諏訪の「高島城」のあと、伊那の「高遠城」を訪れました。高遠城は高遠頼継を攻略した武田信玄が改修した城です。現在、建造物はほとんど残っていませんが、石垣や堀・土塁が戦国期の雰囲気を伝えています。サクラの名所として有名です。
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2024/02/04 12:37
信州名城巡り (2018/09/07 訪問)
諏訪の「高島城」のあと、伊那の「高遠城」を訪れました。高遠城は高遠頼継を攻略した武田信玄が改修した城です。現在、建造物はほとんど残っていませんが、石垣や堀・土塁が戦国期の雰囲気を伝えています。サクラの名所として有名です。
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2024/02/04 12:22
南北朝・戦国期と戦乱に明け暮れる。 (2018/01/04 訪問)
一宮城は鮎喰川の南側、標高144mの山上に築かれ背後には山々がそびえます。南北朝の時代に小笠原長宗が築き南朝の城として在ったとされています。北朝方の細川氏とはたびたび衝突し、正平17年(1362)細川頼之の軍と戦って敗れると一宮成宗は息子の成行に城主を譲って重清城に隠居したとあります。
戦国期の城主一宮成助は三好氏と対立しますが、頼みとしていた長宗我部元親に夷山城で殺されてしまったそうです。天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の際に蜂須賀家政が一宮城に入りますが、翌年に徳島に移り寛永15年(1638)に一国一城令によって廃城になったとのことです。
この日は麓から米蔵や周辺の郭を散策しながら尾根上に登り、財蔵丸・明神丸と巡回したあとに本丸に到達しました。その後は花畑や櫓台・陰滝などこの地方最大の山城を満期し下山となりました。
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2024/02/04 12:13
2024/02/04 12:04
信州名城巡り (2018/09/07 訪問)
元勤務地だった諏訪の名城、久しぶりに訪れました。諏訪湖と湖に流れ込む川を巧みに防備に用いて、「浮城」とも呼ばれ、復元された天守や櫓門、隅櫓が建っています。
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2024/02/04 11:37
2024/02/04 11:35
2024/02/04 11:33
今川・武田との戦いの城 (2024/02/03 訪問)
まわりを川や断崖に囲まれた防御性の高い城で、国境にあるので何度も攻められています。城主の菅沼氏は、野田城が戦いにより破壊されたので、近くの大野田城へ移っているときに攻められてしまったなど、生々しい逸話は実際に戦った城ならでは。地元の方の整備により、以前より中に入りやすく見易くなったようです。案内看板も新しくなってました。近くの法性寺には野田城の城門が移築されて残ってますし、信玄公が撃たれた場所?もあるので一緒に訪れると良いです。また、近くの大野田城も最近整備がされたようで、非常に見やすくなっており、あまり期待してなかっただけにいい意味で裏切られました。野田城だけでなく近辺の遺構も併せて楽しめました。
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2024/02/04 11:27
「九戸政実の乱」 (2017/05/03 訪問)
九戸城は南部氏の一族である九戸氏の城でした。九戸氏は南部氏族内の総領家争いに敗れ、田子(石川)信直が三戸南部氏を継ぎ豊臣秀吉の朱印状によって南部氏の他の一族は三戸南部氏の「家臣」もしくは「家中」として組み込まれてしまいました。
九戸氏は不満を募らせ、秀吉の小田原征伐により南部信直が奥州を留守にした隙を突いて挙兵し、これが「九戸政実の乱」の始まりとなりました。
九戸政実の乱は奥州仕置軍の到着により政実の一族の死を以て終結します。その後九戸城は蒲生氏郷により改修され南部宗家の本城となったそうです。慶長2年に森岡城が完成すると南部氏は森岡城に移り、寛永13年(1636)に九戸城は廃城となったそうです。
こんな縁起の悪い城に南部氏が本拠を移した理由はわかりませんが、広い城域を持つ立派な城であることは間違いありません。この日は二の丸、本丸を周遊して若狭館跡まで足を延ばしております。
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2024/02/04 10:58
箕輪城 (2018/05/18 訪問)
当初は堅固な土造の城でしたが、最後に入った徳川家康の譜代井伊直政によって石を用いた近世城郭に大改修されています。2016年には「郭馬出西虎口門」が復元されました。
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2024/02/04 10:52
都城島津邸 (2014/01/11 訪問)
都城島津邸は宮崎県都城市早鈴町にある都城島津家の邸宅です。都城はかつての島津荘の中心の地であり「島津発祥」の地とも呼ばれています。鎌倉時代に源頼朝に任命された惟宗忠久が「島津氏」を名乗ったのが島津氏の始まりとされています。
都城島津邸は明治12年(1879)以降に都城島津氏が住んだ邸宅で5000坪の敷地を持ち、都城島津伝承館や国の有形文化財に登録されている御門や本宅などが有りました。昭和10年に本宅の大改築が行われ、昭和27~28年にかけて2Fが増築されています。昭和48年昭和天皇皇后の両陛下が宿泊する際にも改築が行われ今の形になったとのことです。
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2024/02/04 10:47
2024/02/04 10:27
足利氏館 (2017/11/11 訪問)
平安時代から鎌倉時代はじめに足利義兼によって築かれたと言われています。館内に持仏堂を建立したのが現在も残る「鑁阿寺(ばんなじ)」の始まりです。
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2024/02/04 10:12
菅谷館 (2017/05/20 訪問)
鎌倉幕府初期の有力御家人であった畠山重居館居館と伝えられ、執権の北条氏に謀反の嫌疑をかけられて討たれてしまい大規模な大規模なその後山内上杉氏が再興しました。大規模な土塁や空堀を見ることができます。
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2024/02/04 10:01
左近くん (2024/02/03 訪問)
登城口には奈良県平群村のマスコットキャラクター左近くんが城を守るように立っています。島左近の居城であったという説もありますが、確認できていないようです。椿井井戸登城口から登城し椿井春日神社へ下りてきました。登城路は整備されていてそれなりの山道ですが、まあまあ歩きやすくなっています。「北郭部分は平成25年4月1日より当面、見学を制限します」と書かれた案内板あり、まだ北郭へは行くことができません。北郭への道も藪になっていてわからなくなっていました。南郭の堀切、土橋、石積等を観ながら散策しました。椿井城案内板の縄張り図に描かれていた石積下の竪堀は藪になっていてわかりませんでした。
近鉄生駒線竜田川駅から徒歩15分くらいで登城口に行くことができます。
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2024/02/04 09:52
武蔵松山城 (2017/05/20 訪問)
別名「武州松山城」「武蔵松山城」とも呼ばれる吉見町にある「松山城」、室町時代に上田友直によって築城され、その後北条方の城として豊臣秀吉による小田原征伐の時、前田・上杉軍主力の大軍に包囲され落城しました。
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2024/02/04 09:39
平群中央公園 (2024/02/03 訪問)
島氏の城と伝わっています。平群中央公園となっています。遺構はよくわかりませんでした。
近鉄生駒線竜田川駅より徒歩15分くらいです。
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2024/02/04 09:36
小田原・箱根旅行 (2017/02/04 訪問)
豊臣秀吉軍に滅ぼされた小田原北条氏の居城。天守を始め堀・橋・門などが復元され見所が多い城となっています。この時も梅の季節に訪れましたが、河津桜も綺麗に咲いていました。
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2024/02/04 09:27
田原レイマン (2024/02/03 訪問)
田原氏の城で戦国時代には三好長慶の飯盛山城の支城として機能していたといわれています。北側から登城し散策後、東側の登城口から出てきました。説明板は東側の登城口にあります。見どころのひとつは主郭下の堀切でいい状態で残っています。コンパクトですが、それなりに遺構は残っています。ただ主郭周辺以外は倒竹が多く散策に少し難渋しました。水の手はいつも気にしているので「水郭」と主郭の説明板に書かれている曲輪は興味深く見学しました。ただ説明板には「二つの深井戸と三角形井戸を含んだ削平地一帯が水郭である」と書かれていましたが、やはり倒竹でよく見えません。先輩方の投稿を拝見すると主郭には以前は祠があったようですが撤去されていました。
生駒駅からバスに乗り池谷バス停下車、徒歩10分くらいで登城口に行くことができます。
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2024/02/04 09:09
鷹山氏の城 (2024/02/03 訪問)
興福寺一条院方の衆徒である鷹山氏の城と伝わっています。登城口は北にあり南へ進んでいくと九頭龍王を祀る十三重塔が設置された曲輪に到達し、ここに説明板がありました。主郭はその曲輪から北方にあり明瞭な道はありませんが、藪はそれほどではなく比較的容易に散策することができます。主に東側に曲輪が展開しています。西側は崖になっていました。主郭を越えて進むと浅いですが、堀切と思われる地形があります。
縄張り図を見ると説明板のある場所の南にも曲輪があると思われますが、ロープが張ってあり行くことができません。
近鉄けいはんな線学研北生駒駅よりバスに乗り庄田バス停下車、約10分で登城口に行くことができます。バス停から数カ所に案内表示があり迷うことはありません。
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