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しんちゃん

松尾芭蕉ゆかり 伊賀市 (2024/10/05 訪問)

三重県伊賀市の愛染院は松尾芭蕉の実家、松尾家の菩提寺で、芭蕉翁の遺髪を納めたとされる故郷塚が建っています。その近くには芭蕉翁生家があり見学が可能です。建物は江戸時代に再建されたもののようですが、芭蕉翁は正保元年(1644)ここで生まれたとされ、父は与左衛門、母は藤堂宮内の移封に伴い伊予国宇和島から名張に随従してきた人物の娘と考えられています。
芭蕉翁はここでは金作、または忠右衛門宗房と呼ばれていたようです。
藤堂藩伊賀附の侍大将・藤堂新七郎家の嫡子・主計良忠の文芸サロンに一座するようになった若き日の芭蕉翁は、めきめきと頭角を現していったそうです。
生家の奥手にある釣月軒は若き日の芭蕉翁の書斎で、ここで初の撰集「貝おほひ」を版行し、上野天満宮に奉納したそうです。芭蕉翁は29歳までここで過ごしたとされ、江戸に赴いた後も故郷で過ごした日々のことは忘れがたいものであったようです。

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トク

120【関ケ原の26人】(26)井伊直政 (箕輪城 (4/4) -龍門寺) (2023/12/09 訪問)

(26人目)井伊直政の続き㉒です。
本丸から御前曲輪や稲荷曲輪を通って搦手口へ下り、そこから「龍門寺」を訪れました。。

北条氏邦の時代は、この搦手口が大手口だったようです。車で来られた方はここに大きな駐車場があるので、ここから登城する事になります(写真⑤-⑧)。直政時代の大手口にも数台止められる小さな駐車場がありました。

搦手口からさらに北へ10分程歩いた所に、直政が建立したとされる「龍門寺」がありました(写真①-④)。直政はここに名僧「白庵和尚」を招き、ある時は指南を受け、またある時は相談相手として、この白庵和尚を頼りとし尊敬していたようです。そして高崎に移る時、当時和田と呼ばれた地を「高崎」と改名するよう進言したのもこの白庵和尚だとされています。

寺の入口に立つと唐破風造りが美しい現存する山門がありました。その山門の扉に彫り込まれた井伊家の家紋「丸橘」に、私は何とも言えない趣深さと、430年経った今も残る歴史の重さを感じました(写真②③)。

次は、高崎城を訪れます。
 

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)1日目:井田城 (2024/09/22 訪問)

井田バス停から5分ちょっと歩き、城山稲荷鳥居付近(34.976819、137.164961)に到着しました。
井田城は現在、城山公園となり公園内に城山稲荷と城山集会所があります。城跡が高台になっていて、「井田城址」碑が立っています。

築城年や廃城年は不明のようですが、松平氏・徳川氏の始祖とされている松平親氏の孫で酒井広親の子・氏忠から左衛門尉忠勝・康忠(康親)・忠親・忠善・忠次までの酒井氏5代の居城となりました。
徳川四天王の一人、酒井忠次は1527年(大永7年)井田城内で出生しているそうです。
1535年(天文4年)の森山崩れ(岡崎城主松平清康の暗殺事件)の後、尾張の織田信秀が井田野へ攻め込んだ時、酒井忠次は井田城から尾張勢を迎え討つため出陣したそうです。

遺構はなく雨と風の為、城址碑と城山稲荷の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいです。次の攻城先=山中城を目指す為、名鉄バスで井田バス停から名鉄東岡崎駅(北側)バス停に向かい、そこで名鉄名古屋本線に乗り換えて名電山中駅に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)1日目:奥殿陣屋 (2024/09/22 訪問)

名鉄の奥殿陣屋バス停からすぐの奥殿陣屋(35.029386、137.194937)に到着しました。

奥殿陣屋は松平乗元を祖とする大給松平家によって築かれた陣屋です。
松平乗次の代に16,000石の大名になると、松平乗真の代に大給から奥殿に移りました。
1863年(文久3年)に最後の藩主となった松平縫殿助乗真が飛び地であった佐久郡田野口に龍岡城を築城して藩庁を移転しています。
現在跡地には龍渓院の庫裏として転用されていた書院が移築復元され、歴代藩主の廟所があります。

石垣や土塁は、受付から5分ほどの松平廟の周辺にあります。
食事処、喫茶処、庭園もありちょっとした観光地になっていますが、急な強雨とバスの時間が迫っていたので、パスしました。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=井田城へは名鉄バスで、奥殿陣屋バス停から井田バス停へ向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)1日目:箱柳城 (2024/09/22 訪問)

豊橋駅で荷物をコインロッカーに預け、名鉄全線2DAYフリーきっぷ購入し、今日と明日はこのきっぷで交通費を少しでも浮かせます。
豊橋名物の3色稲荷寿司を購入しましたが、自分には味が少し濃いめでした。
豊橋駅から名鉄名古屋本線で東岡崎駅に向かい、そこで名鉄バスに乗り換えて猫沢池前バス停に着きました。
猫沢池前バス停から20分弱歩き、石碑前(34.969211、137.204887)に到着し写真を撮った後、登城口付近(34.968230、137.205940)に向かいました。

桓武平氏の流れを汲む中根平右衛門盛清が正長年間(1428~1429)に築いた城です。
8代・中根肥後守忠良の次男、平左衛門正照は徳川家康の家臣として二俣城の城主をつとめましたが、「三方ヶ原の戦い」で討死しました。

石碑の前の橋を渡ると城跡200mの看板があり、200m先には石垣が有りましたが、その先は藪になっていて、進めませんでした。
石垣も遺構かどうかは不明のようです。
攻城時間は20分くらいです。次の攻城先=奥殿陣屋を目指す為、猫沢池前バス停から名鉄バスで名鉄東岡崎駅(北側)バス停に向かい、そこで名鉄バスを乗換え奥殿陣屋バス停に向かいました。

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赤い城

宇佐八幡宮、近くには作山城 (2024/09/29 訪問)

宇佐八幡宮が建つ小山が城跡です。
鳥居前の月極駐車場の中に参拝者用の駐車スペースがあるのでここを利用できます。
鳥居脇には藤尾城の碑と説明板も設置されていました。

近々お祭りがあるようで鳥居前ではお囃子の練習をされていました。

石段を登っていきます。
途中に削平地がありますが左手に進むと香西神社、この辺りが二郭と思われます。
主郭には宇佐八幡宮の社殿が建ち、ここもお祭りの準備中でした。

城主の香西氏は長宗我部氏に敗れ配下となりましたが、その後秀吉の四国攻めにより廃城となりました。

近くには同じく香西氏の作山城もあります。
倉庫の前に碑が立つくらいで遺構はなさそうですがなんとなくの高低差が城を感じさせてくれました。

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しんちゃん

詳細は不明だが伊賀の築城形式に近い城 (2024/10/06 訪問)

石打城は稲垣氏の城とされており、城郭大系には添上郡の「稲垣氏城」と記載があります。江戸時代初期に城主の家系と見られる稲垣家が火災にあい、古文書を焼失したため城郭の経緯の詳細は不明です。鎌倉時代には当地は大安寺の荘園で、荘園の名主が幕府から地頭に任じられていたとされ、やがて幕府や寺院の力が弱まってくると武力で周辺を支配するようになったと考えられています。
先人方の投稿にあるようにソーラーを目印に付近に駐車し、細い舗装された道を城址に向かって進みます。それほど距離が有るわけでもないので歩いたほうが無難でしょう。ほどなくして案内板と城址碑が目に入ってきます。
伊賀の築城形式の影響を受けていると案内板や大系には記載があります。城址に入ってすぐに三の郭となり、枡形か馬出のような小さな郭が大手に続いています。坂を登って行くと右手に二の郭が控えており、中央が盛り上がっています。形状は余湖くんのお城のホームページさんの縄張り図を参照にされると良いと思います。
二の丸とは逆手に本郭の虎口があり、本郭の周囲は高い土塁で囲まれています。北側と西側は堀切で遮断され、これが「一の堀」とされています。土橋がかかっていて、その先には西の郭があり、さらに西に土橋のかかった浅い堀があります(二の堀)。
最近だいぶ涼しくなってきて朝は少し冷えるくらいですが、それでも日中はけっこう暑さを感じ、城址の中はどこも蜘蛛の巣だらけです。なんとなく奈良の城跡を巡るようになってから体に小キズが増えてきたような気がします。

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水野勝成 (2024/10/10 訪問)

 久しぶりの福山城です。天守閣の北側が鉄張りの外観になってからは初めてです。伏見櫓と筋鉄御門など現存する建築物がありますが、外観復元された天守もいい雰囲気を醸し出しています。
時間の制約があり、ゆっくりと散策できたわけではありませんが、それなりには楽しめました。

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村上隆重 (2024/10/10 訪問)

 能島村上水軍の一族、村上隆重が築城したと伝わります。古城山公園として整備され遺構はよくわかりません。景色はいいです。

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細川野洲家の拠点 (2024/10/10 訪問)

 標高167.7mにある全長約400mの連郭式山城です。駐車場の登城路から登って行くと堀切があり南の曲輪と北の曲輪に分かれています。曲輪は概ね整備さえ歩きやすくなっています。
 縄張り図から石積みと北曲輪先にある堀切を、まず確認しようと思っていました。南曲輪の先には石積みと表示された場所がありますが。崖の上から見てみるとそれらしき所はありましたが、石積みか否か判断できません。下りて確認しようと思いましたが、急峻で落ち葉の堆積もあり断念しました。他の場所から下りて行けないかと少し探しましたが、石積みに近づく道は見つけらません。北曲輪の先には堀切の表示がありましたが、浅くなっているのか、探し方が悪いのか、よくわかりません。
 上記のことは残念でしたが、それなりには楽しく散策しました。

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しんちゃん

伊賀の裏切り者・下山氏の最期には諸説あり (2024/10/06 訪問)

城主・下山氏は北畠氏の幕下として勢力を伸ばした土豪で、奈垣の北部から羽根、比奈知を勢力下に納めていたと考えられています。
また伊賀侍六十六人衆の一人とされますが、第一次天正伊賀の乱の際に織田軍侵攻の手引きをしたとして、伊賀の土豪たちの恨みを買い比奈知の城を出て、この奈垣に城を築いたとされています。天正9年の第二次・天正伊賀の乱の際には汚名を返上するために伊賀の土豪たちと共に、脇坂安治の軍勢に切り込んで壮絶な死を遂げたと伝わっています。その最期に関しては諸説あるようですが、いずれも戦死か自害して果てたということです。
城址は主郭の南を除く三方を土塁と堀で囲まれていて、遺構は比較的明瞭に残っています。西には腰郭が続き、大手は西に付いていたようです。主郭の東の尾根上には横堀が続き、南の扁平地は居館のあとのようです。

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しんちゃん

旧崇廣堂 伊賀市 (2024/10/05 訪問)

国史跡・旧崇廣堂は文政4年(1521)藤堂藩10代藩主・藤堂高兌(たかさわ)が伊賀・大和・山城の領地に住む藩士の子弟を教育するために津の藩校「有造館」の支校として建造したものです。
創建当時は講堂・講官控所・書庫・寄宿舎・台所などの建物が立ち、その後に武道場や兵学寮などが建てられたようです。現在も御成門・表門などや講堂・有恒寮・小玄関・台所などが残り、有料で見学することが可能です。この日はアーティストの特別展示を行っていて、無料で見学することが出来ました。また別の日に訪れて、違った雰囲気を味わってみるのもありだと思います。

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しんちゃん

忍町 三重県伊賀市 日本遺産 (2024/10/05 訪問)

伊賀氏の忍町(しのびちょう)は江戸時代初期に伊賀者の忍者の屋敷があったことから名前が付いています。忍町の中心には赤井家住宅があり、赤井氏はかつて丹波国黒井の城主であったが、おちぶれて京都で蟄居していたところを藤堂高虎に召し抱えられて千石で足軽大将に任じられたそうです。長屋門が江戸時代末期の建築とされますが、それ以外は明治以降の建物になるようです。
内部を散策していると庭先にキン肉マンに出てきたザ・ニンジャのような超人が! いや良く見ると忍者の格好をしたブラックボールじゃないですか? 思わずフライングパンチをやってしまいました‥
キン肉マンvsブラックホールの戦いを覚えている方ならおわかりだと思いますが、キン肉マンがしょっぱなブラックホールに対して「48の殺人技」の一つ、フライングパンチを仕掛けた場面の再現です。空中高くジャンプして重力による落下加速度を利用して敵に強力なパンチをあびせる必殺技です。一見地味ですが類似の技に「リングにかけろ」の香取石松のハリケーンボルトがあります。
まあ、ブラックホールは顔面に穴が開いているので頭部中心への攻撃は効果が無いんですけど。
忍町(赤井家住宅)は日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」の構成文化財の一つに登録されていて、すぐ近くには同じく日本遺産に登録されている修験道の寺・松本院があります。

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ぴーかる

小机城 (2024/09/15 訪問)

【続百名城70城目】
<駐車場他>アットパーク小机日産スタジアム(コインP)に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>空堀・土塁・土橋・切岸
<感想>1泊2日埼玉大阪化計画の旅2日目9城目。南の登城口から登りました。両サイドにある腰曲輪を眺めつつ少し登ると東西に伸びる土橋の先に大空堀があり、いきなり圧倒されます。私はまず東曲輪の方向に散策しました。馬出しは私の見る限り土橋の東西端に2か所あるように感じました。南の大空堀の東端は堀切になっていて、東曲輪を防いでいます。東曲輪(現地では二郭)は城内最大の曲輪で櫓台、南に大きい付曲輪を備えています。西曲輪(現地では主郭)は東曲輪より若干高い位置にあり、櫓台を備え四方を土塁で囲んでいます。空堀の底へ行けるので、底から見上げると切岸が圧巻です。西曲輪の西側が高速道路で潰されているが、当時は深い空堀があったろうと思います。
 東西どちらが主郭か結論が出ていないとのことだが、東西曲輪の間にはつなぎの曲輪があり、人の行き来が比較的できる、大将がどちらに居るか分からなくするためにわざと2局体制の曲輪構造になっていたのかも。後北条氏特有の深い空堀がある見応えある城跡でした。

<満足度>★★☆

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グーケ

福知山城 (2024/10/01 訪問)

きれいに整備されており、海外の観光客に大評判でした。城下の観光施設も素晴らしい。

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カズサン

天守曲輪南東出隅櫓台? (2024/10/08 訪問)

 以前から気になっていた天守曲輪の南東角の出隅は櫓台の様な石垣積ですが、平成30年の天守曲輪発掘調査結果で大量の屋根瓦が発見されて二階建以上の櫓が存在したのではと、大変注目されました、現在は発掘調査跡は埋め戻されて解説板が建っています、解説の中に南東角の二階建て櫓の復元図が広島大の三浦先生考証監修、板垣真誠氏の作画で掲示されています。三浦先生により平成26、27年頃家康公400年記念行事イベントで浜松城掘尾期天守閣復元講座が有り受講しました、松江城天守閣を一回り小さくした四重の復元天守図を拝見しました。 合わせて天守台スペースフルに使った天守閣の復元、南東出隅の二階櫓が甦ったらいいのですが?
 1~3は南東出隅櫓台?、同南東角櫓の解説板と復元図。

 4~6は復元から10年目に成った天守櫓御門の裏側から、同天守櫓御門の解説板、同内部の絵図、復元天守櫓御門正面図、側面図。

 7は天守曲輪埋門跡の北側石垣が草刈されて奇麗に見えましたので投稿。

 8~9は富士見櫓跡、同櫓台と本丸北側石塁、土塁。

 10天守曲輪北東鈍角の石垣辺りの写真を合わせて投稿致します。

 浜松市内に在住していますが中々訪ねられず、今回浜松城に半年ぶりの訪問、気に成った所を約40分の散策で30枚ほど撮りました。
 

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HKISD

水城跡散策 (2024/10/07 訪問)

水城駅付近から本丸迄凄く広くて迷いましたが散策出来て良かったです。

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朝田 辰兵衛

大砲ラーメン 本店 (2024/07/07 訪問)

久留米城を攻城した時は,訪れる余裕がありませんでした…。JR久留米駅には宣伝パネルもあり,お土産コーナーでも存在感バツグンでした。
「桃鉄」ファンは必ずチェックするよな…と思いつつも,いまだに誰もアップしないのでいっちゃいます。
場所は,西鉄久留米駅から徒歩圏内です。

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しんちゃん

来ました。 (2024/10/06 訪問)

ようやく奈垣の下山甲斐守城にやって来ました。ここはちょっと入り口が分かりにくいです。なかなか立派な遺構を残す城なのに案内板が見当たりません。南側の道沿いに側溝(小川)が有るのですが道が突き当たりになる手前に土橋がかかっている箇所があります。
ここから渡らないと、危険を冒して側溝をまたいで渡らないといけません。できれば下をツンツンするストックは持っていきたいところです。側溝をわたって茂みをぬけると道が主郭まで続いています。左手(西側)に居館跡らしき扁平地が数段あり、そのまま尾根に登って主郭のある西側に向かいます。尾根の南側には横堀が続き、西手に見える堀と土塁を越えると主郭が見えています。
主郭の周囲は南を除き、堀と土塁で囲まれ、西側は小規模な郭のようになっています。
東と北の堀は良く認識できますが、なんとなく堀底がフラットではない様子。畝のようだったり、深い場所が見受けられます。自然にそうなったのかもしれませんが、堀底を移動しにくいように意地悪な仕掛けがしてあるのかもしれません。
堀底に落とし穴みたいなのは、有りそうで無かったですね。

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カズサン

6ヶ月振りの登城・天守閣8景・家康公祭り案内 (2024/10/08 訪問)

 浜松市中心街に用事で出掛けましたので昼までの空き時間約40分程散策しました。
 ルートは何時もの、浜松城公園駐車場⇒浜松城芝生中央公園⇒日本庭園北通路⇒本丸西下搦手通路⇒搦手天守曲輪埋門⇒天守曲輪⇒天守閣と天守門櫓は入場無し⇒天守門下⇒富士見櫓跡⇒天守門下⇒南土塁下、多門櫓跡⇒南広場⇒本丸東下通路⇒浜松城公園駐車場。

 天守8景は各角度、視点からの天守閣の眺めをホントの8景では有りませんが曇り空の秋雨前線の掛かる一瞬のシャッターを投稿致します。

 又、駐車場のガイダンスには、「2024家康公祭り」のチラシがパンフレット棚に並んでいました。
 其れに依ると、今年は家康次男結城秀康公生誕450年記念により、イベント講演が平山優氏、小和田泰経氏来浜にて、ホテルコンコルド浜松、舘山寺温泉ホテル掬水亭で開催、オプションで食事セットプランも有る様です。
 メインは11月2日、3日ですが浜松城公園ほか市内各所で22日まで開催されます。(詳しくは浜松市役所HPで検索ください)
 

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