京都御所を訪れました。地下鉄烏丸線(今出川駅)で下車しそこから歩きました。
御所の中は清所門から入り無料で中を見学する事ができます(予約不要、ただし事前にネットで見学可能な日時や方法などの確認を)。また御所の中はとても広く結構歩きます。下も砂利なので歩きやすい靴で行かれた方がいいと思います。でも中に入ると、歩き疲れも忘れるほど感動がありました。
特に「御車寄」(写真①)から「建礼門」(写真②)、朱が映える「承明門」越しに見た「紫晨殿(ししんでん)」(写真③④⑤)、天皇の御座所「清涼殿」(写真⑥)、金色がまぶしい「春興殿」(写真⑦)、緑が映える「御庭池」(写真⑧)などはとてもきれいでした。「蛤御門」では禁門の変の弾痕跡も残っていました(写真⑨⑩)。
清涼殿では一条天皇と中宮の彰子(道長の娘)が暮らす姿や、紫晨殿で一条天皇が即位するドラマのシーンなどが、次々と思い浮かんでしまいました。藤式部(まひろ)の部屋はいったいどこだったのだろうか?🤔 思わずキョロキョロと覗き込んでしまいました(笑)。
宮中に上がったまひろ(当時32才)は、藤原の藤の字と父為時が式部省に所属していた事から、「籐式部」という名を与えられます。しかしだんだんと紫の君に似ているという事から、「紫式部」と呼ばれるようになったようです。
そして一条天皇が、亡き前妻「定子」の事をいつまでも忘れなかったため、中宮「彰子」(道長の長女)の方に気を引くような内容に源氏物語を書き変えるよう道長から密命が下り、籐式部は、源氏物語桐壺の巻(第一帖)を書き始めます。この物語に興味を引いた一条天皇と彰子の間には二人の男子(敦成親王・敦良親王)が生まれ、式部は無事密命を果たす事ができました。しかしその直後、一条天皇は何と病に倒れ崩御してしまいます(一条天皇32才、彰子24才)。
その後、ここから藤式部(まひろ)は自分の書きたかった物語(第二帖以降)を長々と書き綴るようになりました。その物語は、この時代に生きた貴族の女性たちの恋はハッピーエンドでは終わる事はない、だからと言って自立もできない、政事(まつりごと)の道具にされるだけの「恋するもののあはれ」を物語で表現したかったのではないかと思います。
しかしその執筆途中、道長が一条天皇の後に即位した弟の三条天皇との間でうまくいかず、ストレスからか病に倒れ宇治で療養していると聞き、藤式部(まひろ)は道長を見舞うため宇治を訪れます。
次は、宇治平等院へ続きます。
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