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todo94

京阪沿線③ (2023/02/18 訪問)

願得寺がその故地とのことですが、城に関する表示はありませんでした。願得寺境内山門横に「天雨華」てんうけ というアート作品が設置されていました。「天雨華」のリーフレットも頂いてきました。

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ぴーかる

桂城 (2023/02/12 訪問)

【桂城】
<駐車場他>駐車場はなし。ごみステーションのある道路脇<34.631842, 132.649698>に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>堀切・竪堀・切岸
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅5城目。桂城の築城は戦国時代初めに桂広澄によって築城されました。桂氏は毛利家の庶家である坂氏の分家で桂広澄が坂氏の嫡流でしたが分家して桂氏を興しました。やがて本家の坂氏が毛利元就に謀反し尼子氏に通じた為に広澄は責任を取り自刃します。無実であった為に毛利元就は子の元澄をそのまま宿老として一族を存続させます。関ヶ原後に城は廃城となります。桂氏の末裔は桂小五郎(木戸孝允)や桂太郎(内閣総理大臣)を輩出します。
 桂城は独立した山に築かれており、山の尾根上に沿って曲輪が築かれた連郭式の山城です。大きく西の城・中の城・東の城に分かれています。登城口(国道から案内あり)からの案内に登っていくと中の城に着きます。中の城は西と東の城を繋ぐような役割があったようで尾根上を比較的広く削って削平地にして堀切で仕切っています。
 先に西の城に行きました。中の城の尾根上から行くと主郭手前の堀切を渡り切岸を登るとまず主郭に入ります。主郭から西側と北側に段曲輪が多く派生しています。北側斜面には竪堀と堀切が入り乱れて凄い見応えがあります。主郭南側に土塁があります。
 東の城は西の城より比高が高い位置にあります。ここも尾根上から行くと主郭に入り込みます。東の城の主郭は広いです。主郭から北東方向に段曲輪が3段程伸びています。段の高さが非常にあり、堀切で仕切り非常に見応えがあります。
 下山し最後に桂広澄公墓所にお参りしました。城跡の広さとダイナミックな遺構で堪能しました。いい城跡です。

<満足度>◆◆◆

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小城小次郎

防御思想が永世中立国のそれみたいだ (2022/11/10 訪問)

世田谷城の支城とされ旗本服部氏の陣屋もあったが正確な場所はわからず六所神社のあたりと推測されている。それにしても世田谷吉良氏の支城群はやたらと密で、その防御姿勢はさながら永世中立国のそれと似ているような気がする。

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城巡り500城

素晴らしい土のお城です (2023/03/05 訪問)

地元の方の努力で維持されている素晴らしいまだまだ未開発な土の城です(これが良いです)規模もなかなかのものです、まだまだ分からないところもあるようです、東京からなら半日コースですぜひ訪れてみては!

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赤い城

尾附城 群馬県多野郡神流町 (2023/02/25 訪問)

ドコモの鉄塔横に1台分の駐車スペースがあります。
ここから登ります。
一応神社の参道で石段にはなっているもののほぼ直登状態。
石段の体をなしていません。
登ったところが主郭で神社が建っています。
ここから東西へ尾根上に展開しています。
まずは西側の二郭側、堀切があります。
ここの地盤は脆く、崩れやすい感じです。
戻って東側に。
こちらにも深い堀切があります。
この尾根の両サイドは急な崖で落ちたらひとたまりもありません。
ちょっと恐怖を感じました。
秩父からも峠越えでアクセスも難しいエリアかと思います。
おすすめか、と聞かれると微妙ですが悪くは無い城かと思います。

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イオ

竹藪の中の内堀 (2023/02/04 訪問)

室町中期に高木氏が築いたとされますが、詳細は不明です。関ケ原の戦いの際には高木正家の居城でしたが、西軍についたことで松ノ木城の徳永寿昌や今尾城の市橋長勝ら東軍に攻められて落城し、廃城となりました。

城跡は本慶寺になっていて、来客用駐車場に車を駐めて登城開始。本慶寺の門前には津屋城跡の石碑と説明板が立てられており、山門は津屋城城門の移築と伝わります。説明板によれば、山門をくぐった本堂が建つあたりが二の曲輪で、南辺に土塁が続いています。本堂の奥の一段高いあたりが一の曲輪で、奥へ通じる門はあったものの、スズメバチ注意の表示に加えて鍵がかけられていたため断念しました。
山門を出て南側に回り込むと、南辺の土塁の外側に内堀がある…にはあるんですが、竹藪と化していてよくわかりません。それでも何とか突入できそうな箇所から竹藪に入ると突入箇所は土橋状になっていて、その両側に内堀が続いているのが確認できました。とはいえ、倒竹が激しかったのでそれ以上は踏み込めず、撮った写真も我ながらただの竹藪にしか見えませんが…。
 

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じゅんじん

長野氏 (2022/12/30 訪問)

鎌倉殿の13人で登場の子供が三重に土着。主郭はそれなりの広さでした。

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赤い城

ひたすら登ってひたすら下る (2023/02/25 訪問)

宇賀神社の奥宮から登って行きます。
駐車場もあります。
まずは尾根道があるのでひたすら登って行きます。
15分くらいで広い削平地に着きます。
ここが北曲輪のようです。
さらに登って行きますがここからは道はなくひたすら上を目指します。
北曲輪から15分くらいで段になった曲輪に。
その先が主郭、さらに南の高い位置に鐘撞場があります。
ここが主郭だったのかもしれません。
南と西に尾根が伸びています。
登った割には遺構は今一つ。
なのでわざわざ登ることも無いと思います。
長尾景春の乱で太田道灌に攻められた景春が築いたとされていますが詳細は不明です。
他のサイトでも「帰りに注意」とあるように目印を見つけておかないと遭難の危険性あり。
GPS利用、もしくは目印を見つけながら登ることをおすすめします。

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じゅんじん

城山公園 (2022/10/22 訪問)

鹿島神宮の向かいの山になります。駐車場も完備。桜が咲くときれいだろうな。

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じゅんじん

飯沼観音 (2022/10/22 訪問)

お城はこのあたりだったかも。

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じゅんじん

5年ぶり (2022/10/09 訪問)

自転車トレではよく走っていますが訪れたのは5年ぶり。今年は混んでるだろうな。

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ぴーかる

駿河丸城 (2023/02/11 訪問)

【駿河丸城】
<駐車場他>駐車場はなし。<34.778558, 132.463038>道路脇に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>土塁
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅4城目。現地説明板によると駿河丸城は鎌倉時代末期に1313年に駿河国から下向した吉川経高が築いた城で南北朝時代に小倉山城を築くまでの約70年間居城とした城です。しかし裏付け資料が乏しいようで平家丸城との別名もあるようです。
 城跡入口は<34.777012, 132.460428>にあり、進入口に説明板があります。とあるさんの投稿に馬蹄形城の城跡という表現通り、主郭と二郭がアーチ状の曲輪になっています。主郭と二郭の鞍部から進入しますが積雪がすごくて二郭の切岸をよじ登りました。二郭と主郭の間は小さい堀切があり、城跡背後は谷(雪が多くて多分ですが)になっています。主郭は2段状になっていて、主郭が上段で片側に土居が残ります。小さい城跡で良かった、雪でもなんとか観れました。

<満足度>◆◆◇

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朝田 辰兵衛

ここでの🗻眺望は必須と考えてました。 (2023/02/25 訪問)

ずっとこの日の天気予報は晴れでした。ここでの🗻眺望は必須だろうと。
甲府駅南口4番乗り場から,一高経由韮崎駅行き(8:30発)に乗車し「塩部」バス停下車。ここから(登城口の)緑が丘スポーツ公園を目指しました。
天気が良かったせいか,年齢を問わず多くの登山者が訪れてました。たぶん登城目的は私一人だったと思います。
御坂城攻城のすぐ翌日とあってか,ここの堀跡は子供だましぐらいにしか感じず…。

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ホリタカ

車で出丸まで行けるのです (2023/03/04 訪問)

城下町では「女城主」で有名な岩村醸造がイベント開催中で大盛況でした。麓の資料館でスタンプ押して登城。道程の6割はひたすら急坂を登る感じです。ようやく頂上に着いたら、車を出してくれた友人は、一足先に頂上の出丸に車を停めて出迎えてくれました。

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ホリタカ

まさに天空 (2023/03/04 訪問)

城に向かう途中の橋からも天空の城が望めます。麓の資料館に車を停めてスタンプ押して、歩いて15分くらいで頂上です。午前中に行ったら逆光でした。展望台からの眺めは絶景です。

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ホリタカ

ドラマ館が大盛況 (2023/03/03 訪問)

東岡崎駅からタクシーですぐです。(徒歩でも15分くらいです)ドラマ館があったり、お土産屋も大河ドラマ一色ですが、実際にはいろんな年代の石垣があったり、見所は多いです。

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ホリタカ

道の駅についてます (2023/03/03 訪問)

新城駅からレンタカーで作手歴史資料館へ。古宮城を見て、帰りに道の駅 つくで手作り村に寄ったところ、隣に城がありました。道の駅で五平餅を焼いてもらってる間に登城。

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チェブ

お城攻めを忘れる。 (2023/02/04 訪問)

前回 投稿した「中曽根城」の後、「石浜城」攻めに転戦しました。

「石浜城」は築城年数は不明です。江戸氏一族の石浜氏の拠点だったようです。
享徳の乱に伴い、千葉氏の内乱が起こります。
千葉氏だけではありません。関東の至るところで戦がありました。
千葉 実胤さんは下総を追われ「石浜城」に入りました。ざっくり、太田 道灌さんが活躍していた時代の頃です。

「中曽根城」周辺、ごみごみの住宅街と一方通行を抜け隅田川方面に向かいました。
いつもなら木々が生い茂る、こんもりした場所を目指すのですが、「石浜城」は遠くから見える『東京ガスのタンク』をロックオンし向かいます。
『石浜神社』が「石浜城」の推定地の1つです。
隅田川沿いということもあり、とても気持ちの良い所でした。
駐車場もあります。しばし、東京ガスのタンクを眺めます。
あれ、板金加工の板を溶接したのでしょうか?丸い形に整える技法すごいな~と「石浜城」を脱線。
参道の右側に「石浜城」の説明板がありました。
歩けば、いろんな説明板があります。『石浜神社』は源 頼朝さんが奥州征伐の時、戦勝祈願をしたんだとか。

拝殿の右手には、いろんな神様が祀られ、1人1人にご挨拶しました。
なんだか、若い方が多く参拝してるな、という印象です。
石濱茶寮という和風のカフェがありました。
お茶してる乙女衆に混じり、お団子とアイスクリームで一休みし、次のお城に備えます。

ん?「石浜城」は?
遺構はありません。でも、なんだか和やかな気持ちになれる「石浜城」でした。

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ホリタカ

新城駅からレンタカー (2023/03/03 訪問)

新城駅からレンタカーで作手歴史資料館へ。受付のおじさんが資料をくれて、駐車場などを教えてくれました。

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城好きのメガネ

「市来鶴丸城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
市来鶴丸城は、10代当主・島津立久が市来氏を攻め滅ぼし、島津氏の直轄地となる。戦国時代には島津家の内紛が起き、島津貴久が支配する。山田有徳、新納康久などが地頭となる。1550年には聖ザビエルが当地を訪れ、布教活動をする。江戸時代でも、薩摩藩の外城のひとつとして地頭が置かれた。現在、曲輪、石垣、土塁、堀切等が遺されている。

<アクセス>
JR東市来駅 徒歩20分

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