元コードをスマホで読み取ると解説してくれる。第4曲輪から第3、第2、第1曲輪と進む。その間、跳ね橋跡や堀など防御施設の遺構が見られる。第2から第1への通路口が見られず櫓を介して連結していたと推測されるとの興味深い案内板解説がありました。第1曲輪からは北条と武田の海戦の場、駿河湾を望むが、曇天のため富士山は望めずじまい。
第1曲輪から腰曲輪A、B、C、Dと段々に海岸まで降りると、ヨットが並ぶ光景を目にし、水軍の基地であったことがうなずける。登りと別の登城口へ降りると、そこには安宅船の実寸平面表示がある。
1時間の攻城を終え、駿河伊豆遠征から帰国。後日、長浜城を紹介するNHKの城番組を視聴し、攻城した甲斐があったと大満足。

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HARU

桜の会津若松城 (2013/04/20 訪問)

この時は桜の時期に合わせて訪れました。

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HARU

東北旅行 (2008/09/01 訪問)

東北旅行の折に訪れました。

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HARU

桜の弘前城 (2012/05/04 訪問)

桜の咲く時期に合わせて、弘前城を訪れました。この年は開花が急に進み、見頃を少し過ぎてしまいました。

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HARU

松本城 (2011/06/13 訪問)

仕事で出張の折、訪れました。

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HARU

地元滝山城跡 (2006/04/08 訪問)

生まれ育った地元にある滝山城跡、小・中学校の同窓会開催前に桜の時期に合わせて久しぶりに訪問しました。

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HARU

和歌山城 (2003/06/02 訪問)

仕事で出張の折、訪れました。

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小城小次郎

官衙と重なる古代城柵 (2023/05/04 訪問)

志波城の水害を受け文屋綿麻呂の進言でもともと別の官衙があった場所に急遽移転したという経緯が示す通り軸線の異なる官衙が徳丹城と重なる形で見つかっている。そして他の古代城柵と同じように徳丹城もやたらと広い。

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HARU

掛川城 (1994/10/08 訪問)

転勤先の静岡(市)にいたとき、子供たちと掛川を訪れました。ちょうどお祭りもやっていました。

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HARU

北海道旅行 (1988/05/02 訪問)

北海道函館方面の旅行の折に、松前城を訪れました。

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HARU

高島城まつり (1985/05/26 訪問)

当時転勤先の諏訪に住んでいて、お祭りに出かけました。

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とばつびしゃもん

幕末の偉人江川英龍の住宅近くの城 (2023/10/08 訪問)

城池横の数台の駐車スペースに車を駐車し、三の丸と権現曲輪の間の登城口から登城開始。
権現曲輪には神社がある。二の丸を経由して本丸へは10分で到着。
下城後、城池越しに城址全景を眺望し、国重文の江川邸へ。そこで韮山城のパンフを入手。
江川英龍は続日本100名城の品川台場の建造に関わった人物で、邸内主屋には台場の絵図が展示されていました。江川邸ガイドの方の丁寧な解説を聞き、幕末の偉人を知ることができました。
世界遺産韮山の反射炉を見学し、吉名温泉に宿営。

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HARU

北海道ドライブ旅行 (1980/07/08 訪問)

記録に残る最初の城めぐり

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赤い城

我等の松山〜♪ (2024/01/16 訪問)

前夜に続き、この日は朝駆けで登城しました。
まだ夜明け前、東雲神社より登ります。
少しずつ明るくなっていく中、高い石垣やその上に建つ櫓を見上げながら歩きました。
この時間でも地元の方が登城されています。
毎日の日課で城攻めなんてなんて贅沢、羨ましい!
戸無門から隠門を経て本丸に向かいました。
天守の周りを一周して降りようとした頃がちょうど日の出の時間。
残念ながら雲がかかっていて綺麗な日の出は拝めませんでした。
下りは県庁方面に。
昨夜は暗くて見れなかった南側の登り石垣もしっかり見学できました。

この後仕事を終え帰りの電車はアンパンマン列車。
カープファンの私としては松山とアンパンマンが重なってちょっと嬉しい感じでした。

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カズサン

【遠江相良氏館】静岡県牧之原市 相良氏発祥の地 (2024/01/30 訪問)

 住所:静岡県牧之原市大沢214-1
 駐車場:同上地(34°41'23"N 138°11'56"E)グラウンド・野球場の南前に広いジャリ駐車場利用、バックネット裏側にトイレ有。

 相良城の仙台河岸より萩間川に架かる湊橋を渡り300m程道なりに住宅街を進むとグラウンド・野球場に当たります。
 グラウンド入口より北東に約50m程の所にグーグルマップの史跡マーク相良氏館跡に当たる標柱が在ります。
 グラウンド入口よりやや微高地の処にポツンと白い標柱が立っており、相良氏館跡の文字が見ます。

 歴史は標柱によると。
 天永3年(1112年)工藤周頼が相良庄に住み、はじめて相良氏を称しました。以来、長瀬まで5代82年間ここ中島を相良館としました。したがって、この地が相良氏発祥の地であります。
 九州相良氏初代長瀬が相良庄から肥後・人吉城に入ったのは、鎌倉時代の建久9年(1198年)12月31日で、今からちょうど800年前に当たります。(平成10年12月31日牧之原市教育委員会書)

 私の毎朝の日課は城びと、城郭放浪さんのブログを開く処から始まります、今年1月は城郭放浪さんが遠江、三河を巡って居り、新しく相良氏館が写真館に登録され、初めて相良氏館を認識し、今回の2025年大河ドラマで田沼意次候出演の相良城は如何にと訪ね、萩間川挟んで300~400m程でしたので寄った次第です。標柱と周辺に萩間川沿いの葦の原を見るだけですが九州相良につながる相良氏発祥の地を探訪するのも良いものです。
 
 

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にのまる

いつもたのしい。 (2023/11/25 訪問)

午前中に新宿で知人と用事を済ませたあと、まだ時間もあるし……ということで江戸城に繰り出しました。
東京駅から和田倉門経由で大手門へ。
開館記念展開催中の三の丸尚蔵館へ行ってみると長蛇の列。係の方に何分待ちかうかがうと、日時指定の予約制かつ有料とのこと。当日券もありませんでした。
連れに「タダだよー」と大ボラを吹いてしまっていて平謝りです。
ですがやはり気になって検索してみたところ、以前(旧館時代)は無料でしたが、この秋の新館オープン後から事前予約制になり、一般料金は1,000円に設定されていました。同時に宮内庁の管轄でもなくなったようです。
実は入館の目的はもしかしたら館内からしか見えない石垣があるのではないか?という疑問を確かめることにあったのできちんと予約して改めて来なきゃなーと思っていたら、隣接する取り壊した旧館跡のゲートが開いてトラックが出てきました。
おーっ!石垣見える!!奥に見えた打込接布積みは二の丸庭園の端の部分。ここには新棟が建つそうなので今しか見られない貴重な石垣だっ!と写真撮りまくりました。

それにしても人が多いなぁと思ったらこの日は秋の乾通り一般公開の初日でした。
それならばと坂下門に向かいます。
人が多いといっても、もう以前ほどの大行列はできておらず、皇居前広場が人で埋めつくされるということもありません。
富士見櫓、富士見多聞、道灌堀と楽しみながら乾門へ。
前回来たときは西桔橋門が閉まっているのも写真に人が写り込まなくてよいなと思ったのですが、今回も閉まっていて天守台方面へ抜けられず。すてきな野面積みに近づけないのは少し残念で、これから先もうずっと通れない?のだとすると寂しい気もします。

乾門から退出後、北桔橋門から東御苑に入って、天守台、天守模型、台所前三重櫓跡展望台、汐見坂、富士見櫓と歩きまわりました。果樹古品種園にはたくさんの柑橘が実っていてとってもおいしそうでした!三つの番所をチェックして再び大手門に戻り終了。
ちょっと行くだけのつもりが2時間強の滞在となり、やっぱり江戸城は最高のテーマパークだ!と思いました。

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しんちゃん

趣向を凝らした石垣は見る者の目を楽しませてくれる。 (2024/01/03 訪問)

吉川元春館は元春公が天正10年に元長に家督を譲った後に隠居した館とされています。志路原川によって削られた河岸段丘の地形を利用して築かれており、東から北側にかけて見事な石垣が築かれています。東に大きな門跡があり巨石(鏡石)が両側に配されています。東側の石垣の各所に一定の区間を置いて巨石が配され一種の芸術性すら感じます。居館内には庭園も造られ、戦国期とはいえ堅実さだけでなく優雅さを兼ね備えた見事な居館跡だと感じました。

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小城小次郎

公園外周に点在するマニアスポット (2023/05/04 訪問)

西側にはひっそりと存在する坂下門跡を示す石製モニュメントが、南側には城内唯一の現存建造物である彦御蔵(ひこおくら)という蔵があったりと、公園化された城域の外周部にはマニアスポットが点在している。

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チェブ

日本の歴史公園100選。 (2024/01/03 訪問)

江戸時代の旗本、徳山氏の「更木陣屋」は住宅街にありました。

道路から曲がると石畳になっています。駐車場のようには見えませんでしたが、1台 車が停まっていたので、習って木と木の間に縦に駐車しました。

復元された門があり、こちらには『徳山陣屋』と立派な標札。風格が漂います。
お邪魔すると右手に池があり、綺麗な公園です。
奥に説明板が見えたので歩けば、建物の配置が分かりやすく整備されてました。
発掘調査を元に整備されたそうで、想像すれば陣屋の中にいるようで公園の見え方も変わってきました。
低くなってしまった土塁と、整備された部分。
とても、いい感じです。

後に「更木陣屋」を調べてみたら『日本の歴史公園100選』に選出されているそうです。
因みに『岐阜公園』や『大垣公園』も選ばれてました。
駐車した場所の木は、コヒガンザクラと言って桜のアーチになるんだとか。桜の時期の写真も、素敵でした。
帰りに、ワンちゃんのお散歩をしてる方が会釈して下さいました。
こんな小さな事もプラスして、好印象になった「更木陣屋」です。

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