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POYO58

お城クイズのヒント

にのまるさん頑張ってください。回答ありがとうございます。ヒントをあげます。ヒントはこの写真ですが、この写真は〇宮〇というところの近くで撮りました。この城はおそらく誰でも知ってるところです。さてなんでしょう。お分かりになりましたら、この〇宮〇が何かもお答えください。まあ、これでも難しいのですが…これで無理だったら答えを申し上げます。

もうそろそろ中学校最後の定期テストがあるので勉強で忙しく、お城に行けてません。テストが終わったら鎌刃城にGOするつもりです。また春休みは初めて小田原城に行くので楽しみです。

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ぴーかる

佐久良城 (2023/02/04 訪問)

【佐久良城】
<駐車場他>城跡専用駐車場<35.045339, 136.254639>4台程度あり。
<交通手段>車

<見所>堀切・竪堀・土塁
<感想>現地案内板によると佐久良城は文明年間(1469~1486年)頃にここ一帯の国人領主小倉氏によって築城されました。応仁の乱で活躍した小倉実澄が著名であるが、そこから2代程経て次第に小倉宗家と庶子家(小倉西家)で紛争が起こります。蒲生郡を治める蒲生定秀が介入して三男の実隆(蒲生氏郷の叔父にあたる)を養子に出しますが内訌状態は収まらず、蒲生家が兵を出して庶子家を討伐します。小倉氏は蒲生氏の麾下のような存在となります。
 上記駐車場から横の道を北に少し登ると登城口があります。入口に持ち出し禁止のちょい借り縄張り図(写真を撮って巡ると良い)と100円で御城印のような登城記録証が買えます。A4の城跡説明書ももらえます。そこから進んでゲートを開け入ります。左手は下段に八幡神社、右手は丘陵地にコの字状に真っすぐ削った削平地が所々にあります。堀切を2つ程脇にあり、平虎口を入り進むと主郭前の堀切、土橋があります。堀切には石垣が少し残り、堀に大石の転落石もあります。主郭は甲賀・伊賀・蒲生郡にまでよく見られる方形の高土塁で囲んだ縄張りで大きい。内部に庭園跡のような凸凹(雪で覆われていた)があるようで、土塁上には2か所櫓土台跡が見られます。主郭西の虎口から降りて行くと大土塁があります。主郭北側へ回り込むように進み、主郭横堀や馬洗いの池、主郭北側の竪堀群は見応えあります。主郭南側の小径沿いにも竪堀群がありますがかなり薄くなっていて分かりづらいです。
 甲賀・伊賀の特徴的な広い曲輪の高土塁囲みと、山城の防御設備の竪堀群を混ぜた面白い、見応えある城跡でした。

<満足度>◆◆◆

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城好きのメガネ

「東福寺城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
東福寺城は、島津貴久が内城(方形館)を築いたため、「詰めの城」として機能していた。1602年、島津忠恒が鹿児島城(鶴丸城)へ居城を移したため廃城となった。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR鹿児島駅 徒歩15分

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カズサン

城郭内部遺構探査廻りⅢ (2023/02/23 訪問)

 城郭内部遺構探査廻りⅢのルート
 二之堀から大手道を西方向へ三ノ丸三之堀外周の道へ戻り県道224号線交差点を左回りへ進む、道は狭い100m程進むと三之堀と内向中学校側に土塁が在る三ノ丸土塁跡草が綺麗に刈られてる、鯉が泳ぎ、アオサギがおり写真を撮ろうとしたら飛び立ちピンボケの飛翔アオサギゲット、此処の三之堀水堀と三ノ丸土塁が見所の一つです、南側に解説板在り、そこから西に向かい外堀の史跡マークの有る外堀・土塁跡へ、道路フェンスに横木板に墨で書いてあるが良く分からない堀、土の文字が見えるが外堀土塁跡の様です、草が覆った田圃の辺りが外堀の名残かな?土塁跡はよく分からず、そこを更に西道なりに約200m程進むと姥ヶ池(別名ひょうたん池)が在る、この田中城は湿地微高地に築城されて居り井戸を掘るもカナケの水で使えず、唯一姥ヶ池の湧水が上水として使用で来たとの事、木管で引込城内や侍屋敷の上水として利用した。

 ここまでの田中城城郭内探査探訪はグーグルマップ航空写真と田中城復元図、時折スマホで現在位置を確認、地図と現実が判らなくなる処も有ったりと少し探訪に迷ったりと結構な時間約2時間掛って仕舞いました、円郭式城郭(同心円状の輪郭式城郭)を堪能しました。

 歴史的には、約500年前の今川氏時代に豪族・一色氏が屋敷を拡大して本丸辺り方形の城とした、1570年頃今川領を武田と徳川で分け合い遠江は徳川氏、駿河は武田氏となり、田中城は武田氏の改修がされ丸馬出・三日月掘りが多く施されて武田の城に改修、小田原征伐後豊臣方の中村氏の領有となるが関ヶ原後は徳川氏へ2万から5万石で譜代大名が治める、江戸期に入って外郭の拡張で4重の郭と堀が同心円状に囲む輪郭式城郭が完成した。
 
 探査探訪の後は移築門の在る旭傳院の山門見学(住所は下屋敷建物群編で記載有り)し、藤枝市郷土博物館(藤枝市若王子500(蓮華池公園))へ田中城の復習と資料を頂きへと寄りました。専用駐車場が在ります。

 長々と6編に分けての投稿ご覧頂き有難うございました。
 
 

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ランフランコ

#26 名黒山城 (2023/02/25 訪問)

和気アルプスに登山に行った際の最初の山が城跡でした。大層見晴らし良いです。

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カズサン

城郭内部遺構探査廻りⅡ (2023/02/23 訪問)

 城郭内部遺構探査廻りⅡのルート
 御成街道三日月掘跡標柱から左回りで三ノ丸土塁を登った後、平島一之門跡の残存石垣か?ロープで囲まれてる石垣石を確認して三之堀と外郭を廻ってる道を大手方向へ約100m程の所から三ノ丸土塁・家老屋敷あ路土塁が見えるが入れない、道の三ノ丸側には堀の名残の水路が流れてる、約150m程進むと大手道県道224号線に繋がる、繋がってる辺りが大手一之三日月堀跡なのだが良く分からない、大手道県道224号線を本丸方向へ、直ぐに三ノ丸外から見た家老屋敷土塁を三ノ丸側から見えるが私宅で入れず望遠で写すのみ、その下く前に大手二之三日月掘跡標柱が在る、更に進んで二之堀と模擬橋、大手二之門あと標柱、解説板がある、残ってる二之堀も曲がってる様子が分かる、この二之堀、模擬木橋辺りが城郭内部の見所でしょう。
 中心部に成ると小学校中学校の敷地に成り入り込めない。

 城郭内部遺構探査廻りⅢに続く。
 

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城好きのメガネ

「内城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
内城は、16代当主・島津貴久によって築かれた。50年間にわたり島津氏の居城であった。東福寺城を詰の城としたため、方形館であったとされる。1602年、島津忠恒が鹿児島城(鶴丸城)へ居城を移したため廃城となった。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
カゴシマ シティビュー 今和泉島津家本邸跡(篤姫誕生地)前下車 徒歩5分

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城好きのメガネ

「平佐城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
平佐城は、入来院重朝が改修したとされる。1569年頃に、入来院氏が島津氏の傘下に入ると、島津氏の拠点となり。豊臣秀吉の九州征伐の際、地頭の桂忠昉が300人で籠城。豊臣軍8500人の軍勢を相手に奮闘した。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR川内駅 徒歩10分

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城好きのメガネ

「蒲原城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★☆
蒲原城は駿河守護であった今川氏が築いたとされる。甲相駿三国同盟の崩壊に伴い、武田信玄による駿河侵攻が始まる。今川氏救援のため北条氏政が派遣した北条氏信率いる援軍が蒲原城に入り武田軍封じ込めの拠点とする。1569年、武田氏による再侵攻が行われた。総攻撃を加え、北条氏信ら後北条勢や今川諸将は戦死し、落城した。後北条氏に対する境目の城として武田氏が掌握する。1582年に織田・徳川連合軍に攻められ落城、廃城となった。現在、曲輪、堀切、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR新蒲原駅 徒歩20分

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イタさん

高山城 1/2(百間築地・要害山城) 群馬県藤岡市金井 (2023/02/23 訪問)

 武蔵七党の一つ、児玉党の秩父氏の流れをくむ高山氏の居城だが、築城年代の詳細は分からない。地域の豪族として、上杉・北条・武田等の大勢力に従っていたが、小田原攻めで北条氏と共に滅んだとのこと。
 高山城は麓の百間築地、中腹の要害山城、山頂部の天屋城で構成されている。百間築地に現存する石垣、反対側の模擬石垣、馬出跡を作業中の方から教えられた。石垣のある一帯から施設のある下まで敷地内で、前のオーナーが城跡らしく見せるため、崖縁に石を積んだ事など。確かに施設側から見上げれば石垣だと分かる。居館部などあるらしいが、枯れ草が多く確認はしなかった。
 要害山城の主郭は狭い。中央に石の祠があり南に向かって石段がある。帯郭も確認できる。北から東にかけて横堀があり、途中の土橋で二分される。

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kumin

現存12天守 (2022/07/04 訪問)

現存12天守のある福井県の丸岡城!

やっぱり色合いとか再建されたものと全く違い歴史の重みを感じます。
頑張って名古屋から車を走らせた甲斐がありました。
ここ一のお勧めですね🏯

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にのまる

(о´∀`о)

猿さん。
「るの門」見逃しの件につきまして、現場検証していただきありがとうございます!
城トラップにまんまと嵌ったなんて、城メグラー冥利に尽きます*\(^o^)/*
今後も歩いたところや見たものをだらだらと記録していこうと思っていますので、ツッコミいただけるとありがたいです。

赤い城さん。
栃木県問題、全くわかりません。千葉の久留里城より行っている率が高い山城といえば唐沢山城かなぁと思いますが、さらっとしか見なかったです(>_<)
POYO58さんの第2問も全然わかりません!

ヒロケンさん。
お孫ちゃんのお健やかなご成長をお祈り申し上げます。また金沢城の旬な情報などお願いいたします。

todo94さん。
ピクミンがかわいくてたまりません!

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朝田 辰兵衛

遠征中に新たな進展があったんですね… (2022/12/18 訪問)

所用と合わせ,3泊4日の遠征に行ってました。ま,こんな短期間に新たな進展などないだろうと思っていました。
ところが,まさか…
赤い城さん,栃木県コンプリート,おめでとうございます!
すでに,にのまるさんとクイズが進んでいましたので,楽しく拝見させていただこうと考えております。

この高月城で,昨年の城納めとなりました。

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T-Shionoya

小金城で町散歩 (2022/12/31 訪問)

昨年最後は千葉県松戸市の小金城へ。

太日川(現江戸川)の東、比高約15mの下総台地西端の複雑に谷が入り組んだ一画を城郭とした城。
千葉氏や原氏に仕えた高城氏が1530年代に築き、1.5km東の根木内城から移転すると、胤吉・胤辰・胤則3代の居城に。
小金城時代の高城氏は、ほぼ小田原北条氏に従っていたようで、秀吉の小田原征伐後まもなくして廃城となりました。

1960年頃までは遺構が割と残っていたらしいが、現在はほとんどが住宅地に。
遺構は達磨口の一画と、金杉口の1つの曲輪が大谷口歴史公園として残るのみ。

北条氏の支城であったことと複雑な縄張に興味が湧き、まずは達磨口から訪問。櫓台のような小山があり、城内へ向けて橋が架けられていたのでしょうか?
続いては台地の崖を感じながら金杉口へ。腰曲輪の堀は障子堀や畝堀だったものの、"畝"を確認できない点は残念。
本城付近の興味深い虎口ももう面影もありませんが、城域は急坂のアップダウンが印象的で、県道280号を歩くといくつか土橋の名残を感じることができました。

鹿島神社(裏は土塁?)まで巡り、滞在時間は約2時間半。
小金城域の町散歩が、私の城巡りの140城目となりました。

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姫街道

巨大な城 (2023/02/06 訪問)

曲輪を区分する土塁、堀共に巨大。歴史も古く、重要拠点であった事がわかる。本曲輪の折れ土塁と堀は圧巻!!

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姫街道

山城の教科書 (2023/02/06 訪問)

全ての技術が学び観れる。整備も完璧。よくこれだけ残っていたと感心。当然、地元自治体や保存会の日々の努力がなければこんな綺麗にみれないワケで、感謝しかない。戦国期、まるで迷路の中で戦っているようだっただろう。

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姫街道

広大な平山城 (2023/02/06 訪問)

大きな土塁や堀が広大な城域を区分する。これが関東の山城かと驚きを覚える。ダイナミックだが、大手からの虎口や馬出しなど技巧的。山城築城前の元形状を想像すると膨大な労力が必要だったのが想像される。

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姫街道

難攻不落の名城 (2023/02/07 訪問)

利根川と荒川に挟まれた低湿地の沼地に築かれた平城は、石田三成率いる豊臣軍の水攻めにも屈しなかったと言われている。今は土塁の一部を残して復元櫓が建つ。

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姫街道

石垣の山城 (2023/02/06 訪問)

尾根上に敵を惑わす通路形態を石垣で作っている。現代でもこの山頂にこれだけの石垣を築くのは相当な労力。「なぜ石垣でなければならなかったか?」とすら思うほど凄い。勿論、堀切や土塁などの遺構は圧巻。

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姫街道

絶景 富士山!!伐採工事が進む (2023/02/25 訪問)

ここ数年、区域を分割して伐採工事が行われている。特にこの時期は、毎年new勝間田城を楽しめる。今年は、主にニの曲輪と本曲輪東尾根の谷間を伐採。城の美しさ、富士山の美しさに息を飲む。伐採後の切株には、腐植防止剤を塗布し、根が腐って遺構を痛めないように配慮しているようだ。素晴らしいとしか言いようがない!!

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