天神山城は上杉方の城で元亀3年(1572)越中・加賀の一向一揆が上杉方の火宮城、富山城を攻め落とした際に、火宮城からの注進が新庄城の鰺坂長実に届き、続いて天神山城の直江景綱を介して春日山へと伝達されたことから、重要な中継地点でもあったと考えられています。天正10年、織田勢が魚津城に猛攻を加えている際に、上杉景勝が天神山城に陣を敷きますが、救うことは叶わず魚津城の城将13人はことごとく討死したそうです。
郷土資料館から天神山まで道が続いていて、容易に山頂にたどり着くことが出来ます。この日は雨模様でしたが、傘をさしながらでも十分散策できるほど歩きやすかったです。主郭内に櫓台を備え南側には土塁が残っています。西の曲輪は二の丸と見られ、北側には竪堀も有りました。余湖さんの縄張り図を見ると、周囲に多数の曲輪(扁平地)が見られ、陣城らしい造りになっています。
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